・初代 b アブー=バクル ムハンマドの妻の父。大規模な征服活動をc 聖戦(ジハード) として行う。
・▲2代 d ウマル 637年、 カーディシーヤの戦い での勝利に続き、
642年 e ニハーヴァンドの戦い でf ササン朝ペルシア を破る。イラン人のイスラーム化が始まる。
→ さらにg ビザンツ帝国 からシリア・エジプトを奪い西アジアの穀倉地帯を支配。
※イスラーム国家 : カリフを宗教的・政治的権力者としてイスラーム教の信仰によって結びついた、
アラブ人を主体として多くの民族を含む世界帝国が成立。(サラセン帝国)ともいう。
・征服地に軍営都市(i ミスル )を建設。アラブ人が家族を伴い移住。イラクのクーファ 、 イラクのバスラ 、 エジプトのフスタート など。
・▲3代 j ウスマーン ウマイヤ家出身。(シーア派はカリフと認めない)
→ 征服地の分配、力リフの選出などをめぐり、イスラーム共同体の内紛起こる。
・4代 k アリー 、ムハンマドの従弟で、娘ファーティマの夫。
→ シリア総督のウマイヤ家のl ムアーウィヤ と争う。
661年 暗殺される(ハワーリジュ派による)。 → シーア派は初代m イマーム とする。
解説
アリーはムハンマドと同じくメッカのハーシム家の出で、ムハンマドの娘ファーティマの夫となった。大変勇敢な指導者として「アッラーの獅子(アサドッラーク)」と言われた。656年、ウマイヤ家出身のカリフ・ウスマーンが暗殺された後、ムハンマドに最も近い人物と言うことでカリフに選出されたが、ウマイヤ家の統領であるシリア総督ムアーウィヤはアリーがウスマーン殺害の背後にあるとみなして対立し、660年ダマスクスでカリフを称して離反した。両者の争いは決着がつかず、アリーはムアーウィヤの提案を入れて戦闘を中止した。それに反発した過激派(ハワーリジュ派)の刺客が両者を暗殺する計画をたて、661年、クーファでアリーの暗殺に成功した。ただ一人カリフとして残ったダマスクスのムアーウィヤがイスラーム世界の統治者となったが、それを認めずにアリーの子孫のみをイスラームの指導者(イマーム)であるとするシーア派が出現することとなる。
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680年 カルバラーの戦い ウマイヤ朝軍、シーア派イマームのフサインを殺害。
・第5代カリフ ▲c アブド=アルマリク (在位685~705) 統一政策と外征を進める。
695年 d アラビア語 を公用語とする。
同 年 統一貨幣(ディーナール金貨、ディルハム銀貨)を鋳造。
Text p.103
・領土の拡大東方 704年 中央アジアのe ソグディアナ に進出。中央アジアへのイスラーム教拡張。
711年 インドのインダス下流に進出。ヒンドゥー教徒との抗争続く。
西方 北アフリカのチュニスを制圧、ベルベル人のイスラーム化が進む。
→ ▲f ビザンツ帝国 との抗争 コンスタンティノープルを攻撃、 シチリア島にも進出。
711年 タンジール からジブラルタルを越えてg イベリア半島 に進出、h 西ゴート王国 を滅ぼす。
・732年 i フランク王国 に侵入。j トゥール・ポワティエ間の戦い で敗れる。
→ キリスト教世界を守ったカロリング家の宮宰カール=マルテルがカロリング朝を開く。(次章で説明)
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・帝国の国家財政 征服地の先住民にb 地租(ハラージュ) とc 人頭税(ジズヤ) を課す。
→ d 征服地の異民族(非アラブ人)は、租税を納めることで信仰は認めたが、改宗しても課税された。
※イスラーム教は、異教徒に対して改宗を強制したのではなかったことに注意する。
・このような特色を持つウマイヤ朝時代をC アラブ帝国 ともいう。
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・b スンナ派 :ウマイヤ朝のカリフを認めた多数派。
主張:c ムハンマドの言行(スンナ)を生活の規範とし、共同体の統一を重視する。
・d シーア派 :ウマイヤ朝のカリフを認めず、独自の指導者( イマーム )をたてた少数派。
主張:e 4代目カリフのアリーの子孫のみを正当な指導者とする。
= “アリーを支持する”という意味の“シーア・アリー”からきた。イスラーム教徒の約1割。
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またスンナ派とシーア派の対立も始まる。ムハンマドの叔父の子孫 b アッバース家 の勢力が強まる。
→ ホラーサーン地方を拠点にウマイヤ朝に抵抗続ける
Text p.104
a シーア派、アラブ以外のイスラーム教徒 ら
が協力し、b アッバース革命 を成功させる。
751年 中央アジアに進出し、唐と戦う。
= c タラス河畔の戦い (前出)
・第2代 d マンスール
首都e バグダード を建設。
円形の都市計画。円城から四方に道路が延び、
運河などの交通網が発達していた。 (右図)
・f イラン人 などの改宗者を要職に登用、
官僚制度を整える。
→ 権力を握ってからはスンナ派を保護し、
シーア派は弾圧。
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アラブ人でも征服地に土地を所有すればb 地租(ハラージュ) を課す。
意義:c イスラーム教徒であれば、アラブ・非アラブの区別を無くし、平等にした。
解説
