今日 北海道の稚内では桜が咲いたとのこと。
これで 日本全国桜が咲きそろったそうですが
此方では桜はとっくに終わって 遠い昔のことのようにさえ思えるのですが
こんな時に 桜の話題を載せるのもとても気がひけます。
ま 4月の旅行記と言うことで・・・・
4月7日 「青春18切符を使って岐阜の薄墨桜を見に行こう」というKさん企画にのることにしましたが・・・・
あららぁ 大雨です。しとしとという程度では無いです。
それでも行くかぁ
18切符が余ってしまいますから
大垣で垂井鉄道に乗り換え こんな日に行く人いないよね
電車 がら空き
雨をよけてさしてきた傘から流れた雨粒が 電車の床を転げ回っています。
それでも何人かいらっしゃいました。
私のような物好きが
楽しみ方は 色々あるようで 運転席から見える車窓を(行く手は車窓っていえるかなぁ?電車でGOの画面みたいです。)ずっととり続けている撮り鉄とか やはり18切符組と思われる 女子旅とか・・・・
私達は3人でした。正確に言うと4人です。
一人は横浜からの参加で もう現地に着いてしまったと
この電車 シーズンになると 立って乗ることさえ出来ない程混むのだと
まぁ よかったのかもしれない。
それでも桜は真っ盛り これでも科って言うぐらい咲いていました。
雨に打たれて 花を落とすも絨毯のように綺麗です。
樽見駅しゅうてんまでやって来ました。 大垣から案外時間かかります。
立ちんぼだと一寸辛いかもしれません。
横浜からYさんが来ていました。 「もう行ってきたから 次へ行くよ」
付き合えとも言えず 私達3人の花見になりました。
私は 結婚するまで岐阜で暮らしました。
根尾谷の薄墨ザクラは有名でしたが 一度も行く事が無く 何処にどんな様子で咲いているのか想像が出来ません。
薄墨ザクラは あの川向こうの山の麓にあるようです。
とことこ歩かなければいけません。
「晴れていたら ここに能郷白山が見えるんだけどな」とKさんが悔しそう。
ここにも桜の絨毯。
すべりそうで心配ですけれど
もう少し登っていくと薄墨公園です。
じゃ~~ん 思ったよりこぢんまりとした一本ザクラです。
薄墨桜は彼岸桜の一種で(和名 ウバヒガン)樹齢1500年にもなるそうです。
何だって? 1500年? えっと・・・奈良時代まえから咲いているって事?
ソメイヨシノの寿命は90年とか聞きました。
凄いです。
都での迫害を逃れてこの地に潜んでいた男大迹王(をほどのおおきみ)が長じて29歳の時 都に迎えられて皇位を継承しました。
継体天皇として この地を去るに当たって形見として植えられたのだと伝えられているそうですから 嘘のような樹齢です。
樹高 17.2メートル 枝張り東西23.9メートル 南北21.2メートル 幹回り9.1メートル
その佇まいは美しいです。 幽玄の世界を感じます。
薄墨の謂われがある墨色はあまり感じませんでしたが
薄墨桜は 1500年元気いっぱいここにあったわけはありません。
雪の重みで枝が折れたりして 枯死の危機がありました。
何とかしたいと言うみんなの熱意と 岐阜士の医師前田利行さん 大工 中嶋英一さん達によって根接ぎを238本行った結果今の姿に生き返ったと言う事です。
枝接ぎでは無くて根接ぎ・・・・考えるだけでもとても難しくて根気のいる仕事と思われますが
その成果があっったわけですが 私はそのことをニュースなどで知っていると勘違いをしていました。
昭和23年では私が生まれていません。
ふ~~ん
その疑問が分りました。
根尾谷の薄墨桜はもう一度危機を迎えています。
伊勢湾台風の時です。太い枝が何本も折れて見るも無惨な姿になりました。
樹勢の回復が進まない姿をご覧になった宇野千代さんが知事に訴え 桜を保護するプロジェクトチームが結成されたのです。
凄い話です。
1500年の歴史の中で みんなの思いや願い 愛があって ここまで守って来られた。
自然が 簡単に壊れていく今の時代に 一寸反省。
雨の中傘を差しながらの 薄墨桜でしたが これはこれで風情合って良いんじゃ無いの? と強がりでは無い満足感で戻ることにしました。
ツアーバスは予定を変えることが出来ないようで どんどん人が増えてきました。
駅のそばで お昼を戴きます。
アマゴの煮付け アマゴのフライ こんなにアマゴいらないよ
と言うメニューでしたが 酒好きが酒飲みに変わってグビグビやっています。
私は 山菜の天ぷらなどを戴きました。
この時期のごちそうです。
雨は止みそうにありません。
大垣へ行って 住吉灯台に行きます。
大垣は水の都です。
大垣城を訪れたことが無いので はっきりしたことは分りませんが 城を囲むようにして水路があるので 城のお堀だったかもしれません。
湧水が何カ所かあります。
奥の細道の結びの地でもあります。
関ヶ原の戦いでは 初め石田三成が陣を置いたと言う歴史もあります。
桜が満開ですが雨に打たれて不思議な風情です。
ここは 川湊になります。伊勢湾に案外近いですからね。
今はこの水路を利用して桜見物の船が出ます。
桜が 散るも 水門が開いているのか流れが速くて 花筏は出来ません。
花の絨毯は出来ています。
住吉灯台は1840年に作られたそうです。 江戸時代ですね。
比較的歴史が浅いといえども200年弱の間 その美しい姿で水門川を守ってきたのです。
さすがに これだけ雨に打たれると 歩いて駅まで・・・と言う気にもなれず タクシーで帰路へ
思いがけず 幽玄の世界を見ることができた と言うことで楽しい思い出に成りました。
