ゼミナールに参加しました。そのテキストにとてもよいケースが紹介されていました。
ロゴセラピーはヴィクトル・フランクルが始めたセラピーです。
オーストラリアの精神科医でナチスの強制収容所での体験記「夜と霧」が世界でよく読まれている書物の10冊に取り上げられています。
それでも人生にYesと言う ヴィクトル・フランクルはウィーンの精神科医でしたが、ナチスの強制収容所で死の隣で生きる希望を失わなわずに耐え忍びました。
収容所でチフスにも感染しましたが、ロゴセラピーを残さないといけないとの執念でチフスに立ち向かいました。
ロゴセラピーはヴィクトル・フランクルが自ら実践し、そのロゴセラピーの効果を自ら確認しました。
ロゴセラピーは、精神 ⇔ 心(感情/気持ち) + 身体 と、心と身体の上位に精神があると考えます。
心と身体が病んでいても精神が病んでいなければ、その人は健全な状態にいて生きる目的を持っています。
自分から人生の意味を見出すと言うより、”人生”が自分に意味を尋ねて来ると考えます。
どんな過酷な状況の中でも意味/価値を見出すことができると説明しています。
価値には、①創造価値、②体験価値、③態度価値があります。
このケースでは、この青年は社会復帰はもう無理と誰もが諦めていました。本人も自分はダメだと諦めていました。
ロゴセラピストがこの青年を信じたことで、青年はチャレンジを続けました。
人は信じてくれる人がいると頑張れるのでしょう。どんな過酷な状況でも意味/価値を見出すことができると信じることが必要なのです。
「17回の失敗」
18歳になる若者が仕事を始めるたびに、そのつど数か月か数週間後に自分から辞めてしまうか、あるいはきちんと仕事をしないという理由で解雇された。この青年は自分が規則的な仕事に耐えられないと思い込んでいたので、自分の絶望的な状況にかなり苦しんでいた。
13回目の試みの後で、青年保護局は青年の生活態度を改善できるかどうか探るために、彼を私のもとに寄こした。それと同時に、青年の家族状況が祖父母の代に至るまで非常に詳しく記録されている参考情報の分厚い書類も届いた。それによると母親は「節操のない放埓な女性」で、未婚でこの青年を出産した。さらにその後何人かの男性との間に10人の子どもを作ったが、その父親の何人かは誰だったかも覚えていないということだ。
青年自身は親戚、祖母、養育の親など、まったく異なる教育方針を持つ人たちの間をたらいまわしにされ、規則正しい生活のリズムや家族のいこいの場などをほとんど知らないで育ってきた。泥酔して暴力を振う男たちが時折家に入り込み、そのような時には家人はこの子を寝床から引きずり出して地下室に隠したが、時によるとそのままでしばらく忘れられていたこともあった。
最後に少年保護係りがこの子を養育者に引き渡した。養育を買って出た両親は一生懸命世話をしたが、あまりにも手がかかりすぎてよく喧嘩になった。養育者はこの子が宿題をきちんとやらないというので厳しく叱ってしつけようとした。自分の子どもの学校成績は良好なので、そんなことは考えられなかったのだ。青年は2回家出をしたが、それほど遠くへは行かなかったデパートで窃盗したり、動物を虐待したり、よその人の自転車を壊したり、というような小さな犯罪をたびたび起こした。
そして何度目かに仕事場を辞めさせられたときに、養育の親は彼の面倒は見られないと申し出た。それからというもの状況はますますひどくなり、青年はあちこちで短期間のパートをしてきたが、それが仕事に対するアレルギーとやる気のなさに拍車をかけることになった。
そもそもこの書類を読みとおした時に、私はこの青年を社会復帰させるチャンスはどう考えても皆無だということを宣言すべきだったのかもしれない。けれども私はこの青年がやってきた時に正面からぶつかって行った。私は、『もう誰もおそらく、あなたが生活態度を改善して普通の生活ができるようになるとは信じてくれないでしょう。それはなぜだか分かりますか?あなた自身がそれを諦めてしまったからなのです』ときっぱり言った。
