世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

5月23日(月)のつぶやき

2016年05月24日 | 100の力
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当たり前が当たり前ではなくなる日

2016年05月23日 | 100の力
寝るところがあって、

食べるものがあって、

水が飲める、

トイレもあり、お風呂も入れる。

そして電気が使える。


たったこれだけのことが、

震災で全てできなくなってしまった。

今まで当たり前と思っていたことばかりだ。



自分の意志で自由に歩くことができる。

家族がいて、仕事があり、収入がある。

稼いだお金で食事ができ、好きなものが買える。

住める家がある。


これも当たり前だった。


それすらもできなくなった。

みんなが、やれボランティアだ、やれガンバローとか言っているのに、

傍観者でいる。

なんとなく、自分に鞭打ってその輪に入ろうとするけど、

冷たい目線で追い返される。

疎外感を覚え、その場から消えていく。


今、何が当たり前で、普通なのかわからない。

たぶん、自分の中の価値観が変わってしまったのだろう。


      こうして花に水をやるのも乙なもの


本当に世のため人のために生きるなら、

家族は作れない。

配偶者や子供を犠牲にするから。

世の英雄はほとんどそうだった。

誰かを微笑ませれば、傍らで泣く人もいるだろう。

万人に寄与するなんて到底無理な話だ。

たった一人の人の笑顔が見たくて生きる。

それでいい。


一時のムードに乗せられるのはごめんだ。

地に足を付けて、

出番に備え今はエネルギーを蓄える時。
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5月22日(日)のつぶやき

2016年05月23日 | 100の力
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過去のとらえ方

2016年05月22日 | 100の力
今、我々被災者は苦悩の中に喘いでいる。

これからどうして生きるのか。

そう自らに問いかけながら、希望を見出せないまま苦悶の日々を過ごしている。

確かに未曽有の体験だ。


ただ、生きてさえいれば、

好むと好まざるとにかかわらず時間は勝手に過ぎ去っていく。

果たして一年後、この経験をどう受け止めることができるか。


一般的に、過去の出来事をどうとらえるかで

その人の人生観が変わってくる。。

良しとするか、忌まわしい思い出として悔やみ続けるか。


思いだしたくもない過去を引きずって生きるのか、

過去の思い出にほくそ笑むのか。


辛い思い出は誰にもある。

だが、それを単につらいと思うのか、

それを教訓に経験として生かすのか。


当然、幸福度は人によって尺度が違う。

コップの半分の水に例がある。

glass-half-full  前向き 

glass-half-empty ネガティブ思考

“I’m a glass-half-full kind of guy.


問題は、

『辛い過去(思い出)を肯定できるか否か?』というところにある。

誰もがそうであるように、これまでの長い人生の中で様々な経験をしてきた。

失敗したり恥をかいたり、死にかけた事もある。

実際、この地震で、

大火事、大洪水、台風、雷、大雪といったほとんどすべての天災を経験したことになる。

人災も、騙されたり、裏切られたり、逃げられたり、はたまた刺されたりと、

これまた一通り経験してきた。


それらを『肯定』できるだろうか?

辛い過去や失敗を振り返って

「あれは良い思い出だったな」

「あの経験のおかげで今がある」

とフルスイングで自分にも他人にも言えるかどうか。

ボクはできる。


あらゆる失敗、災難がボクを育ててくれたのだから。


      一時の寛ぎを堪能する筆者


現在が良ければ過去は肯定できる。

現在が幸せあれば、すべての過去がいとおしくさえ見えるものだ。

ボクは、今のこの境遇を幸せに感じている。

それもこれも皆さんのお陰です。

感謝してます。

ありがとうございます。
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5月21日(土)のつぶやき

2016年05月22日 | 100の力
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ラッキーパーソン

2016年05月21日 | 100の力
あなたは運がいいですか?


ボクは非常に運がいい。I'm very lucky person.

