THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

DAVID BOWIE 死去

2016-01-13 07:10:33 | free form space

ああ・・・なんということだ

突然舞い込んだ訃報に世界中が驚いたことでしょう。

「デヴィッド・ボウイ死去。 18ヶ月にもわたる癌との闘病生活の末、家族たちに見守られながら10日、息を引き取った。 享年69歳・・・」

2日前の誕生日にニューアルバムをリリースしたばかりでの出来事。この新譜の内容にも自分の死期を悟ったためか、ファンへの最後のメッセージが盛りこまれているそうです。

ジギー・スター・ダストは宇宙を放浪した後に、地球に落ちてきて今、天国に旅立って往きました。

久しぶりにフレディー・マーキュリーと「アンダー・プレッシャー」を歌っていることでしょう。

「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」と今では言われてもいますが、60年代のデビュー当初は泣かず飛ばずの日々。

女性を巡って友人と喧嘩になり殴られた左目の視覚はほとんどないそうです(いやはやこの辺のエピソードはロックンローラーですな)

しかしこの友人との交流はその後も続き音楽活動を共にします。リンゼイ・ケンプとの出逢いによりアバンギャルドなパントマイムを習得。その世界観も自らの音楽に反映させてゆきます。

本名はあのモンキーズのボーカリストと同姓同名だったために「デヴィッド・ボウイ」と改名。映画「2001年宇宙の旅」をモチーフにした「スペイス・オディテイ」でロックに初めて宇宙観を導入。

それを機に彼の名声は一気に高まります。

ここからグラムロック時代に突入。中世的魅力を振りまいてT.REXのマーク・ボランと並んで、新しいロック時代の申し子とうたわれるまでに成長します。

奇抜な衣装、どぎついメイク、架空のキャラクターを演じる表現方法、バックバンド「スパイダーズ・オブ・マーズ」などなど各方面に多大なる影響を及ぼしました。

初来日は飛行嫌いだとのことで船に乗って東京湾へ。山本寛斎のステージ衣装も話題を集めましたね。

その後もアルバムを発表するたびに常に時代の最先端を疾走。カメレオンのごとくジャンルを超越して変化する音楽性にはファンの間でも賛否が飛び交っていました。

また俳優業にもロックミュージシャンとしてはいち早くその才能を開花。

特に故・大島渚監督の「戦場のメリークリスマス(共演:坂本龍一&ビートたけし)」はここ日本でも大ヒットしました。

伝説のスター、カリスマ、天才の死に各方面から追悼メッセージが続々と発表されています。

まさに巨星落つ・・・・の一言。

 

私が彼の存在を知ったのは「スターマン」でした。

アコースティックギターのコード・ストロークイントロから語りかけるように歌いだすボウイ。

徐々にサウンドは拡散していき宇宙の彼方に響き渡っていくような新鮮な気持ちになったあの頃を今でも忘れません。

衝撃の1曲でしたね。あれは名前とルックス同様にインパクトがあったもん。ボウイの才能にはファンもついて行くのが追いつかないほどで、時には「次には何をやるのか?」予想もつかないことや、良い意味での裏切り、コラボレーションなど冒険の連続でした。

ハンサムなので女性ファンも多くロックを聞かない方面にも知名度は絶大、CMにも出演していましたね。

歌舞伎にもインスパイアされた部分が多いとのことで親日家としても知られていました。

札幌にも一度だけやってきました。

時は1992年2月。

セカンドアルバムを発表したばかりの「ティン・マシーン」で厚生年金2ディズコンサートが実現したのでした。私も当然生デヴィッド・ボウイを堪能してきました!ステージのいたるところに置かれたテレビや人形のオブジェの中で、サックスもこなすボウイはやっぱり文句なしにかっこいいマルチミュージシャン。

貴重な体験でした。病に倒れてからは一気に創作意欲も低下、ここのところはずっと引退同然の状態が続いていたので、全く持って残念、複雑な心境です。心よりご冥福をお祈りします。

 

私のフェバリットソングは「スターマン」「ビギナーズ」「ヒーローズ(ロバート・フリップによるファズのかかったサスティーン変態ギターも最高!)」

まだまだいっぱいあるけどね。

彼の出演した映画ならば実家に帰省した際に映画館貸切状態で観た「ラビリンス魔王の迷宮」がお気に入りですね。理屈抜きに楽しかったです(ボウイ出演作はマニアックなものが多いので)。

ジェニファー・コネリーは可愛かったし、マペット人形もお見事。魔王演じるボウイは挿入曲も提供。

久しぶりに唯一無二のボウイ・ワールドに酔いしれてみようと思います。

 

 

 

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S・T・A 2016 始動!

