瞑想三昧 / “居場所 - かじえいせい(Tabist))の「旅が人生の大切なことを教えてくれた」ー"Back to the Forward"- ” htn.to/2f1hXF
心休まる居場所があるかどうか。
それだけで人生が決まるといっても過言ではないだろう。
今ボクは、居場所を転々と変え、
自分なりに心地良さを演出している。
置かれた場所で咲く花のように。
今、ここで何を目指すか。
身体を休め、心を整える。
いわゆる座禅における三調(調身=姿勢、調息=呼吸、調心=こころ)を整えるのだ。
その手段が瞑想である。
今この疎開先でも瞑想に耽る
Look inside.内側から目覚める。
いわゆる、内観。
静かな時間を持つ。
一人の時間を持つ。
ゆっくり考える時間を持つ。
自分の内側を見つめる。
そうして今、やっと自分を取り戻しつつある。
君子危うきに近寄らず。A wise man keeps away from danger.
逃げるが勝ち。 He that fights and runs away may live to fight another day.
三十六計逃げるに如かず、ともいう。
One pair of heels is worth two pair of hands.(一対の踵は二対の手に値する)
※ たとえ手が二対あっても、一対の踵のほうが逃げるときに役立つので価値があるということ。
Discretion is the better part of valor.(用心深さは勇気の大半である)
そうした自分なりの理論を勝手に決め込むのも 対処の一つだ。
大地震以後、手つかずだった執筆活動も徐々にペースが戻っている。
今月末の応募締め切りに向け拍車をかけなければならない。
もう一つは、
旅のレポーターとしての活動である。
こうして疎開であろうと、避難であろうと、逃避であろうと、
自分にとってはこれもまた旅の一環に過ぎない。
人の温かさと非情に触れ、また一つ経験を積み重ねることができることは
この上なく幸せなことである。
同時に、現在最も悲惨な状況下の一つである阿蘇西原村における
「阿蘇瞑想センター」の立ち上げだ。
こちらは梅雨明けまでは予断を許さない状況にある。
ひょっとすると土砂で埋もれてしまうかもしれない。
その時はその時でまた考えればいいだけのこと。
新たな闘志が湧いてくる。
いずれにせよ、
余震が収まって、一定の見通しがついた時、
恩返しとして120%の力を発揮できるよう十分な仕込みをしておかなければならない。
心身が傷ついた方々の癒しの場所を提供するために。
それだけで人生が決まるといっても過言ではないだろう。
今ボクは、居場所を転々と変え、
自分なりに心地良さを演出している。
置かれた場所で咲く花のように。
今、ここで何を目指すか。
身体を休め、心を整える。
いわゆる座禅における三調(調身=姿勢、調息=呼吸、調心=こころ)を整えるのだ。
その手段が瞑想である。
今この疎開先でも瞑想に耽る
Look inside.内側から目覚める。
いわゆる、内観。
静かな時間を持つ。
一人の時間を持つ。
ゆっくり考える時間を持つ。
自分の内側を見つめる。
そうして今、やっと自分を取り戻しつつある。
君子危うきに近寄らず。A wise man keeps away from danger.
逃げるが勝ち。 He that fights and runs away may live to fight another day.
