これってやはり化石? 私のライフスタイル!

ひともすなるブログなるものを、われもしてみむとてするなり

2019/11/27

2019-11-27 | 読んでみた本



昨夜は、三浦綾子著の千利休とその妻たちを、やっと読み終えた

久々に面白い小説に出会って、余韻に浸っている

千利休の妻といえば、宗恩が棗を入れる大津袋を考え出したり、今のサイズの帛紗を縫って 薬を包むために利休に渡した事が始まりという事ぐらいしか知らなかった

この本は長編小説で、上下に分かれている

利休の正妻のお稲さんとの関わりや、少庵の母親で後妻さんの宗恩こと、おりきさん、正妻との間の子で次女のおぎんさん、さらにお亀さんなどが登場する

さらりとではあるが、正妻が三好長政と異母兄弟だった事や、おりきさんが松永久秀に所望された時、平蜘蛛の茶釜と交換したいと言ったのを断ったなんて話が出てくる

平蜘蛛の茶釜は、織田信長が欲しがった名品だが、渡したくなくて、自分がなくなる時に壊したというエピソードのある茶釜だ

もちろん他にも秀吉、伊達政宗、津田宗及、今井宗久、高山右近などの利休七哲も登場する

戦国時代から安土桃山時代の戦国武将が登場しなくては語れない利休だ

いかにも三浦綾子の書いた小説だと思ったのは、宗恩や娘のおぎんがキリシタンに改宗している事だ(本当のところは知らない)

そして、帛紗の捌き方や濃茶の回し飲みは、神父の礼拝の所作からヒントを得たとなっている

濃茶の回し飲みは確かに利休が考え出したと言われているが、それがキリスト教の儀式から取り入れたなんて、これも本当かどうかは別として、このひらめきと結びつけ方は面白い

更に、妙喜庵に利久が作った2畳の茶室(待庵)のにじり口についても、おりきさんが、神父の天国へ入る門は狭き門だと教わった話を利休に話しているうちに、茶室もそうあるべきだと閃いたという話になっている

読みながら、この話が映画化されたら面白いのになぁなんて思った

そこでちょこっとググってみたら、昔テレビドラマ化されている

キャスティングは、

千利休・・・藤田まこと
おりき・・・栗原小巻
お稲 ・・・水谷良枝

そして去年の七月にテレビで放映されている(有料チャンネル)

残念😪

DVDにして欲しいな

DVD化は別として、茶道を習い始めたり、もっと勉強したいと思っている人にはお勧めの本だ








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上等な時間 ぐうらたらな時間 … 「本格小説」を読み終わる

2014-03-31 | 読んでみた本
先週後半から ばぁばになったり 親業したり 嫁したりと忙しい時間を過ごしていましたが この忙しい時間を挟んで 「本格小説」という長い長い小説の上巻を忙しい時間の突入前に そして忙しかった一大行事を昨日終わらせたので 今日一日をかけて下巻を読み終わりました

本が手元に届いたのは 多分二年以上前のことで 妹からです

その前に 読売新聞に掲載されていた 「 母の遺産 」を 新聞紙上で読み続けることが出来なかった妹が ハードカバーを購入し 読んで 私に回してきました

水村美苗という作家に興味を抱いた妹が続けて購入したのが 「 本格小説 」という本でした

妹は その面白さを絶賛していたのですが、私は読み始めて 読み続けることが出来ず挫折して 序章が終わる前に うっちゃってしまていました

たっぷりと時間の工面をつけなければどうにも小説の世界にのめりこめそうにないと思ったからです

一年ほどリビングのいつでも手にできるところに置いておいた本は その後本棚に移したのですが、今回本棚の整理をしていて この本を読んで 読後感想というか 本について妹と語るという私の課題のようなものが急に気になりだしました