2016-01-13 04:51:54 | リハーサル

旧年中は皆様の熱き叱咤激励の元、充実の活動をエンジョイすることができメンバー一堂大感謝です。本年度は昨年以上にアクティブなるプレイに専念、邁進する所存でありますので更なる応援よろしくお願いいたします!

さて、成人の日当日S・T・Aがほぼ一ヶ月ぶりに心身ともにリフレッシュ、スタジオ集結しました。

その人数は10人!

各自、顔をあわせるのは久しぶりなので積もり積もった話題で盛り上がっていましたが(中にはしょっちゅう会っている連中もいますが・・・)やっぱり一番のニュースは当然のごとく、今来日公演真っ最中のシカゴ。

早速ファニーはSTAブラス部門代表として初回公演の大坂に行ってきました。

写真はお土産の「面白い恋人」

一時マスコミ界隈でも問題視されたあの札幌銘菓「白い恋人」の明らかなるパクリお菓子。

それを皆でパクつきながら美味しくいただきました。ご馳走様。

とにかく今回のステージは各方面から絶賛の嵐。

正直ここのところシカゴのセットリストはマンネリ気味でして、「大体は予想していた通りの曲目」と誰もがある程度冷めた目で楽しんでいたというのが実状でした。まあそれだけ膨大なるレパートリーの中から限られた時間内で、これまた膨大なるヒット曲群を組み込むわけですから嬉しい悲鳴状態。

泣く泣く外さなければならないたくさんの名曲もある。ファンやメンバー達全ての意向に沿って演奏していったらとてもじゃあないけれども収まりきらない、と本人達も以前語っていました。これだけのキャリアを誇るバンドですから(オリジナルメンバー達の年齢は70代!)我々も贅沢言わずにありがたく観られるだけでも感謝です、と

割り切ってもいました。ところが今回の来日公演はなんと2部構成!これは1987年の来日以来の出来事です。

そして新曲、レアな曲も導入。巨大バックのシカゴロゴにクロスする形での映像演出あり。サービス精神満載、まとまりもよくテクニックは申し分なし(大体初日のステージは肩慣らし的雰囲気があるものですが。)

ロックの殿堂入り決定後初のツアーということもあって気合の入り方も申し分なし。

ファニーいわく、客の年齢層が厚かったこと、器材トラック3台の写真も見せてくれたり、さすがトランペットプレイヤーらしくリー・ログネインのプレイには特に注視、持ち替え機種なども鋭くチェック。

ファニーにしか見抜けないウンチクなども解説してくれました。

興味の範疇が多方面に拡大して考察するので目から鱗状態になっちゃいます。会場は5階にあったそうで、体の大きなファニーでもゆったりと座れるイスは肘掛もついていて快適そのもの。心の底から満足のゆくコンサートだったそうですよ。ファニーからバトンを受け取って今度はマサがS・T・Aリズムセクション代表として横浜(14日)&仙台(15日)公演に足を運びます。ライブレポート&グッズ情報は来週にでもゆっくりとアップしていきますよ(吹雪での飛行機欠航も心配なさそう)。

S・T・Aも多少なりともシカゴから刺激を受けてプレイにもパワーが漲ってきました。それぞれに個人練習、もしくは他のプロジェクトで鍛錬してきた成果が実ったのかすこぶる良い意味での緊張感に満ち溢れたブラスロックサウンドを展開しました。

マサは一部のメンバーにブラススコアを配布。ミユキはバリトンサックスを吹きつつも写真撮影やミキサーを兼任していて多忙。

そんな彼女のフルートを交えてシカゴのピアノバラードも交えてみました。

引き続きシンのオリジナルソングにも着手。この名曲はすでに取り掛かってから1年以上が経過しているので、もうそろそろまとめに入ってライブで披露したいものです(ソロパートもまだ未定なのですがノブのリクエストで2テイクにトライ)。

 今月のライブ用セットリストは去年末の段階でほぼ決定済みなので、いきなりトップナンバーから怒涛のシカゴ立て続け演奏。これがスタミナ消耗率絶大なのですが思いの外、出来が良く皆も上機嫌(かなりきついはずなのにね)。

迫力倍増で全く一ヶ月のブランクが感じられないほど。

この調子ならば、ここのところ、とんとご無沙汰気味だった今月地元・札幌でのS・T・Aライブに対する期待も高まるというものです。しかも11人編成でほとんど濃厚なるシカゴをお届けするという内容(サプライズ付き)

他にもやりたい曲が目白押しなのですが(いくつかの候補曲も数人でアップしました)それは後々の舞台のためにとっておきましょう(笑)

