この10年間、
一つ事にずっと突っ走ってきた。
それはそれで実に意義のあることだ。
ただ、一つ事をながくやっていると、
いつの間にか多かれ少なかれひずみが生まれることがある。
それはそれで強引にやり通せばそれでいいのだろうが。
周りの環境に押され、
自分のイメージが出来上がっていく。
どこか違和感が生まれ、それでも強迫観念が支配する。
無理してないか。
これが本当に自分のやりたかったことなのか。
いろんな思考が交錯する。
時は否応なく流れる。
そんな中、
ある人と出会い、環境が激変する。
これは、チャンスなのだ。
自分の人生を見直す。
やり直すことに遅いということはない。
違和感を感じたら、自分に正直になることだ。
本当に愛する人、
本当にやりたいことは何か。
言いたいことを言い、やりたいことをやる。
時には止まって考える時間も必要だ。
それが今だと気づく。
Start over again with her.
一つ事にずっと突っ走ってきた。
それはそれで実に意義のあることだ。
ただ、一つ事をながくやっていると、
いつの間にか多かれ少なかれひずみが生まれることがある。
それはそれで強引にやり通せばそれでいいのだろうが。
周りの環境に押され、
自分のイメージが出来上がっていく。
どこか違和感が生まれ、それでも強迫観念が支配する。
無理してないか。
これが本当に自分のやりたかったことなのか。
いろんな思考が交錯する。
時は否応なく流れる。
そんな中、
ある人と出会い、環境が激変する。
これは、チャンスなのだ。
自分の人生を見直す。
やり直すことに遅いということはない。
違和感を感じたら、自分に正直になることだ。
本当に愛する人、
本当にやりたいことは何か。
言いたいことを言い、やりたいことをやる。
時には止まって考える時間も必要だ。
それが今だと気づく。
Start over again with her.
落ち込んでる。。
だが、いつまでもそうしている暇はない。
すぐに立ち直る方法がある。
無いものを数えるより、
あるもののありがたみを噛み締める。
お金がない、才能がないと嘆いてばかりいても何ら解決策は見つからない。
それより、
いまあるものは何か。
今自分に残されているものは何か。
第一に、健康である。
年相応の衰えはあっても、気力でカバーして余りあるものがある。
幸い今のところ、日常服用しなけらばならない薬が一切ない。
サプリも、栄養ドリンクも必要ない。
バイアグラさえ不要。
第二に、3人の子供たちがいること。
そして、それぞれが独立し、家庭を築き(息子はまだ独身だが)、 仕事を持ち、健康的生活を送っている。
親としては最高にありがたいし幸せなことである。
そして第三が、5年間毎日書き続けたこのブログに象徴される継続力というか、持続力だろう。
自分には、続けられるという自負がある。
決して諦めないという強い信念がある。
夢を実現できるという自信につながる。
それに、叶えたい夢がある。
情熱がある。
さらに、
ボクを愛してくれる人の存在だ。
これが大きい。
心の支えになってくれる。
これらは、何事にも代えがたいかけがえのない財産である。
これだけあれば、どんな困難も乗り越えることができる。
お金がない、時間がない、才能がないといった甘ったれた言い訳ばかりを並べて
逃げている暇などない。
今、あるものを駆使して、
目の前の出来事を唯々諾々と受容し、
ポジティブに発想を転換しながら今できることに全力で取り組むのみだ。
落ち込むことは決して悪いことではない。
泣きたい時には、泣けばいい。
笑うときに、その何倍も笑えるから。
苦しい時には、思いっきり苦しめばいい。
苦しみを噛み締め、悔しさをあらわにすればいい。
それがバネになる。
苦しみを知ってこそ、楽しみも理解できる。
疲れるのは、頑張った証拠。
疲れたら、休めばいい。
それが、次への活力となるのだから。
つまずくことだってある。
それは、前に進んでいた証拠。
失敗するのは、挑戦した証拠。
裏切られるのは、信じていた証拠。
失恋するのは、愛していた証拠。
誰に遠慮がいるものか。
人の目など気にしない。
落ち込みながらだって、前へ進める。
だが、いつまでもそうしている暇はない。
すぐに立ち直る方法がある。
無いものを数えるより、
あるもののありがたみを噛み締める。
お金がない、才能がないと嘆いてばかりいても何ら解決策は見つからない。
それより、
いまあるものは何か。
今自分に残されているものは何か。
第一に、健康である。
年相応の衰えはあっても、気力でカバーして余りあるものがある。
幸い今のところ、日常服用しなけらばならない薬が一切ない。
