奈良時代の政治家・学者。
吉備地方(岡山県)の豪族の出身。717年、玄(げんぼう)らとともに留学生として入唐、735年帰朝。儒学・天文・兵学などに通じ、玄とともに橘諸兄政権で活躍した。
このとき、藤原広嗣が玄・真備を除こうと挙兵したが敗死した。
藤原仲麻呂の進出で冷遇され、左遷された。
仲麻呂の没後、称徳天皇の信任を得て正二位右大臣にのぼり、菅原道真と並ぶ学者政治家と言われたが、天皇の死後、後継者の擁立に失敗し、光仁天皇の即位後に辞官した。
●藤原広嗣の乱 ベック式暗記法!
なじれ広嗣(ひろつぐ) 元気よく。
740年 藤原広嗣の乱 玄 吉備真備
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