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豊臣政権の五大老

2016-09-30 | 『新世界史頻出年代暗記』

五大老とは、豊臣政権の職名で五奉行の顧問役で、1597年、小早川隆景の死後五大老と呼ばれた。

宇喜多秀家…備前岡山城主。関ヶ原の戦いで西軍に参加したため、八丈島に配流。

毛利輝元…毛利元就の嫡孫。関ヶ原の戦いで西軍の主将として大坂城にいた責を問われ、周防・長門に減封。

宇喜多秀家…備前岡山城主で、関ケ原の戦いで西軍に加担したため、八丈島に配流された。にも従軍。

徳川家康(1542~1616)…織田信長と同盟し、本能寺の変の後、五大老の一人として秀吉に臣従。関ヶ原の戦いで石田三成を破り、江戸幕府を開く。

前田利家…信長の家臣。のち秀吉に服属し、柴田勝家に代わり北陸最大の大名となり金沢を居城とする。

上杉景勝…北陸の雄として秀吉に仕え、関ケ原の戦いで西軍に属したが、敗北後家康に降り、米沢30万米に減封された。

 

もう雨季田植え 家の前。」と覚えよう。

毛利輝元

宇喜多秀家

上杉景勝

徳川家康

前田利家


1.五大老は五奉行の顧問役として有力大名が任命され、重要な政務を合議して決めた。小早川隆景の病死後、五大老とよばれた。

2.徳川家康は、256万石。秀吉没後、伏見城で政権の政務をとり、前田利家が大阪城で秀頼を後見した。


3.前田利家(のち利長)(1538~1599)は、84万石。大坂城で秀頼を補佐。


4.毛利輝元(1553~1625)は、112万石。西軍の総大将だが大坂城にあり参戦せず。のち減封。


5.小早川隆景(1533~97)は、1597年病死。小早川隆景の死後、かわりに上杉景勝が入ったころから五大老とよばれた。


6.宇喜多秀家(1572~1655)は、57万石。関ヶ原の戦では西軍で敗走。のち助命が実り八丈島に配流。


7.上杉景勝(1555~1623)は、120万石。西軍で敗れ減封。大坂の陣では徳川方につく。

〈2016関西大学・全学部

 1600年、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は、西軍の諸大名の改易、減封を行った。五大老の一人、毛利輝元は周防・長門の2国に減封、( 7 )は、出羽米沢30万石に移封された。」

(答:上杉景勝 ※原問には選択肢が30項あり)〉


〈2014法大・文法営

 豊臣政権期に政務を総覧した有力大名を五大老というが、以下のa~eのなかから五大老でない人物を一人選べ。

 a前田利家 b毛利輝元 c宇喜多秀家

 d上杉景勝 e小西行長

(答:e)

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