サプリも、栄養ドリンクも必要ない。
バイアグラさえ不要。
第二に、3人の子供たちがいること。
そして、それぞれが独立し、家庭を築き(息子はまだ独身だが)、 仕事を持ち、健康的生活を送っている。
親としては最高にありがたいし幸せなことである。
そして第三が、5年間毎日書き続けたこのブログに象徴される継続力というか、持続力だろう。
自分には、続けられるという自負がある。
決して諦めないという強い信念がある。
夢を実現できるという自信につながる。
それに、叶えたい夢がある。
情熱がある。
さらに、
ボクを愛してくれる人の存在だ。
これが大きい。
心の支えになってくれる。
これらは、何事にも代えがたいかけがえのない財産である。
これだけあれば、どんな困難も乗り越えることができる。
お金がない、時間がない、才能がないといった甘ったれた言い訳ばかりを並べて
逃げている暇などない。
今、あるものを駆使して、
目の前の出来事を唯々諾々と受容し、
ポジティブに発想を転換しながら今できることに全力で取り組むのみだ。
落ち込むことは決して悪いことではない。
泣きたい時には、泣けばいい。
笑うときに、その何倍も笑えるから。
苦しい時には、思いっきり苦しめばいい。
苦しみを噛み締め、悔しさをあらわにすればいい。
それがバネになる。
苦しみを知ってこそ、楽しみも理解できる。
疲れるのは、頑張った証拠。
疲れたら、休めばいい。
それが、次への活力となるのだから。
つまずくことだってある。
それは、前に進んでいた証拠。
失敗するのは、挑戦した証拠。
裏切られるのは、信じていた証拠。
失恋するのは、愛していた証拠。
誰に遠慮がいるものか。
人の目など気にしない。
落ち込みながらだって、前へ進める。
心境の変化が次から次へと起きている。
環境の変化、人生の変化を感じる。
それも最終局面に差し掛かっている。
競馬で言えば、恐らく第4コーナー(最終コーナー)に当たるのかもしれない。
(乗馬は得意だけど、競馬は一切やらないが)
ここを落馬せずに回り切ればホームストレッチの駆け抜けるだけだ。
思いっきり鞭を入れながら。
だが、待てよ。
人生30年周期説を取れば、これが3周目に当たる。
だとすると、
3周目の第1もしくは第2コーナーかもしれない。
ということは、バックストレッチに入る前になる。
ならば鞭はまだ早い。
コーナーは人生の危機、転機を意味する。
この先、第3、第4とコーナー(危機・転機)が待っている。
こんなところで落馬するわけにはいかない。
ここをクリアして、新たなステージに進むのだ。
乗り越えられるから課題を与えられる。
起きることは、全部良いことなのだ。
(人生、悪いことは一切起きない)
そして、最大の強みは、愛する人、愛してくれる人がいること。
この課題を乗り越えたとき、
ボクはまた一回りも二回りも大きくなる。
人生の変化と進化は、次のような時に起きる。
パートナーによって変わる
仕事によって変わる
健康によって変わる
家族によって変わる
場所によって変わる
年齢によって変わる
その都度その都度、危機は襲い掛かる。
だが、危機こそ実はチャンスなのだ。
コーナーを回れば、展望が開けるストレッチが待っている。
ボクのバックストレッチは、
第1周が、花の商社マン(ビジネスに目覚める)であったし、
第2周が、世界一周(タビストとして開花)であった。
そして、いま、第3周目ののそれは、
小説家への道なのだ。
旅する小説家。
とりあええず、
第3周目の第2コーナーを乗り切ることに集中しよう。
環境の変化、人生の変化を感じる。
それも最終局面に差し掛かっている。
競馬で言えば、恐らく第4コーナー(最終コーナー)に当たるのかもしれない。
(乗馬は得意だけど、競馬は一切やらないが)
ここを落馬せずに回り切ればホームストレッチの駆け抜けるだけだ。
思いっきり鞭を入れながら。
だが、待てよ。
人生30年周期説を取れば、これが3周目に当たる。
だとすると、
3周目の第1もしくは第2コーナーかもしれない。
ということは、バックストレッチに入る前になる。
ならば鞭はまだ早い。
コーナーは人生の危機、転機を意味する。
この先、第3、第4とコーナー(危機・転機)が待っている。
こんなところで落馬するわけにはいかない。
ここをクリアして、新たなステージに進むのだ。
乗り越えられるから課題を与えられる。
起きることは、全部良いことなのだ。
(人生、悪いことは一切起きない)
そして、最大の強みは、愛する人、愛してくれる人がいること。
この課題を乗り越えたとき、
ボクはまた一回りも二回りも大きくなる。