これで 日本全国桜が咲きそろったそうですが
此方では桜はとっくに終わって 遠い昔のことのようにさえ思えるのですが
こんな時に 桜の話題を載せるのもとても気がひけます。
ま 4月の旅行記と言うことで・・・・
4月7日 「青春18切符を使って岐阜の薄墨桜を見に行こう」というKさん企画にのることにしましたが・・・・
あららぁ 大雨です。しとしとという程度では無いです。
それでも行くかぁ
18切符が余ってしまいますから
大垣で垂井鉄道に乗り換え こんな日に行く人いないよね
電車 がら空き
雨をよけてさしてきた傘から流れた雨粒が 電車の床を転げ回っています。
それでも何人かいらっしゃいました。
私のような物好きが
楽しみ方は 色々あるようで 運転席から見える車窓を(行く手は車窓っていえるかなぁ?電車でGOの画面みたいです。)ずっととり続けている撮り鉄とか やはり18切符組と思われる 女子旅とか・・・・
私達は3人でした。正確に言うと4人です。
一人は横浜からの参加で もう現地に着いてしまったと
この電車 シーズンになると 立って乗ることさえ出来ない程混むのだと
まぁ よかったのかもしれない。
それでも桜は真っ盛り これでも科って言うぐらい咲いていました。
雨に打たれて 花を落とすも絨毯のように綺麗です。
樽見駅しゅうてんまでやって来ました。 大垣から案外時間かかります。
立ちんぼだと一寸辛いかもしれません。
横浜からYさんが来ていました。 「もう行ってきたから 次へ行くよ」
付き合えとも言えず 私達3人の花見になりました。
私は 結婚するまで岐阜で暮らしました。
根尾谷の薄墨ザクラは有名でしたが 一度も行く事が無く 何処にどんな様子で咲いているのか想像が出来ません。
薄墨ザクラは あの川向こうの山の麓にあるようです。
とことこ歩かなければいけません。
「晴れていたら ここに能郷白山が見えるんだけどな」とKさんが悔しそう。
ここにも桜の絨毯。
すべりそうで心配ですけれど
もう少し登っていくと薄墨公園です。
じゃ~~ん 思ったよりこぢんまりとした一本ザクラです。
薄墨桜は彼岸桜の一種で(和名 ウバヒガン)樹齢1500年にもなるそうです。
何だって? 1500年? えっと・・・奈良時代まえから咲いているって事?
ソメイヨシノの寿命は90年とか聞きました。
凄いです。
都での迫害を逃れてこの地に潜んでいた男大迹王(をほどのおおきみ)が長じて29歳の時 都に迎えられて皇位を継承しました。
継体天皇として この地を去るに当たって形見として植えられたのだと伝えられているそうですから 嘘のような樹齢です。
樹高 17.2メートル 枝張り東西23.9メートル 南北21.2メートル 幹回り9.1メートル
その佇まいは美しいです。 幽玄の世界を感じます。
薄墨の謂われがある墨色はあまり感じませんでしたが
薄墨桜は 1500年元気いっぱいここにあったわけはありません。
雪の重みで枝が折れたりして 枯死の危機がありました。
何とかしたいと言うみんなの熱意と 岐阜士の医師前田利行さん 大工 中嶋英一さん達によって根接ぎを238本行った結果今の姿に生き返ったと言う事です。
枝接ぎでは無くて根接ぎ・・・・考えるだけでもとても難しくて根気のいる仕事と思われますが
その成果があっったわけですが 私はそのことをニュースなどで知っていると勘違いをしていました。
昭和23年では私が生まれていません。
ふ~~ん
その疑問が分りました。
根尾谷の薄墨桜はもう一度危機を迎えています。
伊勢湾台風の時です。太い枝が何本も折れて見るも無惨な姿になりました。
樹勢の回復が進まない姿をご覧になった宇野千代さんが知事に訴え 桜を保護するプロジェクトチームが結成されたのです。
凄い話です。
1500年の歴史の中で みんなの思いや願い 愛があって ここまで守って来られた。
自然が 簡単に壊れていく今の時代に 一寸反省。
雨の中傘を差しながらの 薄墨桜でしたが これはこれで風情合って良いんじゃ無いの? と強がりでは無い満足感で戻ることにしました。
ツアーバスは予定を変えることが出来ないようで どんどん人が増えてきました。
駅のそばで お昼を戴きます。
アマゴの煮付け アマゴのフライ こんなにアマゴいらないよ
と言うメニューでしたが 酒好きが酒飲みに変わってグビグビやっています。
私は 山菜の天ぷらなどを戴きました。
この時期のごちそうです。
雨は止みそうにありません。
大垣へ行って 住吉灯台に行きます。
大垣は水の都です。
大垣城を訪れたことが無いので はっきりしたことは分りませんが 城を囲むようにして水路があるので 城のお堀だったかもしれません。
湧水が何カ所かあります。
奥の細道の結びの地でもあります。
関ヶ原の戦いでは 初め石田三成が陣を置いたと言う歴史もあります。
桜が満開ですが雨に打たれて不思議な風情です。
ここは 川湊になります。伊勢湾に案外近いですからね。
今はこの水路を利用して桜見物の船が出ます。
桜が 散るも 水門が開いているのか流れが速くて 花筏は出来ません。
花の絨毯は出来ています。
住吉灯台は1840年に作られたそうです。 江戸時代ですね。
比較的歴史が浅いといえども200年弱の間 その美しい姿で水門川を守ってきたのです。
さすがに これだけ雨に打たれると 歩いて駅まで・・・と言う気にもなれず タクシーで帰路へ
思いがけず 幽玄の世界を見ることができた と言うことで楽しい思い出に成りました。