私は会津若松についてほとんど知識が無いことをこの場所に来て知った。東北の盆地にひっそりと佇む古い町ぐらいの認識でいたのに 全然違っていた。 きらびやかな町ではない。
落ち着いていて それでいてモダンな町。 そんな印象の町をハイカラさんバスで回る。
会津若松を回るバスは三種類 茶色のレトロバス ハイカラさん 赤いバス あかべぇ 黄色いバスエコろん号
回り方はそれぞれに少しずつ違うけれど 500円で乗り降り自由。 チケットを見せると観光施設の割引きもあってこれを使わない手は無い。
ハイカラさん号は町中をほとんど網羅している。 古い町並みはレトロでおしゃれな建物がいっぱいで落ち着いて乗っていられない。
特に七日町通り。藩政時代西の玄関口であったと言うこの通りには 洋館がいっぱい建ち並んでいて とても不思議。 白木屋 レオ氏郷南蛮館 鶴乃江酒造 渋川問屋 駅カフェ
あかん こんなにすてきな建物がいっぱいなのにバスに乗っていては写真さえ撮れない。 降りよ
七日町通りに心を残しながら 降りたのは野口英世青春通り なんて名前なんだ
これは會陽医院をアンティークなカフェにしている会津一番館 野口英世の手の手術をした病院で その後ここで書生としてここの二階にすみこみで暮らしている。
初恋の山内ヨネさんのおうちもここから近い。 映画遠き落日を見たことがある。 牧瀬里穂さんが綺麗なヨネさんを演じていた。
蔵を改装した様子のお店がいっぱいである。 私の家の蔵は白だった 蔵は白いものだと思っていたので黒い蔵はおもしろい。 余計にシックで重厚なかんじがする。 手前は洋食レストラン 奥にそば屋さん
さらに行くと小公園がある。 何にも無いところだけれどね
ここの花壇は東京の会津藩中屋敷の舟入場に気づかれていた石垣を持ってきて作ったそうです。と言うことは東京にはもう無いのでしょうか? せめて二段積むと雰囲気がでるのに・・・・
野口博士も 人生を決めた青春通りで町を眺めている。
「おなか空いた」と騒ぐ亭主にゆっくり散策ができない。
しょうがない おそばでも食べますか?
とても気になった店があったのだけれど 戻るには遠すぎて蔵造りのおそば屋さんに入る。
大阪屋伊兵衛 ここは江戸末期に旅館として営業していたらしく 宿に残る落書きが売りになっている。
落書きは保護のためにガラスがはめられているのでわかりにくい。
亭主は会津の色んなもの盛り合わせたそば定食
そばの味は? コメントを避けよう。 好みもあるしね。
この後歩いて会津城に行こうという事になり 地図を上にしたり反対にしたりして歩き出す。
9月17日
早速ありがとう。m(_ _)m
その日は常念岳~蝶が岳を
歩いてました。
実は会津磐梯山も蔵王山も
観光でしか行った事がなくて、、(^_^;)
登ってみたい山です。
東北は鳥海山、月山、安達太良山、
飯豊山、栗駒山、西吾妻山に
登ってます。
実は来月中旬、和たん達と
森吉山や秋田駒ヶ岳に行ってきます。
今年は充実した一年になってます。
また、ご一緒しましょうね。
野口英世は国語の授業で習い、なんとなく覚えてます。”てんぼう”って虐められてたんですよね ここで手術したんですか
この後会津城ですね 私もそのうち熊本城見に行こうと思ってるんですが・・
ゆっくり歩いてみたいですね(*^_^*)
今日羽田空港で天ぷらうどん食べました。
うどんと天ぷらが別々にあって、え~!美味しいねって食べました。
どらさんの食べた天ぷらに似てますわ。
ジオンさん長かったのでどこかですれ違ったのではないかと・・・・
蔵王山登った事が無いのが不思議です。只 思ったより低い山で イメージと全然違っていました。磐梯山は ジオンさんが登りたくなるような山かもしれない。 特に裏磐梯を見てそんな気がしました。
月山いらしたのですね? その山麓の肘折温泉に泊まりました。それだけで大興奮でした。
会津若松は歴史的にとても興味ある場所でした。半分も見られなかったのが残念ですが 案外このあたりに(三河や尾張)にも縁がある場所でした。
何年か前にやった遠い落日って言う映画ご存じですか?
この映画で私の野口英世観がもの凄く変わりました。どういう風にかというと。。。今は言えません。
会津城は リフォーム中?で すっぽり布が被さっていましたのであんまり感激はしませんでした。でかい城でした。
千葉からは近いですか?茨城を越えてその上?ですか? じゃぁ行けますね。
町としてはおもしろいと思います。若い子も十分楽しめる町です。
観光用のバスも十分に用意されています。
今回の旅行でおそばをいっぱい食べました おそばはあたり外れが多いのですが(好みに合わないだけです) 今回は何処も美味しかった。
減反で稲からそばに変わる農家が増えて100セント国産のそばが打てるようになったのだそうです。
天ぷらうどん美味しいよね? 天かすもだしのうちと思ってますから
武家屋敷なども、良く保存されていました。
ならぬことはならぬのです・・・その精神が今も生きている町だという気がしました。