土曜日の昼過ぎに平泉に到着すると、まず車をホテルの駐車場に入れて、すぐに中尊寺目指して歩き出しました。
中尊寺の山の中で900年前に想いをはせた後、極楽浄土をイメージして造られたという庭園跡と、隣接する毛越寺(もうつうじ)の散策。
毛越寺の中では平安時代の庭園が発掘され 遣水から水が流れていました。
この人工のせせらぎの説明はここに
この日は毛越寺を散策しておしまい。
トップの画像は毛越寺近くの民家の柿の木です。
一つ残った木守の柿を抱きかかえるようにして カラスがじーっと止まっていました。
日曜日は雨模様。
朝八時にはホテルを出て、達谷巌(たっこくのいわや)毘沙門堂へ直行。 車で10分もかからない距離です。
このような岩に彫ったお堂を見れるはずでした。
ところが 修復中で 外観は青いビニールシートで覆われていました。
時は桓武天皇の800年の頃。 征夷大将軍坂上田村麿が京都から蝦夷の頭悪路王、赤頭を征伐できたのは毘沙門天のご加護と感じて 京の清水の舞台造りをまねて建てたものだそうです。
お堂の中には木製の百八体の毘沙門が祀ってありました。
私が見た達谷巌の外観は こんな感じでした (ほんとに残念)
この後、厳美渓へ。
渓谷の凝灰岩が浸食されて出来た奇岩のおりなす景色は まさに絶景。
川沿いの遊歩道は落ち葉の絨毯で見事に敷きつめられていました。
ここは 団子も有名。
渓谷の向こう岸のだんごやさんからロープを伝わって 団子が運ばれてきます。
注文は小さいカゴにお金を入れて ロープに下げられた板をハンマーで叩くと、カゴが向こう岸へ。
団子とお茶が一瞬にしてロープを伝わって降りてきました。
一人前400円は とってもお安い。 しかも こちらが二人いるのを確認して 二人分のお茶も付いていました。
かっこうだんごとは 漢字だと 滑降団子 と書くのでしょうね。
天工橋を渡って左手の有料駐車場に車を止めましたが、そこの守衛のおじさんがとても親切な方でした。
みぞれになりそうな冷たい雨の中の散歩でしたが、見逃したはずの今年の紅葉(落葉)も見れたし 素適な観光が出来ました。
九州育ちの私には 東北は感覚的に遠いところです。
そんな遠い奥州と京都が 1200年ほど前から人と物と文化の交流があったことを始めて知った旅でした。
源頼朝は奥州藤原家を滅ぼしたものの 平泉の文化の高さに驚き、中尊寺を保存することに決め、後に鎌倉の街づくりは平泉をまねた部分が多々あるのだそうです。
義経を死に追いやった悪いイメージの頼朝像ですが、中尊寺を焼き払わなかったと知っただけでも 頼朝のイメージが変わりました。 (恥ずかしながら 歴史音痴丸出しです)
中尊寺金色堂は マルコポーロの東方見聞録で記された黄金の国の伝説を生んだ建物だそうです。 日本で初めて国宝になった金色堂。
自分の目で見て 確かに世界遺産に値するものだと思いました。
平泉の人の願いが叶うといいですね。
中尊寺の山の中で900年前に想いをはせた後、極楽浄土をイメージして造られたという庭園跡と、隣接する毛越寺(もうつうじ)の散策。
毛越寺の中では平安時代の庭園が発掘され 遣水から水が流れていました。
この人工のせせらぎの説明はここに
この日は毛越寺を散策しておしまい。
トップの画像は毛越寺近くの民家の柿の木です。
一つ残った木守の柿を抱きかかえるようにして カラスがじーっと止まっていました。
日曜日は雨模様。
朝八時にはホテルを出て、達谷巌(たっこくのいわや)毘沙門堂へ直行。 車で10分もかからない距離です。
このような岩に彫ったお堂を見れるはずでした。
ところが 修復中で 外観は青いビニールシートで覆われていました。
時は桓武天皇の800年の頃。 征夷大将軍坂上田村麿が京都から蝦夷の頭悪路王、赤頭を征伐できたのは毘沙門天のご加護と感じて 京の清水の舞台造りをまねて建てたものだそうです。
お堂の中には木製の百八体の毘沙門が祀ってありました。
私が見た達谷巌の外観は こんな感じでした (ほんとに残念)
この後、厳美渓へ。
渓谷の凝灰岩が浸食されて出来た奇岩のおりなす景色は まさに絶景。
川沿いの遊歩道は落ち葉の絨毯で見事に敷きつめられていました。
ここは 団子も有名。
渓谷の向こう岸のだんごやさんからロープを伝わって 団子が運ばれてきます。
注文は小さいカゴにお金を入れて ロープに下げられた板をハンマーで叩くと、カゴが向こう岸へ。
団子とお茶が一瞬にしてロープを伝わって降りてきました。
一人前400円は とってもお安い。 しかも こちらが二人いるのを確認して 二人分のお茶も付いていました。
かっこうだんごとは 漢字だと 滑降団子 と書くのでしょうね。
天工橋を渡って左手の有料駐車場に車を止めましたが、そこの守衛のおじさんがとても親切な方でした。
みぞれになりそうな冷たい雨の中の散歩でしたが、見逃したはずの今年の紅葉(落葉)も見れたし 素適な観光が出来ました。
九州育ちの私には 東北は感覚的に遠いところです。
そんな遠い奥州と京都が 1200年ほど前から人と物と文化の交流があったことを始めて知った旅でした。
源頼朝は奥州藤原家を滅ぼしたものの 平泉の文化の高さに驚き、中尊寺を保存することに決め、後に鎌倉の街づくりは平泉をまねた部分が多々あるのだそうです。
義経を死に追いやった悪いイメージの頼朝像ですが、中尊寺を焼き払わなかったと知っただけでも 頼朝のイメージが変わりました。 (恥ずかしながら 歴史音痴丸出しです)
中尊寺金色堂は マルコポーロの東方見聞録で記された黄金の国の伝説を生んだ建物だそうです。 日本で初めて国宝になった金色堂。
自分の目で見て 確かに世界遺産に値するものだと思いました。
平泉の人の願いが叶うといいですね。