ああ・・・なんということだ
突然舞い込んだ訃報に世界中が驚いたことでしょう。
「デヴィッド・ボウイ死去。 18ヶ月にもわたる癌との闘病生活の末、家族たちに見守られながら10日、息を引き取った。 享年69歳・・・」
2日前の誕生日にニューアルバムをリリースしたばかりでの出来事。この新譜の内容にも自分の死期を悟ったためか、ファンへの最後のメッセージが盛りこまれているそうです。
ジギー・スター・ダストは宇宙を放浪した後に、地球に落ちてきて今、天国に旅立って往きました。
久しぶりにフレディー・マーキュリーと「アンダー・プレッシャー」を歌っていることでしょう。
「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」と今では言われてもいますが、60年代のデビュー当初は泣かず飛ばずの日々。
女性を巡って友人と喧嘩になり殴られた左目の視覚はほとんどないそうです(いやはやこの辺のエピソードはロックンローラーですな)
しかしこの友人との交流はその後も続き音楽活動を共にします。リンゼイ・ケンプとの出逢いによりアバンギャルドなパントマイムを習得。その世界観も自らの音楽に反映させてゆきます。
本名はあのモンキーズのボーカリストと同姓同名だったために「デヴィッド・ボウイ」と改名。映画「2001年宇宙の旅」をモチーフにした「スペイス・オディテイ」でロックに初めて宇宙観を導入。
それを機に彼の名声は一気に高まります。
ここからグラムロック時代に突入。中世的魅力を振りまいてT.REXのマーク・ボランと並んで、新しいロック時代の申し子とうたわれるまでに成長します。
奇抜な衣装、どぎついメイク、架空のキャラクターを演じる表現方法、バックバンド「スパイダーズ・オブ・マーズ」などなど各方面に多大なる影響を及ぼしました。
初来日は飛行嫌いだとのことで船に乗って東京湾へ。山本寛斎のステージ衣装も話題を集めましたね。
その後もアルバムを発表するたびに常に時代の最先端を疾走。カメレオンのごとくジャンルを超越して変化する音楽性にはファンの間でも賛否が飛び交っていました。
また俳優業にもロックミュージシャンとしてはいち早くその才能を開花。
特に故・大島渚監督の「戦場のメリークリスマス(共演:坂本龍一&ビートたけし)」はここ日本でも大ヒットしました。
伝説のスター、カリスマ、天才の死に各方面から追悼メッセージが続々と発表されています。
まさに巨星落つ・・・・の一言。
私が彼の存在を知ったのは「スターマン」でした。
アコースティックギターのコード・ストロークイントロから語りかけるように歌いだすボウイ。
徐々にサウンドは拡散していき宇宙の彼方に響き渡っていくような新鮮な気持ちになったあの頃を今でも忘れません。
衝撃の1曲でしたね。あれは名前とルックス同様にインパクトがあったもん。ボウイの才能にはファンもついて行くのが追いつかないほどで、時には「次には何をやるのか?」予想もつかないことや、良い意味での裏切り、コラボレーションなど冒険の連続でした。
ハンサムなので女性ファンも多くロックを聞かない方面にも知名度は絶大、CMにも出演していましたね。
歌舞伎にもインスパイアされた部分が多いとのことで親日家としても知られていました。
札幌にも一度だけやってきました。
時は1992年2月。
セカンドアルバムを発表したばかりの「ティン・マシーン」で厚生年金2ディズコンサートが実現したのでした。私も当然生デヴィッド・ボウイを堪能してきました!ステージのいたるところに置かれたテレビや人形のオブジェの中で、サックスもこなすボウイはやっぱり文句なしにかっこいいマルチミュージシャン。
貴重な体験でした。病に倒れてからは一気に創作意欲も低下、ここのところはずっと引退同然の状態が続いていたので、全く持って残念、複雑な心境です。心よりご冥福をお祈りします。
私のフェバリットソングは「スターマン」「ビギナーズ」「ヒーローズ(ロバート・フリップによるファズのかかったサスティーン変態ギターも最高!)」
まだまだいっぱいあるけどね。
彼の出演した映画ならば実家に帰省した際に映画館貸切状態で観た「ラビリンス魔王の迷宮」がお気に入りですね。理屈抜きに楽しかったです(ボウイ出演作はマニアックなものが多いので)。
ジェニファー・コネリーは可愛かったし、マペット人形もお見事。魔王演じるボウイは挿入曲も提供。
久しぶりに唯一無二のボウイ・ワールドに酔いしれてみようと思います。