たやすく「人権」を口にしても実際の生活での権威的罵詈雑言は15年たっても私のトラウマとして今も消えぬ
~有田芳生氏と私の週刊金曜日投書欄でのやりとり~
櫻井 智志
(*「桜坂智史」とは私が初めてインターネットで書いたハンドルネームです)
==================================
【Ⅰ】週刊金曜日投稿欄2002年
桜坂智史氏の妄想と無恥
有田芳生
本来なら無視すべきことなれど、別のメディアに戦線を拡大してのデマ文章。最小限、事実を明らかにしたい。本多勝一さん流にいえば「アホラシながらお相手つかまつる」。 ただし一度だけ。
桜坂氏は本誌六月十四日号でこう書いた。「ある議論系サイトで、最近の有田氏の文藝春秋との係わりを疑問視する文を書いた」「ところが私の批判に激高した有田氏は、なんと私の本名を暴露する暴挙に出た」。
私は多少とも面識のある彼の姓だけ!をあえて書くことで何をたしなめたのか。
桜坂氏は、私が主宰する掲示板で関心を寄せたある女性にストーカーまがいのメール攻勢をつづけていた。女性からは私生活が侵害されているとの訴えがあった。
私にそのことを批判されると、それを逆恨みして妄想によるデマを飛ばしたのがことの経過である。桜坂氏は何と書いたか。
私が「反共産党から文芸春秋社(ママ)と定期的な会合をもち」(五月八日)というのである。
私は文藝春秋で「反共産党」のための「定期的な会合」など持ってはいない。
ここにいたって私があえて姓だけを明らかにしたのは、ストーカーまがいの行為やデマ吹聴を続けるならば犯罪になりますよ、という警告のシグナルだった。数日後に氏はこう書いた。
「貴方を、事実の裏づけのうすい主観的なことで批判したことをお詫び申し上げます」(五月十一日)。
本誌でも「疑問視」「批判」などと何かまともな指摘をしたかのように書く鈍感さにはただただ呆れるだけだ。デマはデマ。あくまでも自分中心の「甘えた心情」が桜坂氏のスタイルである。加害者が被害者を演じることを厚顔無恥という。
====================================
【Ⅱ】週刊金曜日投書欄2002年6月14日号 No.415
有田芳生氏の真意を問う
桜坂 智史
私にとって有田芳生氏は、親しみのあるジャーナリストだった。彼が日本共産党から処分されても、日本の社会主義運動をまともに考えてとりくんだ軌跡を尊敬していた。
先日、ある議論系サイトで、最近の有田氏の文藝春秋との係わりを疑問視する文を書いたところ、すぐに氏からの書き込みがあった。私はそのときもハンドルネームで書いていた。今、本誌にも載せている名前である。
ところろが私の批判に激高した有田氏は、なんと私の本名を暴露する暴挙に出た。私は、氏といささかの交流があるので、氏は私の職業や実名も知っている。私への反論は当然だと思う。しかし、それと相手の実名を暴露するような対応に出ることとは、全く異質の次元のことだ。氏はそこでの三度の書き込み全てに私の実名を、文章の脈絡と関連なく意図的に挿入した。
私は、有田氏のようなフリー・ジャーナリストではない。一介の下級地方公務員である。本名で自由に書きたくとも、地方公務員としての職業上の制約をかかえている。公務では支障のある、個人的見解を書いてきた。ハンドルネームだから何を書いてもよいと思っているわけではないから、同じハンドルネームで責任の所在を貫いてきた。しばらく悩んだ末、そのサイトには「一時休業宣言」を出した。
有田氏にメールで「質問とお願い」を出し、その真意をただしたが、なしのつぶてである。氏に、再度おうかかがいする。
「庶民の実名をインターネット上であからさまにすることは、貴兄のジャーナリストとしての言行とどう対応するのですか」と。
==========<了>===========================
~有田芳生氏と私の週刊金曜日投書欄でのやりとり~
櫻井 智志
(*「桜坂智史」とは私が初めてインターネットで書いたハンドルネームです)
==================================
【Ⅰ】週刊金曜日投稿欄2002年
桜坂智史氏の妄想と無恥
有田芳生
本来なら無視すべきことなれど、別のメディアに戦線を拡大してのデマ文章。最小限、事実を明らかにしたい。本多勝一さん流にいえば「アホラシながらお相手つかまつる」。 ただし一度だけ。
桜坂氏は本誌六月十四日号でこう書いた。「ある議論系サイトで、最近の有田氏の文藝春秋との係わりを疑問視する文を書いた」「ところが私の批判に激高した有田氏は、なんと私の本名を暴露する暴挙に出た」。
私は多少とも面識のある彼の姓だけ!をあえて書くことで何をたしなめたのか。
桜坂氏は、私が主宰する掲示板で関心を寄せたある女性にストーカーまがいのメール攻勢をつづけていた。女性からは私生活が侵害されているとの訴えがあった。
私にそのことを批判されると、それを逆恨みして妄想によるデマを飛ばしたのがことの経過である。桜坂氏は何と書いたか。
私が「反共産党から文芸春秋社(ママ)と定期的な会合をもち」(五月八日)というのである。
私は文藝春秋で「反共産党」のための「定期的な会合」など持ってはいない。
ここにいたって私があえて姓だけを明らかにしたのは、ストーカーまがいの行為やデマ吹聴を続けるならば犯罪になりますよ、という警告のシグナルだった。数日後に氏はこう書いた。
「貴方を、事実の裏づけのうすい主観的なことで批判したことをお詫び申し上げます」(五月十一日)。
本誌でも「疑問視」「批判」などと何かまともな指摘をしたかのように書く鈍感さにはただただ呆れるだけだ。デマはデマ。あくまでも自分中心の「甘えた心情」が桜坂氏のスタイルである。加害者が被害者を演じることを厚顔無恥という。
====================================
【Ⅱ】週刊金曜日投書欄2002年6月14日号 No.415
有田芳生氏の真意を問う
桜坂 智史
私にとって有田芳生氏は、親しみのあるジャーナリストだった。彼が日本共産党から処分されても、日本の社会主義運動をまともに考えてとりくんだ軌跡を尊敬していた。
先日、ある議論系サイトで、最近の有田氏の文藝春秋との係わりを疑問視する文を書いたところ、すぐに氏からの書き込みがあった。私はそのときもハンドルネームで書いていた。今、本誌にも載せている名前である。
ところろが私の批判に激高した有田氏は、なんと私の本名を暴露する暴挙に出た。私は、氏といささかの交流があるので、氏は私の職業や実名も知っている。私への反論は当然だと思う。しかし、それと相手の実名を暴露するような対応に出ることとは、全く異質の次元のことだ。氏はそこでの三度の書き込み全てに私の実名を、文章の脈絡と関連なく意図的に挿入した。
私は、有田氏のようなフリー・ジャーナリストではない。一介の下級地方公務員である。本名で自由に書きたくとも、地方公務員としての職業上の制約をかかえている。公務では支障のある、個人的見解を書いてきた。ハンドルネームだから何を書いてもよいと思っているわけではないから、同じハンドルネームで責任の所在を貫いてきた。しばらく悩んだ末、そのサイトには「一時休業宣言」を出した。
有田氏にメールで「質問とお願い」を出し、その真意をただしたが、なしのつぶてである。氏に、再度おうかかがいする。
「庶民の実名をインターネット上であからさまにすることは、貴兄のジャーナリストとしての言行とどう対応するのですか」と。
==========<了>===========================