世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

女にモテて、お金持ちになる超簡単な方法

2013年07月23日 | 人生
食欲、眠欲、性欲の3大欲求と同じくらい

「モテたい」、「持ちたい」 は人類発生以来の変わらぬ欲望ではないだろうか。


そのため、男は女を追い求め、

お金持ちになろうと必死で努力する。


お金持ちになれば、必然的に女にモテると錯覚することもしばしばだ。


フェラーリを買えば、フェラ〇◌〇もついてきた??なんてネ。




ところが、金も女も際限はない。


金持ちになればなるほど金を追い求め

モテればモテるほど目移りがする。



大枚をはたきオンナをはべらせ贅沢三昧の日々。

そんなことをするお金持ちはまず長続きしない。


一時の成金ほど手が付けられない。

仕舞には、金の切れ目が縁の切れ目とばかり女は去っていく。


―――――――――――――――――――――――――――――


20世紀は、カネ・モノの時代であった。

金持ち、物持ちが持て囃された。


時代は変わって、今は心の時代。


お金や物の豊かさではなく、

心の豊かさこそが求められる。


だが、悲しいかな、

未だに20世紀の遺物を追い求めてやまない輩がほとんどだ。


革命の足音がすぐそこまで来ているのに、耳を貸そうとしない。



ただ、心豊かになるにも

ある程度モテたい、お金持ちになりたいという心理は働く。




では21世紀、どうすれば心豊かにモテて、お金持ちになれるのか。



その心は、





「欲して求めず」にある。


この心境に達すれば、自ずとモテて、お金も入ってくる。



ところが俗人は、欲しいものは必至で求めたがる。

追いたがる。


付け回す。

まるでストーカーのように。


これでは女も金も逃げていく。



「差し障りなく」、「さりげなく」 がキーワードだ。



【追記】


ボクの推奨する「社会起業」に疑問を持つものがいる。


あるいは、ボクが推し進めるNPOにしてもそうだ。



そこには”お金の臭いがしない”という。

つまり、そん(損)なことやっても儲からないじゃないか、という論理だ。



ボクの意味する「社会起業」、「NPO」の真の意味が分かっていない。


これからの組織はこの2つに収斂(しゅうれん)される。

そしてその形態こそが莫大な利益を生み出すのだ。


ここでいう利益とは、お金だけを意味しない。

「社会性」「生き甲斐」といったものの充実度が意味を成す。


それだけに働き方が今までとは根本的に違ってくる。

ワークライフバランスの問題がこれまで以上に重視されてくる。


それに早く気付いたものだけが、真の幸福(豊かさ)を掴みとるだろう。




【参考文献】



2025年の働き方を提示した『ワーク・シフト』の著者と元マッキンゼーの人材育成のプロが、

これから世界で起こる変化とそれに備える方法について考える。



これからの働き方「3つのシフト」


1.ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ


広く浅い知識しか持ってない「なんでも屋」の最大のライバルは、

ウィキペディアやグーグルである。

未来で成功するには、「専門技能の連続的習得」が求められる。

これからニーズが高まりそうな職種を選び、

高度な専門知識と技能を身につけ、

その後もほかの分野に脱皮したりすることを繰り返さなくてはならない。


同時に、自分の能力を取引相手に納得させる「セルフマーケティング」も重要になる。




2.孤独な競争から「協力して起こすイノベーション」へ


未来ではイノベーションが極めて重要になる。

そのためには、多くの人と結びつくことが必要だ。

カギになるのは、オンラインで築かれる世界規模のコミュニティを指す「ビッグアイデア・クラウド」、

同じ志を持つ仲間を意味する「ポッセ」、

そして情緒面で安らぎを得るための「自己再生のコミュニティ」。

この3 種の人的ネットワークが、創造性を発揮する源となる。




3.大量消費から「情熱を傾けられる経験」へ


所得を増やし、モノを消費するために働く──こうした仕事の世界の「古い約束事」がもはや機能しなくなっている。

先進国の多くの人は、所得がこれ以上増えても幸福感は高まらない。

働くことで得られる充実した経験こそが、幸福感の牽引役になる。

時間とエネルギーを仕事に吸い取られる人生ではなく、

もっとやりがいを味わえて、バランスのとれた働き方に転換しよう。

動じない

2013年07月22日 | 苦境
「かじさん、最近すごく評判悪いですよ」


ボクにそう諫言(かんげん)してくれる素晴らしい友達がいる。

【諫言する】 remonstrate ((with a person about a thing))

諫言は耳に逆らうAdmonitions are not sweet to the ear.



