【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

横井久美子50周年記念コンサートの驚き  櫻井智志

2019-07-26 22:33:52 | 音楽と人生


 2019年7月21日、日曜日。東京都中野区にある中野ZERO大ホール。北口にある中野サンプラザとちょうど反対の南口側にある。一階二階の1300人近くの客席は満員。

コンサートをイメージしてゆくと、あっと驚く。午後2時開場で入ると、広いロビーには、【手を取り合って 地球は謳う!】というイヴェントが何と14:00~15:00まで・休憩時・演奏終了後~19:00まで行われるという。〈ベトナム〉〈歌う楽校〉〈おいで一緒にinくにたち〉〈平和・人権コーナー〉〈アイルランド〉〈ネパール〉のコーナーがたくさんの人びとの活気であふれている。

     世界を旅して出会って歌って50年。
     人と人が紡ぎあってできた
     楽しいタピストリーのような世界!

  この構想は、本番のブザーがなってコンサートが開始された時に、より鮮明となってゆく。


 
 コンサートは、午後3時に開始。ギター/コーラスの安田雅司郎さん、バイオリンの今井真実さん、ベース/クラリネットの中村和彦さん、さらにフラットマンドリン/パーカッション/コーラスの北村しんさん。豊かで音楽性の高い楽器演奏者が前奏を奏でる中、横井さんの歌声は聞こえるが姿が見えない。会場内満員の観客の視線は声を追って客席の後ろにふりかえる。オプニングの「私に人生といえるものがあるなら」(笠木透作詞・アメリカ民謡)はこうして始まった。
休憩の15分をはさんで、前半15曲、後半14曲。約30曲を横井久美子さんはこの日歌い続けた。
ちなみに、2曲目からの作品は、以下のとおり。

2 あくび 谷川俊太郎作詞 横山作栄作曲

3 自転車にのって 横井久美子作詞/作曲
元歌に続けて、子どもの頃のご長男とのほほえましいやりとりが替え歌として相次ぎ、親子のコミュニケーションと子育て、親離れの家庭史がほのぼのと伝わってくる。 

4 なみちゃん 刈谷美津子原詩/横井久美子作詞/作曲

5 My Son 横井久美子作詞/作曲
思春期に入り、自我の確立に悩む息子さんを、母親として一定の距離を保ちつつ成長を慈しみ見守る時間が、再現される。

6 母に贈る言葉 横井久美子作詞/アイルランド民謡
私は、横井さんがお母さんの生前に、大人同士の或る葛藤を感じさせる言葉をうのみにしていた。横井さんの心の奥に深い母への追慕と感謝の表現を、ことばでも歌唱でもお聴きして、胸をうたれた。自らが亡父に生存中は尊敬と愛憎の相反する気持ちでいて、亡くなってから今ではもはや片側のコミュニケーションのみ。横井さんが自立する青春期に反発し、そこで鍛えた感情は、より深い人間洞察と静かな親への慕情が結晶化し、我が身をふりかえる契機となった。

7 人生のはじまり 横井久美子作詞/作曲
「40歳代後半は様々なことがあって・・・」。MCのことばに、最初同時にこの歌が入ったアルバム『メッセージ』で聴いたときを思い出していた。1980年12月に東京・草月ホールで「女を歌う・横井久美子リサイタル」を5日間開いた。ゲストにジャーナリストの筑紫哲也さんが登場。2人のやりとりを会場で興味深く聴いていた。

8 おいで一緒に パブロ・ネルーダ詩/笠木透作詞/ディナ・ロット作曲
Song Uniteとして尾崎ツトムさん、山本さとしさん、松島よしおさん、いわき雑魚塾、増田康記さん、斎藤悟さん、横山作栄さん、島袋美恵子さん、鈴木幹夫さん、大熊啓さん、カーミーズ の素晴らしいフォークシンガーたちがこの名曲を歌い横井さんともに会場を「おいで一緒に」ワールドへ招いてくれた。。

