【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【日本歳時記2019.5.11】~TBS報道特集~   櫻井 智志

2019-05-12 13:47:15 | 政治・文化・社会評論
Ⅰ:北朝鮮と報道

制裁下の北朝鮮国民の暮らしの様子を、リアルな報道によって見た。こう思う。
様々な政治や外交や社会のありようを、善悪二元論のみでは割り切れない世界がそこにある。

 ロシア国内で、最近スターリンを支持したり賛美するなどの動きがある。フルシチョフ報告までスターリンは、ソ連と国際共産主義運動で権威として君臨していた。戦時中や戦後にスターリン下で行われた政治が、実相として暴かれ権威は失墜して、日本の社会科学でもスターリンはレーニンのロシア革命を歪曲した政治家として把握されている。最近のロシア国内の動きは、スターリンの別の側面を別の視点から把握したと考える。

 北朝鮮の金委員長も、経済の国内疲弊を克服するために努力している。諸国の外交による経済規制はじかに食糧が底をつきかけた生活困難として立ち合わせている。北朝鮮が、かつて周囲の核保有国諸国に核兵器廃絶を訴えたこと、諸国は無視したことで、北朝鮮は核兵器開発を始めた。そのような歴史をふまえると、北朝鮮を○か×ではとらえきれない。批判すべきというのではない。北の全体像との関連で個々の政治的できごとを把握する必要が生まれてくる。

私たちに現実をイメージする想像力を培う報道と潜在的に偏見と敵がい心を無意識に植え付ける「報道」もある。私たちに、日本の現状がリアルに届いているか。
そこに報道ジャーナリズムの最大の意義がある。今回の北朝鮮報道のような姿勢こそ、外交を考えるうえでも重要と認識した。最近ある放送局のテレビ報道から、コメンテータ-の大谷明宏氏が消えた。大谷氏は黒田清氏の愛弟子である。黒田氏は読売新聞大阪本社で社会部長を務め、東京本社の渡邉恒雄氏と社長の座を争い社を去った。「黒田清ジャーナル」で黒田氏は報道人の王道を啓蒙し、深めた。そこでの弟子である大谷明宏氏。大谷氏がテレビ画面から消え、ますますその局の報道没体制化が悪化している。

「積極的平和主義」「平和安全保障法」などの実態と離れた「記号」言語を、安倍首相の意のまま垂れ流すテレビ報道番組は、果たして報道といえるのか。



Ⅱ:久連子鶏・古代踊り

久連子鶏の絶滅。日本の自然も地域も過疎や住民が減りなくなっていく。私たちが学校教育で教えられた知識の外側に、無名の集落の文化や暮らしや生物が、調和して系<システム>を保持されてきたのではないか。明治に旧制一高の校長を務めた狩野亨吉が、安藤昌益を発掘した。江戸時代に青森県内で医者だった安藤昌益は、一揆などなんらかの関わりで時代の表に出ることを封じられ、ずっとこの画期的思想家は同時代の人々に無名のままだった。古代踊りの取材は、民衆史の可能性と同時に消滅の危機とを教えてくれる。

久連子鶏を育て、絶滅を防ぐ人々の営みの営み。古代踊りの神楽を学校の教師も加わり、復活。親鳥が子育てに慣れていないためひな鳥が死亡という清水キャスターの報告。熊本五家荘の祭りの継承を支えるかたがたの高齢化。それだけこの取り組みは困難さを伴うことを知ったが、この報道を見ながら、心が温かくなった。