丹下梅子氏の胸像(wikiより拝借)
9月はじめのことになりますが、県内在住の卒業生を対象にした集まりがありました
総会、講演会、ランチの構成
その時の講演会で紹介された鹿児島出身の日本が誇る女性として、丹下梅子さんの話が出ました
講演者は、郷土愛溢れたユーモアのセンスたっぷりの方でしたが、曰く
次の朝ドラのヒロインに是非なって欲しいですよ
虎翼とても素晴らしいですが、丹下梅子さんも勝るとも劣らず素晴らしいのです
そんなに熱く語る丹下梅子さんとは、
明治6年、鹿児島市金生町の商人の娘として誕生
3歳の時に、右目を失明
県立女子師範を抜群の成績で卒業し、教職に就く
明治34年日本女子大学の第一期生となり、化学を専攻
大正元年、文部省の化学教員検定試験に女子で初めて合格
大正3年、東北大学がはじめて女子に門戸を開くと、これにも合格
ここで、講演者の追加情報で、なぜ東大ではなく東北大だったかと言いますとね、虎翼と同じで、東大はまだ女子に門戸を開いていなかったんですよ・・・・と
東北大に入学したのは、女子3人で、41歳になった梅子が最年長だった
東北大では、有機化学を学び、大学院まで進む
48歳で渡米し、スタンフォード大学、コロンビア大学で栄養学を修める
昭和2年54歳の時、ジョン・ホプキンス大学で理学博士号取得
ジョン・ホプキンス大学はコロナ禍の時、世界の感染者数を集計して、それが色んな場面で取り上げられて使われて(私はその時、大学名を知りました😅)
昭和5年、日本女子大学教授となり、ビタミンに関する数々の業績を上げる
理化学研究所の嘱託で、あの有名な鈴木梅太郎教授の元で研究していたそう
昭和15年、東京帝国大学から農学博士の学位を授与される
生涯独身で、1955年1月82歳で没する
日本初のリケジョ
素晴らしい活躍をした丹下梅子さんなのに、郷里は彼女の研究や功績にあまり注目しなかったという
これが男性が大臣や博士とかになれば、マスコミ等で大騒ぎしたのでしょうが
これが薩摩の風土なのかも
家が豪商で、遊学の資金が潤沢にあったのでしょうが、家族も彼女の才能を信じて応援していたから成せたことでしょう
48歳で渡米し、研究に打ち込み、当時最も必要とされた栄養学で素晴らしい業績を収めた女性が、鹿児島で生まれて育っていた
残念ながら、講演ではじめて知ったのでした
そして、トップの胸像なのですが
鹿児島市金生町の山形屋という老舗のデパートを背に、電車通りの歩道に設置されています
胸像はもちろん見たことがあるというか、いつも目に入ってくるのですが、誰なのか気に留めたことがありませんでした
郷里のこと、知らない事多いな
まだまだ学ぶことたくさんあるな
そんな事を思った、丹下梅子さんのお話でした
そして、講演者が熱く語ったように、幾多の困難を乗り越えて、偉業を成し遂げた女性初の理科系女性って、確かに朝ドラのヒロインになれそう
とも思ったのでした