世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

都心に別荘を!?

2013年07月20日 | ライフスタイル
別荘を持つことは一種のステイタスだった。

そして、別荘=田舎というイメージが強かった。


ところがどうだ、

今は、都心、街中に別荘を持つことがステイタスとなってきている。


あるいは、田舎や郊外から都心へ越す。

いわゆる街中回帰だ。


自然回帰が持て囃された時代もあった。


田舎暮らしの本がよく売れた。

そしてガーデニングや家庭菜園を楽しむ。



郊外に家を買い、都心の職場へ通う。

通勤(痛勤)地獄を味わいながら。


一時間も、時にはそれ以上も吊革につかまって。

そして稀に痴漢に間違われて捕まって。

笑いごとでは済まされない。



子供をゆったりとしたところで育てたい。

そうした願望もあったのだろうか。




ところが今、都心へ戻ろうといった機運が強くなってきた。

それは、地方都市であれ、街の中心部が好まれる。


特に一人暮らし。

高齢になればなるほど、その傾向は強い。




地方都市にコンパクトシティとして都市機能を持たせる試みも始まっている。

だが、中途半端な気がする。


街中にはすべての機能が凝縮されている。


銀行、郵便局、病院、コンビニ、レストラン、居酒屋、バー、カラオケ屋

美容室、マッサージ、整骨院などなど。

Wi-Fiも充実してきた。


習い事だって、歩いて聞ける距離にいくらでもある。

英会話はもちろん、楽器、ダンス、ジム、ヨーガ、

美術館、図書館・・・・・・。


都会のオアシスが広がる。


      こんな感じって、どうよ!?



交通網も発達しているので車はいらない。

高齢になればほとんどの公共交通機関や施設がただ同然で使える。


街中で深夜まで飲んでも、そのまま歩いて帰ってバタンキュウ。


歳をとっても元気でさえあれば、得する社会保障の世の中。


ただ、その社会システムがいつまで続くかは定かではない。

それはアメリカのデトロイトの例を待つまでもない。

日本の夕張の例もある。


国では、ギリシャの例もある。

今や個人レベルの問題ではなくなってきている。


だからこそ、何処でも生きていけるサバイバル力を身につけなければならないのだ。


選り好みや好き嫌いの多い人間に未来はない。





一方、一人暮らしでも退屈しない。

ただし、人ごみにいても時に孤独感に陥ることはある。


それは田舎も同じ。

所詮、人間は孤独な生き物なのだから。



だから、孤独を楽しむには田舎より都会の方が適している。

有難迷惑なおせっかいもいない。



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ボクはもともと町っ子だ。

熊本の中心地で生まれ育ち、

大学は大阪、

就職は東京だった。



そして30歳を機に田舎暮らしが始まった。

阿蘇、久住、そしてまた阿蘇へと。


故郷である熊本市内にも住居を構えた。


そして、ここ数年、

田舎から街中へ

ボクの生活の中心がシフトしている。


海外の店も、あの喧騒とカオスのハノイの中心地、オールドクオーター(旧市街)のど真ん中。







まだ阿蘇の自然の中に生活の拠点の一部は残っているが、

ボクの中でも自然離れが徐々に続く。




はっきり言って何処がボクに家なのか分からなくなってきた。

住所不定。


仕事も何が本職なのか。

全てが副職?といった感じ。


だからといって、どれ一つも手を抜けない。


手を抜けば、即破綻するし人間関係も崩れる。

気の抜けない緊張の日々は続く。


そして新たなチャレンジ。


この絶妙なバランスが、適度なストレスとともに

健康と若さを保つ。



【追記】


老後や余生というものがあるならば、


それを限界集落で過ごすか

喧噪の都会で過ごすか。



今ボクは、迷わず後者を選ぶ。

ただ、旅を続けることでそのすべてをカバーすることができる。


これがボクが提唱する「スイッチライフ」の神髄だ。