・d イスラーム法(シャリーア) :民族差別を無くしたカリフのによる統一的な支配の根拠とされる。ウマイヤ朝までとアッバース朝以降のイスラーム帝国の税制の違いを概略を示す。×は課税されないことを示し、○は課税されることを示す。非アラブ人のマワーリーとはイスラーム改宗者、ズィンミーとは非改宗者で被保護者の意味。
王 朝 ウマイヤ朝まで アッバース朝から 税 制 ハラージュ ジズヤ ハラージュ ジズヤ ア ラ ブ 人 × × ○ × 非アラブ人 マワーリー ○ ○ ○ × ズィンミー ○ ○ ○ ○
アッバース朝の意義:e 「アラブ人の国家」から「イスラーム教徒の国家=イスラーム帝国」に変質した。
ただし、公用語は依然としてf アラビア語 とされた。
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地図 イスラーム世界の拡大
a ムハンマド時代 b 正統カリフ時代 c アッバース朝 d ビザンツ帝国
重要地名 1 メッカ 2 メディナ 3 ダマスクス 4 イェルサレム
5 バグダード 6 アレクサンドリア 7 コルドバ 8 グラナダ
9 トゥール 10 ポワティエ 11 ローマ 12 コンスタンティノープル
13 ニハーヴァンドの戦い 14 トゥール=ポワティエ間の戦い 15 タラス河畔の戦い
首都b コルドバ → バグダードの文化を吸収、高度なイスラーム文明を生みだす。
・ ▲8世紀末 c カール大帝 時代のフランク王国の侵入を撃退した。
= ヨーロッパの一部のイベリア半島に、キリスト教国と隣接してイスラーム国家が存在したことに注意。
→ 半島の北部に残ったキリスト教徒が、イスラーム教徒からの国土回復運動を開始する(後出)。
10世紀、d カリフ を称す。 → 1031年滅亡 小国に分裂、キリスト教勢力の攻勢強まる。
→ その後もコルドバはヨーロッパがアラビアの先進的な文化を受け入れる窓口となった(後出)。
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Text p.105
学問、芸術を保護し、イスラーム文化の黄金時代と言われる。
→ b バグダード の繁栄。人口100万を超える。
ギリシア語の文献の収集と翻訳が行われる。(第7代カリフのマームーンも継承)
解説
ハールーン=アッラシードがカリフとなった時代はヨーロッパではフランク王国のカール大帝と同時期であり、フランク側の記録では贈り物の交換をしている。フランクとアッバース朝は、ビザンツ帝国と後ウマイヤ朝という共通の敵を持っていたので、友好関係を持ったことは考えられる。ただし、両者の力関係は、圧倒的にアッバース朝ハールーン=アッラシードが上であった。彼はまた文芸や芸術を好み、多くの芸術家を保護し、バグダードの繁栄をもたらした。彼がバグダードに建設した知恵の館は、アレクサンドリアのムセイオンに伝えられていたギリシア語文献を、アラビア語に翻訳する学術センターとして機能した。しかし、その死後、広大なアッバース朝イスラーム帝国の各地に、地方政権が自立し、分裂の時代がやってくる。・9世紀から、トルコ系軍人奴隷(c マムルーク )を中央アジアから購入し、親衛隊とする。(後出)
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→ 軍隊の地方司令官が、独立して▲b アミール を称し、地方政権を各地につくる。
・8~9世紀 地方政権の自立
北アフリカ ▲モロッコ イドリース朝(789-926)が成立。最初のシーア派国家。
エジプト c トゥールーン朝 (868~905) アッバース朝のトルコ系軍人が自立。
イラン ▲東部にターヒル朝(821-873)、次いでサッファール朝(867-963)が成立。
西トルキスタン d サーマーン朝 (875~999)イラン系。都ブハラ。東部イランに進出。
= トルコ人を軍人奴隷(マムルーク)とする。 → トルコ人のイスラーム化すすむ。
・アッバース朝の弱体化 : 現在のイラク、バグダード周辺だけ位を支配するのみとなる。
869~883年 ▲ザンジュの乱 :イラク南部のバスラを中心とした黒人奴隷の反乱が起きる。
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a シーア派 の中の急進派(▲b イスマイール派 を信奉。
= アリーとムハンマドの娘のファーディマの子孫であると称する。
→ カリフを称し、アッバース朝のカリフの権威を否定。
・969年 c エジプト を征服し、首都b カイロ を建設。
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→ b バグダード のアッバース朝、c コルドバ の後ウマイヤ朝、d カイロ のファーティマ朝が分立。
= 3人のカリフが並び立つ分裂状態となる。
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Text p.106
b 大アミール に任命され、スンア派の力リフを保護する代わりに、
c イスラーム法 を施行する権限を与えられる。
解説
ブワイフ朝は、イランに成立したイスラーム地方政権の一つでシーア派の穏健派十二イマーム派を信奉していた。アッバース朝の弱体化につけ込んでバグダードに入城し、軍事政権を建てたが、アッバース朝を滅ぼしたわけではなく、そのカリフを保護する代わりに、イスラーム法の執行権、つまり政治権力をあたえられ大アミールという地位に就いた。日本で言えば、天皇と鎌倉幕府の関係に似ている。このブワイフ朝では、イクター制度が始まることが重要(後出)。