今更韓国良好の続きを書くのも変だけれど 何しろ暮れのどさくさで書けないでいたので 書き終えてしまおうとパソコンに向かう。
今日はよいお天気で せめて猿投山にでも行きたいなと思っていたけれど 思い切ってうちにこもることにする。 お布団干して お掃除して。。。。 さ 初めよう
仏国寺は先に行った石窟庵の麓にある。
仏国寺は金大城が現世の親である金分亮の為に創建したものだという。さっきの石窟庵は前世の親のために作ったという。 私の前世の親ってどんな人だったのだろう?そう言う考え方分からないから やっぱり私の親はあの二人だけだ。 間違いない。
よほど大きくて立派なものだったらしいけれど文禄の役で石造物だけを残して 消失してしまったのだと・・・ 秀吉の朝鮮出兵は韓国の人のだいじな宝物を無くしてしまった。言葉や文化を否定されるに等しい行為で韓国に人々の心をどれだけ踏みにじってしまったか・・・
山門をくぐると参道のように池の端を歩いていく。 池は昔は東西に広がって立派なものだったらしいけれどいまでは ただのため池のようになってしまっている。
天王門をくぐる。四天王が入ってくる人を見張っている。 にほんのお寺では 金剛力士像が多いけれど そう言えば日光でも 四天王が門で見張りをしていたような気がする
さらに参道を進むと 大きな横に長い階段に出会う。 石組みの美しい階段で 全体としては日本のお寺に似ているのに ここではやはり韓国のお寺なのだと言う感じを強くした。
向かって右の階段は33段(ちょっと記憶に曖昧なところも) 大極殿に繋がっている。大極殿は仏様のお話が聞けるとことなのだそうだ。 左の階段は16段で 極楽殿に繋がっている。階段には途中に踊り場がついていてちょっと珍しい階段。 登ってみたいけれど大事な遺産だからね 右の方を回っていく。大極殿の手前には立派な多宝塔と釈迦塔があるのだけれど 多宝塔はただいま修理中。
おしゃれな建造物に見える。
一つは魚の形をした音を出すもの(なんて言うんだっけ?)
小さな青銅の鐘
太鼓
釣り鐘 釣り鐘もここにはおいて無くて 博物館に安置されている。
韓国の釣り鐘はおもしろい。 遠目に地面においたあるみたいだったので どうやって音を響かせるのだろうと思っていたら 近くで見て納得 地面に共鳴の為の穴が開けてある。
日本のお寺のように撞木にぶら下がって全身で叩くというような様子はここでは無いらしい。この鐘はどんな音がするのだろうか? 地の底から響くような音がするのだろうか? 無説殿から階段を上って観音殿 毘慮殿と回る。回廊で繋がっている様式は 法隆寺や薬師寺を思い出させる。
回廊は仏様に近づきすぎないようにとの配慮から生まれたらしいのだけれど これがみられなくなったのはいつ頃からなのだろうか?
全体に感じるのは 日本のお寺の様な重厚さよりも 飾り物の美しさだ。もっとも むかしのものは残っていないので 再現したものだし 新しいと言うこともある。薬師寺に行ったときに感じた。むかしの人々はこの美しいお寺をみながら 極楽のように感じていたのでは無いだろうか? それと同じような感じを持った。
おもしろいもの発見
堂宇の裏手に 石積みを見つけた。賽の河原みたいなものだろうか? 日本と同じようなものがここにもあった。
石棺かと思ったけれど 祭事に使う野菜や器を洗う場所なのだそうで いまは水場のようでは無いけれど ここで神聖な作業を行っていたらしい。
すぐ横に ストーンヘンジの様な石が立っている。
石柱の下の方に穴が開いている。 そこの竿を通して旗を立てたらしい。
そう聞いても すぐにどんな様子なのか想像は出来なかったけれど。
全体を割合丁寧にみることが出来て 池を通り入口に戻る。
ガイドさん世界遺産の 石碑を撮れと言う。 彼女にとって 誇りなんだな このお寺は
この前で写真を撮ると、どんな醜男でも、
イケメンに写ります。
梵鐘の説明を聞きましたか?
娘達が子供のころ、ここへ連れて行ったのですが、説明を聞いて泣き出してしまいました。
この様な大きな梵鐘を造る技術は、当時無くて、何回も失敗したそうです。
ある坊さんが、子供を生贄にしなさい、と教えたために、女の赤ん坊を鋳込んだところ、成功したそうです。
この鐘の音は、赤ん坊の泣き声ににていると言うことです。
子どもを生贄って 何て事言う坊さんだ~~
本当にそんな事したんだろうか? 女の子の命が未来永劫この鐘の響きに宿るとか言われて。。。