市内に町名。
(内務大臣の任命・市長)(無給の名誉職・町村長)
[point]
1.市長は内務大臣の任命、町村長は無給の名誉職だった。
[解説]
1.人口2万5000人以上の都市を市として郡と対等の行政区域とした。
2.市長は市会の推薦する候補者から内務大臣が任命し、市参事会が行政を担当した。
3.町村長は無給の名誉職で、町村会で公選された。
4.市町村会は公民の等級選挙制に基づく公選名誉職議員で構成。
5.郡制は郡長および郡参事会を行政機関とし、町村会議員の投票と大地主の互選とによって選ばれる郡会を議決機関とした。府県会も郡会議員の投票による間接選挙であった。
〈2017早大・社会
明治以降、ドイツ、フランスを中心とする西欧近代法の継受も始まった。8.中央・地方の統治機構整備が進められ、9.治安維持を目的とした諸法令、経済活動に関連する諸法令が制定された。
問8 下線部(8)に関連する記述として、不適切なものはどれか。1つ選べ。
イ 憲法公布と同時に、議院法、衆議院議員選挙法、貴族院令が公布された。
ロ 宮内省は内閣の外に置かれ、行政府と宮中は制度的には区別された。
ハ 府県予算案の部分的審議権が府県会に与えられた。
ニ 市長は公選によって決定され、市参事会が行政を担当した。
ホ 町村長は、無給の名誉職だった。
問9 下線部(9)に関連する記述として、不適切なものはどれか。1つ選べ。
イ 保安条例により、民権派の一部は皇居周辺から退去させられた。
ロ 保安条例公布後、新聞紙条例改正によって取締りが強化された。
ハ 新聞紙条例は、1883年改正の後、新聞紙法に継承された。
ニ 集会条例は、政社の自由を制限した。
ホ 讒謗律は、人を非難する言動をすべて罪とした。
(答:問8ニ×市長は市会の推薦する候補者から内務大臣が任命、問9ロ×保安条例は1887年、新聞紙条例は1875年に公布1883年全改定で逆)
〈2016立教大・現心社コミュ福
政府は、憲法草案の作成と並行して宮中改革を行い、1885年には、従来の太政官制を廃止して( ニ )制度を創設し、その後には3.地方自治制度の整備など、様々な国内問題への対応も行った。
問3.下線部3に関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.市町村会の議員は、内務大臣によって任命された
b.市長・町村長を住民が公選する制度が導入された
c.中央集権的ではあるが一定の地方自治を認めた市制・町村制、府県制・郡制が公布された
d.府県知事は、帝国議会の議員のなかから指名された」
(答:ニ内閣、問3c〇 ※a×内務大臣の任命ではない、b×市長は内務大臣の任命、d×知事は内務省から派遣された政府官僚)〉
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