御茶屋ってなんだか良い響きですよね?
お団子とかお茶が出てきそうです。
でも そんな響きとは全然違って軍事施設だったらしいです。 御茶屋???? どこからこんな名前がついたんだか?
主閣部最先端の曲輪 そこにはちょっと下お屋敷もあって裏には庭まで造られていたとか・・・と言うとますます優雅な感じしてくるけどね
木が切り倒されていますが 尾根を利用した割には広い場所でした。
馬は大事ですから
手前には 馬洗い池
今ではただのぬかるみにしか見えませんでしたが
その上が桜馬場
どうしてでしょうかただの馬場では無く桜馬場です。 徳川発祥の地松平の郷にも桜馬場がありました。
ぞぞっとしますね? 桜馬場の入り口に上を平にした石が・・・・
初代淺井亮政が家臣の今井秀信が敵方に内通していたことを知りここに首を曝したと
何となく 石の上の方が赤いような・・・・(?_?)なはず無いか
こんなのがあるからこの山は気持ち悪いって言われていたんだね
本丸に一番近い場所にある家臣の屋敷
淺井三代に使える赤尾氏は武勇に優れていた分 六角氏と闘わずして和した事を快く思わなかったらしい。
小谷城陥落の時 本丸からここまで逃れてきた淺井長政はここで自害したらしい。
見事な紅葉にうっとり
ここが桜馬場です。 木々は桜では無いように思ったのですが・・・
大河ドラマで長政とお市の方がならんで琵琶湖を眺めていたシーンはここのようです。
琵琶湖に夕日が落ちて赤く染まる頃 西方浄土を感じながら人々は仏に祈っていたのでは無いか?と弥高寺跡で言われたことを思い出しました。
なるほどです。
その向こうは周回予定の尾根です。
黒金って言うから柱に鉄が打ち付けてあったのだと思います。
松山城の門 これも黒金門ってありました。
鉄の鋲が打ち付けてあります。
いよいよ 淺井三姉妹が暮らした大広間へ入ります。
どきどきしてきます。