16日から20日までは 年末恒例の帰省でした。
一泊はトトの実家へ。 私の実家に三泊。
四泊した中で 三か所の温泉に入ることが出来ました。
最初は みどり温泉。 一人350円。
最近リニューアルした地域密着型の温泉です。 薬湯やスチームサウナや露天でリフレッシュ出来ました。
二日目は 川辺にある川辺温泉。
造園家が経営する こじんまりとした温泉です。
泉質はアルカリのミョウバン湯で すべすべしたお湯で 源泉かけ流し。
この二つは トトと行きました。
三日目は 着入(きいれ)の温泉へ。 ここは依然着入町の町営でしたが、今では合併で鹿児島市営?
鹿児島市の住民で高齢者は無料です。
母が雑用で外出していたので、父と二人で行きました。
父に持たせたのは 黄色いタオルと石けん箱とバスタオル。 数年前から 温泉で人さまのタオルと間違って持ち帰るので、人があまり持たない黄色いタオルを持たせると聞いていたからです。
しかし、出かける前のこと。
『着入温泉はタダで入れるから 証明書(保険証とか免許証など)を持っていく』と 張り切ったものの、自分の財布がどこにあるのか、見つけることも出来ないのです。
元々 自分の身の回りの管理に無頓着だった上に 近頃進んだ痴呆で、数か月前から 銀行でお金をおろす方法さへ忘れてしまったとか。
大した額でもないんだから、お金を払えばいいわよと言って 出かけたのでした。
券売機で入浴券2枚を購入する私に、『いくら払ったのか? 後で返すからね』と気を遣う父。 お金が必要とまだわかっているくらいだから、一人で入っても大丈夫だろうと 思い、それぞれ男湯と女湯へ。
1時間半後に出てくると、待ちあい室のソファに座っていました。
最近では 服を脱いだり 着たりすることにも 随分時間がかかるようなりました。
1時間半後でも 私の方が先に出てくるだろうと思っていたのですが、 ほぼ同じぐらいだったそうです。
私を待たせたらいけないと気を遣ったのでしょう。
サービスのお茶をついで飲ませてあげて 『さぁ、帰りましょう』と温泉を出ようと歩き出して ふと父の足元を見ると 靴が違っています。
『お父さん、靴を間違えているわよ』 と 言うと、
『そうか? どれを履いてきたか さっぱり覚えていない』 と言うのです。
父はその時 割と新しい柔らかそうな皮の靴を履いていたのですが、家を出る時はグレイがかった白い紐なしのスニーカータイプの靴でした。
受付まで戻り、理由を言って 二人で男湯の下足入れの所へ入って行きました。
靴箱には4足の靴しか入っていません。
2足は黒い紐が使ってあるスニーカーで、後一足は茶色のズックでした。 そして一足白い紐なしのスニーカーがあったので、『これかしらね? ほかの靴は全然違うから』と言って 白いスニーカーを履かせたのです。
父は 自分の靴がどれだったか、さっぱりわからないというのです。 そして こんなことをしては迷惑かけるから、靴に名前を入れようと 知恵を出してくれました。
自分の靴がどれだったか忘れても 間違わないようにするための対策を考えられる状態のようです。
こういうのを世間ではまだらぼけというのでしょう。
家に戻る車の中でも しきりに『靴を間違えるなんて もうろく爺さんだ』と自分のことを言っていました。
夕方日が暮れたころに母が帰ってきました。
靴のことを話すと 玄関に脱いだ靴を確かめてから、父の持ち物ではないと言うではないですか。
でも 温泉の靴箱に入っていた残りの靴の説明をしても やはり全部父の靴ではないのです。
どうやら、父より先に 靴を間違えて出て行った人がいたようです。
母が間違えて履いてきた靴を手にとってみると 小さく赤いマジックで 10.12.5と数字が記入してあり、どうやら靴を買った日か 下ろした日付のようです。
母は日付でなく名前を書いてあればよかったのに とさかんに嘆いていました。
さらにその夜、父が左の腕が下着の袖に締めつけられて痒いといので、袖をまくってみると 二の腕になんと温泉のロッカーキーのバンドがはめてあったそうです。
温泉に連れていくことさえ 満足にしてあげることが出来ませんでした。
日頃の母の苦労が目に見えるようです。
半年前に比べ かなり 痴呆が進んでしまったようです。 三か月前は まだこれほどではなかったように思います。
なるべく頻繁に帰ってきて欲しいと言うので 『お父さんが帰ってきてほしいって 電話してよ。 私の都合と付きあわせて 帰ってくるわよ』 と 話しすと、2月のはじめぐらいに帰ってきてというので 『では 2月のはじめにね』と言い、 父母と別れたのが21日のお昼前でした。
ここまでは 先週のうち(クリスマスイブ)に書いていました。
四日前 父に電話すると 楽しそうに庭仕事をしたり 墓に掃除に行ったことを話してくれました。
そして 『今度は 2月のはじめだったね』と、私との会話を覚えていまいした。
これが 父との最後の会話になってしまったのかもしれません。
朝、母より電話で 父の様子がおかしいので 救急車を呼んだとありました。
これから 妹と合流し(妹に東名のサービスエリアでピックアップしてもらい) 鹿児島です。
北九州あたりは 雪模様。 無事に着きたいと 願っています。
一泊はトトの実家へ。 私の実家に三泊。
四泊した中で 三か所の温泉に入ることが出来ました。
最初は みどり温泉。 一人350円。
最近リニューアルした地域密着型の温泉です。 薬湯やスチームサウナや露天でリフレッシュ出来ました。
二日目は 川辺にある川辺温泉。
造園家が経営する こじんまりとした温泉です。
泉質はアルカリのミョウバン湯で すべすべしたお湯で 源泉かけ流し。
この二つは トトと行きました。
三日目は 着入(きいれ)の温泉へ。 ここは依然着入町の町営でしたが、今では合併で鹿児島市営?
