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Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

枯木灘を読んで

2004-09-19 01:18:45 | 日記・エッセイ・コラム
Tさんへ
枯木灘読み終わりました。
Tさんが心配してくださるほど描写についてはさほど驚いたり 不快な思いはしませんでした。
私だっておばさんだし いまさら。。。むしろ 全体の中で絶対必要なものだったと考えます。
性を冗談の種にして ニヤニヤしている誰かさんは 大嫌いですけどね(そんなときはしばらく近づかないようにしています)
何度も何度も読み返しました。
話が難解というわけではなく 場面から場面 時と時の突然の移り変わりが多かったり 夢想と現実との区別が付きにくくなったからです。
本を読んでもTさんのような立派な感想が書けるわけではないのですが 感じたことを少し書いてみたくなりました。
読む前にとてもふしぎだと 思った複雑な人間関係。
母と其の子供達 父と其の子供達 其のどちらにも属しないでいる其の男の子供  子供の時から其の男と暮らしたことなどないのに からだで自分の血を感じていた。
或る意味で世渡り上手で 無邪気に振舞って自分の居場所を作っていた秋幸
現場監督として 仕事が好きで 人々の信頼を得ていて そのまま幸せな一生が送れるはずだった。
彼がなぜ 秀雄を殺さなければならなかったのか?
正当防衛に見えた其の好意は 秋幸がある瞬間から 何かがはじけたと感じているように 其の男との確執がぶつかったものに違いない。其の男を憎み 地をうらみながら 本当はいつも其の男を意識し からだや 心から切り離すことが出来なかった。
一番憎み 軽蔑しながら 本当は一番其の男を愛していたに違いない。
だから破壊すべき相手は 友一ではなく 其の男や 自分にとても似ている秀雄だった。  そんな気がします。
秋幸を苦しめたさと子との交わりも ひょっとしたら紀子との交わりよりも強いものだったのかもしれない。と考えるのは考えすぎでしょうか?
ともあれ 始から自分の非ではないリスクを背負って聖と性と生を紡いでいくことがどのようなものだったのか はかり知れません。
本の中の言葉を借りるなら永遠に勃起し続ける性器から生まれた秋幸は 其の性器を忌み嫌い 苦しみながら やがて戻ってきたとき 其の男と同化するようなふうに 其の男が夢想する場面があったけれど どうでしょう?
あながち はずれではないような気がするのですが。
あれだけ秋幸の弟のようにいつも付いて歩いていた徹だって 自分の不都合を隠してくれた秋雪を生きるために 自分のために消し去っていくのですから。
Tさん やっぱり 熊野へ ご一緒しましょう
Tさんが行きたいとおっしゃっていた熊野三山もですが 花の窟やコトビキ岩など原始信仰が色濃く感じられる熊野はこの本の生と性と聖の必然を感じられる土地です。
あまりうまく言えないし 少しへそ曲がりなのでゆがんだ感じ方かも知れませんが これが私の感じ方です。
最後に 余談ですが 男の支店で書かれているので ビジュアル的にかなりどきどきしたり いくつかの暴言を許せないと思ったり。。。
女は(私は。。かも知れません)そこまで頭の中も体も 性への要求はあふれていませんよ  断じて! 声を大にして言います。
って向きになるほどのことではありませんが
久しぶりに読みごたえの或る本をご紹介いただきました。
今次の本を注文中です。
若くしてなくなったこと 惜しまれますね!

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