そんな動機から 再び本を読み始めたのですが 今回は不思議とあっという間に本の世界に引き込まれてしまったのです

こうなると スポーツクラブに行って 体を動かすことも 歩数計をバッグに入れて外出するということも どうでもよくなってしまいました

下巻を読み始めた今日などは昼食もとるのも惜しくて 結局朝早くから三時ぐらいまで 飲んだり食べたりすることもせずに一気に読んでしまいました

物語の最初はニューヨークです

なぜか水村美苗という登場人物がアメリカ人のお抱え運転手になった東太郎という日本から来た貧しく不幸な生い立ちの青年と出会い その青年がアメリカで成功していったおいう話なのかなぁ という流れで話は進んでいきます

ところが 話の展開は複雑で 東太郎が日本でどのような暮らしをしていて どういう人々と関わっていったかという本題に入っていきます

舞台は戦後まもない東京や軽井沢です

読み進めてくると このストーリー なんとなくどこかで読んだような話のように思えてくるのですが それがイギリスの 「 嵐が丘 」だと気付かされます

そして東太郎は ヒースクリフなのです

私が嵐が丘を読んだのは 高校2年から3年にかけてで 最初は英語でした

英語が苦手な私は近くに住む 米軍基地で通訳の仕事をしていたというおじいちゃんのところに週一回ほど英語の勉強に行っていたのですが、嵐が丘をタイプで打ったものが毎回教材でした

話が難解というか登場人物の相関関係が複雑で 読んでいても理解できずに 登場人物の相関図を手書きして読んだことを覚えています

そして今回も物語の舞台がアメリカから日本に移ると 登場人物が大勢出てきて 頭の中で関係図をイメージしながら読んでいくことになりました

去年の夏は久しぶりに軽井沢を訪問し 二泊するという機会があったことも この物語を読むのにイメージを自分なりに膨らますことが出来ました

私が妹から渡されたのは どっしりと思いハードカバーの上下巻です

持ち歩くにはちょっと億劫な大きさと重さです

でも今では文庫本にもなっているようです

久々に物語を読むという 贅沢な時間を持つことが出来ました

映画になったらどういうキャスティングになるのかなぁなんて考えるのも楽しいものです

これからしばらく 友人にこの本のことを熱く語ってしまいそうな気がします

本格小説〈上〉 (新潮文庫)
水村 美苗
新潮社
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日本史が面白くなってきた … 本願寺と天下人の50年戦争 という本

2014-03-22 | 読んでみた本
今日は二週間ほど前からゆっくりと読み始めた本を読み終わりました

NHKの大河ドラマをトトとみていて 荒木村重がここのところ登場していますが、村重が登場するたびに トトが饒舌になるのです

饒舌って! トトに限って と トトを知っている人は しんじられなーい というはず

歴史音痴の私は ?  『 アラキムラシゲ  』 初めて聞いたような人物ではないけど 『 だぁれ? 誰だったっけ? 』 

『 官兵衛にとって 荒木村重はたいへんな相手だよ 』 … と 幽閉の話を持ち出して そのへんでうっすらわかるのですが うっすらです

織田信長と石山本願寺の十年戦争の話も加わり、最後には

『 ママの実家のお寺は 西か東かわかっている? 』 と 聞かれて

知っているのに こういう聞かれ方すると 間違うのです 

まぁ 間違う程度の知識しかないのですが

でも 小さい頃から 祖父母に連れられ 母に連れられ そして父と一緒にお経をあげてもらいに随分通いました 

だから場所は よく知っています ( すこしは 言い訳したい )

そんな私に  『 お寺には 大谷派って書いてあったよ だから … 』 と またまたジョウゼツなトトです

『 本願寺が西と東に分かれたのは いつか知っている? 』 … 知りません そんなこと 

そんな歴史音痴な私に 『 ママも少しは こんな本を読んでみたら 』と 勧めてくれたのが 本願寺と天下人の50年戦争という 小さな本(新書)でした


一気に読めば 理解も深いのでしょうが 少しずつ読む私は すぐに登場人物の関係もごちゃごちゃになり( なにせ 漢字たくさん出てくるし 読み方も知らなかった読み方ばかりだし ) 前後重複させながら読んでいきました

読みながら思ったこと 読後の感想は 

うーん こういう事を知っていれば 軍師 官兵衛も もっと面白く観ることが出来るのね。 無口なトトがジョウゼツになるぐらいだもの

織田信長の名物刈りって こういうところで行われたのかぁ と 知ったのは 安土桃山時代の日本というウェブサイトです ( 読んでいて 気になった部分を検索かけて たどり着いたサイトです )

