私は高校卒業まで 鹿児島で育ったのですが、親が読む新聞はずーっと朝日新聞が中心でした
活字中毒のような父親だったので、私たちが中学から高校のころは他に 産経新聞やローカル新聞も購読していました
高校卒業後は2紙に減らしていたように思いますが
3紙をとって読むことで、バランスをとっていたのかもしれません
昔の支払う情報料といえば、ほかにはNHKの受信料ぐらいだったので、できたことなのかもしれませんが、とてもとても今の我が家にそれをする余裕はないので、よくもあんなことをしていたものだと 妹とたまに話題になります
他に父が亡くなるまで 定期購読していたのが 月刊誌の文芸春秋で、現役のころは、たまには中央公論なども買って読んでいました
さすがに定年退職して 年金生活になると 購読する新聞はローカル紙だけになりましたが、たまにコンビニなどで買う新聞は なぜか朝日ではなく、読売に替わっていました
読売はわかりやすい紙面づくりをしているというのを聞いたことがあるものの、父の本心がどこにあったのか 今更聞きようもありません
そんな環境だったし、高校に入って現代国語という教科書では よく 『 読解力をつけるには 天声人語を読むといいです 』と、教科担任が言っていたのは はっきりと覚えています
○×新聞という言葉を省いて 天声人語という言葉だけで 生徒がわかると思っていたのでしょうから まわりも朝日紙を購読しているところが多かったのだろうと思うのです
そんな環境の中で育ったので 新聞は朝日というのが 随分長い間私の中にありました
それが変わったのは 十数年?ほど前のことで、販売店の対応に?ということが、数回続いたからです
怒ったトトは 長年続いた朝日の購読を解約し、それから 産経新聞や東京新聞や読売新聞などを転々として 落ち着いたのが読売新聞です
最初は読みづらかったものの、慣れると大変読みやすく そこそこの情報はほぼ正しく手に入れることが出来ているのかなぁと 思っているのですが、
時の権力に近い発言をしているよなぁと そんな気がすることも よくあります
八月初めに報道された 過去の従軍慰安婦報道の記事を誤りだったという記事では あぁやっぱり!というのが、私の最初の受け止め方でした
ちあきさんのblogを読んでいるからかもしれません
続いての 福島原発事故での吉田所長の証言の記事が出たことで、この新聞社の傲慢さが露呈されたような気がします
沖縄のサンゴ礁に関するねつ造記事ということも過去にはありました
人間なかなか中立するというのは 難しいものです
テレビ局も新聞社も 右寄りだったり 左寄りだったり 発信したいことを発信しているんだということを、肝に銘じて読むことが肝心ですが、右寄り 左寄り の前に 間違った報道はダメでしょう
子供でもわかることです
間違った報道をしてはダメたとわかっていても、情報が間違っていると判断するのは 凡人には難しいものです
トトは新聞はもう必要ないという考えです ( ネットで十分だとか )… もちろん 毎日配達されてくるので ざぁーっと目は通していますが
息子夫婦もプーサンも 定期購読していません
オンライン購読は色々やっているようですが
私は新聞はやはり無くてはならないし 無くなってはならないという立場です
複数の全国紙がいつまでも続いて 各誌が様々な情報を提供して欲しいと願っています
以下は日本新聞協会の新聞倫理綱領のコピーです
21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。
国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。
編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、その責務をまっとうするため、また読者との信頼関係をゆるぎないものにするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない。
自由と責任
表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。
正確と公正
新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。
独立と寛容
新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。
人権の尊重
新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。
品格と節度
公共的、文化的使命を果たすべき新聞は、いつでも、どこでも、だれもが、等しく読めるものでなければならない。記事、広告とも表現には品格を保つことが必要である。また、販売にあたっては節度と良識をもって人びとと接すべきである。
新聞倫理綱領は昭和21年7月23日、日本新聞協会の創立に当たって制定されたもので、社会・メディア状況が激変するなか、旧綱領の基本精神を継承し、21世紀にふさわしいものとして、平成12年に現在の新聞倫理綱領が制定されました
この倫理観は テレビ局やネット上の報道でもいえるのでしょうが、まだまだ新聞の方が信頼できるような気がするのは やはり私が古い人間だからなのでしょう