人生の変化と進化は、次のような時に起きる。
パートナーによって変わる
仕事によって変わる
健康によって変わる
家族によって変わる
場所によって変わる
年齢によって変わる
その都度その都度、危機は襲い掛かる。
だが、危機こそ実はチャンスなのだ。
コーナーを回れば、展望が開けるストレッチが待っている。
ボクのバックストレッチは、
第1周が、花の商社マン(ビジネスに目覚める)であったし、
第2周が、世界一周(タビストとして開花)であった。
そして、いま、第3周目ののそれは、
小説家への道なのだ。
旅する小説家。
とりあええず、
第3周目の第2コーナーを乗り切ることに集中しよう。
永遠の愛を誓う
恋ネタ、彼女ネタが多い今日この頃。
激励や、忠告などのコメント、メッセージをいただいております。
感謝してここに御礼申し上げます。
多分に漏れずこれまでいろんな恋の経験をしてきております。
しかし、果たしてこの恋が成就するのかどうなのか、
誰にも分りません。
苦境の中の恋は実らないともいいます。
早い別れになるというご指摘も頂きました。
そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。
ただ言えるのは、終わる気もないし、終える気もないということです。
もちろん、彼女も同じ気持ちです。
確かに、一気に燃え盛る炎は沈静化するのも早いでしょう。
だけど、野火のようにじわじわと消えずに燃え広がる恋もあるのです。
不思議なのは、
7~8年ほど前に書いた小説『セドナ』に出てくるシーンを彷彿とさせる出来事が
現実に次々起きていることなのです。
小説『セドナ』の結末は、ネタバレになるのでここでは言いませんが、
まるで、いまその小説のような展開が繰り広げられています。
この恋の行方は神のみぞ知るですが、
彼女との出会いがぼくの小説魂に再び火をつけたことはまぎれもない事実です。
そして、今ボクの周りで起きている劇的環境の変化が
まさに、小説を世に出すための準備段階であることを証明しています。
ブログは、あくまでも個人的、主観的見解を述べるものですが、
こうして読者の方々の興味をいただけることは著者として喜ばしく光栄なことです。
さて、
この恋、または愛を永続的に長続きさせる方法はあるのだろうか。
だれしも、離婚を想定して結婚する人はいない。
(一部の芸能人などを除けば)
遊びでなければ、恋を一時的だと思わないでしょう。
愛を語り、その重要性は十分理解している。
しかし、世界に愛はあふれているのに、
どうしてこうも争い事が起こり、
別れ(break out)が待っているのでしょうか。
それは、愛をいくら語っても、
I love you という言葉をいくら並べても叫んでも、
それだけでは不十分だからなのではないでしょうか。
残酷なことに、
愛だけでは恋愛関係は永遠には続かないことをボクは身をもって知ってしまった。
それまで、何人かの女性を不幸にしてしまったが。
(今では申し訳ないと思っている)
誰しも不安を持っている。
愛しているけど、お互いうまくやっていけるだろうか、と。
そもそも違う人間が結ばれるのです。
どんなに心は一つと言っても、価値観が違うのは当たり前なのです。
愛しているから同じと思うのはそもそも錯覚に過ぎない。
考え方が同じ、似ていると思えばこそ愛も芽生えるでしょう。
だが、付き合ううちに、結婚して同じ屋根の下で暮らすようにって初めて
お互いの違いに気づくことも多い。
その時、どう思い、どう対処するかで二人の未来は大きく違ってくる。
違うからダメと思うのか。
違って当たり前と思うのか。
ボクは思う。
愛することとは、
認める(recognize)ことだと。
何をか。
違いをだ。(recognize the differents)
違和感を感じることもあるだろう。
そのときは、その気持ちを素直に伝えることだ。
よく話し合う(talk well with each other)ことだ。
よく、相手の言うことを注意深く聞く(listen carefully)ことだ。
どんなに忙しくても、手を休めて相手の言葉を逃さないように耳を傾けることだ。
そのうえで、相手を理解する(understand)。
自分と違っても、理解するということは
思いやり(charity; compassion; consideration; warmth )を持つこと。
相手の気持ち、考え方を受け入れる(accept)こと。
そして、間違いを犯しても、許すこと(forgive)。
決して非難してはいけない。Don't blame.
決めつけないこと。Don't judge.