ボクも知っている。

そして、その主な発信元も承知している。


ボクを何とか貶(おとし)めようと悪評をばらまいている輩がいるのだ。


そして同じようにボクを良しとしない仲間(?)とつるんで(hang up with)は

ボクを酒の肴にしてお互いの傷口をなめ合い、

あるいは第三者にブラックメールを送るなどして溜飲を下げている。



だが、残念ながらその挑発には乗らない。


自分が正しいと思うのであれば、堂々とボクの前に出てきて主張すればいいのだ。

眼前でボクを罵倒すればいいのだ。


それすらもできないで、ボクの顔を見ればコソコソと逃げていく。



狭い社会なのだ。

逃げなければいけないような相手を作らないことが大切だ。



意見が違うからといって、相手を悪者にしてはいけない。

相手の考え方を尊重して、自分の意見を堂々と述べればいいのだ。


そしてお互い妥協点を見つけて、良好な関係を保つのが良いのではないだろうか。


ボクは、ボクとぶつかったどんな相手であろうとも、

憎まず、ひるまず接している。


受け入れて許す心も持ち合わせている。


人は誰しも、もちろんボクを含めて多かれ少なかれ間違いを犯すものだ。


それをいちいち、顔も見たくない、口も利きたくない、絶対許さん! 

等と言っていては自ら世界をドンドン狭めていっているようなものだ。


ボクのミッションは、世界中の人と友達になって平和な地球にすることだ。


ちっぽけな諍(いさか)いでグチグチ言っている時間もないし、

そんなことに使うエネルギーも持ち合わせていない。


ボクにはもっと大きな使命があるのだ。





こう書くだけでも、カチンときている奴はいるだろう。

どうぞご勝手に。



ここでカチンときた時の対処法を。

まず、深呼吸。

時間があれば、瞑想する。


そして、3Sを実行する。

3Sとは、


forget, forgive and  forward

忘れて、許して、前進あるのみ。


自分の悪口を言いふらされたからといって、

むやみに反論したり、言い訳がましいことを言うことは

相手のちっぽけな土俵に上ることになる。


そうしたくだらない奴は多いけど、

放っておいても自滅していくから心配ない。


現実、例外なくそうなっている。

可哀想だが、仕方がない。

墓穴を掘っているのから(dig one's own grave)。




さて、これでぼくの悪評もまた一段と広がるだろう。




【追記】


ボクもたまに人の悪口を聞かされることがある。

そしてそれを聞いているほとんどの人が、悪口を言う人に同情し

一緒になって、


「そんな悪い奴なのか、あいつ」

「普段は、偉そうなことを言っといて、影では悪党かよ!」

みたいに助長する。




ボクはいつも逆だ。

人悪口を言う人はまず信用できない。


そして、悪口を言われる人に関心を示す。


こんなに悪口を言われる人って、どんな人なんだろう。


そして、直接会って話をしてみると

結構魅力のある人が多いのだ。



ただ、個性が強すぎてインパクトを与えすぎるきらいがある。


それだけに敵意を抱かせることも。


ただ、多くは嫉妬だ。


儲かっている奴、うまくいっている奴を見ると