幸運の星(☆∀☆)の下に生まれたと思っている。

健康でこんな性格(お気楽)に産んでくれた親に大感謝している。

ありがとう!オヤジ、オフクロ。


どちらかというと、悪運が強いのだ。

なにか悪いこと(一般的に)が起きる度に人生が好転していく。


ボクを嫌う人、憎んでる人が

どんなに嫌がらせをしたり、妨害しても

何故か結果的に良い方向に向かう。

不思議だ。


こういうことはやりたくないなー、

辞めたいナ~、

もっとこうしたいナ~と思っていると、

やりたくないことにストップをかけてくれる人が現れる。

やりたくないことをやらないで済むようにしてくれる。

実に奇特な人だ。


ボクに嫌がらせをする人は、

きっとボクが困ると思って妨害するのだろう。

ところが、それがボクにとっては実に好都合なのだ。


辞めたくても、流れでやむを得ず引き受けざるを得なかったことを

スパッと切ってくれる。

そして、やりたい方向に向かわせてくれる。

柵を取り除き、束縛から解放してくれる実にありがたい存在になっている。

だから、感謝している。



人為だけではない。

今回の震災も、ボクにとってはある意味好都合になっている。
(また、不謹慎と言われるだろうが)

ビルに亀裂が入り、好むと好まざるにかかわらず、

オフィスを閉めざるを得なくなってしまったからだ。


手出しがかさんで、負担が重くなっていた折、

どうしようかと思っていた矢先の出来事だった。

閉める決断を促してくれた。

そして、本当にやりたかったことに向かわせる決断をさせてくれた。


こうしてすべてはうまく転がっていく。

人に自然に、そして置かれた境遇に感謝せざるにはいられない。

この幸せ感を分けてあげたい。


      森を泳ぐコイ


「人はすべからく幸せになる権利を有する。

そして、皆幸せになることができる。

なぜなら、幸せは、自分の中に存在しているから。

外に向かって、幸せを望んでも決して得られない。

どんな境遇にあっても、

自分自身が幸せと思えば、

それだけで十分幸せになれる」 by Asay

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5月20日(金)のつぶやき

2016年05月21日 | 100の力
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逆境さえチャンスに変えてしまう

2016年05月20日 | 100の力
立て続けに起こった2度の大地震により

ほとんどの被災者が多かれ少なかれPTSDの症状を訴えている。

ボクも例外ではない。


昨年末からボクの身に続いている連続消失事件の一環なのか、

この地震でビルに亀裂が入りフリートークが事実上使えなくなったしまった。

とうとうここも閉鎖を余儀なくされる。


昨日は、ボランティアの方が来ていただいて片付けのお手伝いをしてくださった。


     ボランティアさんへのご依頼は「社協ボランティア協会」へお問い合わせください

散乱した部屋、もう使えない部屋、

そう思うと片づける気力もわかなかった。

ボランティアさんたちのお陰で、少しは前に進む気力が湧いてきた。

感謝である。


問題は、最後に残った西原村の施設だ。

ただ、残ったといっても、

未だ雨が降れば土砂災害の危険性があるということで、避難指示が出る状態。

これから梅雨に入り、本当に土砂で埋もれてしまえば、

最後の砦も失うことになる。

完全に路頭に迷う、ホームレス状態になる。
(それもまた憧れるが)