三十六計逃げるに如かず、ともいう。
One pair of heels is worth two pair of hands.(一対の踵は二対の手に値する)
※ たとえ手が二対あっても、一対の踵のほうが逃げるときに役立つので価値があるということ。
Discretion is the better part of valor.(用心深さは勇気の大半である)
そうした自分なりの理論を勝手に決め込むのも 対処の一つだ。
大地震以後、手つかずだった執筆活動も徐々にペースが戻っている。
今月末の応募締め切りに向け拍車をかけなければならない。
もう一つは、
旅のレポーターとしての活動である。
こうして疎開であろうと、避難であろうと、逃避であろうと、
自分にとってはこれもまた旅の一環に過ぎない。
人の温かさと非情に触れ、また一つ経験を積み重ねることができることは
この上なく幸せなことである。
同時に、現在最も悲惨な状況下の一つである阿蘇西原村における
「阿蘇瞑想センター」の立ち上げだ。
こちらは梅雨明けまでは予断を許さない状況にある。
ひょっとすると土砂で埋もれてしまうかもしれない。
その時はその時でまた考えればいいだけのこと。
新たな闘志が湧いてくる。
いずれにせよ、
余震が収まって、一定の見通しがついた時、
恩返しとして120%の力を発揮できるよう十分な仕込みをしておかなければならない。
心身が傷ついた方々の癒しの場所を提供するために。
昨日食中毒騒ぎのあった避難所を離れ、
福岡の疎開先へ来ている。
あの忌まわしい余震からは遠ざかったものの、
ガタンという物音ひとつについ身構えてしまう。
ちょっとした振動にも敏感になっているようだ。
すでにPTSD(心的外傷後ストレス障害)になってしまったのだろうか。
たぶん、被災者の多くの人がこの症状を訴えられてると思う。
ここには、同じように熊本から疎開してきた人が数人いる。
余震に怯え、先の不安を抱えた人ばっかりだ。
昨日は、保健師の方が訪ねて来られて、
カウンセリングをしてくださった。
体の不調や心の悩みなどを聴いていただいた。
我慢せずに病院に行ってくださいねと言って、
一枚の紙を手渡された。
今は、おかげさまで衣食住は満たされているが、
いかんせんお金がない。
動きがとりづらい。
この通知によれば、
業務を廃止、又は休止された方、
失職し、現在収入がない方、
に当たる。
避難所における車中泊の生活が続いたせいか
どうも腰の調子がおもわしくない。
では、とお言葉に甘えて整形外科に行くことにした。
この際、身を沈めトコトン心身のオーバーホールに努めよう。
梅雨が明ければ阿蘇の西原村も少しは落ち着くかもしれない。
また忙しくなる。
その時のために。
福岡の疎開先へ来ている。
あの忌まわしい余震からは遠ざかったものの、
ガタンという物音ひとつについ身構えてしまう。
ちょっとした振動にも敏感になっているようだ。
すでにPTSD(心的外傷後ストレス障害)になってしまったのだろうか。
たぶん、被災者の多くの人がこの症状を訴えられてると思う。
ここには、同じように熊本から疎開してきた人が数人いる。
余震に怯え、先の不安を抱えた人ばっかりだ。
昨日は、保健師の方が訪ねて来られて、
カウンセリングをしてくださった。
体の不調や心の悩みなどを聴いていただいた。
我慢せずに病院に行ってくださいねと言って、
一枚の紙を手渡された。
今は、おかげさまで衣食住は満たされているが、
いかんせんお金がない。
動きがとりづらい。
この通知によれば、
業務を廃止、又は休止された方、
失職し、現在収入がない方、
に当たる。
避難所における車中泊の生活が続いたせいか
どうも腰の調子がおもわしくない。
では、とお言葉に甘えて整形外科に行くことにした。
この際、身を沈めトコトン心身のオーバーホールに努めよう。
梅雨が明ければ阿蘇の西原村も少しは落ち着くかもしれない。
また忙しくなる。
その時のために。
数年前から気付いていた。
こういう時代が来ることを。
このブログでも、何度も警鐘を鳴らしてきている。
今巷では、復興、復興と威勢のいい言葉が飛び交う。
それ自体は決して悪いことではない。
が、復興とは何か?