9 あなたを見ていると  横井久美子作詞/作曲
櫛田ふきさんの80才の誕生日を祝う作品。2001年に102才でお亡くなりになるまで「ふきと久美子のトーク&ライブ」は17回開催されたそうだ。婦団連の会長を務めた櫛田ふきさんと丸岡秀子さんは、私にも戦後に女性の人権回復・向上の取り組み以外でもベトナム反戦運動など平和運動でも大きな足跡を残された。

10 飯場女のうた 井尻光子原詩 横井久美子作詞/作曲 朗読:「飯場女のうた井尻光子
横井さんに紹介され最初に朗読した井尻光子さんは90才を超えていた。無実の夫が冤罪で、飯場で働き家族を支え続ける。民衆が国家権力の強大さの前でたとえ抵抗しても無力であるかも知れない。だが、耐え続け生き続けて40年以上の歳月を入れて生き続けてゆく。その姿は頼もしく、崇高な強烈さを保持し続けてゆく。





11 筑豊の子守歌  大野隆司作詞 岡田京子作曲
 作曲の岡田京子さんと夫の安達元彦さんを、横井久美子さんか笠木透とフォークスのコンサートかどちらかでステージで拝見したことがある。フォークス結成時に安達元彦さんはそのメンバーだったと思う。やはり横井さんのコンサートのほうか。岡田京子さん作曲のこの歌は、民謡とフォークとが相俟って、表現する横井さんの歌唱力の高さで、聴いていても新たな視野を感じる。

 12 赤い椿と青いげんぼし 田中 暢作詞 横井久美子作曲
 新潟に住む小林ハルさん。ごぜの世界を身をもって体得したいと熱望する横井さんはハルさんに入門を願い、結果としては断られる。歌の中に、強烈にアピールするごぜの存在を通して、訴える表現力の深さは聴く者を感動へいざなう。横井さんの歌の中で私が好きな作品の上位曲である。

 13 ノーモア・スモンの歌 横井久美子作詞/作曲
 ステージにスモン訴訟の画像とスモン訴訟東京弁護団弁護士鈴木堯博さんの朗読が始まる。横井久美子さんがいかに社会問題に怒り参加し音楽で表現する。とことん全国のスモン訴訟に加わり広く国民に伝達したかの足跡を知ることができる。なおかつ、その歌は陳腐な宣伝ではなく、歌として音楽として聴く者の心を揺り動かす。社会的課題のなかに入り、そこで把握した人間的感性の深さが、歌自体としても社会運動としても共に見事な峰に到達している。

 14 夫へのバラード  横井久美子作詞/作曲
 はじめこの歌を聴いたときに、文字どおり夫へのメッセージとして聴いていた。今回の記念コンサートで、北海道じん肺訴訟弁護団の三上直子さんが朗読した。このうたが大きなすそ野の上に立脚したメッセージソングと知る。

 15  にんげんをかえせ  峠三吉詩/アメージンググレイスより
 峠三吉の名作を、アメージンググレイスと組み合わせ、横井久美子ワールドを造出した。ノーモア・ヒバクシャ訴訟弁護団の中川重徳氏が朗読し、尾藤廣喜氏の尺八の音色が歌に深い音色をそえていた。

ここまでが前半の15曲である。
30ページを超えるパンフレットは、受付で無料配布してくれた。この冊子には、これ自体が一冊の横井久美子ブックとして出版されれば、全国の横井久美子さんを知るファンにとっても音楽研究者にとっても、実に貴重なパンフレットである。この冊子も50周年記念コンサートも、コンサート委員会の充実したかたがたの努力と熱意がみなぎるものである。横井久美子さんの夫、ご長男、ご長女のエッセイは実に家族の愛情にあふれ、感銘を受けた。



