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(金剛(こんごう)座・金春(こんぱる)座)(観世(かんぜ)座・宝生(ほうしょう)座)
〈2013青山学院・文:「
E.室町時代に入ると各地の祭礼や市の広場で田楽や猿楽がさかんに演じられるようになり、民衆の圧倒的な支持により新しい芸能として成長するとともに、[ g ]座の観阿弥・世阿弥父子によって芸術性ゆたかな猿楽(能)へと高められた。観阿弥から舞の教育を受けて育った世阿弥は、佐々木導誉や二条良基らの指導も受け、将軍足利[ h ]の庇護のもとで才能をのばすとともに、『風姿花伝』を著してその後の能の発展に寄与した。
問12.空欄[ g ]に入るもっとも適切な語句を、次の選択肢の中から選びマークしなさい。
1結崎 2外山 3坂戸 4円満井
問13.空欄[ h ]に入るもっとも適切な語句を、次の選択肢の中から選びマークしなさい。
1尊氏 2義満 3義政 4義教」
(答:g1 ※観世座の元の名、ちなみに、宝生座はもとの名を外山座(どびざ)、おなじく金剛座は坂戸座(さかどざ)。h2 )
〈2013明治大学・商:「
また能も北山文化を代表する芸能であった。能は猿楽や田楽などを集大成し、発達していった。このころ寺社の保護を受けて、能は各地で興行されるようになった。なかでも興福寺を本所とした観世・宝生・[ う ]・金剛の座は大和猿楽四座といわれる。そのうち観世座を率いた観阿弥・世阿弥の父子は、義満の保護を受け、芸術性の高い猿楽能を完成させた。」
(答:う金春)〉