また元の姿に戻すことなのか。
天災にしろ、人災にしろ、
なぜ世界がこういう状況になったのか。
人間の奢りと身勝手が地球をボロボロにしてきたからではないのか。
その付けがこういう形ででてきている。
元に戻すことにこだわらず、
形を変えてもっと良い世界を作り出すことだ。
結局野性的感性が生死を分ける。
原始時代に戻れというわけではない。
少しは、節度を持って不便さを享受してみてはどうだろうか。
復興より新興。
あるいは、旧興と言うべきか。
原点に返ること。
自らを変えること。
今までとは違うじぶんに変わること。
価値観を変えること。
それには良い機会なのだ。
どう変わるかはこれから模索していかなければならない。
今自分を生きることに必死だ。
愛する人を守ることに必死だ。
それだけでも自分に課せられた役割を果たすことができる。
いや、それが一番難しことかもしれない。
メンタル面で痛手を蒙る人が急増している。
物質的復興もさることながら
心の復興のほうがより問題であろう。
梅雨明けまでは土砂崩れ、土石流の危険性があり近づけない。
もしも、住処が無事に残れば、それからが出番となる。
それまでは、敢えてひたすら静観を決め込む。
焦らない、慌てない、急がない。
周囲の心無い雑音は気にしない、惑わされない。
自分が心身を患っては元も子もなくなる。
避難しても非難することなかれ。
人それぞれの役割があるのだから。
昨日から、第二の疎開先に身を潜めている。
ここにも多くの避難者、援助者たちが集まっている。
鹿児島からゴミ収集車が集結している
そういう人たちとの触れ合いも意義深いものがある。
今は敢えて座して(瞑想)して、出番を待つ(阿蘇・西原村にて)ことに努める
こういう時代が来ることを。
このブログでも、何度も警鐘を鳴らしてきている。
今巷では、復興、復興と威勢のいい言葉が飛び交う。
それ自体は決して悪いことではない。
が、復興とは何か?
また元の姿に戻すことなのか。
天災にしろ、人災にしろ、
なぜ世界がこういう状況になったのか。
人間の奢りと身勝手が地球をボロボロにしてきたからではないのか。
その付けがこういう形ででてきている。
元に戻すことにこだわらず、
形を変えてもっと良い世界を作り出すことだ。
結局野性的感性が生死を分ける。
原始時代に戻れというわけではない。
少しは、節度を持って不便さを享受してみてはどうだろうか。
復興より新興。
あるいは、旧興と言うべきか。
原点に返ること。
自らを変えること。
今までとは違うじぶんに変わること。
価値観を変えること。
それには良い機会なのだ。
どう変わるかはこれから模索していかなければならない。
今自分を生きることに必死だ。
愛する人を守ることに必死だ。
それだけでも自分に課せられた役割を果たすことができる。
いや、それが一番難しことかもしれない。
メンタル面で痛手を蒙る人が急増している。
物質的復興もさることながら
心の復興のほうがより問題であろう。
梅雨明けまでは土砂崩れ、土石流の危険性があり近づけない。
もしも、住処が無事に残れば、それからが出番となる。
それまでは、敢えてひたすら静観を決め込む。
焦らない、慌てない、急がない。
周囲の心無い雑音は気にしない、惑わされない。
自分が心身を患っては元も子もなくなる。
避難しても非難することなかれ。
人それぞれの役割があるのだから。
昨日から、第二の疎開先に身を潜めている。
ここにも多くの避難者、援助者たちが集まっている。
鹿児島からゴミ収集車が集結している
そういう人たちとの触れ合いも意義深いものがある。
今は敢えて座して(瞑想)して、出番を待つ(阿蘇・西原村にて)ことに努める
「ドゥリーミン カントリー・インAso」のある
阿蘇・西原村の惨状は想像を絶するものがあった。
山が二つに割れている
遠目で見ると長閑な風景が広がるのだが。
布田川がいつものように流れている
熊本市内は徐々にインフラも整ってきつつあるが、
ここはまだ戦場さながらである。
自衛隊による仮設お風呂
昨夜はボランティアで来られた方をお泊めして、
今日はまずボランティアセンターを訪れた。
そして、派遣先の川西小学校へ。
まだ水もきていない
ボクの家の近くの水源は
いつものようにコンコンと湧水が流れていた。
社殿には「要注意」の黄色い張り紙が