なにはともあれS・T・Aの各パートそれぞれが、シカゴなどのレパートリーを文句なしに熱中している様子は頼もしい限り。

シンとブラス隊はことあるごとにスコアチェックやコードの進行について質疑応答のやりとりに余念がありません。ホーン隊のみで曲の一部を抜き出して吹き込んでみたり。

特にシンとファニーは従来から存在するスコアにもっと突っ込んだ取り組みを予定する模様。

ケンのパワフルドラミングに絡むガイドラインボーカルも相変わらず絶好調だし(1曲のなかでスティック破損&スナッピートラブルが勃発したけど)、ジュン入魂のバラード歌唱もかなり馴染んできて余裕と貫禄がにじみ出てきました。マサとケンとではリズムパターンの調整試みも。

あとはいくつかの反省点を克服すれば来週のリハーサルでバッチリいけると思います。

1年前の時には、情けない幕開けとなりましたが今年は意気込みが桁外れに違います。これもシカゴ来日の賜物、ご利益でしょうかね。

 

 

 

 

 

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悟空とゴンベにモンキー

2016-01-12 07:30:29 | free form space

申年にちなんでの特集もこれで最後です。

ちょっとばらばらにユニークなものやマニアックな品を紹介します。

 

「がんばれゴンベ」のコミックス2冊。故・園山俊二氏の記念すべきデビューギャグ漫画作品で1958年から1992年まで連載され、1980年にはテレビアニメにもなりましたよ。

内容はというと、孫悟空の末裔である山猿ゴンベが修行のために都会にやってきて、悪ガキ2人と知り合い、一緒に巻き起こすユーモアにとんだ心温まる物語。

 

「悟空の大冒険」は漫画の神様・手塚治虫先生作品。「鉄腕アトム」の後番組として1967年より放映。

提供スポンサーも「アトム」と同じでして、私はしょっちゅうこのメーカーのお菓子を購入してはオマケを集めていました(笑)

「西遊記」を元ネタに、やりたい放題のスラップスティックギャグ満載ドタバタ喜劇のアニメは、当時としては過激すぎてお蔵入り作品が1本存在するほど(DVDには収録)。

三蔵法師が天竺に経典を取りにいくというストーリーを主軸に、他はハチャメチャにはじけまくりで、登場人物もオリジナル・キャラクターが追加されてもいます。

お転婆な竜子は髪型や衣装など、さすが手塚作品だけあってチャーミングで魅力的でしたね。そしてテーマソングやエンディングテーマはすこぶる好評で、当時の子供達は皆が口を揃えて歌っていました。

「3・2・1・0・・・・・ドカーン!!」「OOOが好き、好き、好き、好き!」

その原点は1952年から手塚先生が手がけた連載漫画「ぼくのそんごくう」です。

もともとが有名な物語ゆえに何度かアニメ化の構想に入るものの、多忙を極めてきた時期ゆえになかなか納得がゆく内容が得られず劇場アニメ「西遊記」の制作においてもスタッフと意見の食い違いが勃発します。

その後、この経験をいかして虫プロ設立。

上記の「悟空の大冒険」で独自の構想どおりの路線で人気を博します。

1989年には24時間テレビ「愛は地球を救う」での手塚恒例スペシャルアニメの第一弾として「手塚治虫物語 ぼくは孫悟空」を放送(写真のVHS)

内容は手塚少年が中国アニメ「西遊記」に魅せられ、戦後まもなく漫画家デビューし、「ぼくのそんごくう」を雑誌連載。子供達の人気者になる中で漫画映画製作に着手。そこで練られたアイディアが広大なる宇宙でサンゾーを中心にゴクウ、ハッカイ、サゴジョウが繰り広げる物語。ただ手塚先生はこの作品の完成を見ずに放送年の2月に死去します。

 

洋画からは「12モンキーズ」

この作品は封切と同時に映画館へ観に行きました。1995年制作、130分。

監督はビートルズのメンバー達をはじめ、ロック・ミュージシャンらにも数多くの熱狂的ファンが存在する伝説のイギリス喜劇俳優集団「モンテイパイソン」の一員でもあったテリー・ギリアム。

キャストはブルース・ウイリス、ブラッド・ピット、マデリーン・ストウ。

ストーリーはウィルスによって人類の殆どが死滅した未来からタイムマシンに乗ってやってきた主人公がワクチンを作るために犯人探しに翻弄するというもの。

緊迫感溢れる時間の進行は俳優の鬼気迫る熱演も伴って絵空事とはとても思えない恐ろしさがビシビシと伝わってきます。

実際問題、地下鉄サリン事件が公開年に起こり、ブルース・ウィリス自身がインタビューで他人事だとは思えない未来への警鐘、危惧感を露にしていました。

 

最後の「モンキー・シャイン」は以前にもSTAブログで紹介したことのある鬼才ジョージ・A・ロメロ監督のサイコ・スリラー作品。

1988年制作、112分。

ストーリーはある陸上選手がトレーニング中に事故にあい車イスの生活になる。彼の親友の生物学者がヘルパー猿を贈ってくれます。ところがこの猿はヘルパー技能以外にも人間の脳細胞エキスを注入された高度の知能の持ち主。

徐々に自分にとっての敵と思われる人間らを次々に襲って殺戮を繰り返すという恐ろしいもの。

私が何故この作品をコレクションしているのかといえば、準主役の生物学者の俳優につきます。何を隠そうこの人こそ、シカゴのトロンボーン奏者ジェームス・パンコウの弟さん、ジョン・パンコウなのです!