いま大きく分けて二つの選択肢があることになる。


プランA: 西原村が残った時の生き方。

プランB: すべてがなくなった時の生き方。


どっちに転んでも、生かされている以上、生きなければならない。

たぶん、土砂で埋もれることはないと希望的観測を持っている。

だから、西原村での生活を描いて、その準備を進めている。

その一つが、「阿蘇瞑想センター」である。

コンセプトは、

『健康』、『繋がり』、『平和』である。

これは今までやってきたことに繋がる。


健康は、心と身体がすべてそろってはじめて健康って言える。

繋がりは、人とのつながり、自然とのつながりを意味する。


そして、

いま日本のみならず、

世界中が「自然の脅威」と「憎悪からの対立の連鎖」となっている現状では、

神経衰弱のような日々となっている。


現代社会では、

諍いのかなりの部分を「(人種的)差別と偏見」や「宗教」が占めていると言えるだろうが、

そのうちの差別や偏見の観念が、瞑想で大幅に減らせるという結果が

英国サセックス大学の研究で明らかになっている。




つまりそれは、瞑想によって「慈悲を主とした人間に変わる」ことができるからという。

そういう意味では

「瞑想という革命的存在」が世界を変え得るのだ。


瞑想の後には、「肯定的な感情」が大きく増大し、

「他人の利と幸福を考えるという感情」が湧いてくる。


「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか?」という質問に対し、

マザーテレサは、

「家に帰って家族を愛してあげてください」と答えている。

家族を愛する = 世界平和 という構図だが、

瞑想 ⇒「他人の利と幸福を考えるという感情」⇒ 人種的偏見を減らす⇒ 世界平和

という構図にも繋がる。


これには、「慈悲の瞑想( Loving-kindness meditation / LKM )」と呼ばれるものが有効とされる。


いつも心の中で願う言葉がある。


私の愛する人が幸せでありますように
私の愛する人の悩み苦しみがなくなりますように
私の愛する人の願いごとが叶えられますように
私の愛する人にも悟りの光が現れますように
私の愛する人が幸せでありますように

さらには

私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願い事が叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように


こう願うことで「慈悲の心」が芽生えてくる。


自身がもたらした教訓は、

「共に悲しみ、共に喜ぶ」ことなのだ。


プランBについての構想は、またの機会に述べよう。
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5月19日(木)のつぶやき

2016年05月20日 | 100の力
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絡む人

2016年05月19日 | 100の力
叩かれて、人は強くそして優しくなれる。

それにしてもかなり叩かれてます。

まるでベッキーか、乙武かはたまた舛添か。


彼らは、自らの不誠実さは棚に上げて。

ボクの悪口を酒の肴に、仲間内でつるんでは(いつも同じ小メンバー)大笑いしているという。

人の悪口を言い合って留飲を下げざるを得ない人種は、

しがないサラリーマン根性の持ち主だと推測する。

同じレベルの人間たちがつるんでいる。(実際勤め人が多い)

何も知らずにたまたま同席した人たちは、きっと辟易しているだろう。
(いや、辟易したと話してくれた)


彼らのことをカラミンと呼ぼうか。

いや、カラムーチョがいいだろうか。

こうした人はなぜボクにそんなに執拗に絡んでくるのか。

とにかくしつこい。

どこまでも突っ込みを入れてくる。

決して許そうとしない。

ボクから離れようとしない。

まるでストーカーのように。

芸能人でもないのに。


嫌いなくせに。

よっぽどボクのことが気になるのでしょうね。

こういう人は、ホントはボクのことが好きなんじゃないだろうかとつい邪推してしまう。

ボクに構ってもらいたくて、やきもちを焼いているのでしょう。

人の悪口を言う以外に、他に話題がないのでしょう。


時に激しい攻撃(口撃)を受ける。

実害がなければ相手にしない。

だが、直接被害を受けるとなると話は別だ。

防御し、必要とあらば反撃する用意がある。
(告訴もあり得る)


こんなにしつこく絡むのはなぜなんだろう。

調べていくとある傾向が見えてきた。


【他人にからみつく心理】

「自他の境界」を区別できない人は、

心理的に自立できていないために、他人を批難しつつも、

一方で他人を頼ったり、他人を求めているものです。

ですから、相手を批難しながらも、

その相手が自分から離れて行くことを、心のどこかで恐れています。

そんな心理の現れとして、相手にネチネチとからみつくような責め方をすることになります。

しかし、しつこくからむ人は、

どんなに相手を責め立てても、それで満足するということは恐らくないでしょう。

なぜなら、その根底には他人への「依存心」あるいは「嫉妬心」があるからです

とある。


つまり、根底に、嫉妬と憧れ、羨望があるからなのだ。

自慢する人が劣等感の表れであるように、

憎しみに駆られた人は浮かばれない。



以下はボクのブログに投稿されたコメントである。


コメント①

あなたを必要としている人間は、違いなくここには、いない。


・コメント②
(≧m≦)ぷっ!マジ~ウケる!!

人の好意を利用して豚みたいに肥えてるくせに(※金正恩か)

生き抜くとか最高ギャグ!!

未曾有って書くべきところ、漢字も間違ってるヨーン

味噌の試練って、さすが知性の欠片もないね~

うけるーーー

仲間の常連で大笑いさせてもらったよーん!

タダ飯美味しいでしょうね~~~

極楽でしょうね~~~~



コメント③
薄汚い豚のような行為はもうおやめになったらどうでしょう?