明日は雨の予報。
また避難指示が出される。
夕方からはまた移動する。
阿蘇・西原村の惨状は想像を絶するものがあった。
山が二つに割れている
遠目で見ると長閑な風景が広がるのだが。
布田川がいつものように流れている
熊本市内は徐々にインフラも整ってきつつあるが、
ここはまだ戦場さながらである。
自衛隊による仮設お風呂
昨夜はボランティアで来られた方をお泊めして、
今日はまずボランティアセンターを訪れた。
そして、派遣先の川西小学校へ。
まだ水もきていない
ボクの家の近くの水源は
いつものようにコンコンと湧水が流れていた。
社殿には「要注意」の黄色い張り紙が
明日は雨の予報。
また避難指示が出される。
夕方からはまた移動する。
ひとり身だからこそ
自由に行動できる。
ありがたい。
もちろん、子どもたちのことを忘れたことはない。
そして、愛する人のことも。
そもそもが自他共に認める自由人。
今日は熊本市内の避難所から一旦フリートークへ戻り、
これから再び阿蘇・西原村へ向かう。
すぐ近くの阿蘇・西原村、小森神社の惨状
社殿もボロボロだ
昨日、今日と避難所でお世話になった神奈川県からのボランティアの方を案内する。
西原村のほうが圧倒的に人手不足なのだ。
相変わらず余震が続く中、移動から移動は続く。
自由に行動できる。
ありがたい。
もちろん、子どもたちのことを忘れたことはない。
そして、愛する人のことも。
そもそもが自他共に認める自由人。
今日は熊本市内の避難所から一旦フリートークへ戻り、
これから再び阿蘇・西原村へ向かう。
すぐ近くの阿蘇・西原村、小森神社の惨状
社殿もボロボロだ
昨日、今日と避難所でお世話になった神奈川県からのボランティアの方を案内する。
西原村のほうが圧倒的に人手不足なのだ。
相変わらず余震が続く中、移動から移動は続く。
放浪の日々が続く。
ほとんどが車中泊である。
毎日が旅の途上と思えばなんてことはない。
タビストとしてはほんの日常に過ぎない。
だが、状況が状況だ。
時折襲う余震。
すでに、ゆうに1000回を超えている。
経済活動ができないので、収入がストップしている。
返済も先送りしているが、
手持ちの現金がない。
今のところ避難所の炊き出しにお世話になって飢えをしのいでいる。
有難いことだ。
顔見知りになった主にお年寄りの方々の話し相手になっている。
一人ぼっちの方。
少しでも話を聞きくことで、心も穏やかになれるだろう。
すべての方が、これからの行く先を心配しておられる。
不安を完全に払しょくすることはできなくても、和らげることはできる。
だが、それもいつまでもというわけにもいかない。
避難所の縮小が検討されている。
ボクはしぶとく生きていく自信がある。
だが、多くの人はそうではないだろう。
身心に不調を訴える方々が急増している。
今は、避難所によってはマッサージ師の方々がボランティアで来てくださっている。
心を病む人にも、カウンセラーの方が遠方から見えている。
感謝に絶えない。
問題は、この連休明けからより深刻になるだろう。
本来は、新緑香る一年で一番良い季節のはず。
一見穏やかな田園が広がる阿蘇・西原村、山肌には土砂崩れの爪跡が
そのあとの梅雨になって二次災害、三次災害が出る可能性も高い。
また大きな地震が来るとまことしやかに流布されている。
何を信じて生きるか。
さまざまな情報が飛び交う中、
最後は、自分自身の直感に従うしかない。
まずは、生き抜くこと。
そして、大事な人、愛する人を守ること。
そこにフォーカスして日々を過ごし、
この難局を切り抜けよう。
まだまだ長い(自分との)戦いになることは避けられない。
その中で気をつけることは、心身の健康である。
身体を労わり、
心を強く持つ。
心が萎えたら終わりだから。
希望を持って生きること。
【追記】
ボクはかろうじて瞑想によって心の平静を保っている。
心無い他人の言葉にも動じることはない。
一日20分、朝夕2回の瞑想。
ただ座って、目を瞑(つぶ)るだけ。
あとは深く、ゆっくり呼吸を繰り返す。
無理して頭を空っぽにしようとしなくてもいい。
楽しいことを空想しよう。
自然の「気」を感じよう。
心が落ち着き、
判断力がつき、
アイデアが生まれ、
免疫力が増し、
自然治癒力が向上する。
ほとんどが車中泊である。
