こういう道大嫌いです。
途中散策路とあって左に上る道がありましたが 効率よく北城にたどり着けるかどうか分からないので ぐっと我慢のアスファルトの下りです。
こんなに下って 又登るんだぜ いえぃ
と空元気で・・・・
散策路のおしまいは馬池で一緒になりました。 あ~あ 馬池 今は池の真ん中にも木を植えてしまったので池が分からないけれど 今でも隅っこから水が湧き出してきて渇水期でも枯れたことが無いんだって
ここまで苦労して登ってきた馬をねぎらい水をあげた場所だそうだ。
地図を見て驚いた。 何と大きな城だったことか? 北城だけでなく南にも城が築かれている。
南の城は尾根に沿って縦に築かれているので連郭式山城と言い この北城は本丸を中心に郭を巡らしてある環状式山城と言うんだって
城の形式から言って北城の方が後で出来たのではないかと・・・・
標高520は城としては高すぎるんじゃない? 中世の豪族十市氏が築いた山城
後に松永氏 秋山氏が入場 織田信長によって廃された。どっちにしろ 奈良県に残る城跡としては信貴山の次にでかいんだって。
信貴山前に行ったときそんなに大きいと思わなかったけれど ま何処まではお寺で 何処までがお城かよくわからなかったから仕方ない。
南小口と思われます。 土塁の横にあります。 ここの小口は円形をしていて 下から来ると土塁が右 左に互い違いになっていて先へ進もうとすると弓の手が逆手になって攻めにくいのだとか
見上げると辰巳の櫓が 高くそびえ立っていました。
本丸への階段は急です。 いえ 現代の道ですがね 沢山の人々がここを訪れた証拠でしょうか壊れて登るのが大変 降りるのはもっと危険です。
子供ならサッカーも出来そうな広さ 上から覗くと郭が あちこちにあるのが見える。
なぜか場違いなフィールドアスレチックのような遊具も置いてある。
十市氏はここからの奈良を見て何を思っていたのでしょうね?
この地を我がものと思っていたら滅亡の日がやってくる。
戦国の世の習いだけれど
この地にジャンジャン火伝説って言うのがあるらしい。 長岳寺の血染めの天井に続き少々オカルトっぽいけれど
十市氏の怨霊が火の玉になったと その火の玉は今にも雨が降りそうな夏の夜に現れ見たり叫んだりすると襲われるとか・・・怖っ!
さて今度は南の城跡まで行かないと・・・ アスファルトの道をたらたらと上って行く。 しかし 覚悟していたからか 案外何でも無かった。 ほっ
奈良にも長いことお済みになっていらしたのですね?
それは素敵な時間を過ごせましたね 奈良は地味だけれど 何となく心が和む場所で私も好きです。
甘樫の丘ですか? 私 今週体調が戻っていれば大和三山行ってみるつもりです。 甘樫の丘まで行けるかどうかちょっと分かりませんけれど
HP始める前の事で、単身赴任していたから奈良にも家があって、週末はあのあたりの低山のぼりまくってたわ。何にも考えずにね。
私てきには甘粕の丘が好きだったわ。
不覚にも熱を出してしまって一日寝て過ごしました。さえ様は風邪大丈夫ですか?
あの広場って北城跡ですか?
確かに広いですよね? 焼き肉広場ねぇ・・・・あの斜面をどうやって材料運んだんだろ? って興味津々
さえ様の過去のレポ見たけれど見つからなかった。 さえ様がどんな風に感じていらしたか 興味あるな