今日は金沢文庫へ
木曜日に会った友人も行くと言うので、横浜で合流しました
20年以上神奈川県民だったのに、行ったことのなかった金沢文庫
方角は違いますが、鎌倉よりはるかに近いところでした
金沢文庫は、神奈川県立の図書館ですが、金沢文庫美術館であり博物館です
少しややこしい
金沢流北条氏の北条実時が鎌倉中期に設けた文庫です
今NHKの大河ドラマで鎌倉殿の13人をやっていて、私にとってはタイムリーなスポット
金沢文庫は称名寺の奥にありました
称名寺と深い関わりがあり、今回は称名寺が保管している古文書を中心に公開されています
このブログでもよく書いていますが、私は漢字が苦手で日本史も苦手
国宝の古文書を見ても、価値もよくわからない人間です
それでも展示物を一つ一つ説明を読みながら見て行くと、自分の断片的な知識が少しずつ繋がっていき、面白いものです
鎌倉の仏教と京都の仏教に違いとか、鎌倉幕府が1333年に終わった後も、金沢文庫は何回も狙われてその文庫の数々が流失していった歴史などがわかりました
テレビにもよく出演している歴史家の磯田道史氏は、中学時代の愛読書が『吾妻鏡』だったそうです(トトさんの口ぐせ)
『吾妻鏡』は、鎌倉時代の源頼朝から始まる将軍の歴史を編纂した歴史書
『吾妻鏡』についても、私はその内容をほとんど知らないのですが、お茶に関した記述がある事は知っていました
臨済宗の開祖栄西が『喫茶養生記』を書き、時の将軍に献上しています
その『喫茶養生記』の事が『吾妻鏡』に出てくるのです
内容は、鎌倉幕府三代将軍源実時が体を壊していた時に、お茶は体に良いからと勧めたと記されているそうです
その頃から、お茶は茶礼として日本に広がっていきました
日本の茶道の始まりであり、日本の茶道が臨済宗と深く関わりがある所以です
と、私の『吾妻鏡』の知識はその程度なのですが、今回の展示された古文書の中に、栄西の字を見つけたりすると、心が踊ります
そして江戸時代に書き写された『吾妻鏡』が数点展示してあり、初めて目にしたのですが、まるで漢文
このような漢文のような『吾妻鏡』を中学時代に読んでいた磯田道史氏に改めてびっくり‼️
もう一つ、私のお茶とリンクした物が今回展示されていました
それは、酒会壺という蓋付きの壺です
👆の写真が酒会壺で、しゅかいつぼとかしゅかいことか呼ばれています
金沢文庫で展示されている酒会壺は、大きな壺で、なんと金澤貞顕の骨壷として使われていたそうです
中国の竜泉窯で焼かれたらしい青磁の壺です
毎年3月のお茶の稽古で、先生が出されて使われる茶入れに 酒会壺(しゅかいこ)と呼ばれる小さな青磁の壺があります
(ネットから借りた画像)
"中国では酒を入れる壺として酒会壺という物があり、これはそのミニチュアだと思われます"
そのように説明されるお道具なのですが
まさか酒を入れる容器として作られた本物の酒会壺を、金沢文庫で対面する事になるとは
しかも骨壷として‼️
これからのお茶の稽古で先生が酒会壺を出される度に、今日の金沢文庫の展示物を思い出すんだろうなと思う事でした
私も友人もかなり真面目に展示品に目を通して、すっかり疲れてしまいました
金沢文庫を出て、裏手の称名寺へ行くことに
こんなトンネルの向こうにあります
酒会壺が発見されたお墓
金澤貞顕と読める石碑
説明文
今日も結婚式の前撮り?
池にはサギやカモ
称名寺を出て海岸を散策
茶店で焼きそばを買い、軽いお昼ご飯にしました
帰りは、金沢シーサイドラインに乗って新杉田まで
自動運転らしく、先頭車両に乗り、景色を楽しめました
新杉田でJRに乗り換え、友人とは川崎で分かれました
昨日と違いお天気にも恵まれ、楽しい散策でした
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
夕食は、冷凍庫にある肉を使って、ポン酢で味付け、ご飯も冷凍庫にある物をチンして
これで3日間休肝日が続きました😊
興味深く読ませていただきました。
酒会壺は青磁の色と言い、形といい、立派なものですね。
そのデザインをお茶入れに借りるというか、レプリカを作るのは日本人の得意分野?
それに本物の酒入れを骨壷にするなんて、権力者ですね^_^
いろいろ楽しい空想が広がりました。
お寺も立派ですね。
鎌倉時代の権力の大きさが伝わってきます。
久しぶりの上京、楽しんでいられるようですね!
コロナでなかなか思うように動けないストレスを
吹き飛ばされますように。