アメリカ映画やテレビドラマを中心に活動している名バイプレイヤーです。

お顔のほうは、ジミーにソックリで、あの面長で人懐っこい笑顔に広いオデコ。

シカゴ・ファンならすぐに確認できますよ。

 

 

 

 

 

 

 

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ルパン三世(PART3) モンキー・パンチ

2016-01-11 06:37:46 | free form space

申年にちなんで・・・のシリーズで、北海道が生んだ男性漫画家の巨匠モンキーパンチ先生の描く代表作品、猿顔ルパンが主人公の「ルパン三世」ラストです。

ここのところ、ひんぱんにテレビで「ルパン三世」物を鑑賞することができますね。先日も実に2年ぶりとなるテレビ用長編アニメが放映されたばかり。本日は小栗旬主演の実写版も登場!

写真は1984~1985年までのもの。その後しばらく連続アニメは製作されていませんでした。面白いところではスピンオフで「峰不二子という女」、そして「名探偵コナン」とのコラボも数度実現しております。

去年からは満を持して第4シリーズが深夜の時間帯で放映中。

 

さて、モンキー・パンチ先生が厚岸郡浜中町生まれだった事は以前書きましたが、実家は猟師だったそうです。

10年ほど前にテレビ・ドキュメンタリーで浜中町の僻地医療に従事する地元唯一の診察医「道下俊一医師」の番組を制作、また他局でもドラマを放映、本人の書物も出版されて話題になりました。

道下先生は2014年に亡くなられましたが、その診療内容は想像を絶するほどに過酷だったそうです。

たった一人の医師が過疎地の方言に翻弄されながらも診察、往診、手術をこなすわけですから・・・・。

ところがレントゲン撮影という作業も加わってきたものですから、さすがにこれ以上は無理、もう助け舟が必要!となり昭和28年夏の終わり、霧多布定時制高校在学中の坊主頭に詰襟学生服姿の素直な少年を採用したそうです。

その彼はマンガが大好きで、特に手塚治虫作品は全て読んでいるという。

彼が加わった事でレントゲンの現像以外にも簡単な検査、患者さんの運搬などもこなしてくれて貴重な戦力になったそうです。

もちろんこの人こそが後の漫画家、モンキーパンチ!

ある日、道下先生のお子さんの誕生日に職員一同がそれぞれに祝いの品を届けにきた時のことでした。

モンキーパンチ少年は「僕は何も買ってあげられないから漫画を描いてきました」

それが色紙一杯に見事なタッチで書き込まれた「のらくろ」「冒険ダン吉」だったそうで、これをきっかけに評判が評判を呼び地元釧路の機関紙の表紙やカットなどの以来が殺到。本人も嬉々としてペンを走らせていたそうです。

高校を卒業する時、モンキーパンチ少年は道下医師に「このままここにいてもいいですか?」と頼んだそうですが「それも一つの選択だけど、このままだといつまでたっても雑用係のままだぞ。私は君のマンガの才能は素晴らしいと思っている。その方面に私はコネはないから紹介もしてやれないけど一度それに挑戦してみないか。それでだめだったらいつでも帰って来い」「でも東京に行かなきゃ駄目です・・・」「若いんだからやり直しもきく。やってみろ!」

そう言って励まし東京へ送り出した。

気にはなりつつも音信は途絶え10年が経過。

昭和42年のある日、1枚のハガキがモンキーパンチ青年から届き、たった一行「先生、なんとか米の飯が食べれるようになりました」と書かれていたそうです。

その時にはすでに「ルパン三世」は大ヒット連載されていて、全国の若者の間で爆発的な人気を集めていたのです。

先のテレビ・ドキュメンタリーにもモンキーパンチ御大は出演。

「道下先生との出会いがなかったらいまの自分は無い。私の絵をはじめて認め、評価してくれた人だった」といつまでもことあるごとに師への感謝の気持ちを忘れずに述べているそうです。

写真左の書物直筆サインはモンキーパンチ先生ではなく道下医師の「霧多布人になった医者」でのものです。

 

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ルパン三世(PART2) モンキー・パンチ

2016-01-10 05:28:39 | free form space

申年にちなんでの話題・・・・・・・北海道が生んだ男性漫画家の最高峰,モンキー・パンチ先生の代表作「ルパン三世」のテレビアニメ化は1971年が第一シリーズでしたが、視聴率では意外にもたいした成果は得られませんでした。ところがよくある話、放送料が格安だったという好条件が災いしてか全国的に再放送が度々行われた結果、人気度格段にアップ。