純粋な好意を利用し、

それに群がるハイエナのような最低の人間ですね、

かじさんは。不愉快に思っている方は沢山いらっしゃいますよ。

人のためになることは一切せず、

他人を不快にさせるだけの存在です、

恥を知ってください。

FBにも書き込もうかな。みんなから賛同されますね、きっと。

気持ちの悪いキスシーンも勘弁くださいませ。
(※しっかり見てますね、見なきゃ見ないで済むのに)


コメント④ 永露

家は被害もなく、電気水道あるのに、被災者ぶって、

タダメシ欲しさに避難所に寄生を続ける最低な男。

この男の被災者きどりは本当に不愉快。


コメント⑤ (これは、もとボクのシェアハウスに住んでいた男Wから)

社会のルールの外で生きているかじさんが弁護士の無料相談を受けるって?

基本的に社会のルールを守って皆、生活をしていますよね?

しかしながら、商売においてコンプライアンスを守る意識はあるかどうか?

見た目ではわからない。

しかし身近で接していると「社会のルール」を逸脱する人物であるということが段々わかってくる。

そのような人から周りの人は離れていく。

法を逸脱して自分ルールを他人に押し付けるような人が法律に守ってもらおうと弁護士に相談するんですね。



コメント⑥
こんな結果になるってことは、

きっといろんなところや人に迷惑をかけているんでしょう?

それで「気分爽快」。迷惑かけられた人は、ますます「怒り心頭」なんでしょうね。


コメント⑦
ブログ拝見しています。

いろんな方から、かじさんの悪口を聞きますがブログに書いてあることとかなり違いますね。

多くの方から聞くのは、最初はバイト代を払うような話でしたか、

結局払ってくれなかったとか、

約束のお金をなかなか払ってくれないとか、その類いの話ばかりです。

普通に考えて、当たり前にやっていれば、(※普通ってなに?当たり前ってなに?)

そんな誹謗中傷はおこらないと思います。
(※ 悪口を言ってる人の質を見ればお分かりになるはずです)



コメント⑧ (おなじくWより)
貴方は人を利用して利得を得る事しか出来ない悲しい人ですね。

貴方は人に対価を与えたことがありますか?

貴方の今後の活動に影響しますよ、重ねてご忠告申し上げます。


コメント⑨ (同じくW )
逃げている間は天国でも、現実はそんなに甘くはない。

浮浪者の如く旅人として、逃げ惑いながら旅を続けるのか、

汝この地に舞い戻り苦しめし人々の報いを受けよ。

憎しみと憎悪の渦のなかに戻りて、天罰を受けるがよい。

皆汝の帰りを憎悪の中で待ち続ける、

蟻地獄のように汝を苦悩の渦へと導くだろう。

(Wの人間性は、ご存じの方ならお分かりのことともいます)



