「伊予の小京都」は観光パンフレットにあったのだけれど 実際歩いて見て感じたのは小京都と言うよりはもう少し時代の新しい明治大正の色を強く感じた。
とは言え城下町である。戦国時代から戸田勝隆 藤堂高虎 脇坂安治 加藤貞泰と城主が変わり明治維新になる。一国一城の決まりによる城郭廃止例から免れたけれど あまりに傷みがひどくて明治21年には取り壊されたとのこと。
平成16年に資料を基に復元したものである。
息子が「大洲へ行くならふじどうたかとらの城も行くんでしょ?」
「アホか とうどうたかとらじゃ。」と言い合った事を思い出してくすっ
息子は歴史には全く無知で時々面白いことを言う。
でも お隣の滋賀県出身で 三重県のお殿様でもあったのだからもう少し知っていて欲しかった。
石垣はとても立派なので 往時はかなり大きな城が建っていたのだろうなと思う。
天守は復元されたものですけれど繋がっている台所櫓 高欄櫓は重要文化財になっているので昔のまま残っているのですね?
おや? 玄関下駄箱がめちゃ豪華です。 ちょっと違和感あります。
復元されたのが2004年と言うから仕方ないのかな?
天守はあまり見るべきものがなかったのが残念。 一回には城を作っている様子がジオラマ風に
後は一番上まで全国の城の写真を並べてあるだけでした。
いろんな資料はどこかに展示してあるのでしょうか?
お城のおじさんの案内で町の駅あさもやに来ています。
ここが大洲散策の拠点らしい。
ここに二つの散策の提案がありました。江戸幕末期を訪ねるコース。
明治大正を訪ねるコース。
ここで江戸のコースを選べばもっと大洲の歴史が分ったに違いありません。私達が大洲を明治大正の色を強く感じたのはこのコースを右の方へ行ったからに違いありません。
おはなはん通りから臥龍山荘へ行き 赤煉瓦館 ポコペン横町などを回って戻ってくる予定です。
おはなはん通りです。
子どもの頃見ていたNHKの朝の連ドラの舞台のようです。
いーつでも あーかるく~♪
うろ覚えですがテーマソングも覚えていますよ。倍賞千恵子さんが歌い ヒロインは樫山文枝さんでした。
ふ~~ん ここが舞台だったのかぁ
この通りの肱川側に商家 反対側に武家屋敷が並んでいるのだそうです。 立派な家が並んでいます。
蔵が並んでいます。
この辺も内子と同じように蜜蝋や繭で栄えたそうです。
回りの町並を見ているとどのくらい賑やかな町だったのか想像が出来ます。
蔵は白壁と思っていた私達にとって新鮮な色です。優しい感じです。
臥龍山荘へ向かいます。