その勢いに乗って第2シリーズが5年後に始まりました(写真参照)

このスタイリッシュで斬新、ハードボイルドな内容が好評を博し現在のステイタスを確立するに至ったわけであります。

私もソフトをコツコツとコレクションしていて、「いずれはDVDで!」と思っていたのですが結局レンタル落ちのVHS(!)が膨大に手元に今だ棚に羅列されている状態・・・・・。

劇場公開アニメ第2作目「ルパン三世 カリオストロの城」はあの宮崎駿映画初監督作品ですが、やはり第一作ほどのヒットはしませんでした(製作期間が極端に短かったそうです)。その後の再放送の繰り返しによって今では「ルパン映画の最高傑作」と伝説化、アニメ業界に多大なる影響を及ぼしています。

 

 銭形のとっつぁん警部の初代声優を担当していたのが故・納谷悟朗さん。

SF映画の金字塔「猿の惑星1&2」主演だったチャ-ルトン・ヘストンの吹き替えでも有名でしたが、なんと今年の3月に新幹線が開通する函館の生まれなのですね!

 

 

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モンキーパンチ・ルパン三世(第一シリーズ)

2016-01-08 07:17:17 | free form space

皆様、お正月気分もそろそろ抜けてきて通常モードに切り替わってきた頃かと思われますが、申年の話題はまだ続きますよ!音楽、映画ときたから今度はマンガ部門。

北海道出身の男性漫画家の巨匠といえば、そうです!あのルパン三世生みの親、「モンキーパンチ」先生ですね(猿=モンキー!)。

私がこのことを知ったときには

とても意外に感じました。あの日本人離れした西洋風タッチ感から、作者が厚岸郡浜中町生まれと聞いた時、同じ道産子なんだ!という喜びも沸いてきました。

当時としては異彩を放っていた絵柄から出版社が「国籍不明」のイメージ戦略とばかりに「モンキーパンチ」と命名されたのだとか。

先生は当初この名前には不満を感じていたそうなのですが、「まあ一時的なことという約束だからいいでしょう」と納得。ところが作品がヒットしたことでこのペンネームは今も定着してしまったそうですよ。

私が小学生の頃、大人向けマンガ雑誌にて「ルパン三世」を発表。

チラチラと親の目を盗んで読んでいた記憶があります(笑)

その後、私が中学生になった時、初の大人向けアニメーションとして「ルパン三世(第一シリーズ)」の放映が始まります。

そのスタイリッシュでコミカルなうえにハードボイルド・テイスト溢れるストーリー展開に、ちょっとませた同級生達と毎週テレビを楽しんでいました。

「俺はルパンよりも次元大介のほうがかっこいいなあと思う」「石川五右衛門の声優はねずみ男、チャールズブロンソンの大塚周夫だね(のちに花形満の声優さんにバトンタッチ)」「峰不二子みたいな女性が俺の理想だなあ・・・・(ロングヘアーの時ならもっといいね)ああいう彼女に翻弄されて骨抜きにされたい・・・(おいおい・・・・)」

特筆すべき点では音楽も秀逸だということ。

オープニング&エンディングテーマ共に今も人気楽曲ですね(BGMも)。

特にオープニングテーマは何年経っても古さを感じさせないし、これっていかした切れ味鋭いブラスロックだよね!(何度もアレンジを施してのバージョンがありますが、どのテイクも甲乙つけがたいほどの傑作揃い)

「ルパン三世」の実写版も当時製作されましたが、こちらは微妙です・・・・。

最新劇場公開版(小栗旬主演)はいい線いってましたけど。

黒木メイサは好きな女優さんで頑張っていたけど、不二子ちゃ~ん!にはもっとグラマラスなキャスティングがよかったなあ・・・・個人的希望。

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猿の惑星シリーズ

2016-01-07 02:52:24 | free form space

今年の干支にちなんで猿関連の音楽物を紹介しましたが、私が1番好きなSF映画も久しぶりに語らせてね(笑)

猿の映画といえば、もちろん殆どの人達が「猿の惑星」と答えるでしょ。

第1作が公開された年が1967年だから、まだ私は小学生でした。

愛読していた漫画本の巻頭で公開当時に大特集していたのではじめて存在を知りました。

発想が斬新でして、未来の地球が猿に支配され人類が奴隷化しているというショッキングなストーリー。そしてチンパンジー、オラウータン、ゴリラのメイクも話題になりました。

