【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

JNN『報道特集』(2017.4.15)140文字視聴記

2017-04-16 20:14:35 | 政治・文化・社会評論
JNN『報道特集』(2017.4.15)140文字視聴記

              櫻井 智志



1.障がい者の生きる権利と支えるひとびと
息苦しさの世の中で、センターの人々の眼差しと人間理解と親身な対応に、はっとし、ほっとさせられる。父親にレイプされ続け、子どもを妊娠。精神科、刑務所、施設を循環しつつ、今の施設で自分を見直している女性。センターに入り少しずつ他人と関わり共同し交流する男性。



2.熊本大地震②
阪神淡路大地震、東日本大地震、熊本大地震。熊本県知事が「復興の過程でもともとの格差がいっそう酷くなっていく」という金平キャスターとのやりとりに、自然災害が人為災害として社会問題であることに慄然とする。人ごと感、心の風化によって、被災者の空虚感が蔓延する。


3.熊本大地震①
実際に熊本の地震のすさまじい崩落の様子をカメラは伝える。閣僚のさらっとした綺麗事の答弁と地震の被害の爪痕とは、まさに断層がある。若者の「ゴーストタウンになる」というつぶやき。現地で取り組む被害者を、見捨てていく国政。福島原発対応もそうだ。放置同様の施策。



4.小学生殺害事件
保護者会会長。学校行事には全校の子どもたちの前に顔を見せる。この事件がどのような背景のもとに起きたか。会長は本当に小学生を殺したのか。事実が明らかでないので安易に騒ぐべきでない。だが、幼児や児童へのDVは社会の危機である。建前が崩壊して醜悪な本音の連続。



  
 









【温故知新】2014/2/9『宇都宮健児候補を支えた三宅洋平と辛淑玉の思想』

2017-04-16 02:18:32 | 政治・文化・社会評論
【温故知新】2014/2/9【宇都宮健児候補を支えた三宅洋平と辛淑玉の思想】

2014/2/9 櫻井智志

 東京都知事選は、きょうが投票日である。零時まで宇都宮候補の若者向けのネット番組とソチ・オリンピック団体の女子ショートプログラムを見て、寝つかれぬ今は、午前三時である。

 この投稿が掲載されるのは、都知事選投票締め切りの午後八時よりも後になることは予想されるので、都知事選についてこうして書いている。

 私はフェイスブックで本名で「国民的共同をめざして」というページを開設して、都知事選情報と評論とを掲載した。276人の賛同者が私の未熟な展開を支持してくださった。
 最初、私は宇都宮健児氏は日本共産党を中心に緑の党・社民党・新社会党が支持推薦しているという認識だった。しかし、都知事選が告示されてから、選挙戦を通じてその認識が微妙に修正されていった。

 池袋の駅前で、辛淑玉(シン・スゴ)さんの応援演説の動画を見た。涙があふれてきた。それは同じ動画を最終日に見ても同じで涙がにじんできた。辛さんは、渋谷に生まれ渋谷に育った。しかし、都立商業高校に入った辛さんは、そこで民族差別のすさまじさを自ら体験する。夜は焼肉店でバイトしながら、必死で勉学に励む辛さんを待ち構えていたものは、「在日が就職できない」という世間の差別だった。どこにも就職できない辛さんは、自らが会社をつくり経営者となる道を歩んだ。就職でさえ差別でできない人間が、会社経営することの非常な困難は容易に想像される。

 辛さんは、宇都宮さんが弁護士であることを知り、相談したことがあった。その時に快く了承した宇都宮さんの懐の深さに、東京に生まれ、東京で育った人間が東京都知事選の一票を投票できない屈辱と、一票の投票者にはなれない辛さんの大切な相談に耳を傾けそれに力を貸した宇都宮さんの人間性に触れて、「よし、このひとを支持しよう」と思ったという。私は、日本国民がいかに差別し、ひとを見下し、同じアジア人に偏見と抑圧の側に居続けているかを痛切に感じた。辛さんは、内戦の西アジアに行った日本人男性が、当時の日本政府の首脳の言葉によって、首を斬殺された画像を何度も何度も見て、怒りと絶望感に襲われる。「人間の首はこんなにもたやすく斬首されるものか」と、吐き気を催 す不快な感情のなかで、国民を守ることを容易に放棄した日本人政治家の判断に猛烈な憤りを覚える。この指導者とは、細川護煕氏に都知事選出馬を勧め、終始応援した小泉純一郎氏が総理の時のことである。

