ボクは何故、スケベ、エロオヤジと言われるのか。
そして、女性に「あの人には気をつけなさい」と言われるのか。
その心は、武士道精神(THE SOUL OF JAPAN)にあると見たり。
新渡戸稲造の「武士道」によれば、
武士道精神とは
① 義(rectitude)もしくは正義(justice)
② 勇気、勇猛心と忍耐
③ 忠誠の義務
④ 品性の形成(to build up character)
⑤ 克己心(セルフコントロール)
⑥ 不屈の精神
などが挙げられているが、
ボクが注目したのは
「惻隠(そくいん)の情」である。
惻隠とは、 かわいそうに思うこと。同情することの意である。
武士道によれば、
「惻隠の心((the feeling of distress」は、
いたましく同情する心で
相手の立場に立ってものごとを感じとるという感覚上の自然の性格の発露とされる。
そして、愛、寛容、他者への愛情、同情、哀れみは、
常に至高の徳として認められてきた。
また、「仁」は、優しい母のような徳であるが、
孟子は「惻隠の情は仁のルーツである」と言った。
か弱き者、敗れたる者、虐げられた者への仁の愛情は、
とくにサムライに似つかわしいものと称揚された。
また、夏目漱石曰く、
「可哀相とは、惚れたということよ」と。
つまり、惻隠の情は、
愛という心情に結びつき、
「他人を愛する」という博愛の精神と同類型の心の動きなのだ。
社会生活を送る際にも、家庭生活を過ごすのにも
この「愛の精神」が根幹にあって大きくすべてを包んでいる。
また、『情緒と形』とは、
自然に対する感受性、無常観、もののあわれ、美的感受性や情緒など、
日本人特有の感性によって育まれた、
慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠、名誉、恥などであり、
それは一定の精神の形として、日本人の行動基準、判断基準となってきた。
―――――――――――――――――――――――――――――――
ボクは特に海外を旅するとき
この日本人としての矜持に支えられる場面が多い。
特に「惻隠の情」はボクの心を大きく支配している。
そしてまた、ボクの周りには
か弱き者、敗れたる者、虐げられた者がいかに多いことか。
ボクは、女性に限らずすべての人々に
愛、寛容、許容、同情、哀れみを感じ、それを表現するのに憚らない。
それが特に女性において
漱石のいう
「可哀相とは、惚れたということよ」となって受け取られるのではないだろうか。
それは悲憐の思想と相容れ、
愛の「当為(Sollen)」性として表面化するのだろう。
さらにそれはカントが主張する
真・善・美などの価値の当為性であり、
なんと、プラトン的エロスに繋がる。
こうしてボクが俗にエロオヤジと言われる所以が
弁証法的に実証されたといえよう。
例え、こじつけと言われようとも。
【今日の結論】
つまり、
ボクのスケベ(と俗人に言われる)の根源は
なんと
儒教の教えであり、武士道精神にあり。
それも特に
「惻隠の情」にあったのだ。
しかも、古来、哲学として立証されているではないか。
誤解を恐れてはならない。
「すべからく愛を惜しみなく与え、それを憚ることなかれ」
by Asay
そして、女性に「あの人には気をつけなさい」と言われるのか。
その心は、武士道精神(THE SOUL OF JAPAN)にあると見たり。
新渡戸稲造の「武士道」によれば、
武士道精神とは
① 義(rectitude)もしくは正義(justice)
② 勇気、勇猛心と忍耐
③ 忠誠の義務
④ 品性の形成(to build up character)
⑤ 克己心(セルフコントロール)
⑥ 不屈の精神
などが挙げられているが、
ボクが注目したのは
「惻隠(そくいん)の情」である。
惻隠とは、 かわいそうに思うこと。同情することの意である。
武士道によれば、
「惻隠の心((the feeling of distress」は、
いたましく同情する心で
相手の立場に立ってものごとを感じとるという感覚上の自然の性格の発露とされる。
そして、愛、寛容、他者への愛情、同情、哀れみは、
常に至高の徳として認められてきた。
また、「仁」は、優しい母のような徳であるが、
孟子は「惻隠の情は仁のルーツである」と言った。
か弱き者、敗れたる者、虐げられた者への仁の愛情は、
とくにサムライに似つかわしいものと称揚された。
また、夏目漱石曰く、
「可哀相とは、惚れたということよ」と。
つまり、惻隠の情は、
愛という心情に結びつき、
「他人を愛する」という博愛の精神と同類型の心の動きなのだ。
社会生活を送る際にも、家庭生活を過ごすのにも
この「愛の精神」が根幹にあって大きくすべてを包んでいる。
また、『情緒と形』とは、
自然に対する感受性、無常観、もののあわれ、美的感受性や情緒など、
日本人特有の感性によって育まれた、
慈愛、誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠、名誉、恥などであり、
それは一定の精神の形として、日本人の行動基準、判断基準となってきた。
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ボクは特に海外を旅するとき
この日本人としての矜持に支えられる場面が多い。
特に「惻隠の情」はボクの心を大きく支配している。
そしてまた、ボクの周りには
か弱き者、敗れたる者、虐げられた者がいかに多いことか。
ボクは、女性に限らずすべての人々に
愛、寛容、許容、同情、哀れみを感じ、それを表現するのに憚らない。
それが特に女性において
漱石のいう
「可哀相とは、惚れたということよ」となって受け取られるのではないだろうか。
それは悲憐の思想と相容れ、
愛の「当為(Sollen)」性として表面化するのだろう。
さらにそれはカントが主張する
真・善・美などの価値の当為性であり、
なんと、プラトン的エロスに繋がる。
こうしてボクが俗にエロオヤジと言われる所以が
弁証法的に実証されたといえよう。
例え、こじつけと言われようとも。
【今日の結論】
つまり、
ボクのスケベ(と俗人に言われる)の根源は
なんと
儒教の教えであり、武士道精神にあり。
それも特に
「惻隠の情」にあったのだ。
しかも、古来、哲学として立証されているではないか。
誤解を恐れてはならない。
「すべからく愛を惜しみなく与え、それを憚ることなかれ」
by Asay