分かってあげること。Understanding
そっと抱きしめて、辛かったねと言ってあげること。
許すということはなかなかできないことだ。
ついつい根に持ってしまう。have [hold] a grudge.
だが、敢えて言おう。
あなたがこれまでしたことをすべて許すと。
I forgive what you have done.
そして、これからするであろうことも、すべて許しますと。
I will forgive what you will do.
だって、お互い完ぺきではないのだから。
(完璧な人間なんてこの世に存在しない)
それは、常に味方でいることを意味する。I will be always in your side.
どんなことが起きても力になること。
そして、一緒にいてあげること。
いつでも君の側にいるよ(I will always be with you)。
それは、今の二人の時間に集中し、
未来の夢や希望を語ること。
どんなときにも、
とくに辛い時、支えてあげる(support)こと。
あなたを傷つけるすべてのことから守ってあげる(protect)こと。
心の痛みを取り除いてあげること。
涙をそっと拭いてあげること。
それは安心感(relief)と信頼感(rely)を生むから。
いつもボクの腕の中で安心して眠れるように。
そしてもう一つ、いや二つ。
相手を敬う(respect)こと、そして感謝する(appreciate)こと。
敬う(尊敬する)ということは、
相手が重要と思うこと、夢や望みを自分のことのように重要と思うことです。
間違ってもバカにしないこと。
たとえ感情レベルに差があったとしても。
これらがすべて揃った時、
永遠の愛が生まれる。
だから、これさえ心がけて実行すれば、
ボクは彼女を永遠に愛し続けることができると
確信を持って言える。
【追記】
大変な時こそ、
側にいてくれる、
話を聞いてくれる、
味方になってくれる。
これだけで救われるのです。
恋ネタ、彼女ネタが多い今日この頃。
激励や、忠告などのコメント、メッセージをいただいております。
感謝してここに御礼申し上げます。
多分に漏れずこれまでいろんな恋の経験をしてきております。
しかし、果たしてこの恋が成就するのかどうなのか、
誰にも分りません。
苦境の中の恋は実らないともいいます。
早い別れになるというご指摘も頂きました。
そうかもしれませんし、そうでないかもしれません。
ただ言えるのは、終わる気もないし、終える気もないということです。
もちろん、彼女も同じ気持ちです。
確かに、一気に燃え盛る炎は沈静化するのも早いでしょう。
だけど、野火のようにじわじわと消えずに燃え広がる恋もあるのです。
不思議なのは、
7~8年ほど前に書いた小説『セドナ』に出てくるシーンを彷彿とさせる出来事が
現実に次々起きていることなのです。
小説『セドナ』の結末は、ネタバレになるのでここでは言いませんが、
まるで、いまその小説のような展開が繰り広げられています。
この恋の行方は神のみぞ知るですが、
彼女との出会いがぼくの小説魂に再び火をつけたことはまぎれもない事実です。
そして、今ボクの周りで起きている劇的環境の変化が
まさに、小説を世に出すための準備段階であることを証明しています。
ブログは、あくまでも個人的、主観的見解を述べるものですが、
こうして読者の方々の興味をいただけることは著者として喜ばしく光栄なことです。
さて、
この恋、または愛を永続的に長続きさせる方法はあるのだろうか。
だれしも、離婚を想定して結婚する人はいない。
(一部の芸能人などを除けば)
遊びでなければ、恋を一時的だと思わないでしょう。
愛を語り、その重要性は十分理解している。
しかし、世界に愛はあふれているのに、
どうしてこうも争い事が起こり、
別れ(break out)が待っているのでしょうか。
それは、愛をいくら語っても、
I love you という言葉をいくら並べても叫んでも、
それだけでは不十分だからなのではないでしょうか。
残酷なことに、
愛だけでは恋愛関係は永遠には続かないことをボクは身をもって知ってしまった。
それまで、何人かの女性を不幸にしてしまったが。
(今では申し訳ないと思っている)
誰しも不安を持っている。
愛しているけど、お互いうまくやっていけるだろうか、と。
そもそも違う人間が結ばれるのです。
どんなに心は一つと言っても、価値観が違うのは当たり前なのです。
愛しているから同じと思うのはそもそも錯覚に過ぎない。
考え方が同じ、似ていると思えばこそ愛も芽生えるでしょう。
だが、付き合ううちに、結婚して同じ屋根の下で暮らすようにって初めて
お互いの違いに気づくことも多い。
その時、どう思い、どう対処するかで二人の未来は大きく違ってくる。
違うからダメと思うのか。
違って当たり前と思うのか。
ボクは思う。
愛することとは、
認める(recognize)ことだと。
何をか。
違いをだ。(recognize the differents)
違和感を感じることもあるだろう。
そのときは、その気持ちを素直に伝えることだ。
よく話し合う(talk well with each other)ことだ。
よく、相手の言うことを注意深く聞く(listen carefully)ことだ。
どんなに忙しくても、手を休めて相手の言葉を逃さないように耳を傾けることだ。
そのうえで、相手を理解する(understand)。
自分と違っても、理解するということは
思いやり(charity; compassion; consideration; warmth )を持つこと。
相手の気持ち、考え方を受け入れる(accept)こと。
そして、間違いを犯しても、許すこと(forgive)。
決して非難してはいけない。Don't blame.