無性に腹を立てる。


なんとなくわかるような気もする。


それは誰しも抱く感情なのかもしれない。

だが、それを悪口として口外してはいけない。



誰しも良い面は必ず持っている。

そして、悪い面もそれ以上の多く持っている。



だからこそ、

少なくてもその人のいい面のみにフォーカスすることだ。


無理やりでもいいから、人に会ったらいい面を探すことだ。

そして、その人のいい面の印象だけを残しておく。


そうすることで友達の輪は無限に広がっていく。

しかも、長続きする。



一時の感情で意気投合しても

些細なきっかけで罵倒し合う関係を築いてしまうことはよくあることだが、


そうならないためにも

上記の 3S (forget,forgive and forward)を肝に銘じておきたい。

怒涛の日々

2013年07月21日 | ライフスタイル
先週からずっと午前様の日が続いている。


それも午前2時、3時、そして極めつけは昨夜パーティの後の4時、

片づけが終わってベッドにはいったのが5時だった。










今朝は7時起き。


睡眠時間2時間は堪える。



朝からお客様と話しながら、居眠りする始末。


まだまだ来週もこのペースが続く。

そして、下の店開店準備も急ピッチでしなければならない。






ただ、この調子で行くと暑さと睡眠不足で倒れかねない。


いつ倒れてもいい覚悟はできているものの、

適当な息抜きは必要だ。



開高健の言葉に

「悠々と急げ」というのがある。



確実に、着実に、足元を固めながらボチボチ行くか。

都心に別荘を!?

2013年07月20日 | ライフスタイル
別荘を持つことは一種のステイタスだった。

そして、別荘=田舎というイメージが強かった。


ところがどうだ、

今は、都心、街中に別荘を持つことがステイタスとなってきている。


あるいは、田舎や郊外から都心へ越す。

いわゆる街中回帰だ。


自然回帰が持て囃された時代もあった。


田舎暮らしの本がよく売れた。

そしてガーデニングや家庭菜園を楽しむ。



郊外に家を買い、都心の職場へ通う。

通勤(痛勤)地獄を味わいながら。


一時間も、時にはそれ以上も吊革につかまって。

そして稀に痴漢に間違われて捕まって。

笑いごとでは済まされない。



子供をゆったりとしたところで育てたい。

そうした願望もあったのだろうか。




ところが今、都心へ戻ろうといった機運が強くなってきた。

それは、地方都市であれ、街の中心部が好まれる。


特に一人暮らし。

高齢になればなるほど、その傾向は強い。




地方都市にコンパクトシティとして都市機能を持たせる試みも始まっている。

だが、中途半端な気がする。


街中にはすべての機能が凝縮されている。


銀行、郵便局、病院、コンビニ、レストラン、居酒屋、バー、カラオケ屋

美容室、マッサージ、整骨院などなど。

Wi-Fiも充実してきた。


習い事だって、歩いて聞ける距離にいくらでもある。

英会話はもちろん、楽器、ダンス、ジム、ヨーガ、

美術館、図書館・・・・・・。


都会のオアシスが広がる。


      こんな感じって、どうよ!?



