Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

恩讐の彼方に  青の洞門

2015-01-19 21:22:36 | 日記
今日中に中津まで行かないと 今日の宿が無いことになる。
いつもなら十分時間あるし 心配しないけれど 先程からのあられにちょっと心配になる。
昭和ロマン蔵でもらったパンフレットを見て考える・・・・

う~~ん 気になるところ一杯あるなぁ
富貴寺 夷谷  おお 鋸山も気になる・・・・って山歩きの用意はしていませんが

ってああでも無いこーでも無いと言っていたら
「とりあえず中津まで行って青の洞門 案外近いから行ってみよう。」と

ああ ここも気になっていたところです。
前になごみさんがレポートを書いていました。

私は鳥井峠で恩讐の彼方の場所として モデルになったお坊さんの事を知ったので気になっていました。
雪心配だけど いけるところまで行こう!

耶馬溪は中津と日田の間にある深山幽谷っていう場所でしょうか?
一口に耶馬溪と行ってもとても広いことが解りました。

青洞門は ほんの入り口でした。
奇岩が連なる山が見えてきたなぁと思ったら川沿いに青の洞門  あっけなく通り過ぎます。




手堀だそうです。
ノミの跡見えますか? 長い長いトンネルかと思ったらそうでは無く 川の方に張り出してきた岩をくりぬいて通れるようにしたようです。
こんな岩がいくつ続いたか これが無かった頃はせり出した岩の外側を通らなくてはならなくて 沢山の人が犠牲にんったんでしょうね?

恩讐な彼方ににでてくる主人公は 江戸で主人の愛妾と関係を持ち とがめられたのを反対に主人を殺害 愛妾お弓と逃げ奈良井の鳥井峠で茶家をしていたと  茶屋は表家業で実は人斬り強盗を生業としていた。
そんな人としてあり得ない人間だったのだけれど 御弓と別れ罪を悔いて全国滅罪の旅に出た。
そしてたどり着いたのが ここ 
沢山お人が命を落とす 難所で洞門を作って人々を助けたいと願って 手堀で来る日も来る日もノミを振るった・・・ そんな話だったと思うのだけれど ここに来てそんな記述は何処にも無い。
はて~~

考えてみたら菊池寛の恩讐の彼方には 作り話でしたね? 青の洞門をモチーフに書いたと言うだけの話です。
地元の人にしたら そんな大罪人のことは書きたくないですね?
ここでは実在の僧 禅海さんが作ったのだと書いてありました。
もっとも 一人で掘り続けたわけではなく 托鉢勧進によってお金を集め人を集めて彫らせたというのが本当のようです。
しかも 有料道路だったか・・・・
日本で最初の有料道路です。



これだけでは寂しいので羅漢寺まで行ってみることにします。
禅海和尚ゆかりのお寺です。



少し 俗っぽい道具を使って行きます。
リフトが山頂まで行っていて 羅漢寺は途中で降りるようです。(この日は山頂まではお休み)
寒いのでありがたい。


駅を降りて少し行くと石の大きなアーチがあって このあたりから聖域なので写真撮ることは禁止だそうです。
印象としては自然の石をくりぬいてその中にお堂が治められています。
岩がお堂の上にせり出しているので 上から水が流れてきて滝壺さえお寺の真ん中にあります。
本当に不思議なお寺です。

人物が入っていれば山門前と本堂前に限って写真撮って良いよと言われ取ったのですが 亭主の目に線を入れていたらなんだか嫌な気分になったので載せるの止めます。
是非ご自分の目で見てきてください。


せめてと言うことで お寺の地図を載せておきます。

雪がひどくなってきました 
中津市街地に戻ることにします。
耶馬溪 もっとゆっくり行ってみたかった。

後で地図を見ていて長岩城址を見つけた。
確か黒田長政が 官兵衛がせめるに苦労した山深き場所って言うのがあった。
あの宇都宮氏が治めていた一帯はこのあたりだったのか・・・
ちょっと心にしみる場所でした。
又機会があったら 細かく回ってみましょう。



 
コメント (4)
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