決めつけないこと。Don't judge.
分かってあげること。Understanding
そっと抱きしめて、辛かったねと言ってあげること。
許すということはなかなかできないことだ。
ついつい根に持ってしまう。have [hold] a grudge.
だが、敢えて言おう。
あなたがこれまでしたことをすべて許すと。
I forgive what you have done.
そして、これからするであろうことも、すべて許しますと。
I will forgive what you will do.
だって、お互い完ぺきではないのだから。
(完璧な人間なんてこの世に存在しない)
それは、常に味方でいることを意味する。I will be always in your side.
どんなことが起きても力になること。
そして、一緒にいてあげること。
いつでも君の側にいるよ(I will always be with you)。
それは、今の二人の時間に集中し、
未来の夢や希望を語ること。
どんなときにも、
とくに辛い時、支えてあげる(support)こと。
あなたを傷つけるすべてのことから守ってあげる(protect)こと。
心の痛みを取り除いてあげること。
涙をそっと拭いてあげること。
それは安心感(relief)と信頼感(rely)を生むから。
いつもボクの腕の中で安心して眠れるように。
そしてもう一つ、いや二つ。
相手を敬う(respect)こと、そして感謝する(appreciate)こと。
敬う(尊敬する)ということは、
相手が重要と思うこと、夢や望みを自分のことのように重要と思うことです。
間違ってもバカにしないこと。
たとえ感情レベルに差があったとしても。
これらがすべて揃った時、
永遠の愛が生まれる。
だから、これさえ心がけて実行すれば、
ボクは彼女を永遠に愛し続けることができると
確信を持って言える。
【追記】
大変な時こそ、
側にいてくれる、
話を聞いてくれる、
味方になってくれる。
これだけで救われるのです。
彼女が素晴らしすぎて。
ついついノロケてしまう。
Talking about my own love affairs.
(不快な方は読まないでね Don't read if you feel disgusting.)
こんなボクに付き合ってくれる。
それだけでもすごいことなのだ。
しかも、嫌な顔一つせず。
こんなオチャラケも
アオザイがよく似合う
だけど、
きっと、心中穏やかではないはず。
彼女自身も不安を抱えている。
ボクが不安であれば、彼女はなおさら不安をあおられる。
ボクが揺るがない気持ちを持つことで
彼女は安心感を持つだろう。
いつも快くキスに応じてくれる。
しかも、その写真をアップしても文句ひとつ言わない。
それどころか、喜んでくれる。
たぶん、こんな人っていないだろーなー、って思いながら
恐る恐るアップするんだけど。
彼女はそんなボクを受け入れてくれる。
そして、今日も性懲りもなく
アップする。
ついついノロケてしまう。
Talking about my own love affairs.
(不快な方は読まないでね Don't read if you feel disgusting.)
こんなボクに付き合ってくれる。
それだけでもすごいことなのだ。
しかも、嫌な顔一つせず。
こんなオチャラケも
アオザイがよく似合う
だけど、
きっと、心中穏やかではないはず。
彼女自身も不安を抱えている。
ボクが不安であれば、彼女はなおさら不安をあおられる。
ボクが揺るがない気持ちを持つことで
彼女は安心感を持つだろう。
いつも快くキスに応じてくれる。
しかも、その写真をアップしても文句ひとつ言わない。
それどころか、喜んでくれる。
たぶん、こんな人っていないだろーなー、って思いながら
恐る恐るアップするんだけど。
彼女はそんなボクを受け入れてくれる。
そして、今日も性懲りもなく
アップする。
♪ まだ、3か月にも満たない。
君と知り合ってから~。
それなのに、
どれだけキスを繰り返したことか。
唇を合わせたまま、眠りに落ちたネ。
息苦しくなって目が覚めたのは、お笑いもんだった。
生まれたままの姿でベッドの中で一日過ごした。
何度も何度も愛を確かめあいながら~。
それができる自分に驚きながら、
君を強く抱きしめたヨ~。(^^♪ 『愛のモチベーション』より
どこでもキスをする。
路上KISSは当たり前、人前KISS.
