読者の方が増えれば増えるほど
影響力は強くなる。
当然の話だ。
一語一句に気を配らないと、とんでもない誤解を招く。
政治家や芸能人の発言ほどではないにせよ、
身近な人に不快感を与えたり、時に傷つけてしまう。
物言えば唇寒し(Out of the mouth comes evil) というが、
「物書けば心寒し」とでも言おうか。
何度か言われた。
「人のことは書かない方が良いよ」と。
ほとんどの人は人との係わりの中で生きている。
そうすれば人のネタを書かざるを得ないときもある。
直截的な悪口雑言は書かないが、
自分の心に正直であればあるほど批判的になることだってある。
もちろん心底褒め称えることだって書いている。
一般論で、当たり障りのないことや
綺麗ごとばかりを並べた文章ほどつまらないものはない。
そういう人ほど、書いていることとは程遠い人生を歩んでいるものだ。
――――――――――――――――――――――
ボクはこのブログにおいて、
敢えて自分をさらけ出すことを身上としている。
心の内の悪や卑猥さを正直に書く。
それがいけないというのなら、断筆するしかないだろう。
断酒、断女の次は断筆か。
いや、それはない。
何のための断酒、断女なのか。
書くためである。
書いて発行するために自分に課した決断だ。
よって、このブログを書くことでぼく自身が損をすることも多々ある。
エッ、そんなワルい人だったの?
とか
そんなエロい人だったの?と思われる節が多々ある。
自分のことはまだいい。
他人様のことを書いて、その対象者が悪く思われることは極力避けたい。
匿名にしたりして気を使うが、
どうしても身近な人には特定の人の察しが付く。
その場合、ボクの方が批判の矢に晒される。
書いて損をするのだ。
だが、そこだけに目を向けると書かない方が良いのかもしれないが、
書くメリットの方に目を向けると
書かないよりも歴然として多くのメリットがあることに気付く。
だから書き続ける。
極力人を傷つけないよう気は配るが
もし相手を傷つけてしまったとしても
ボク自身も同じかそれ以上に傷つくのだ。
それを覚悟で今日もブログを書いている。
―――――――――――――――――――――――――――
人に嫌われないように、憎まれないようにすることは必要だ。
だが、そればかりに気を配って生きているとストレスになる。
いい子を演じている人はウツになりやすい。
それより、
自分が人を嫌いになったり、相手を憎んだりしないようにした方が良い。
ボクを嫌う人はいても、
ボクが嫌いな人はこの世にはいない。
たぶん、ボクを嫌う人は、邪(よこしま)な心の持ち主なのだ。
またこういうことを言うから、余計に嫌われるのだろうが。
ボクを嫌う人より、
ボクを好きな人、愛してくれる人の方が多い。
そう言い切れる。
でなきゃ、こうして生きていられないでしょ。
そのうち死にますけど。
ざまあ見ろとか、ホッとしたとかいう人もいるだろうけど、
死人に耳無しだ。
(ちなみに「死人に口無し」は dead men tell no tales)
死んでしまえばそんなことはどうでもいい。
よく自分の葬式をイメージしなさい、といわれる。
誰も来ない。
後は野となり山となれの心境。
I don't care what follows.
The future will take care of itself.
それよか
大事なのは、生きている今でしょ!
今を生きる。
それも自分らしく。
この瞬間、瞬間を必死で生きる。
文字通り、必ず死ぬ覚悟だ。
そして、死ぬ直前にこっちから言ってやる。
ざまあ見ろ!
Look at you!
Serve you right!
【独り言】
これで確実にまたボクを嫌う人が数人増えたな。
Who knows?
I don't care.
Never mind.
【余談】
Coffin Therapy (コフィンセラピー)って知ってます?