 
 後半に入る。

 16 世界中の愛をあつめて 横井久美子作詞/作曲
この歌を初めて聞いたように思う。プログラム全曲の中で他の曲としっかり溶け込む。

 17 レッサン・フィリリ 横井久美子作詞/ネパール民謡
この歌とともにネパール・サチコール村に横井さんを導いた桜井ひろ子さんとサチコール村「マガール子バンド」が、舞台に登場。ダン・バハール・タダさん(40歳)を団長に6名が来日、レカ・サルさん(副団長45歳)、ジャナック・シング・タダさん(太鼓25歳)、クッソン・サルさん(太鼓13歳)、ホーリ・バハドールさん(笛16歳)、ルビン・ラクカルさん(ギター17歳)。マガール子バンドについては、横井久美子さんのご著作『村人総出でつくった音楽ホール』(本の泉社1512円)DVD『いのち燦めく村』(横井久美子監督 税込み1500円)が参考となる。来日した青年たちは、このドキュメンタリー映画に出演しているという。

 18 戦争は動けない 門倉訣作詞/青山義久作曲
 1970年前後。ベトナム戦争がアメリカ軍の陸海空の軍隊の攻撃とベトナムの民衆との抵抗によって熾烈を究めた。日本にある米軍基地の武器が、相模原補給廠から横須賀港の米軍艦へ移動、この時に生まれた名曲だ。戦争に反対する市民たちや社会党共産党の活動家など広範なひとびとが補給路に身を横たえるなど戦争への反対意思表示を行った。横井さんは1973年11月に「女性文化代表団」の一員としてベトナムを訪れ、故松本清張氏と共にファン・ヴァン・ドン首相に会見し、ホン・ハー劇場など11カ所で公演した。プログラムの年譜によると、1994年、2003年、2004年、2005年からは毎年のように ベトナムを訪問している。1971年に拡声器から流れる歌「戦争は動けない」を聴いた13歳のチャン・フォン・リエンさんは興味をもち独学で日本語教師となる。リエンさんはその歌手横井久美子さんと2007年5月に会うことが実現し、横井さんも同年8月にリエンさんを日本に招待して、「戦車闘争から13年横井久美子コンサート」を神奈川県相模原市で開催する。日本語教室を主宰するリエンさんとベトナムの中高生は、ステージに登場して朗読した。横井さんの歌にシングアウトする会場。

 19 戦争入門~ブレヒトによせて~ 横山作栄作詞/作曲
 この歌を以前からカセットやCDで聴いたことがある。1960年代のフォークが21世紀の今も新たな響きがある。
ブレヒトによせて、横山作栄さんが作った作品も、横井さんの歌唱も、強くこころに訴えるものがある。

 20 よみがえれ我が大地  横井久美子作詞/アイルランド民謡
 ハープの種類と思うがアイルランドの楽器を演奏しながら、横井さんはこの歌を歌った。やはり国立音大で音楽を専門的にまなんでいるためと思うが、このコンサートでも打楽器や外国の民族楽器などを自在に駆使して、歌唱をより効果的に高めている。

 21 風の中のレクイエム 横井久美子作詞/作曲
  きわめて自然体の歌詞に、深い意味合いと心地よい音感が感ぜらる。歌曲として、新たな地点を獲得した象徴と思う。

 22  アシンボナンガ(姿が見えない) ジョニー・クレッグ作詞/作曲 横井久美子訳詞
 この歌は、横井さんとバンドの安田雅司郎さん、北村しんさんの掛け合いがとても音楽効果を高めている。南アフリカのマンデラ氏は獄中に数十年閉じ込められていた。この歌もレジスタンスの中で世界中に広まった。マンデラは後に獄を出て、大統領となっていく。

 23 四月のカーネーション G・ムスタキ作詞/作曲 横井久美子訳詞
 「ヒロシマ」「私の孤独」で、私もムスタキを知っていた。この歌は、コンサートの中で横井さんが歌の成り立ちを教えてくれた。カーネーション革命とも呼ばれるヨーロッパの民衆の革命運動を、ムスタキが歌にして、それを訳して横井さんは日本に定着させてくれた。