欧米では当たり前のような光景だ。
いやらしさを感じさせない。
むしろ爽やかささえ感じる。
あいさつのKiss。
別れのKiss。
ありがとうのKiss。
Kissで終わった昨年、
Kissで始まった今年。
Kiss is love.
Love is kiss.
Be lovery-dovery.
という英語表現をご存じだろうか。
平たく言えば、
ラブラブでいようよ、ベタベタしようよみたいな感じ。
Mental affection,
such as always saying sweet things,
メンタル面では、
いつでも甘い言葉をささやくこと、
Physical affection,
such as holding hands,
always hugging and kissing.
そして、物理的(肉体的)には、
手を握ったり、ハグしたり、キスしたりすること。
いつも君に触れていたい。
腰に手を回す。
肩を組む。
いつだって君を感じていたいから。
I wannna always feel you.
2度の結婚に敗れ、
何度も彼女に逃げられ(捨てられ)
人間不信に陥り、
自己嫌悪になって自分に自信を無くしていく。
なぜそうなるのか。
時が経つにつれ、移ろう季節のように新鮮さが色あせ、
マンネリ化していくのか。
緊張感がなくなり、
愛が薄れていくのか。
慣れあいに感(かま)けて相手に対する興味も関心もなくなっていくのか。
あれほど快感だったセックスもいつしか遠のく。
キスすらしない。
手を握ることもない。
もうこりごりだ。
愛のモチベーションを保つには。
だから、
ベタベタでいようよ、いつまでも。
いつまでもラブラブでいたい。
燃えるような恋が静かな愛に変わっても
この気持ちと態度だけは続けていきたい。
昂(たか)ぶりとトキメキを保ったままで。
今年のテーマは、「愛」。
きな臭く閉塞感のあるこんな時代だからこそ、愛を強調したい。
モノよりメンタルが重要視される時代。
今までは、漠然とした愛だった。
昨年末、具体性を帯びた愛を見つけた。
今年はそれを確固たるものとし、普遍化して不変化する。
変わらぬ愛、広がる愛、深まる愛といったところか。
毎日言い合おう。
I love you.
君と知り合ってから~。
それなのに、
どれだけキスを繰り返したことか。
唇を合わせたまま、眠りに落ちたネ。
息苦しくなって目が覚めたのは、お笑いもんだった。
生まれたままの姿でベッドの中で一日過ごした。
何度も何度も愛を確かめあいながら~。
それができる自分に驚きながら、
君を強く抱きしめたヨ~。(^^♪ 『愛のモチベーション』より
どこでもキスをする。
路上KISSは当たり前、人前KISS.
欧米では当たり前のような光景だ。
いやらしさを感じさせない。
むしろ爽やかささえ感じる。
あいさつのKiss。
別れのKiss。
ありがとうのKiss。
Kissで終わった昨年、
Kissで始まった今年。
Kiss is love.
Love is kiss.
Be lovery-dovery.
という英語表現をご存じだろうか。
平たく言えば、
ラブラブでいようよ、ベタベタしようよみたいな感じ。
Mental affection,
such as always saying sweet things,
メンタル面では、
いつでも甘い言葉をささやくこと、
Physical affection,
such as holding hands,
always hugging and kissing.
そして、物理的(肉体的)には、
手を握ったり、ハグしたり、キスしたりすること。
いつも君に触れていたい。
腰に手を回す。
肩を組む。
いつだって君を感じていたいから。
I wannna always feel you.
2度の結婚に敗れ、
何度も彼女に逃げられ(捨てられ)
人間不信に陥り、
自己嫌悪になって自分に自信を無くしていく。
なぜそうなるのか。
時が経つにつれ、移ろう季節のように新鮮さが色あせ、
マンネリ化していくのか。
緊張感がなくなり、
愛が薄れていくのか。
慣れあいに感(かま)けて相手に対する興味も関心もなくなっていくのか。
あれほど快感だったセックスもいつしか遠のく。
キスすらしない。
手を握ることもない。
もうこりごりだ。
愛のモチベーションを保つには。
だから、
ベタベタでいようよ、いつまでも。
いつまでもラブラブでいたい。
燃えるような恋が静かな愛に変わっても
この気持ちと態度だけは続けていきたい。
昂(たか)ぶりとトキメキを保ったままで。
今年のテーマは、「愛」。
きな臭く閉塞感のあるこんな時代だからこそ、愛を強調したい。
モノよりメンタルが重要視される時代。
今までは、漠然とした愛だった。
昨年末、具体性を帯びた愛を見つけた。
今年はそれを確固たるものとし、普遍化して不変化する。
変わらぬ愛、広がる愛、深まる愛といったところか。
毎日言い合おう。
I love you.
