FIFA W杯は日本、韓国と残念ながらアジア勢敗退ということに。
でもまだまだW杯は後半に向けて俄然盛り上がっていきます。スーパープレイに目は釘付け。
そこで今回の開催国、ブラジルにちなんでこの国を代表するグル―プを紹介しましょう。
ラテンムードではじけてボサノバに酔いしれジャジーな夜をオシャレなサウンドで飾りましょう。
ブラジル出身のセルジオ・メンデスが結成した「ブラジル66」には1970年より
リオ・デ・ジャネイロ出身のラウジ―ル・ディ・オリヴェーラがパーカッション奏者として加入。そうです!後のシカゴのメンバーとして大活躍したラウジ―ルです。
その後「ブラジル77~ブラジル88」と改名していきますがラウジ―ルは1974年まで参加。
日本にも何度も来日公演をおこなっているので、もうすっかりお馴染のバンドですね。
「マシュケナダ」は彼らの代名詞。
そんな彼らが1973年4月に来日公演を行った際、ちょうどシカゴも3度目の来日中。その際、お互いに意気投合して1974年
ラウジ―ルはシカゴに加入します。
シカゴのメンバーとしての来日は実現しませんでしたが(というよりも、とうのシカゴ自体が11年間も来日ご無沙汰)、ラウジ―ルは脱退後、世界のナベサダこと渡辺貞夫のバック・ミュージシャンとして来日しています。
でも、このことは熱烈なシカゴ・ファン達もほとんど知らなかったようです。この模様はテレビ放映もされてDVD発売されています。
なにせ当時のナベサダ・ブームはCMはじめもの凄い人気でしたからね。
写真はラウジ―ル在籍中のEP、LP、CDの一部です。
紙ジャケCD「スティルネス」は1971年発表で、ここからラウジ―ル加入、ブラジル’66の最終作にあたります。全10曲収録。
カバーとしてジョニ・ミッチェルの楽曲をはじめ、シカゴの当時のブラス・ロック・ライバルBS&Tの「冬の日には」、シカゴ2代目ギタリスト、ドニー・ディカスも加入していたステーブン・スティルスのナンバーなどを取り上げています。
CD「ラブ・ミュージック」は「’77」に改名後の1973年作品。
ラウジ―ルの盟友、パウリーニョ・ダ・コスタも加入していますね。
ロバータ・フラックの大ヒット曲「やさしく歌って」、「ホエア・イズ・ラブ」、ジェームス・テイラーやジョニー・ナッシュの曲に加えてカーペンターズも取り上げてヒットを記録したポール・ウィリアムス&ロジャー・ニコルス作品「愛は夢の中に」他収録の全10曲。
7曲目の「太陽を見てごらん」はアンジェロの作品。彼は後にラウジ―ル繋がりでシカゴ&ビーチボーイズのメンバー達の助けを借りてソロアルバムを発表してもいます。
EPは1971年9月国内発売された「パイス・トロピカル/トンガ」
LP3枚は日本盤ベスト「ゴールデン・プライズ」全12曲入り。
代表曲をはじめ、S&G,カルロス・ジョビン、バート・バカラック、ビートルズ、オーティス・レディング、アート・ブレイキーなどの作品を収録。
次は豪華写真集付き「ライブ・イン・ジャパン」全10曲入り。
こちらも「マシュケナダ」はじめカンツォーネ、ビートルズ、アントニオ・カルロス・ジョビン、ハーブ・アルパート、レゲエ、ロバータ・フラック等ジャンルの壁なんのそのといった勢いで持ち味であるセルメン節は健在。
ライブ音源もリアルなグルーブが伝わってきてご機嫌です。
最後はブラジル’88「マジック・レディ」
全8曲入り。
これは1979年発売ですからラウジ―ルはシカゴ在籍期。つまり古巣への客演です。
ギタリスト、コンポーザーとして当時、ヒットチャートを席巻していたマイケル・センベロがコラボしています。
ラウジ―ルは正式メンバーとしてシカゴⅧ~ⅩⅣまでのシカゴ作品のレコーディング&ツアーに参加。
彼がシカゴにもたらしたラテン、カリプソ、ボサノバ等のリズムワーク風味は貢献度絶大。もっと高評価されてしかるべき。