山から下りてくると 今度は講演会です。
場所は 上平寺の集会所。
今住まなくなったお家を開放しているのだろうか? 典型的な田の字形のお家です。
ここで竹中半兵衛と黒田官兵衛の話を聞きます。
講師は垂井町タルイピアセンター学芸員 原田 義久氏
長浜市立長浜城歴史博物館 副館長 太田 浩司氏
太田講師はNHKの大河ドラマの時代考証も担当しているとか・・・・
二人の軍師の話に 期待が高まります。
私は二人の名前を知っているけれど 軍師としてどんな仕事をしたのか良くわからない。 あまり主役として取り上げられること無かったからね。
黒田官兵衛と北近江との関わりってなんだ? 実は黒田家のルーツは北近江にある。
「黒田官兵衛は姫路の出身でしょ?」って言われそうです。
確かに官兵衛は姫路で生まれましたが 黒田家は京極から出た家なのです。佐々木信綱が子達に四つの姓を与え近江を分割しました。
京極氏を名乗った満信の子宗満が黒田家の始祖のようです。
今家系図を見てこれを書いていますが 木ノ本の黒田に5代在住 その後備前長船に その後播磨に・・・・ですから官兵衛は姫路生まれです。
この説が一番強いのですが 実は黒田氏のルーツにはあと二つの説があります。
もう一つは米原の黒田
もう一つは播州黒田庄
それぞれにいくつかの文献はあるようで???です。
大河ドラマを契機に 新しい商品の開発も行われました。
ここで 姫路と垂井のコラボです。 官兵衛の出身地の姫路からは和菓子所 甘音屋 垂井からは小さな小さな町から全国にパンを発信し続けているグルマン
あんパンです。
手のひらに載りそうな小さなパンでちょっと高いなぁとは思いましたが美味しかったですよ。
あ そうそう 何で垂井なの? 北近江からいきなり垂井では話が解りませんね?
垂井は竹中半兵衛の出身地です。
半兵衛も軍師として取り上げられますが これも具体的に何をしたのか?私にはちょっと・・・・
ただ 黒田官兵衛とつよく結びつくことになった話があります。
天正13年荒木村重が謀反を起こしたとき黒田官兵衛は信長の命を受けて説得に行きます。
しかし 敵陣でとらわれの身になった官兵衛は村重側に寝返ったのだと信長から誤解を受けます。 信長は官兵衛の息子 松寿丸(後の黒田長政)を殺害するように命じる。
その松寿丸を人知れずかくまったという。
やがて官兵衛は助け出されるが 半兵衛はその少し前に亡くなり二人が合うことは無かった。
官兵衛は半兵衛にとても感謝し 家紋には竹中家のものを使ったり 半兵衛の子どもが成人するときには烏帽子親になったり生涯半兵衛に感謝の気持ちを忘れなかったと言うのだ。
私もあまり詳しくないのに 間違ったことを書いてはいけないので 当日心に残ったことだけを書いて良しとします。
それだけでも充分楽しいあつまりでしたから。
講演の合間におはぎが出ました。
地元上平寺地区の人々の振る舞いです。何度も言いますが 戸数14戸です。
自分たちの町を愛し 上平寺に城を築いた京極氏を誇りに思っている事を感じて 胸が熱くなりました。
これも上平寺地区の人々の手作りです。
私は今自分の住んでいる地区に大きな思い入れは残念ながらありません。何かイベントをやるとなったらこんなに献身的に尽くせるでしょうか?
先祖があるから今の私があるんですけれどね。
すっかり暗くなってYさんが「明日も山行くなら 今日は僕の所に泊っていってよ。」って何度も誘ってくださったけれど 有り難くお断りして 明日の小谷山に思いを寄せながら帰宅しました。