THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

basketball(chicago)

2017-12-16 23:21:50 | CHICAGO

バスケットボールbasketball)は、1891年アメリカで考案されたスポーツ。5人対5人の2チームが、一つのボールを手で扱い、長方形のコート上の両端に設置された高さ305cm(10ft)、直径45cm(18in)のリング状のバスケットにボールを上方から通すこと(ゴール)で得点を競う球技である。公式試合は屋内競技として行われる。狭義では、この競技に使用する専用のボールのことを指す。籠球(ろうきゅう)とも訳される。

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〜ウィキペディアより〜

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007シリーズ JAMES BOND(DANIEL CRAIG)

2017-12-16 23:19:03 | free form space

1962年に誕生した007シリーズも、すでに24作目。
私が小学生の時、クラスのちょっとませた奴が「ジェームズボンドって、裸の女の人を抱いて風呂に入るんだぞ!」なんてのたまっていました!!(◎_◎;)
一体、007ってどんないやらしい映画なんだ?!と当時は思いましたねー。
確かにそんなシーンがあったけど…。
やはりボンドといえば初代俳優のショーンコネリーのイメージが強烈ですね。ちょっとキザだけど。
浜美枝、松岡きっこらが出演した「2度死ぬ」に続いて、久しぶりに日本ロケなんかもして欲しいです。
何年か前にそんな噂があったけど、どうなったのかな?
一番出演本数が多かったロジャームーアは既に故人ですね。なかなかにコミカルでダンディ、ユーモラスなボンドを披露して、人気下降線だったシリーズを回復させました。まさしくミスターボンドとはロジャームーアでした。
ダントツに正統派のハンサムでアクションシーン満載の伊達男ピアースブロスナンは文句無しにカッコ良かったです。
で、現在はダニエルクレイグです。
彼がジェームズボンド役として名前が挙がった時、ファン達の反応はほとんどがブーイングの嵐。
初のブロンドヘアと青い眼が相応しくないとか、しまいには「変な顔」とか。
ダニエルクレイグのボンド役に対して、反対運動まで起こる始末。
しかし、いざ作品が公開されるやいなや、シリーズ記録を塗り替えるほど空前絶後の大ヒット。
私も前評判を知っていたから、どんな感じかなあ?と、もちろんずっとシリーズのファンだから観ましたよ。
結果から申しますと、最高ですね。シリーズのイメージを一気に払拭したダークでハードボイルドで、CGをふんだんに駆使したアクションシーンも迫力が半端じゃあないです。
伝説のオマージュもあちこちに盛り込み、古くから作品に思い入れがあるファンも思わずニンマリ。
とにかくダニエルクレイグの引き締まった肉体美とスタイリッシュに着こなすスーツ姿はさすがの貫禄。
おちゃらけた場面を一切排除して、徹底的にシリアス、ストイックに決めてます。
スーパーカーや秘密兵器の登場もお楽しみの一つ。
ダニエルクレイグは5作目にも出演するのかなあ?

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JAPANESE DRUM(chicago)

2017-12-16 19:47:17 | CHICAGO

和太鼓(わだいこ)は、打楽器のひとつ。日本の太鼓の総称。大きく分けて長胴太鼓(宮太鼓)桶胴太鼓附締太鼓の3種類がある。祭礼歌舞伎神社仏閣における儀式等に用いられ、木でできた胴に皮を張り、それを振動させて音を出すものである。(ばち)で叩くものを太鼓と呼び、手で叩くものは(つづみ)と呼ばれる。

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〜ウィキペディアより〜

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the sons of champlin(LP's)

2017-12-16 19:43:07 | CHICAGO

全米で全く無名のバンドとして有名…と言われていたサンズオブチャンプリン  。

1960年代後半にサンフランシスコから誕生したニューロックの一つフラワームーブメントは多くのヒッピー集団によって支持されて膨大な規模にまで膨れ上がりました。

ベイエリア(サンフランシスコ近辺のこと)の代表格バンドと言えばグレートフルデッド、ジェファーソンエアプレーン、クイックシルバーメッセンジャーサービス、そして神秘のベールに包まれていたサンズオブチャンプリンであります。

サンズは積極的にレコード契約へ奔走したり、メジャー志向だったり、ビジネスに色目を使うようなバンドではなかったようです。

しかし、上記のバンド達とツアーに参加したりしながら、着実に知名度を上げていきます。

ただ、デビューアルバムを発表したのが1969年…と他のバンド達よりも数年後のこと。

全く無欲というか、無頓着というか。コアなファン達からの口コミで噂は拡大。その評判を聞きつけたレコード会社の重役自らがわざわざサンズの元へ契約の為出向いて行ったのに「鳥に餌をやる時間だから」という理由で帰したり、せっかくツアーに出ても使用するドラッグがなくなったとか、ドラッグを買うお金がなくなったから、と途中でキャンセルしたりと様々な逸話があります。

さて、デビュー作はなんと2枚組。シカゴデビューと同じ年なんだから、面白いものです。

しかもブラスセクションを要しているのですよ。

その音楽性はシカゴよりも、ソウルフルで、タワーオブパワーに負けないくらいにファンキーでR&B!

なかなかセールス面においても、ヒットチャート面においても、正直な話ふるわず泣かず飛ばず…。

着実に良質なアルバムを発表しているにもかかわらず。

それは彼らの活動内容にも起因しているのではないでしょうか。

アルバムのどこにもメンバーのクレジット無し。

メンバーチェンジは日常茶飯事。

バンド名もコロコロと変更。

ザ サンズになったかと思えば、音楽性の食い違いでバンドは分裂。サンズとヨギ フレムという2つのバンドが存在してしまいます。レコード会社の移籍。遂には自主レーベルまで立ち上げて自由な音楽制作に没頭。その後も編成人数やパートも常に入れ替わり

バンド名をザ サンズ オブ チャンプリン  に。

「ザ」がつくわけです^ ^。

伝説のライブハウス、フィルモアの常連としてコンスタントに活躍するも、惜しまれつつ解散。

バンドの顔とも言えるビルチャンプリン  はセッションミュージシャンとして膨大な仕事をこなす中、デビッドフォスターのプロデュースで初ソロ「独身貴族」を発表。

その流れから、めでたくシカゴに加入するわけです。

ビルのワーカホリックはとどまることを知らず、多方面で引っ張りだこの超売れっ子。

サンズオブチャンプリン  も再結成して、アクティブに相変わらずマイペースで活動中です。

まだこのバンドは来日した事がないから、是非とも実現して欲しいものです。北海道には来ないでしょうけど(T ^ T)。

ちなみにこのユニークなバンド名は、「結成時すでにビルには息子がいたから」なんだそうですよ。

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