交通網も発達しているので車はいらない。

高齢になればほとんどの公共交通機関や施設がただ同然で使える。


街中で深夜まで飲んでも、そのまま歩いて帰ってバタンキュウ。


歳をとっても元気でさえあれば、得する社会保障の世の中。


ただ、その社会システムがいつまで続くかは定かではない。

それはアメリカのデトロイトの例を待つまでもない。

日本の夕張の例もある。


国では、ギリシャの例もある。

今や個人レベルの問題ではなくなってきている。


だからこそ、何処でも生きていけるサバイバル力を身につけなければならないのだ。


選り好みや好き嫌いの多い人間に未来はない。





一方、一人暮らしでも退屈しない。

ただし、人ごみにいても時に孤独感に陥ることはある。


それは田舎も同じ。

所詮、人間は孤独な生き物なのだから。



だから、孤独を楽しむには田舎より都会の方が適している。

有難迷惑なおせっかいもいない。



――――――――――――――――――――――――――――――――

ボクはもともと町っ子だ。

熊本の中心地で生まれ育ち、

大学は大阪、

就職は東京だった。



そして30歳を機に田舎暮らしが始まった。

阿蘇、久住、そしてまた阿蘇へと。


故郷である熊本市内にも住居を構えた。


そして、ここ数年、

田舎から街中へ

ボクの生活の中心がシフトしている。


海外の店も、あの喧騒とカオスのハノイの中心地、オールドクオーター(旧市街)のど真ん中。







まだ阿蘇の自然の中に生活の拠点の一部は残っているが、

ボクの中でも自然離れが徐々に続く。




はっきり言って何処がボクに家なのか分からなくなってきた。

住所不定。


仕事も何が本職なのか。

全てが副職?といった感じ。


だからといって、どれ一つも手を抜けない。


手を抜けば、即破綻するし人間関係も崩れる。

気の抜けない緊張の日々は続く。


そして新たなチャレンジ。


この絶妙なバランスが、適度なストレスとともに

健康と若さを保つ。



【追記】


老後や余生というものがあるならば、


それを限界集落で過ごすか

喧噪の都会で過ごすか。



今ボクは、迷わず後者を選ぶ。

ただ、旅を続けることでそのすべてをカバーすることができる。


これがボクが提唱する「スイッチライフ」の神髄だ。

幸せで豊かになる方法

2013年07月19日 | 人生
ボクは今まで自分が幸せになろう、

お金持ちになろうと思いながら生きてきた。


それは家族のためでもあった。


3人の子供たちがすべて独立し、自立している今、

自分のことはどうでも良くなってしまった。



どうでもいいというのは、

投げやりになるということではない。


自分より、自分を取り巻く人々の幸せを考えるようになったのだ。




出会うのはすべて偶然ではない。

出会うべくして出会うのだ。


そしてそれにはすべてに意味がある。


どんな意味かというと、

出会った人の力になってあげなさいという使命を戴いているのだ。


出会った人たちを幸せにしなさい、という使命だ。


そして、それがボクにはできる。

だがそれは簡単ではない。

だから多くの試練がボクを待ち受けている。


経営者として、決断と実行を迫る。




あくまでも経営者感覚で、

出会った相手のことを一生懸命考える。


相手の話を聞く。

相手が何をしたいのか、どんな夢を持っているのか。


それが分かれば、そうできるよう考えてあげて、

あとは、ボクができることをすることだ。




人を幸せにさせてあげる、

人が幸せになるお手伝いをする。


それができた時、

その人の笑顔がボクを幸せな気持ちにさせてくれる。


豊かになるのは、お金や物ではない。


幸せな気持ちが、豊かにさせてくれる。


借金してでも人のために使う。

ボクは貧乏になる一方だけど、

なぜか自然と笑顔になる。


そうして生きている、まだ生かされている。


ボクを必要としてくれる人たちがいるのだ。

ボクには生きて為すべきことがあるのだ。


だから、生きてそうしなさいと言われている。



そして、ボクの何げない言葉や行動で

その人が幸せになってくれば、それだけでボクは十分幸せになれる。


だから、その人に感謝する。

心からありがとうという。



――――――――――――――――――――――――――

昨夜は3つの素晴らしい出来事が起きた。



ひとつは、

下の店”LOVE TRIP"でカフェをやってただける人が決まったこと。


全面的にお任せすることにした。

素敵なオープンカフェが出来そうだ。



彼は4人家族だ。

彼の家族の将来がかかっている。

彼に任せることで、彼の家族が潤ってくれるお手伝いをすることがボクの役割だと確信した。


それを引き受けてくれた彼の勇気と誠意に感謝している。




もう一つは、

プレゼンターに元祖のT氏を東京からお招きし、

PrsnTを辛島公園でやったこと。



良い話が聞けた。


野外でやるって、気持ちいい。

それから飲みに。


素晴らしい人と出会ったことに感謝。


PrsnTを主宰するN氏とA氏に感謝。




そして3つ目はというと、

ある出来事で気まずくなっていた人と、そこで遭遇。


彼にあったら言おうと決めていたことがあった。


彼のお蔭でNPOを立ち上げられるようになった。

彼がいなかったら、NPOそのものが存在しなかった。


だから、彼に感謝している、といった。

ありがとう、と直接心から伝えることができた。



恨みつらみや悪口を言っていたらこうはならなかっただろう。

彼もまだ若く、素晴らしい才能の持ち主だ。


家族もいる。

ただただ彼の幸せを願う。





一晩で、3つの感謝が重なって

ボクは幸せな気持ちになった。

心豊かになった。




だからといって、これで全てが完結した訳でない。

むしろこれからが勝負だ。



ボクを取り巻くすべての人の幸せを一手に引き受けた重圧に押しつぶされそうになりながらも

生かされている限り、

ボクを必要とする人がいて、ボクに役割がある限り、

ボクは命を懸けてやり抜く。




――――――――――――――――――――――――――――――

【今日のボヤキ】


これで3日続けて午前様。


身体もお金も限界を超えている。

ボロボロなのだ。

I'm mess.