チンパンジーは人類に対して友好的、オラウータンは敵意剥き出し、ゴリラは暴力的という設定。

この映画は大ヒットして5作までシリーズ化。

でも面白さはドンドンと失速していきましたけど。やっぱり映画史に燦然と輝くエンディングが見事な傑作は1,2作につきますね。3作目も個人的には好みです。こちらのエンディングも次回作に対する期待が膨らんじゃうしね。余談ですが、あの伝説のビッグフットもこの映画のメイク担当スタッフか関係しているのではないか?などという噂がおこったほどの社会現象に。

今、大ヒット中のスター・ウォーズの最新作も素晴らしいですが、本格派SF映画の元祖「猿の惑星1.2」は必見です。

2001年公開のティム・バートンによるリメイク版も凄い。

監督や出演者の最終決定までには紆余曲折ありましたが(ハリウッド映画では当たり前です)、やっぱりエンディングでニヤリとさせられました。

新たな構想の下に2011年から2作製作されていますが、撮影技術の向上により、猿の表情、動き、毛並み、筋肉の躍動感のリアルさが格段と増しています。

日本でも70年代前半、「猿の惑星」人気に便乗して「猿の軍団」という子供向けのテレビドラマがゴールデンタイムに放映されていました。

ストーリーやメイクはチープで私はすぐに観るのをやめちゃいましたが・・・・

本場のアメリカでもテレビシリーズ化されましたが、こちらもさえない結果に終わりましたね。

主役の猿の声はクレイジー・キャッツの植木等さんが担当しております。

 

 

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NATALIE COLE 死去

2016-01-05 04:04:52 | free form space

新年を華々しく迎えたばかりなのに、いきなり元旦に訃報が舞い込みました。

大晦日午後に入院先のロサンゼルスの病院で心臓疾患のためナタリー・コールが亡くなったとのこと。享年65歳。

ここのところずっと体調が思わしくなく2008年にはC型肝炎感染を告白。腎臓移植手術を受けたりもしていました。

26歳の時にデビューアルバムから「ジス・ウィル・ビー」が大ヒット。グラミー賞最優秀新人賞&最優秀R&B歌唱賞の2冠にいきなり輝きました。

彼女の父親はもちろん伝説のジャズ・シンガー、ナット・キング・コール。

私はさすがに彼の現役時代は知りません。ここからはちょっと長くなりますが私的なことを・・・・。

私が初めて洋画にどっぷりと狂っていったキッカケは中学生の時に知ったチャールズ・ブロンソン。

それまでのハリウッド男優の2枚目路線から大きく逸脱したその無骨でごついルックス。

遅咲きブロンソンの人気が当時はうなぎのぼりで公開される作品はリバイバルも含めて次々に大ヒット。

その頃、日本の男性化粧品メーカーといえばMG5の資生堂で、ハンサムなモデルを起用したCMも大当たり。ライバル会社の丹頂がマンダムに改名後、CM出演オファーしたのがなんとチャールズ・ブロンソンでした。ハリウッド俳優がCMに出演するなんて異例中の異例。ところが髭のブロンソンが「う~ん・・マンダム」と唸ったこのCMシリーズは大当たりで一大ブームを巻き起こしました(このセリフとポーズは日本男性の間ではやりましたね。これをきっかけにハリウッド俳優が日本のCMに出演するのも珍しくなくなりました)

このCM映像監督は若かりし頃の大林宣彦氏。

そして商品ヒットの一翼を担っていたのが、これまたロングヒットしたカントリー・シンガー、ジェリー・ウォレスが歌ったCMソング「男の世界」です(激しいドラムフィルから飛び出すイントロはまさにブラスロック!!)。

1発屋で終わっちゃいましたが、彼の歌唱が日本男児の魂を振るわせたのは間違いありません。

CMはシリーズ化され、ブロンソンも出演続行(髭を剃るシーンもありました。このためだけのギャラも相当な額だったらしいです)。

ジェリーが歌う「男の世界」も一段落したころ、ワイルドなマンダム路線からちょっとスタイリッシュに変更して登場したのがアイク・コールがカバーした「男の世界」

ピアノとオーケストレーションをフューチャーしたジャズ・テイスト溢れるお洒落でダンディーなバージョン。

残念ながらジェリーが歌うオリジナルほどのヒットは得られませんでしたが、私は両方のテイク共にお気に入りです(もちろん2種類所持。周囲の友人達からも不評をかっていましたが)。

で、そのアイクはナット・キング・コールの弟とレコード解説に記載されていたので、私もそっち方面にグッと興味が沸いて来た訳です。

また時は流れて私が内地に渡った1976年、第5回東京音楽祭が盛大にとりおこなわれ、そこでグランプリを受賞したのが初来日のナタリー・コールだったのです。

埼玉(といってもほとんど東京の真横の街)の音楽好きな先輩の部屋で生放送されていたそのテレビ番組を私も一緒に観ていましたが、そこで歌われた受賞曲(写真参照・来日記念盤)「ミスター・メロディー(3:06)」の豪快で華麗なボーカルに圧倒されたものです。