降伏するのに 九十九髪茄子という名茶器を差し出して家臣になるって 私の記憶にまだ残っている昨年勉強した茶道検定本で出てきた名物刈りとリンクしてきます

日本にも宗教戦争があったんだぁ … 宗教って 深く関わると凡人にはやっかいだわ ご先祖様の命日にお経あげてもらうぐらいの距離感が一番いいのかも

でも歴史って 意外と面白いのかもしれない 

歴史オンチには 歴史オンチなりの楽しみ方が見つかりそうです

そういえば 荒木村重って利休十哲のひとりでした

そうそうこの本では 高山右近にも触れています

高山右近は利休七哲の一人と覚えました

せっかくだもの 大河ドラマ もっと楽しく面白く見たいと思います

本願寺と天下人の50年戦争 (学研新書)
武田鏡村
学習研究社
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冷蔵庫で食品を腐らす日本人 … なんとも耳の痛いタイトルの本です

2011-07-02 | 読んでみた本
ある資料を探していて目にとまった本です。 場所は図書館。

魚柄仁之助(うおつかじんのすけ)という 1956年生まれの食文化研究家の書いた本です。

はじめに という書き出しを目で追っただけで 読みたいと思いました。

 
  冷蔵庫の容量が年々でっかくなっている。 それはまさに食生活の豊かさを示しているように思えるのです。 しかし同時に我々は冷凍冷蔵庫なしで は暮らせない食生活になったんだな…ともいえるのです。

という書き出しです。

そして

大丈夫なのか? 21世紀

  20世紀は化石燃料を湯水のごとく使い、ハイカロリー食を飽食する時代だった。 大量生産、大量廃棄、環境汚染、温暖化 … そして21世紀の今、 そのツケがまわってきた。今日、あわててバイオエタノールに走ったり汚水処理技術で水不足に対抗したり、遺伝子組み換え食料増産をめざしたりして いるんですね、世界中で。しかし、我々の暮らしがこの先楽になる?とはまずおもえんでしょ。地球環境は劣悪化され、日本はと言えば少子高齢化。年 金なんざ、もうじき七十何歳かにならにゃもらえんようになりそうですぞ。高度成長経済を支えたのは、資源の大量使用と環境破壊だったんですね。そ れを止める暮らしをせにゃならん現代人にとって必要な心がまえは何だろうーか?

ときて 次に著者は暮らしをスケールダウンせよ と続きます。

暮らしのスケールダウン

  1993年、『台所リストラ術』という本を書くにあたり、(以下省略)
  スケールダウンした暮らしなら老後の経済も不安がない。21世紀の不安定な日本で生き延びるにはこうした「貧乏力」こそが必要なんじゃなかろー  か?


というふうに書き出しを締めてあります。

本編は六つの章から構成されていて、内容はとても固いまじめなものなのに その文体が軽くてわかりやすい。

 第一章 巨大化する冷蔵庫ー詰め込みすぎて食品をミイラ化させる現代人

 第二章 「しまつ」をしようーよりよい食生活を続けるために

 第三章 食の下克上ー高級食と大衆食が簡単に入れ替わる時代

 第四章 食の流通ー築地市場はもういらない?

 第五章 食の履歴書 ー食にまつわる実体験を公開

 終章  日本の食環境は今日…


全編に著者の体験や資料が豊富に出てきて 言わんとすることがすーっっと体に染みこんでいくような読み心地です。

 終章の最後に 

 『毎日の食事も服も、行く所もそんなに変化をつけなくていいんだと。退屈にみえるような日常でいいんだと。そしてたまーにちょっと違ったものを食 べ、ちょっとおしゃれなかっこうをし、ちょっと違った所に行くと、それが大きな変化にかんじられるんだと。 質素になれたものは、たまのゼータク で大感激するもんです。 (省略)持続可能な食環境って、ささやかな幸福感を知るってことなのかもしれない。』

