世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

習うより慣れろ!

2019年08月26日 | 100の力
ずいぶん前から

ボクの周りには心を病んだ人がよく集まってきた。

ボクの何かがそういう人を引き寄せているのだろうか。


あるいは、

そういう人たちを癒すのが

ボクに与えられたミッションの一つなのかもしれない。


障がい者の人たちとも多く係わっている。


だからといって

カウンセラーやセラピスト、ヘルパーといった資格はこれといって特にない。


後付けだが、

独学で勉強はしている。

それ以前から、心理学には興味を持っていた。

今も好んでその類の本を読む。


しかし、

そうして学んだテクニックというより、

親身になってその人のことを考える。


何とかしてあげたいという気持ちが働く。

情にほだされるのだ。


"halp me" と言われると

居ても立ってもいられなくなる。


それでだいぶ騙されもした。

分かっていても、そうしてしまう自分がいる。


それでも性懲りもなく続ける。


同じ病名がついても、

一人一人症状は全く違う。


教科書通りにはなかなかいかない。

ただただ実践で学ぶしかない。


場数と経験がモノを言う。



だいたいどんなことでも10年くらい続けると、

ほとんどのことはそれなりに分かってくる。


あくまでも継続だ。


物書きになったのも、

こうしてブログを毎日欠かさず8年も続けていればこそである。


学生時代は国語が大の苦手だった。

読書も嫌い。


ADHDなので

図書館のようなところでじっと静かにしているのが嫌だった。

(今は好きだが)


回遊魚のように、

とにかく動いていないと、死ぬ。


英会話も海外を放浪しながら徐々に覚えていった。

いわゆる、

現場、実践、場数。


だから、

英会話スクールや語学学校に行こうなんて思わないほうがいい。

水に入らずに水泳を習うようのものだ。


お金、時間の無駄。

それだけのお金と時間があるなら、

海外に飛び出せばいいのだ。

Yes,No,Thank you,Good morning

くらいは言えるのだから。


そこから場数を踏み、

実践で広げていけばいい。



瞑想も、学生時代からお寺に行って坐っていただけだ。

(不思議とADHDでも、お寺は落ち着く)

門前の小僧になればいい。



ここで言いたいことは、

いちいち資格はいらないということ。

(国家資格は別として)


資格貧乏がいかに多いことか。

これも、時間とお金の無駄。


資格を取ってから、何かを始めようなどと考えない方がいい。

やろうと思ったら、

目をつぶってでも、飛び込めばいい。


思いついたら、即行動。


案ずるより産むが易し、である。


実践主義、現場主義に徹すればいい。

実践で、

失敗しながら、恥をかきながらのほうが必死さが違う。

即、判断し、適切な対応をしなければ

命に係わる。


人は自分の置かれている環境によって、

無意識に影響を受ける。


とにかく、

思いついたら即行動に移せばいい。


躊躇は邪悪。