- ローマ(帝政)
Theodosius I issues an edict reinforcing the prohibition of prayers or sacrifices at non-Christian temples.
さぁ国(くに)のもの 手をどうぞ。
392年 国教化 テオドシウス帝
コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認した後の4世紀後半、ユリアヌス帝は古典文化の復興を行い、ミトラ教に心酔してキリスト教を捨てたため、「背教者」とよばれた《「背教者」の「背」の「北」の左に〈ユ〉、「月」の両側は〈リ〉、「教」の左に〈ア〉、右に〈ヌ〉がある!》。
392年、テオドシウス帝はキリスト教を国教化し、他のすべての宗教を禁止。ローマ帝国の分裂に歯止めをかけようとしたが、395年にローマ帝国は東西に分裂した。
《ローマ帝国の分裂》
395年、ローマ帝国の分裂を避けることができないことを悟ったテオドシウス帝は、死に際して帝国を2分して2子に残した。ここにローマ帝国は東西に分裂し、子のアルカディウスとホノリウスがそれぞれ東・西のローマ皇帝となった。
裂(さ)くことにして ローマ分け。
395年 テオドシウス帝 ローマ帝国分裂
知らせて頂きありがとうございました
このブログは多くの受験生が見てくれてるので、迷惑をかけるところでした。