囁きかけるように抑え気味にスタートするもドンドンと大盛り上がり一気にフィナーレを迎えるというドラマチックな楽曲は言う事無しのパーフェクトな展開。

穏やかで優しい先輩もつい思わず「すごいなあ!!!」と感嘆しきり。

レディ・ソウル界の新星誕生の栄光の瞬間を目撃したのです。

しかし父親の偉大なる重圧はそうとうなものだったかもしれません。その後はセールスも落ち込み薬物中毒に陥ってしまい活動も一時断念します。

ところが長年拒み続けていた父親の曲を満を持して1991年にカバー。それが起死回生ともなった「アンフォゲッタブル」

ジャズ作品としては異例の大ヒット、全米5週連続第1位を記録し数多くの賞も独占しました。これは当時としては最高の録音技術を駆使してナット・キング・コールとのオーバーダブにより擬似デュエットを再現したもの。

プロモーション・ビデオも何度見ても感動的です(漫画:課長 島耕作の中でもこのプロモが描かれています)。

彼女にとっての最大ヒット曲。私ももちろん大好きな曲。

でもそれとは別に個人的思い入れで「ミスター・メロディー」が彼女を知るキッカケでもあったし、鮮烈な印象が忘れられないのでやっぱりこれはこれで別格ですね。

今頃は天国で擬似ではない親子デュエットを楽しんでいることでしょう。

 

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申年にちなんでの音楽三昧!

2016-01-03 05:13:23 | free form space

今年の干支、猿&モンキー関連の物を思いつくままに棚から引っ張り出してみましたよ~!

ボンジョビとは旧知の仲で、ジョンのバックアップで鳴り物入りでデビューしたスキッド・ロウ。かっこいいバンドでした。彼らの大ヒット・セカンド・アルバム「スレイブ・トウ・ザ・グラインド(1991年発表。12曲入り)」収録でオープニングを飾る「モンキー・ビジネス」(プロモにも猿が登場。4:17.ボラン&スネイク共作)

不気味なイントロからいきなり炸裂するメガトン級のサウンドは申し分なし。金髪のロンゲと美しい容姿にも恵まれたセバスチャン・バックは根っからのロッカーでした。

彼らの札幌公演を月寒グリーンドームで観ましたがエネルギッシュなアメリカン・へヴィーメタルはお見事の一語。多少粗っぽい演奏になろうが音が外れようがそんなことお構い無しに迫力ある勢いでぶっ飛ばす様は理屈抜きにロックの良い意味での姿を見せつけられたようでしびれちゃいましたね。

一緒に行った横の友人はバックが投げつけたドリンクコップを胸で受け止め(というよりも叩き付けられた!)ラッキーだなあ・・・と羨ましかったです。よく私が訪れる街中の中古レコード店の店長さんが「昨日、スキッドロウのボーカルが一人で来店したよ」と教えてくれ、私は興奮気味に色々と恐る恐る聞いちゃいました。「彼って素行が破天荒の問題児だけどどうでした?」「いや、おとなしく品物を見ていたよ」

意外でしたが、案外とそんなものなのでしょうね、プライヴェートでは。

この頃、すでに彼とメンバー達は不協和音が漂い始めている頃で、直後にバックは脱退。スキッドロウの黄金期も惜しまれつつも終息を迎える事となってしまいました。

 

EPレコードはディスコ・フィーバー真っ只中に登場した美女トリオ「アラベスク」のデビュー大ヒット曲「ハロー・ミスター・モンキー(3:27)」

1977年の夏に結成されたドイツ・メキシコ・イギリス出身という女性達によるユニークな編成。

リリースされた1978年はこの曲がそこいらじゅうで頻繁に流れまくっていました。来日した際に仕事でツアー同行した私の先輩が言ってましたが「メンバーの一人は体操選手なので宙返りを軽々とやってのけていたよ」と教えてくれました。

 

1975年発表のこちらもディスコナンバー。ジミー・キャスター・バンチの「キングコングNO,1パート1(3:17)」B面はパート2で2:45

歌詞カードにはアフロヘアのダンサー・イラストによる振り付けあり。

2枚目のアルバム「スーパーサウンド」からのシングカットでパンチの効いたリズムとコングの叫び声を上手にフューチャー。

 

そしてお猿さんといえばやっぱりモンキーズにつきるでしょう。

イギリスのビートルズに対抗してアメリカがオーディションのすえに作り上げたアイドル・グループゆえにメンバーの殆どが楽器演奏が出来ず、レコーディングにはスタジオ・ミュージシャンが起用されていたのです。