どの章を読んでも 自分の意識改革をしなきゃぁと思うことでした。

それでもなかなか難しそうです。

例えば調味料の類。 世の中は 減塩 無添加にシフトしてきています。 減塩や無添加は納得出来る理由だけれども、今まで常温で保存できたものが要冷蔵になってきました。 

毎回使う分だけ少量を買い求めればいいのかもしれないけれど、1.8リットル入りの調味料より 1リットルや900ミリリットルのものが割高です。 ましてやもうひとサイズ小さい500~360ミリリットル入りの調味料だとさらに割高になります。

家計を預かるものとしては どのサイズを選ぶのか 思案のしどころです。


ただ、終章の最後に書かれてあることはまさにその通りと思います。

ちょっと前までの日本人の食生活や衣生活は ハレとケにはっきりと分かれていました。 非日常と日常の区別です。

それが世の中バブリーに贅沢になり 日常と非日常の区別が少なくなってきました。

子供の頃に読んだドイツの児童図書に どきどきわくわくしながらクリスマスを迎えるまでの一月ほどの一家の生活を描いた本がありました。 読んでいる自分までが 本の中の子供たちと同じようにクリスマスまでのカウントダウンをはらはらどきどきした思い出があります。

日本だったら まずはお正月、そして節分 ひな祭り 端午の節句 お盆 十五夜 冬至 といったところでしょうか。

住んでいる地域によっては 収穫祭があったり 夏祭りがあったり。

そんなちょっと昔まで普通だった、行事にちなんだ特別な食生活を楽しみにし 普段はもうちょっと質素な食生活で暮らすというスタイルに戻す時期に まさに今の日本は来ていると思いながら読んだ本でした。

冷蔵庫で食品を腐らす日本人 (朝日新書059)
魚柄 仁之助
朝日新聞社




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老いの才覚 曽野綾子著 … 話題の本を買って読んで 回すつもりが

2011-04-19 | 読んでみた本
テレビで取り上げられて知った 曽野綾子著の話題作【老いの才覚】を買ったのは 3月の初めのことでした。

さらっと読んで 妹か友人にでも回しましょうと思っていたのですが、未だ自分の手元にあり 外出の時はバッグに入れて持ち歩いています。

老いるということについて、厳しい視点で書いてあります。 

八つの章に分かれていて どこから読んでもいいので その時の気分でページをめくっています。

新書の帯に書かれていることは

 ○ 高齢者に与えられた権利は、放棄したほうがいい

 ○ 老化度を測る目安は「くれない指数」

 ○ 老人が使う言葉が極度に貧困になった

 ○ 人に何かをやってもらうときには、対価を払う。

 ○ ひと昔前まで、人は死ぬまで働くのが当たり前だった

 ○ 料理、選択、掃除…日常生活の営みを人任せにしない

 ○ 老年の仕事は孤独に耐えること etc

この七つを肝に銘じて生きると、他人に依存しないで自分の才覚で生きることが出来ると。

ごくごく真っ当な考えなのですが、実行しようと思えば 今現在の私の記憶力と実行力から考えると ボロボロになるぐらいまで繰り返し読んだほうがよさそうで、手放せないでいます(笑)

まず妹に この本を買って読んで手放せなくなったと話すと、早速買ったそうです。

やはり同じように 座右の書にしたいと言っています。

妹と私とでは 印象に残っている部分が違ったり 共感した部分が違ったりしています。 当たり前といえば当たり前の話ですが、そういう違いがわかるのも面白いところです。

友人Mに話すと 「私も買って読みたいわ」 と いいます。


新書だから軽く持ち歩くのに邪魔にならないのもうれしいことです。

曽野綾子さんの考え方と自分の考え方の違いを比べるのもまた面白いし、しばらくは この本一冊でいろんな話に展開が出来そうです。 

アマゾンで買っても 楽天で買っても 送料無料ですぐに手元に届く 便利な世の中です。

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あの世を信じる? … こんなことでよろしいか(老兵の進軍ラッパ)佐藤愛子著を読んで