鹿児島市の住民で高齢者は無料です。
母が雑用で外出していたので、父と二人で行きました。
父に持たせたのは 黄色いタオルと石けん箱とバスタオル。 数年前から 温泉で人さまのタオルと間違って持ち帰るので、人があまり持たない黄色いタオルを持たせると聞いていたからです。
しかし、出かける前のこと。
『着入温泉はタダで入れるから 証明書(保険証とか免許証など)を持っていく』と 張り切ったものの、自分の財布がどこにあるのか、見つけることも出来ないのです。
元々 自分の身の回りの管理に無頓着だった上に 近頃進んだ痴呆で、数か月前から 銀行でお金をおろす方法さへ忘れてしまったとか。
大した額でもないんだから、お金を払えばいいわよと言って 出かけたのでした。
券売機で入浴券2枚を購入する私に、『いくら払ったのか? 後で返すからね』と気を遣う父。 お金が必要とまだわかっているくらいだから、一人で入っても大丈夫だろうと 思い、それぞれ男湯と女湯へ。
1時間半後に出てくると、待ちあい室のソファに座っていました。
最近では 服を脱いだり 着たりすることにも 随分時間がかかるようなりました。
1時間半後でも 私の方が先に出てくるだろうと思っていたのですが、 ほぼ同じぐらいだったそうです。
私を待たせたらいけないと気を遣ったのでしょう。
サービスのお茶をついで飲ませてあげて 『さぁ、帰りましょう』と温泉を出ようと歩き出して ふと父の足元を見ると 靴が違っています。
『お父さん、靴を間違えているわよ』 と 言うと、
『そうか? どれを履いてきたか さっぱり覚えていない』 と言うのです。
父はその時 割と新しい柔らかそうな皮の靴を履いていたのですが、家を出る時はグレイがかった白い紐なしのスニーカータイプの靴でした。
受付まで戻り、理由を言って 二人で男湯の下足入れの所へ入って行きました。
靴箱には4足の靴しか入っていません。
2足は黒い紐が使ってあるスニーカーで、後一足は茶色のズックでした。 そして一足白い紐なしのスニーカーがあったので、『これかしらね? ほかの靴は全然違うから』と言って 白いスニーカーを履かせたのです。
父は 自分の靴がどれだったか、さっぱりわからないというのです。 そして こんなことをしては迷惑かけるから、靴に名前を入れようと 知恵を出してくれました。
自分の靴がどれだったか忘れても 間違わないようにするための対策を考えられる状態のようです。
こういうのを世間ではまだらぼけというのでしょう。
家に戻る車の中でも しきりに『靴を間違えるなんて もうろく爺さんだ』と自分のことを言っていました。
夕方日が暮れたころに母が帰ってきました。
靴のことを話すと 玄関に脱いだ靴を確かめてから、父の持ち物ではないと言うではないですか。
でも 温泉の靴箱に入っていた残りの靴の説明をしても やはり全部父の靴ではないのです。
どうやら、父より先に 靴を間違えて出て行った人がいたようです。
母が間違えて履いてきた靴を手にとってみると 小さく赤いマジックで 10.12.5と数字が記入してあり、どうやら靴を買った日か 下ろした日付のようです。
母は日付でなく名前を書いてあればよかったのに とさかんに嘆いていました。
さらにその夜、父が左の腕が下着の袖に締めつけられて痒いといので、袖をまくってみると 二の腕になんと温泉のロッカーキーのバンドがはめてあったそうです。
温泉に連れていくことさえ 満足にしてあげることが出来ませんでした。
日頃の母の苦労が目に見えるようです。
半年前に比べ かなり 痴呆が進んでしまったようです。 三か月前は まだこれほどではなかったように思います。
なるべく頻繁に帰ってきて欲しいと言うので 『お父さんが帰ってきてほしいって 電話してよ。 私の都合と付きあわせて 帰ってくるわよ』 と 話しすと、2月のはじめぐらいに帰ってきてというので 『では 2月のはじめにね』と言い、 父母と別れたのが21日のお昼前でした。
ここまでは 先週のうち(クリスマスイブ)に書いていました。
四日前 父に電話すると 楽しそうに庭仕事をしたり 墓に掃除に行ったことを話してくれました。
そして 『今度は 2月のはじめだったね』と、私との会話を覚えていまいした。
これが 父との最後の会話になってしまったのかもしれません。
朝、母より電話で 父の様子がおかしいので 救急車を呼んだとありました。
これから 妹と合流し(妹に東名のサービスエリアでピックアップしてもらい) 鹿児島です。
北九州あたりは 雪模様。 無事に着きたいと 願っています。