日本でも彼等のテレビ番組がゴールデンタイムで毎週放送されていて、私も小学生ながら生意気にも観ていました。内容のほうは「ヤアヤアヤア!」「ヘルプ」風でしたね。

忌野清志郎が日本語で歌って今もコンビニCMで毎日のように流れている1967年ナンバー1ヒット「ディドリーム・ビリーバー(2:53)」が彼らの代表作でしょう。

ちなみに私は1981年ピーター・トークのソロ公演を新宿厚生年金会館で観ました。もちろんこの曲をキーボード弾きながらピーターは歌っていました。

 

私個人的に思い入れたっぷりなバンド「ブロウ・モンキーズ」はベストCD,EP,プロモ集VHSの3種類をピックアップ。

ブリティッシュ・ポップスの目玉として80年代を駆け抜けたお洒落なセンス溢れるサウンドが持ち味のバンドでした。といっても実質はドクター・ロバート(本名ロバート・ハワード)によるソロ・プロジェクト色が濃厚でしたが。

伊達男ロバートの音楽に対する興味はその後も尽きる事が無く、ジャズ、ワールドミュージック、ダンス、ハウス・ミュージック、インストウメンタル、ファンクソウル、政治に対するメッセージも曲に盛り込むなど驚くほど精力的にその裾野を拡大してゆきます。

しかしメンバー間との確執、音楽性の違いを理由に、ロンドンにて本格的活動を始めてからちょうど10年の節目でもある1991年に解散してしまいました。

私はピーター・バラカン氏がテレビの音楽番組で彼等を紹介したプロモビデオで一発KOされちゃいました。

その曲が出世作「ディギン・ユア・シーン(全英チャート最高12位)」

一時はこの曲をエンドレスで聴きまくっていたほど。同系列のバンドといえばスタイル・カウンシルやジャミロクアイが存在しますし、それらに比べて浸透度では負けているのも事実ですが、クォリティの高さ一つとっても全く聴き劣りしませんよ。ロバートが尊敬するカーティス・メイフィールドの「スーパーフライ(越智嬢のバンド名の由来)」もカヴァーしています。要チェック!

 

ザ・ビートルズの通称ホワイトアルバム「ザ・ビートルズ(2枚組)」は1968年11月21日発売。

メンバー間のゴタゴタもあり(一時リンゴは脱退するも1週間後に復帰)ほとんどバラバラでのレコーディングとなり、まとまりにはかけるけれども、そこはそれで名曲、傑作が膨大に収められています(よくボブ・デイランの「ブロンド・オン・ブロンド」、シカゴ「Ⅶ」などと比較されます)。

後半に収録されているレノン&マッカートニー作「EVERYBODY’S GOT SOMETHING TO HIDE EXCEPT ME&MY MONKY(2:24)」

けたたましいくらいのせわしなさの中にもビートルズ流グルーブが実験的に凝縮されているなかなかに面白い作品。ヒット曲ではありませんが妙に癖になる1曲。たぶんビートルズの中で1番長いタイトルではないでしょうか。本来は曲中でも脅迫的ヒステリックしゃべくりパートで連呼する「カモン、カモン」がタイトルだったそうで、やはりジョンの作品です。リードギターは開放弦多用の指癖から察するにポール。ジョージは「ファイアーボール」と呼ぶパーカッションを担当。7月23日録音開始との記述あり。

 

残り2曲は日本から。

ジャパニーズ・ロックンロールの元祖といえば迷わず「キャロル」と誰もが叫びますよね!

彼らのセカンドアルバム「ファンキー・モンキー・ベイビー」

そのトップを飾るタイトルソング(2:10)のイントロから日本のロックシーンが激動開始。

今も続々とフォロワーが生まれ続けています。

ジョニー大倉:作詞、矢沢永吉:作曲。

日本語とロックの融合が完璧に見事成功、証明してくれた記念すべきナンバー。

 

1流スタジオ・ミュージシャンだったメンバー達で結成された「ゴダイゴ」

CM、ドラマにまで触手を伸ばしてヒット曲を量産した偉大なるバンド。

メロディアスで親しみやすいタケカワユキヒデのボーカルと安定した演奏。巧みなアレンジによってロックとは程遠い一般のリスナーまでをも獲得しました。

テレビドラマ「西遊記」の主題歌「モンキー・マジック(3:52)」は英語詩にもかかわらず大ヒット。

写真のEPは「ガンダーラ」ですがね(笑)

 

 

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BRASS ROCK NEW YEAR 2016

2016-01-03 03:19:19 | free form space

昨年は、いろいろと皆様(素晴らしき観客&ミュージシャン達)にはお世話になり、新たな感動的出会いも数多くありました。今年もSTAメンバー一同、よりいっそうの精進を積み重ね前進しつつ良い汗を流してゆく所存です。

熱き叱咤激励大歓迎。

よろしくお願いいたします!

LIVE BAND    THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY(S・T・A)に乞うご期待くださいませ!!

何が飛び出すかな?

我々自身もワクワクしておりますよ!!!

 

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