毎日が旅の途上と思えばなんてことはない。
タビストとしてはほんの日常に過ぎない。
だが、状況が状況だ。
時折襲う余震。
すでに、ゆうに1000回を超えている。
経済活動ができないので、収入がストップしている。
返済も先送りしているが、
手持ちの現金がない。
今のところ避難所の炊き出しにお世話になって飢えをしのいでいる。
有難いことだ。
顔見知りになった主にお年寄りの方々の話し相手になっている。
一人ぼっちの方。
少しでも話を聞きくことで、心も穏やかになれるだろう。
すべての方が、これからの行く先を心配しておられる。
不安を完全に払しょくすることはできなくても、和らげることはできる。
だが、それもいつまでもというわけにもいかない。
避難所の縮小が検討されている。
ボクはしぶとく生きていく自信がある。
だが、多くの人はそうではないだろう。
身心に不調を訴える方々が急増している。
今は、避難所によってはマッサージ師の方々がボランティアで来てくださっている。
心を病む人にも、カウンセラーの方が遠方から見えている。
感謝に絶えない。
問題は、この連休明けからより深刻になるだろう。
本来は、新緑香る一年で一番良い季節のはず。
一見穏やかな田園が広がる阿蘇・西原村、山肌には土砂崩れの爪跡が
そのあとの梅雨になって二次災害、三次災害が出る可能性も高い。
また大きな地震が来るとまことしやかに流布されている。
何を信じて生きるか。
さまざまな情報が飛び交う中、
最後は、自分自身の直感に従うしかない。
まずは、生き抜くこと。
そして、大事な人、愛する人を守ること。
そこにフォーカスして日々を過ごし、
この難局を切り抜けよう。
まだまだ長い(自分との)戦いになることは避けられない。
その中で気をつけることは、心身の健康である。
身体を労わり、
心を強く持つ。
心が萎えたら終わりだから。
希望を持って生きること。
【追記】
ボクはかろうじて瞑想によって心の平静を保っている。
心無い他人の言葉にも動じることはない。
一日20分、朝夕2回の瞑想。
ただ座って、目を瞑(つぶ)るだけ。
あとは深く、ゆっくり呼吸を繰り返す。
無理して頭を空っぽにしようとしなくてもいい。
楽しいことを空想しよう。
自然の「気」を感じよう。
心が落ち着き、
判断力がつき、
アイデアが生まれ、
免疫力が増し、
自然治癒力が向上する。
どこに行き、何をすればいいのか!? / “山崩れ - かじえいせい(Tabist))の「旅が人生の大切なことを教えてくれた」ー"Back to the Forward"- ” htn.to/asfFgdui
もしかして人生総崩れ?
家を無くし、仕事を無くした人も多いだろう。
今ボクがいる、ここ阿蘇・西原村出の口地区も例外ではない。
ただ、今は微妙な状況にある。
建物はしっかり残っている。
だけど、周囲に危険な状況が続いている。
土砂崩れ、土石流の脅威が迫っているのだ。
すぐ近くの山がずれている
同じ集落の光景
特に、雨が降ればその危険性が増し、
避難勧告が出されることは必至な状態にある。
この集落の中を流れる布田川(布田川断層)
この川沿いにボクの家はある。
身を守りつつ、
これからの住む場所、生き方を探しあぐねている。
どこに行き、何をすればいいのか、と。
家を無くし、仕事を無くした人も多いだろう。
今ボクがいる、ここ阿蘇・西原村出の口地区も例外ではない。
ただ、今は微妙な状況にある。
建物はしっかり残っている。
だけど、周囲に危険な状況が続いている。
土砂崩れ、土石流の脅威が迫っているのだ。
すぐ近くの山がずれている
同じ集落の光景
特に、雨が降ればその危険性が増し、
避難勧告が出されることは必至な状態にある。
この集落の中を流れる布田川(布田川断層)
この川沿いにボクの家はある。
身を守りつつ、
これからの住む場所、生き方を探しあぐねている。
どこに行き、何をすればいいのか、と。
備えあれば患いなし / “シェルター & Kiss Ring - かじえいせい(Tabist))の「旅が人生の大切なことを教えてくれた」ー"Back to the Forward"- ” htn.to/TNMN4D
備えあれば患いなし blog.goo.ne.jp/dreamincountry… @asaykajiさんから