『けれども』と、私は続けた。『私は諦めません』。私は彼の目の前で書類のファイルをパタンと閉じ、『この中に書いてあることはもう全部忘れました。最初から始めましょう。あたかもあなたの前にすべての可能性が広がっているかのように。あなたが小さい時に、頼まれたことをきちんと処理することや、勉強を規則正しく続けてやることや、多少辛いことでも我慢してやり遂げるというようなことを学ばなかったのならば、今、自分でそれを学ばなくてはならない時が来たのです。そして今までの失敗を「授業料」だとみることにしましょう。他の人たちは、親の義務教育や模範から多くのことを学ぶわけですが、あなたの場合は、自分自身の失敗からそれを学ぶわけです。もしその学習コースが終わったなら、そこであなたは初めて、辛いことでも耐えなくてならないという意味を理解するわけです。だから、今ここであなたが人生を本当に新しく始めるために、何としてもすべての力を束ねてぶつからなくてはなりません。私はなたなにはきっとそれができるだろうと思っています。』
この青年は私の考えを受け容れてくれた。生まれて初めて誰かが、『君はそれができる、君にはチャンスがある』、と言ってくれたのだ。この人は次の仕事、玩具店のパートを始め、自分でがんばろうと意気込んだ、店の主人は青年が品物を売る時に客への対応がぎくしゃくしているという理由で不満だった。これは14回目の試みだった。
17回目の失敗の後でこの青年はもう本当に諦めようとしていた。私はもう一度だけ新しい仕事を始めてみるように勇気付けた。それは花屋のパートだった。彼は花を店の外にだし、車から花を下ろし、時折は園芸場で植え替えなどを手伝った。誰も信じないかもしれないが、青年は今でもまだそこで働いているのだ。そしてうまく行ったら、新しい園芸場で実習を始める可能性も出て来たそうだ。青年は自分が成功したことを非常に誇りに思っていて、市の成人教育施設で国語の書き方の講習を始め、それも今まで続いているのだという。
ロゴセラピーはヴィクトル・フランクルが始めたセラピーです。
オーストラリアの精神科医でナチスの強制収容所での体験記「夜と霧」が世界でよく読まれている書物の10冊に取り上げられています。
それでも人生にYesと言う ヴィクトル・フランクルはウィーンの精神科医でしたが、ナチスの強制収容所で死の隣で生きる希望を失わなわずに耐え忍びました。
収容所でチフスにも感染しましたが、ロゴセラピーを残さないといけないとの執念でチフスに立ち向かいました。
ロゴセラピーはヴィクトル・フランクルが自ら実践し、そのロゴセラピーの効果を自ら確認しました。
ロゴセラピーは、精神 ⇔ 心(感情/気持ち) + 身体 と、心と身体の上位に精神があると考えます。
心と身体が病んでいても精神が病んでいなければ、その人は健全な状態にいて生きる目的を持っています。
自分から人生の意味を見出すと言うより、”人生”が自分に意味を尋ねて来ると考えます。
どんな過酷な状況の中でも意味/価値を見出すことができると説明しています。
価値には、①創造価値、②体験価値、③態度価値があります。
このケースでは、この青年は社会復帰はもう無理と誰もが諦めていました。本人も自分はダメだと諦めていました。
ロゴセラピストがこの青年を信じたことで、青年はチャレンジを続けました。
人は信じてくれる人がいると頑張れるのでしょう。どんな過酷な状況でも意味/価値を見出すことができると信じることが必要なのです。
「17回の失敗」
18歳になる若者が仕事を始めるたびに、そのつど数か月か数週間後に自分から辞めてしまうか、あるいはきちんと仕事をしないという理由で解雇された。この青年は自分が規則的な仕事に耐えられないと思い込んでいたので、自分の絶望的な状況にかなり苦しんでいた。