2010-11-11 | 読んでみた本
ちあきさんのブログで 読まれた本の中の一文が紹介されていました。

『佐藤愛子って なかなかの舌鋒鋭い人だったわねぇ まだご健在で 世の中切りまくっているのかしら?』と 二十数年ぶりに無性に読みたくなりました。 三十歳前後は 阿川弘之とか 遠藤周作とか 佐藤愛子とか 読みふけっていた時代もあったのですが、最近は文芸春秋で阿川弘之のエッセイをたまに読む程度になっています。

ちあきさんは 佐藤愛子さんの著書とだけ書いてあって 書名まではなかったので 教えていただきたくコメントをいれておきました。

しかし 待てない(暇を持て余していた)私は 図書館に行くというトトに 「佐藤愛子の随筆を借りてきてほしい」 と リクエストしたのです。

「タイトルは?」と聞かれても 答えようもなく、「最近の随筆で 面白そうなものを」 とだけ言っておきました。

すると 「たくさんあるねぇ、二週間で読み切れないかもしれないけど 6冊も借りてきたよ」と 袋からドーンと6冊出してくれました。 わが自治体の図書館は二週間を限度として貸し出しているのです。

トトは私と違ったところで 無性に綺麗好きというか 潔癖症です。 不要になった紙でまず借りてきた本にカバーをします。 今回も私が一冊手に取る前にさっさとカバーかけてしまいました。

そのカバーされてタイトルさえわからない中から一冊を選んだのが こんなことでよろしいか 老兵の進軍ラッパ という本でした。

なんと ちあきさんが読まれていた本と一緒だったのです。

読み進んでいくうちに 進軍ラッパというより 老兵のつぶやきぐらいのトーンに感じたのは 私だけでしょうか。 昔の佐藤愛子さんは もっと 世の中のことを鋭く切り込んでいたように記憶しているのは 私の記憶違い?

この本を読んで始めて知ったのは 佐藤愛子さんは五十代始めから二十年間にわたり 超常現象を経験したらしいのですが その経験から 

(以下 抜粋です)

一 死は無になることではない

二 死後の世界はある。 肉体は灰になっても人間の魂はありつづける。

三 あの世とこの世の間には、あの世へ行ききれない未浄化の魂がうろうろしている。(以下省略)

四 この世での怨みつらみ、執着、未練などの情念や欲望を持ったまま死ぬと成仏できない。

五 こういう浮遊霊、悪霊は、同じ波動を持つ人に憑依し、その人の人格は損なわれる。


この五点を 二十年の辛酸によって 学習したとあるのです。


私は 霊感のかけらもない人間のようなのです。
二十七年ほど前 母が亡くなり 火葬に向かう車の中で 『おかあさん 化けてでもいいから もう一度会いたい』 と ほんとに泣きながら 心から願ったことがあります。

しかし 化けるどころか そのころ 夢にさえ母は現れてくれませんでした。

以後 母は私の心の中には存在するものの その母に向かって語りかけることもまずありません。

母に語りかけるのは 実家に帰り 仏壇の前で手を合せた時と 墓参りしたときだけのような気がします。

佐藤愛子さんの書かれている一~五のどれも 私は?って思うものの、ご先祖様だけは別なのです。

今ある自分は ご先祖様から受けたもの(生)であるという思いと、その受けたものを大事にすることが自分の努めであり、未来に続く(子供とか孫とか)ものを大事にすることも努めであると 漠然とそんなことを思っています。

辛い時や苦しい時には 墓前で手を合せる時間も長くなるのですが、というものの 墓の中に霊や魂を感じているわけでもありません。

子供の頃 祖父母のところで過ごすと 祖父は必ず 朝晩仏壇の前で手を合せてから食事をしていたました。

亡き母は 「どこの神様を拝むより ご先祖様の墓参りをするほうが一番 ご利益がある」というのが口癖でした。

そんな日常があったので、佐藤愛子さんいうところのすり込みが 私の中でも行われていて 実家の仏壇と墓参りは別なのかもしれません。

もちろん この実家というのは トトの実家も墓も含んでいます。

ところで もしあの世があったら もう一度母の胸に顔をうずめたいし 母の背中から手を回して抱きつきたいものです。

こんなことでよろしいか 老兵の進軍ラッパ
佐藤 愛子
集英社


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