子どもが小さいときに 御岳に行ったことがある。 まだ小さな子どもを連れて 只泊まって少し歩いてみただけの旅行だった。
そのときに 田野原から一列に続く人の波を見つけた。 御嶽山に登る人の波だった。
そう言えば子どもの頃 高山線に乗っていても小坂のあたりで 白い行者服に 棒を持っている人が沢山乗り込んできた。
「何時かあの山登ってみたいね」
そう言ったら亭主殿
「4時間ぐらいかかるんだよ 行けるわけ無いじゃん。」
そう言った。 そうか 大変な山なんだ
山登りなんてつらいだけだもん やるわけないじゃん そう思っていた頃だったから それで なんの未練も無く 帰ってきた。
8月1日に 御岳に登る事になった。 かなり体力がいると言うことで 心配していた。 最近ひざの様子も良くないので ストックを2本に変えての挑戦。
一本道なので いざとなったらどこかで待っていても良いし。。。 そんな思いで登ることにした。
御山快晴 登らせたまえ 六根清浄 懺悔懺悔
先達さんに連れられて 御岳信仰の信者さん達が登っていく
かなり高齢な方でも 登山の経験がないひとでも 先達さんが連れて歩くと登れちゃうんだそうな
かなりきついと思う 7合目から登るんだけれど 標高差900ぐらい その道は 王滝頂上まで 直登に近い ひたすら登り道。 時々振り返ると 足もとから落ちていきそうに急な坂道が続く。おまけに足もとは 火山の山であったらしく ごろごろした岩がいっぱい。
それでも登れちゃうって 信仰の力? 山岳信仰の意味を考えてしまう。
そうそう 出かける前に 店の薬剤師さんに話をしたら 何年か前に おじいちゃんが お地蔵さんを背負って登って 御岳のどこかに安置していらしたとか。。。 うーんやっぱり信仰の力凄い
でも実際にこの山に登っていると 自ずとみの引き締まる思いがしたり自分の事家族の事 大げさに言えば生きることの意味 自分のこれから。。等々 他に考えることも無いからかしら? いろんな事を考えてしまうから 不思議。
御岳教信者では無いけれど 俄信者になる。
思いがけず力が出たらしく 王滝頂上から更に 剣が峰まで 全員登頂(実は何名か高山病の症状が出て 一番体力的に心配な私よりも ダウンした人が現れた)
岐阜県と長野県の間に聳える美しい姿の独立峰 御嶽山
想像していたより厳しい姿と 美しい姿を見せてくれたけれど もう行きたくないか?と聞かれると 今度は山頂で泊まって 山頂を一日かけて回りたいと思ってしまうのだから 不思議で魅力的な山だと思う。
後日岐阜の実家へ帰った時に 母に話したら
「じいちゃんや ばあちゃんは 良く御岳に登ったんだよ!」と話してくれた。
心臓が悪くて とても登れそうに無い体なのに。。。 やはり登ると かなり苦しくなったらしいのだけれど 何度も登ってみたらしい話を聞くと 祖父もこの山が好きだった。
すれ違った先達さんに付いていた信者さんは あの頃のおじいさんだったのかも。。。