13回目の試みの後で、青年保護局は青年の生活態度を改善できるかどうか探るために、彼を私のもとに寄こした。それと同時に、青年の家族状況が祖父母の代に至るまで非常に詳しく記録されている参考情報の分厚い書類も届いた。それによると母親は「節操のない放埓な女性」で、未婚でこの青年を出産した。さらにその後何人かの男性との間に10人の子どもを作ったが、その父親の何人かは誰だったかも覚えていないということだ。
青年自身は親戚、祖母、養育の親など、まったく異なる教育方針を持つ人たちの間をたらいまわしにされ、規則正しい生活のリズムや家族のいこいの場などをほとんど知らないで育ってきた。泥酔して暴力を振う男たちが時折家に入り込み、そのような時には家人はこの子を寝床から引きずり出して地下室に隠したが、時によるとそのままでしばらく忘れられていたこともあった。
最後に少年保護係りがこの子を養育者に引き渡した。養育を買って出た両親は一生懸命世話をしたが、あまりにも手がかかりすぎてよく喧嘩になった。養育者はこの子が宿題をきちんとやらないというので厳しく叱ってしつけようとした。自分の子どもの学校成績は良好なので、そんなことは考えられなかったのだ。青年は2回家出をしたが、それほど遠くへは行かなかったデパートで窃盗したり、動物を虐待したり、よその人の自転車を壊したり、というような小さな犯罪をたびたび起こした。
そして何度目かに仕事場を辞めさせられたときに、養育の親は彼の面倒は見られないと申し出た。それからというもの状況はますますひどくなり、青年はあちこちで短期間のパートをしてきたが、それが仕事に対するアレルギーとやる気のなさに拍車をかけることになった。
そもそもこの書類を読みとおした時に、私はこの青年を社会復帰させるチャンスはどう考えても皆無だということを宣言すべきだったのかもしれない。けれども私はこの青年がやってきた時に正面からぶつかって行った。私は、『もう誰もおそらく、あなたが生活態度を改善して普通の生活ができるようになるとは信じてくれないでしょう。それはなぜだか分かりますか?あなた自身がそれを諦めてしまったからなのです』ときっぱり言った。
『けれども』と、私は続けた。『私は諦めません』。私は彼の目の前で書類のファイルをパタンと閉じ、『この中に書いてあることはもう全部忘れました。最初から始めましょう。あたかもあなたの前にすべての可能性が広がっているかのように。あなたが小さい時に、頼まれたことをきちんと処理することや、勉強を規則正しく続けてやることや、多少辛いことでも我慢してやり遂げるというようなことを学ばなかったのならば、今、自分でそれを学ばなくてはならない時が来たのです。そして今までの失敗を「授業料」だとみることにしましょう。他の人たちは、親の義務教育や模範から多くのことを学ぶわけですが、あなたの場合は、自分自身の失敗からそれを学ぶわけです。もしその学習コースが終わったなら、そこであなたは初めて、辛いことでも耐えなくてならないという意味を理解するわけです。だから、今ここであなたが人生を本当に新しく始めるために、何としてもすべての力を束ねてぶつからなくてはなりません。私はなたなにはきっとそれができるだろうと思っています。』
この青年は私の考えを受け容れてくれた。生まれて初めて誰かが、『君はそれができる、君にはチャンスがある』、と言ってくれたのだ。この人は次の仕事、玩具店のパートを始め、自分でがんばろうと意気込んだ、店の主人は青年が品物を売る時に客への対応がぎくしゃくしているという理由で不満だった。これは14回目の試みだった。
17回目の失敗の後でこの青年はもう本当に諦めようとしていた。私はもう一度だけ新しい仕事を始めてみるように勇気付けた。それは花屋のパートだった。彼は花を店の外にだし、車から花を下ろし、時折は園芸場で植え替えなどを手伝った。誰も信じないかもしれないが、青年は今でもまだそこで働いているのだ。そしてうまく行ったら、新しい園芸場で実習を始める可能性も出て来たそうだ。青年は自分が成功したことを非常に誇りに思っていて、市の成人教育施設で国語の書き方の講習を始め、それも今まで続いているのだという。