活字中毒のような父親だったので、私たちが中学から高校のころは他に 産経新聞やローカル新聞も購読していました
高校卒業後は2紙に減らしていたように思いますが
3紙をとって読むことで、バランスをとっていたのかもしれません
昔の支払う情報料といえば、ほかにはNHKの受信料ぐらいだったので、できたことなのかもしれませんが、とてもとても今の我が家にそれをする余裕はないので、よくもあんなことをしていたものだと 妹とたまに話題になります
他に父が亡くなるまで 定期購読していたのが 月刊誌の文芸春秋で、現役のころは、たまには中央公論なども買って読んでいました
さすがに定年退職して 年金生活になると 購読する新聞はローカル紙だけになりましたが、たまにコンビニなどで買う新聞は なぜか朝日ではなく、読売に替わっていました
読売はわかりやすい紙面づくりをしているというのを聞いたことがあるものの、父の本心がどこにあったのか 今更聞きようもありません
そんな環境だったし、高校に入って現代国語という教科書では よく 『 読解力をつけるには 天声人語を読むといいです 』と、教科担任が言っていたのは はっきりと覚えています
○×新聞という言葉を省いて 天声人語という言葉だけで 生徒がわかると思っていたのでしょうから まわりも朝日紙を購読しているところが多かったのだろうと思うのです
そんな環境の中で育ったので 新聞は朝日というのが 随分長い間私の中にありました
それが変わったのは 十数年?ほど前のことで、販売店の対応に?ということが、数回続いたからです
怒ったトトは 長年続いた朝日の購読を解約し、それから 産経新聞や東京新聞や読売新聞などを転々として 落ち着いたのが読売新聞です
最初は読みづらかったものの、慣れると大変読みやすく そこそこの情報はほぼ正しく手に入れることが出来ているのかなぁと 思っているのですが、
時の権力に近い発言をしているよなぁと そんな気がすることも よくあります
八月初めに報道された 過去の従軍慰安婦報道の記事を誤りだったという記事では あぁやっぱり!というのが、私の最初の受け止め方でした
ちあきさんのblogを読んでいるからかもしれません
続いての 福島原発事故での吉田所長の証言の記事が出たことで、この新聞社の傲慢さが露呈されたような気がします
沖縄のサンゴ礁に関するねつ造記事ということも過去にはありました
人間なかなか中立するというのは 難しいものです
テレビ局も新聞社も 右寄りだったり 左寄りだったり 発信したいことを発信しているんだということを、肝に銘じて読むことが肝心ですが、右寄り 左寄り の前に 間違った報道はダメでしょう
子供でもわかることです
間違った報道をしてはダメたとわかっていても、情報が間違っていると判断するのは 凡人には難しいものです
トトは新聞はもう必要ないという考えです ( ネットで十分だとか )… もちろん 毎日配達されてくるので ざぁーっと目は通していますが
息子夫婦もプーサンも 定期購読していません
オンライン購読は色々やっているようですが
私は新聞はやはり無くてはならないし 無くなってはならないという立場です
複数の全国紙がいつまでも続いて 各誌が様々な情報を提供して欲しいと願っています
以下は日本新聞協会の新聞倫理綱領のコピーです
21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。
国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。
編集、制作、広告、販売などすべての新聞人は、その責務をまっとうするため、また読者との信頼関係をゆるぎないものにするため、言論・表現の自由を守り抜くと同時に、自らを厳しく律し、品格を重んじなければならない。
自由と責任
表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。
正確と公正
新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。
独立と寛容
新聞は公正な言論のために独立を確保する。あらゆる勢力からの干渉を排するとともに、利用されないよう自戒しなければならない。他方、新聞は、自らと異なる意見であっても、正確・公正で責任ある言論には、すすんで紙面を提供する。
人権の尊重
新聞は人間の尊厳に最高の敬意を払い、個人の名誉を重んじプライバシーに配慮する。報道を誤ったときはすみやかに訂正し、正当な理由もなく相手の名誉を傷つけたと判断したときは、反論の機会を提供するなど、適切な措置を講じる。
品格と節度
公共的、文化的使命を果たすべき新聞は、いつでも、どこでも、だれもが、等しく読めるものでなければならない。記事、広告とも表現には品格を保つことが必要である。また、販売にあたっては節度と良識をもって人びとと接すべきである。
新聞倫理綱領は昭和21年7月23日、日本新聞協会の創立に当たって制定されたもので、社会・メディア状況が激変するなか、旧綱領の基本精神を継承し、21世紀にふさわしいものとして、平成12年に現在の新聞倫理綱領が制定されました
この倫理観は テレビ局やネット上の報道でもいえるのでしょうが、まだまだ新聞の方が信頼できるような気がするのは やはり私が古い人間だからなのでしょう