 24 私の愛した街 フィル・コルター作詞/作曲  横井久美子訳詞
 1975年2月にベルリンでの「第5回ポリティカルソングフェスティバル」に招待されて歌った横井さんは、そこでこの歌を知る。歌の謂れを知り、翻訳して自分でも歌い続け、さらに歌が生まれたアイルランドに何度も渡航し、1998年には文化庁芸術家在外研修員として、アイルランドのリマリック大学アイリッシュ・ミュージック科に半年間留学した。横井さんは、コンサートの始めに、ラストに、この歌を歌うことが多かった。

 25 辺野古の海  横井久美子作詞/宮古島民謡
 横井さんは、沖縄県に何度も足を運ばせている。米軍基地の移転に対する県民の闘いを何度も応援している。高江に住民の抗議を県外からも機動隊が多数派遣された。横井さんは一緒に座り込み県民の闘いを共有した。「おいで一緒にinくにたち」のライブでも、「もし本土から2000人の応援があったら、阻止できた」と嘆く現場にそのとき200人の県民と共にいた。さらに、横井さんはコンサ-トを那覇市で開いたときく。
 この歌のステージには宮里幸子さんが琉球舞踊を踊った。舞踊の立ち居振る舞いに、沖縄文化の風格を感じた。

 26 阿武隈高地 哀しみの地よ   伊東達也作詞/横井久美子作曲
 「阿武隈高地 哀しみの地よ」同名のアルバムが当日発売され会場で、購入できた。そこに横井さんの解説が掲載されている。

<原発ゼロを目指して>

阿武隈高地は、はるか昔、日本列島が形成される以前に、海底から隆起して、その後、幾世紀もかけてできた緑豊かな大地です。宮城県南部から茨城県北部まで170kmにわたり、東から浜通り、中通り、会津盆地が走り、人々の暮らしを育みながら、東北の自然や歴史や文化のふるさとになってきました。私は、福島を訪れる度に、この阿武隈高地が、原発被害のために、鋭い叫び声をあげ、今また海底に沈みこもうとしている恐怖を感じます。それも、日本列島全体をジワジワと道づれにして、この恐怖に打ち勝つには、「原発をなくせ」と声をあげ、裁判で闘う人たちと想いを共にすることだと思います。そんな想いでこのCDをつくりました。(横井久美子)

 この歌のステージでは、「歌う楽校」「いわき雑魚塾」「さんしょ」「パパラギ一座」の皆さんが、横井さんの想いを後押しした。

 27  わが大地の歌  笠木透作詞/田口正和作曲 with50周年記念合唱団
 2014年7月11日、「秘密保護法廃止・原発ゼロ~横井久美子&笠木透コンサ―ト」が国分寺市いずみホールで超満員のなかで行われた。ガンと闘病中の笠木さんは快諾して歌った。客席にいた私は笠木さんから目を離せなかった。杖をもちつつも力強く歌い、時に苦痛を耐え途中歌声が途切れても、バックの雑花塾が素晴らしいフォローを行った。
同年12月22日、笠木透さんは亡くなった。
横井さんは1972年以来、笠木透氏と出会い、中津川フィールドフォークで高石ともやさん、もんたよしのりさん、宇崎竜童さん、我夢土下座など多彩な人々と音楽や交流を愉しんだ。
 横井さんも笠木さんも【貧困や差別や暴力のない平和な暮らしのために文化で闘う】共通する志をもっていた。

 28 歌って愛して  横井久美子作詞/作曲   
with50周年記念合唱団の温かく力強いうたごえとともに、横井さんが歌い続けた気持ちがあふれ会場に伝わってきた。

 29 歌にありがとう 横井久美子作詞/作曲


 30曲近くの歌をこの日、横井さんは歌い続け、新曲をプレゼントして、ステージ正面の階段を降り、中央階段を昇り退場した。照明が全開にされた会場を拍手が鳴りやまなかった。
 退場して、観客と交流している横井久美子さんに、尊敬の気持ちで一言こえをかけて満員の出口を後にした。<終>


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