いっぱしの投資家を気取ってはみたものの
当然のことながらリスクは伴う。
個人事業主としてならしてきた。
経営としては概ね順調だった。
ここ数年、
自分の夢を人の夢に重ね、出資者として具現化してきた。
経営者を別に立て、オーナーとして君臨してきたつもりだった。
だが、その人間に裏切られた。
責任を放棄して、逃げ去ってしまった。
そのため、尻拭いを余儀なくされている。
なぜ自分で経営に当たらないのか。
それは自由度を重んじるからに他ならない。
タビストであり続けるには、自由であらねばならない。
自分を自由に動けるポジションに置いておかねばならない。
これまで携わってきたリゾート地(阿蘇・久住)の宿泊業は、
それでもある程度それを可能にしてくれた。
繁忙期に休まず働き、オフは旅に出る。
それにも飽き足らず、一年中旅する暮らしを目指した。
無謀な選択だ。
分かっていながら、あえてその道を選んだ。
あらゆるものを犠牲にして。
何のために旅をするのか、などと野暮な質問はやめてくれ。
未知の世界がある限り、旅をするのがタビストの宿命なのだから。
好奇心というモチベーションがそうさせる。
幸い、それにふさわしい体力、精神力とも兼ね備えている。
安住の地を捨て自ら茨の道を選んできた。
わざわざ心地悪さを求め、
どんな状況でも心地いいように思えるようになるほど経験を積んできた。
いろんな困難が待ち受けていて、否応なく様々な犠牲を求めてくる。
しかし、
自分を“心地悪い状況”に追い込むことで、
結果的に大きなプラスが得られることも理解している。
それは、お金やモノといった目に見えるものより、
むしろ目には見えないもの、お金には代えられないものばかりだった。
時に人の温もり、愛、情け、親切などなど。
自分自身をタフにもしてくれた。
自分が傷ついた分、人の痛みも理解できるようになった。
トラブルが起きても、比較的冷静で対処すことができるようになった、などなど
計りしれない程の恩恵を被った。
人は、理にかなった考え方と、自制心を持ち合わせたときに初めて、
合理的な振る舞いができるものだ。
いたずらに感情的になってはいけないことも学んだ。
人生そのものが旅であるからして、
今回も、
旅の途中で出会った人の夢を叶えるために投資したまでのこと。
リスクヘッジはしている。
これまでも自由と引き換えに多くの代償を払ってきた。
それは至極当然のことだ。
タビストという、究極の自由を求める生業ほどリスキーなものはない。
まず、よりどころがない。
自由とは、安定には程遠い。
野良犬か飼い犬(お座敷犬)かの例を待つまでもなく、
ボクは迷わず前者を選ぶ。
いまだかって、完全なる自由を成し遂げた人はいないのでないだろうか。
(いかに大富豪であろうと)
人は、死ぬことによってしか自由を手にすることなどできないのかもしれない。
生きてる限り、多かれ少なかれ不自由さを余儀なくされる。
だからこそもだえ苦しむのだ。
自由を求めれば求めるほど。
それが分かっていながら、あえてその不安定さに挑む。
失敗して、すべての財産を失うかもしれない。
人も去っていく。
自己破産や一家離散、命まで失うこともある。
事業(特にベンチャー)はもちろん、
人生において「こうやれば絶対OK」という定石や鉄則などはない。
必ず成功する保証を得て始めることなど不可能であり、
むしろ失敗する可能性の方が遥かに大きい。
(だから、自己啓発書や成功哲学なるものから学ぼうとする。
まず、それで成功する人などいないのに)
だがこれだけは言える、
何度失敗を繰り返しても、
その失敗からきちんと学び、
達成(成功)するまでチャレンジを何度でも繰り返すことしか術はない。
チャレンジを諦めたとき、それは失敗(完敗)に終わる。
ボクは諦めない。
ボクは辞めない。
ボクは負けない。
生きてる限り、前を向き、空を見上げて自由という夢に向かって進むのみ。
幸いボクには、
愛する人がいる。
愛してくれる人がいる。
だから、手を携えて共に歩む、信じる道を。
【追記】
友人が寄せてくれた言葉。
mMst important is there is someone to support you in times of trialls and difficulties
That's great. that's the best gift you can ever have that nothing compares
A real women who you can always rely on is the women who can support you siritually
because there where we can get strength to hold and stand again.