以上が、ブログに寄せられたコメントです。

永露(全く面識のない人)以外はすべて匿名です。

だいたい憶測は付きますが。


ただ、みなさん(例外なく)ボクと直接対面すると、

目を合わさず、何も言わず、こそこそと逃げるように去っていく。

なぜだろう。

自分が正しいと思って、ボクをこき下ろすのであれば、

あった時こそ正々堂々と言えばいいのではないだろうか。

何も言えない、逃げなければいけないのは、

その人たちに後ろめたさがあるからに他ならない。、


ボクは、直接実害が及ばなければ、反論も言い訳もしない。

バカを相手にしている暇はないから。


まあ、それにしてもボロクソですね。

これだけ言われる人間(ボクのこと)は、まさに極悪非道の犯罪者ですね。

ヒール冥利に尽きます。


火のないところに煙は立たないというから、

身から出た錆、因果応報といったところでしょうか。

複数の人が言っているのだから、

まんざら嘘でもないのでしょうか。


しかし、そんなに嫌いで憎たらしいなら、読まなきゃいいのに、

逆に、ここまで詳細に読んでいただけるのは貴重な読者(ファン)になってくれているのでしょう。

本当はボクのことが好きなんだけど、

相手にしてもらえないから、としか思えない。

可愛さ余って憎さ百倍、といったところなのだろう。


それに、ボクがどんなにこき下ろされてもへこたれないから、

相手は、どんどんエスカレートしてくる。

表現も感情的で稚拙である。


【追記】

「しつこい人間の共通点」

しつこい人間とは、

何かと他人の一言一言にしつこく絡んで追求してくる人たちです。

こういった人たちに共通するのは、

執着心が人より強いという事です。

何かに執着しすぎると人生はあまりうまくいきません。



よくビジネスでもめる人や

恋愛関係、人間関係でトラブルになる人

いつもケンカをする人というのは、

共通して執着心がほかの人より強い傾向にあります。



執着心は何か目標を立ててそれを達成する時には

必要な時もあります。


ですが、 世の中の問題には

執着してもたいしたリターンが得られないモノも多いです。


人生を楽しくストレスなく生きている人というのは

執着しすぎない人が多いです。


執着しすぎない人生を送るためには

まず人と見比べることをやめて

自分らしさを追求したほうがいいです。


いつも何かに追われてしんどそうな顔をしている人は、

世間体や収入、他の人からどう思われているか?

といった外的追及をしすぎる傾向にあるので

自分はどうしたいのか?

といった内的追及をしたほうが良いと思います。



【蛇足】

初めて心療内科に行ってみた。

あまりに心を病む人が多く、

そして、常時数種類(6~12)の薬を飲んでいて、

その副作用に悩まされているから。


案の定、8種類の薬を手渡された。



薬漬けの生活って、楽しいのかな?

で、これ飲めば治るの?
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5月18日(水)のつぶやき

2016年05月19日 | 100の力
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自由になるための5つの要素

2016年05月18日 | 100の力
自分なりに自由を得るための定義を考えてみた。


① 嫌われることを恐れない。

誰におべんちゃらを使うわけでもない。I don't flatter to anyone.

誰かの顔色を見て生きているわけでもない。

言いたいことは言う。(歯に衣を着せないI od not mince matters [my words].)

やりたいことはやる。 I will do what I want to do.

だからボクは嫌われている。



② 承認欲求を捨てる

誰かに認めてもらいたいとは思わない。

自分のことは自分で分かっている。

自分の立ち位置がどこななのか。

そして、どこに向かおうとしているのかを。

むしろ、誰も認めないどころか、嘲笑を買っている。

ある程度の低いグループは、

ボクの話題を肴に、笑っているらしい。

それもまた名誉なことだ。


③ 人の期待に応えない

誰かに何かを期待され、

それに応えるために行動しているのではない。

自分の価値判断で行動している。


④ 他者と競争しない

人のことは一切気にしない。

競争相手は、自分自身。


⑤ 孤独を恐れない

孤立ではない。

成長したければ、一人になれ。



ほとんどの悩みは

人間(対人)関係にその源がある。

嫌われたくない、

仲間はずれになりたくない、

群れていたい。

そうして媚びを売るからこじれる。


毅然として自己完成を目指す。

人の行かない道を行く。


それには、まず自己を受容する。

けっして自己肯定ではない。

自分を認め、許すことから、初めて他人にもそうすることができる。


一切、過去に支配されない。

そして、「いまここ」にフォーカスする


仕事はお金でなく、他者への貢献をモットーにする。

だが、けっしてボランティアではない。


こうしたことを貫くには、

「自信」と「勇気」を持つことが必要不可欠だ。


それには常に向学心と好奇心を忘れないこと。

何事にも動じない芯(強い心)を持つこと。

修業を怠ってはいけない。


       瞑想修行中

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5月17日(火)のつぶやき

2016年05月18日 | 100の力
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生きてさえいれば

2016年05月17日 | 100の力
はっきり言って、絶望の淵にある。

収入無し、住むところなし。

その上、貯金無し、借金おおあり。、

あー、これでどうして生きていけばいいんだ!?

死んだほうがましかも。


    避難指示がでると帰れない

いやいや

こんな状況の中、

不思議と楽しい。


不謹慎発言と批判されても構わないが、

この震災さえ楽しんでる。

謳歌している。


なぜなら、まだ生きているから。

生きている以上、

楽しまなきゃ損!



起きたことをいつまでも悔やんでも、ぼやいても仕方ない。

ましてや、人のせい、何かのせいにするなんて。


なんとかなる、生きてさえいれば。

なんとかする、やる気さえあれば。

周囲の雑音にも紛らわされない。

言いたい奴には言わせておけばいい。
(ほっておいてもどうせ自滅するのだから)


ボクは自分が信じた道を、自分が正しいと思うやり方で進む。

いま置かれた状況を楽しむことに徹しながら。
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5月16日(月)のつぶやき

2016年05月17日 | 100の力
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