それでもボクを奮い立たせてくれるのは

みんなから幸せのお裾分けを戴いているからに他ならない。



ボクの真意を分かってもらえず、

ボクを誤解し離れて行く人もいる。


それもこれも、縁だ。



一期一会。

今ここにいる人のことを一生懸命考える。

今、この瞬間を命を懸けて費やす。


その一秒一秒の積み重ねで人生が刻まれる。


今日もまた灼熱と忙(せわ)しないセミの鳴き声に急(せか)されるように一日が始まった。

そしてそれにも感謝。


ありがとうございます。




【今日の格言】


周囲の人を幸せで豊かにすれば

自ずと自分も幸せで豊かになっていく。



求めよさらば与えられん、ではなく、


「与えよ、さらば与えられん」 だ。


叩けよさらば開かれん、ではなく


「感謝せよ、さらば開かれん」


が正解である。 (by えいせい語録より)



戦いの火ぶたが切って落とされた!

2013年07月18日 | 仕事
I started the fight.


それは自分との戦いだ。

against myself


フリートークの一階の店を正式にやることが決まった。

屋号は、以前にもご紹介したが、


”LOVE TRIP”

何をやるかといえば、


"Travel Cafe & Guest House"


そこに、S氏が主宰する”Meetrip” の本部も入る。



さあ、これからが大変だ。

そして大いに楽しみでもある。



ゲストハウスは、熊本市内にもすでに2件ほどある。

だがいずれも街の中心部からは少し離れている。


”LOVE TRIP” の強みは、街のど真ん中にあって

しかも駐車場付という至便さだ。


そして、駐車場の一角をオープンカフェにして、

解放感とコミュニティ感を発揮することだ。


     この広いスペースをいかに活かし活用するかに運営のカギがある


旅人と地元民が気軽に集えるすスペース。


そこから、世界中に情報を発信していく。

世界が繋がり、友達になって争いが無くなり、平和が訪れる。


これがボクに課せられたミッションだ。




”Travel Cafe”, ”Meetrip”はまだ熊本にないカテゴリーである。

それだけに未知の可能性を秘めている。




『フリートーク』もそうだった。

世界中どこにもないスタイルだ。


特に一年間は苦しかった。

3年目に入り、新しい課題が見えてきたところで

階下の店をオープンさせることになったのも何かの因縁だろう。


多くの人の協力と理解なくしては出来ないことばかりだ。


またまたボクの経営手腕とリーダーシップ、コミュニティ能力が試される時が来た。



何処まで走ればいいのか。

ただひたすらに雲の上の頂を目指すしかない。



NPOの準備も着々と進んでいる。


ボクの中では常に10くらいの企画が同時進行している。


うまくいかないことだってあるだろう。

いや、ある。


だが、ボクは諦めない。


諦めない限り失敗はない。

挫折感を味わい、ときどき凹むのはご愛嬌だ。


それでもボクは雑草のように根強く小さな花を咲かせるだろう。




【ボヤキ】


アーまた借金が増えてしまった。


それでもハッピーなのはなぜ!?

借金も財産のうち、って言うからね。


常にマイナスからの挑戦。

その方が闘志が湧く。


ヤな性格だとつくづく思う。


いずれにせよ、ヤルっきゃない!!