棺桶に入ると癒されるらしいですよ。
やってみようかな。
葬儀屋さんに行ってみよう。
友達いるから。
ちなみに、棺桶は主に米国では a casket といいます。
影響力は強くなる。
当然の話だ。
一語一句に気を配らないと、とんでもない誤解を招く。
政治家や芸能人の発言ほどではないにせよ、
身近な人に不快感を与えたり、時に傷つけてしまう。
物言えば唇寒し(Out of the mouth comes evil) というが、
「物書けば心寒し」とでも言おうか。
何度か言われた。
「人のことは書かない方が良いよ」と。
ほとんどの人は人との係わりの中で生きている。
そうすれば人のネタを書かざるを得ないときもある。
直截的な悪口雑言は書かないが、
自分の心に正直であればあるほど批判的になることだってある。
もちろん心底褒め称えることだって書いている。
一般論で、当たり障りのないことや
綺麗ごとばかりを並べた文章ほどつまらないものはない。
そういう人ほど、書いていることとは程遠い人生を歩んでいるものだ。
――――――――――――――――――――――
ボクはこのブログにおいて、
敢えて自分をさらけ出すことを身上としている。
心の内の悪や卑猥さを正直に書く。
それがいけないというのなら、断筆するしかないだろう。
断酒、断女の次は断筆か。
いや、それはない。
何のための断酒、断女なのか。
書くためである。
書いて発行するために自分に課した決断だ。
よって、このブログを書くことでぼく自身が損をすることも多々ある。
エッ、そんなワルい人だったの?
とか
そんなエロい人だったの?と思われる節が多々ある。
自分のことはまだいい。
他人様のことを書いて、その対象者が悪く思われることは極力避けたい。
匿名にしたりして気を使うが、
どうしても身近な人には特定の人の察しが付く。
その場合、ボクの方が批判の矢に晒される。
書いて損をするのだ。
だが、そこだけに目を向けると書かない方が良いのかもしれないが、
書くメリットの方に目を向けると
書かないよりも歴然として多くのメリットがあることに気付く。
だから書き続ける。
極力人を傷つけないよう気は配るが
もし相手を傷つけてしまったとしても
ボク自身も同じかそれ以上に傷つくのだ。
それを覚悟で今日もブログを書いている。
―――――――――――――――――――――――――――
人に嫌われないように、憎まれないようにすることは必要だ。
だが、そればかりに気を配って生きているとストレスになる。
いい子を演じている人はウツになりやすい。
それより、
自分が人を嫌いになったり、相手を憎んだりしないようにした方が良い。
ボクを嫌う人はいても、
ボクが嫌いな人はこの世にはいない。
たぶん、ボクを嫌う人は、邪(よこしま)な心の持ち主なのだ。
またこういうことを言うから、余計に嫌われるのだろうが。
ボクを嫌う人より、
ボクを好きな人、愛してくれる人の方が多い。
そう言い切れる。
でなきゃ、こうして生きていられないでしょ。
そのうち死にますけど。
ざまあ見ろとか、ホッとしたとかいう人もいるだろうけど、
死人に耳無しだ。
(ちなみに「死人に口無し」は dead men tell no tales)
死んでしまえばそんなことはどうでもいい。
よく自分の葬式をイメージしなさい、といわれる。
誰も来ない。
後は野となり山となれの心境。
I don't care what follows.
The future will take care of itself.
それよか
大事なのは、生きている今でしょ!
今を生きる。
それも自分らしく。
この瞬間、瞬間を必死で生きる。
文字通り、必ず死ぬ覚悟だ。
そして、死ぬ直前にこっちから言ってやる。
ざまあ見ろ!
Look at you!
Serve you right!
【独り言】
これで確実にまたボクを嫌う人が数人増えたな。
Who knows?
I don't care.
Never mind.
【余談】
Coffin Therapy (コフィンセラピー)って知ってます?
棺桶に入ると癒されるらしいですよ。
やってみようかな。
葬儀屋さんに行ってみよう。
友達いるから。
ちなみに、棺桶は主に米国では a casket といいます。