当然のことながらリスクは伴う。
個人事業主としてならしてきた。
経営としては概ね順調だった。
ここ数年、
自分の夢を人の夢に重ね、出資者として具現化してきた。
経営者を別に立て、オーナーとして君臨してきたつもりだった。
だが、その人間に裏切られた。
責任を放棄して、逃げ去ってしまった。
そのため、尻拭いを余儀なくされている。
なぜ自分で経営に当たらないのか。
それは自由度を重んじるからに他ならない。
タビストであり続けるには、自由であらねばならない。
自分を自由に動けるポジションに置いておかねばならない。
これまで携わってきたリゾート地(阿蘇・久住)の宿泊業は、
それでもある程度それを可能にしてくれた。
繁忙期に休まず働き、オフは旅に出る。
それにも飽き足らず、一年中旅する暮らしを目指した。
無謀な選択だ。
分かっていながら、あえてその道を選んだ。
あらゆるものを犠牲にして。
何のために旅をするのか、などと野暮な質問はやめてくれ。
未知の世界がある限り、旅をするのがタビストの宿命なのだから。
好奇心というモチベーションがそうさせる。
幸い、それにふさわしい体力、精神力とも兼ね備えている。
安住の地を捨て自ら茨の道を選んできた。
わざわざ心地悪さを求め、
どんな状況でも心地いいように思えるようになるほど経験を積んできた。
いろんな困難が待ち受けていて、否応なく様々な犠牲を求めてくる。
しかし、
自分を“心地悪い状況”に追い込むことで、
結果的に大きなプラスが得られることも理解している。
それは、お金やモノといった目に見えるものより、
むしろ目には見えないもの、お金には代えられないものばかりだった。
時に人の温もり、愛、情け、親切などなど。
自分自身をタフにもしてくれた。
自分が傷ついた分、人の痛みも理解できるようになった。
トラブルが起きても、比較的冷静で対処すことができるようになった、などなど
計りしれない程の恩恵を被った。
人は、理にかなった考え方と、自制心を持ち合わせたときに初めて、
合理的な振る舞いができるものだ。
いたずらに感情的になってはいけないことも学んだ。
人生そのものが旅であるからして、
今回も、
旅の途中で出会った人の夢を叶えるために投資したまでのこと。
リスクヘッジはしている。
これまでも自由と引き換えに多くの代償を払ってきた。
それは至極当然のことだ。
タビストという、究極の自由を求める生業ほどリスキーなものはない。
まず、よりどころがない。
自由とは、安定には程遠い。
野良犬か飼い犬(お座敷犬)かの例を待つまでもなく、
ボクは迷わず前者を選ぶ。
いまだかって、完全なる自由を成し遂げた人はいないのでないだろうか。
(いかに大富豪であろうと)
人は、死ぬことによってしか自由を手にすることなどできないのかもしれない。
生きてる限り、多かれ少なかれ不自由さを余儀なくされる。
だからこそもだえ苦しむのだ。
自由を求めれば求めるほど。
それが分かっていながら、あえてその不安定さに挑む。
失敗して、すべての財産を失うかもしれない。
人も去っていく。
自己破産や一家離散、命まで失うこともある。
事業(特にベンチャー)はもちろん、
人生において「こうやれば絶対OK」という定石や鉄則などはない。
必ず成功する保証を得て始めることなど不可能であり、
むしろ失敗する可能性の方が遥かに大きい。
(だから、自己啓発書や成功哲学なるものから学ぼうとする。
まず、それで成功する人などいないのに)
だがこれだけは言える、
何度失敗を繰り返しても、
その失敗からきちんと学び、
達成(成功)するまでチャレンジを何度でも繰り返すことしか術はない。
チャレンジを諦めたとき、それは失敗(完敗)に終わる。
ボクは諦めない。
ボクは辞めない。
ボクは負けない。
生きてる限り、前を向き、空を見上げて自由という夢に向かって進むのみ。
幸いボクには、
愛する人がいる。
愛してくれる人がいる。
だから、手を携えて共に歩む、信じる道を。
【追記】
友人が寄せてくれた言葉。
mMst important is there is someone to support you in times of trialls and difficulties
That's great. that's the best gift you can ever have that nothing compares
A real women who you can always rely on is the women who can support you siritually
because there where we can get strength to hold and stand again.