 私は2013年参院選で緑の党から比例区で、移住した沖縄県から出馬し、終始東京を起点に全国を自らの音楽家としてラップを歌い演説して回った若者を知った。彼は山本太郎氏とともに脱原発を訴え続け、首都圏原発再稼働反対要請行動を行い続けた。その現場で、当初は個人として行動に参加していた吉良よし子さんとも同志として反原発運動を続けた。吉良よし子さんは日本共産党東京選挙区から立候補した。山本太郎さんも無所属で、市民運動の元新左翼の斉藤まさしさんを選挙参謀として闘い当選した。三宅洋平さんは、自民党の下位当選した三、四人よりも多い15万票という得票を得たが、三宅さん以外の緑の党がはじめての全国的選挙ということもあり、軒並み投票数が少なかったために、 政党としての総得票とのバランスで当選はできなかった。しかし、三宅洋平さんは、ラップと演説ライブで全国の若者たちの心をつかみ、息苦しく就職困難で行き先の見えぬ日本に暮らす息苦しさと失望感とをぬぐい去り、「ちゃらんけしようぜ」と発信し続けた。

 今回の都知事選で私は三宅さんが反原発運動に貢献しつづけた鎌田慧さんらが一本化が不成立に終わった時点で支援表明した細川護煕氏を推すと思っていた。けれど三宅さんは宇都宮氏を支援していた。そして若者たちと宇都宮健児氏との仲立ちをして、ダンスやラップで集う若者たちに、宇都宮さんがふれあう機会と場をつくり、自らもともに支援し続けた。斬新で創造的な手法が、若者たちを通して宇都宮陣営の運動となった。実は、アニメ、 ダンス、ラップこれらの若者文化に最初に注目して、政治との接点をつくったのは、さきの参院選で落選して「みどりの風」代表から退いた至学館大学の学長兼理事長だった谷岡郁子さんだった。氏は、若者たちと大学でふれあい、若者の文化をよく理解して中に入っていった。谷岡さんも三宅さんも、新しい時代の息吹きをもつ若者たちを応援していた。

 さて、宇都宮さんは若者たちの非正規雇用や挫折感を理解しようとし、差別を受け続けて苦しむ民衆を応援していた。辛淑玉さんは、参院選で沖縄から社民党で立候補した山城シンジさんを応援していた。フェイスブックで何気ないやりとりをしたことがあった。「山城さんは当選しただろうか」という質問と応答だった。山城さんは落選した。しかし、沖縄の民衆運動は、見事に名護市長選で稲嶺市長を当選させ、五百億という自民党石破幹事長の札束攻勢をはねのけ、沖縄県民の民意を世界中に示した。

 東京都知事選挙の結果は今の私にはわからない。気骨ある評論家と思われていた猪瀬直樹氏が副知事をつとめ、都知事選では400万票という大量得票で当選しながら、わずか一年たつかたたぬかの内に汚職疑惑で辞職するような、美濃部都政が崩壊しつくした荒廃都市東京で、貧困テント村の名誉村長もつとめた宇都宮さんを当選させられるかどうか私は正直危ぶんでいる。

 むしろ、選挙結果以上に、宇都宮さんが「東京デモクラシイ」「東京民主主義レボリューション」と前日の零時にいたる深夜に理解あるジャーナリストに応答した話が心に残る。細川護煕氏の熱い反原発への情熱を私はいまも良しとする者であるが、有名人の名前でなく手弁当で選挙運動を支え続けてくれた無名の庶民が自らの選挙運動を支えてくれたほんとうの宝物です、と話す宇都宮健児氏のひとがらは、本物であると感じた。私はせいぜいインターネット情報の提供程度で、なんら宇都宮さんの運動を大雪のなかでびっしょりぬれて体を冷たい冬の雪で冷やしながらも働き続けた本物の応援者にはなり得なかった者である。

 辛淑玉さんと三宅洋平さんによって、私は新たな視点から統一戦線の問題を考える契機を得た。有名人がたくさん集まっても日本に統一戦線は結成できない。草の根で支え続ける市民・庶民・民衆。そして政治を新たな視点から示したひとたち。日本共産党はそうとうな尽力を宇都宮さんの当選のためにおこなった。しかし、東京都議選や参院選選挙区東京・京都・大阪の幹部も予想しえなかった躍進は、日本共産党さえも自己革新させてやまない大きな時代のうねりが国民の、いや日本に住むすべての民衆の中に湧いているのだ。その地点まで降りていって汲み取らないと、政党が民意を精確に吸収することはできない。

 日本の左翼政党は、社民党は、新社会党は、日本共産党は、今までの選挙マニュアルのまま選挙戦を進めるのではなく、時代の深部にうねる潮流にふれ、自己革新しない限りは、「ある限界」を突破して、安倍親「軍国主義」政権を打破して、この国とこの首都の政治を戦後民主主義の原点から再度スタートしなおし、国民の側の政治を取り戻すことを勝ち取ることはできない。

(*本稿は『さざ波通信』「現状分析と対抗戦略」欄に投稿し、掲載していただいたものである。)