歯が抜けた夢を見た

2013年07月17日 | 
それは下の前歯だった。


夢判断によれば、


歯が抜けるという夢は身内(もしくは近い人、親友など)に不幸が起きる前触れだという。

あるいは、自分自身に不幸が起きる前触れだといわれる。


心理学的に言えば、

・虫歯など歯自体に不安がある。

・健康状態に不安がある。

・ストレスが溜まっている。

・精神状態が悪い

などがあげられるようだ。


夢は浅い眠りの時のやつを覚えているそうだから、

熟睡できていないのかもしれないので、ストレスが溜まっているのだろう。



あと、歯が抜ける夢は、


気力が消え失せ、自信を喪失した状態であることを暗示しているらしい。

また、気力・能力不足のため、

発生している問題や状況を正確に把握できず、困難にうまく対処できないことも意味するという。



また、別の夢診断では、


この夢はよい夢ではなく凶夢です。

あなたが自信を喪失してしまっているか、

あなたの周りの方の健康状態がよくないことを表しています。


健康面では特に、血筋が近い方に気をつける必要があるでしょう。



歯は家族をあらわします。

古代ギリシアの夢占いでは右側の歯は男性を、左側の歯は女性を暗示。

前歯は年若い者で、奥歯になるほど年長者。

歯が抜けるのは、その歯があらわす人物との別れを告げる夢。


また、歯は財産や健康をもたらすもの。

歯が大きくなるのは、経済状態が良好になる暗示。

ちいさくなるのは、食べることに困ること。

経済状態の悪化や健康運の低下。


という。



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なるほど、

思い当たる節があるといえばあるし、

無いといえば無い。


どっちにしても、良い夢ではないことは確かなようだ。



たしかに今身の回りではいろいろな出来事が起きており、

転換期であることは間違いない。


それに伴い、

ストレスというか、疲れがたまっていることも確かだ。



加えて、今日は重大な決断をしなければならない日。


下の店を借りる正式な契約を結ぶのだ。

また新たな借金が増えることになる。


それに、新たな事業を営むことにも。

そして、それが上手くいくかどうかはやってみないと分からない。



うまくいくと思うからやるわけだが、何事にも保証はない。


健康維持と、ビジネス展開は人生の両輪だ。

繋ぐ軸は、人間関係。


全てを順調にいかせるには、相当な努力がいることはいうまでもない。



流れとしては、

紆余曲折はあるものの、ゴーサインが出ている。



断る理由はない。

むしろこれを拒んだら絶対に後悔することは分かっている。


ならば、前に進むしかない。


後は、やってよかったと思うように努力するのみ。

やるからには、絶対に成功させる。



廻りの心配、自分の心配、

これらをすべてひっくるめて、それが人生なのだ。


後ろを振り向かず、ひたすら前へ前へと進む。

悠々と大地を踏みしめて進む。

Going ahead、 calm and steady

何しようかなー?

2013年07月16日 | 人生
朝起きて、

今日は何しようかなー、と考える人は多いだろう。

facebookのタイムラインにもそうした書き込みはよく見受けられる。



ボクはそうした人たちが羨ましくもあり、情けなくもある。


明日と言わず、一週間先、一か月先、それ以上先のことがある程度決まっているからだ。



相変わらず「30年カレンダー」を作ってみた。


きのう未来予想図で書いたように、

2020年までには世界が一変するであろう。


さらに、それから30年後、

2050年には、さらに世界が激変する。



2050年に、ボクはちょうど100歳になる。

生きていないだろうが、生きている可能性も無きにしも非ず(just possibly)。


2050年をこの目で見てみたいというかすかな欲求も無いとは言わない。

矍鑠(かくしゃく)として、まだ現役ビジネスマンでいるならの話だが。



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若くしてボケが始まる人が増えているという。


今日は何やろうかなー、

とつぶやく人はその可能性が強いのではないか。


ボケ防止対策は、

「キョウイク」と「キョウヨウ」だそうだと天声人語にあった。


教養と教育かと思いきや、さにあらず。

「今日、用がある」と「今日、行くところがある」の二つである。

なるほど何も用事がなく、どこにも行かない毎日では張り合いがあるまい。


と、文面は続く。


現代社会では、特に日本では

それはお年寄りに限った話ではなさそうである。


むしろ最近のお年寄りは元気な人が多い。


今日の用事を作り、

今日行く場所を持っている。


フリートークに通われる面々もその口だ。

70になっても80になっても元気な人がいっぱいいる。


心配なのは2030年以降かもしれない。

17年後からのの中高年にボケる人が急増するのではないかと。


老後になって老後を考えても遅いのだ(too late)。




幸か不幸かボクにはやること、やりたいことが多すぎて、

一日としてボーッと過ごす暇はない。


「毎日が日曜日」という言葉は意味をなさない。

今日もスケデュールがイッパイだ。


なんせ明日と言わず今日死んでもいい覚悟で生きているから。


あるいは、このまま100歳まで突っ走るか。


いずれにせよ、人事を尽くして天命を待つ(Man proposes, God disposes)心境だ。