http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2398219.html
大韓航空の、いわゆる「ナッツ・リターン事件」の初公判が開かれ、起訴された前副社長のチョ・ヒョンア被告側は検察側と全面的に争う姿勢を示しました。
チョ被告は、ニューヨークを出発する大韓航空機内で、ナッツを袋のまま出されたことに激怒して動き出していた機体を引き返させ、
機内サービス責任者を降ろしたことが航空保安法違反などの罪に問われています。
初公判で検察側は、チョ被告が航路を変更させたのは航空保安法違反にあたると指摘。
さらに、暴行や暴言で安全運航を妨害し、事件の発覚後は証拠隠滅を図ったと主張しました。
これに対して、弁護側は、飛行機は17メートル動いていただけで航路変更ではないと反論しました。
また、被告の言動は飛行機の運航を妨げるほどではなかったと主張し、裁判で争っていく姿勢を示しました。
感想;
前副社長が従来から、酷い言動/行動があり、副社長が飛行機に乗る時は、特別のベテランを配備していたそうです。
内部の人の匿名での告発では、今回の件はたまたま外部に公になっただけとのことです。
一番重い罪は、航空法で航路に入っているのを戻させたかどうかだそうです。
被告側は、飛行機が動いていたとの認識はなかった。戻ったのは機長の判断だと主張しているとのことです。
この問題は、二つの課題があるように思いました。
1)前副社長に言えなかった。上に対して問題点を言える状況でなかった。
2)前副社長が命令した場合、法律に反してまで命令に従い、法違反を行った。
皆さんが命令された従業員の立場だったらどうでしょう?苦渋の判断でしょう。
戦後の東京裁判で、上司の命令で捕虜を殺害した兵士が処刑されました。軍部では上司の命令は絶対服従でした。
服従しなかったらどうなったでしょうか?銃殺刑に処されるかもしれません。
ただ、上司の命令であっても、違反をすると違反した人も同罪になってしまいます。
上司と法、とどちらが優先かと言えば、法遵守だとはわかっているはずですが。
ただ。そのような状況でどうするかは難しいです。
前社長に従わなければ左遷あるいは退職なのかもしれません。
大韓航空では、幹部もNoと言えなかったのでしょう。
中国の古事を思い出しました。
「貞観政要のリーダー学」 守屋 洋著
”直言を聞く上司に問題起こらず”
“大事は皆小事より起こる”
太宗(唐の二代目名君)が貞観六年、側近の者に語った。
あの孔子が、『国が危難に陥って滅びそうだというのに、だれも救おうとしない。これでは、なんのための重臣なのか』と語っている。
まことに臣下たる者は、君臣の義として、君主に過ちがあれば、これを正さなければならない。
わたしはかつて書を繙(ひもと)いたとき、夏の桀王が直言の士、関竜逢を殺し、漢の景帝が忠臣の晁錯を誅殺したくだりまでくると、
いつも読みかけの書を閉じて、しばし嘆息したものだった。どうかそちたちは、おのれの信ずるところをはばからず直言し、政治の誤りを正してほしい。
わたしの意向に逆らったからといって、みだりに罰しないことを、あらためて申し渡しておく。
ところで、近ごろ、朝廷で政務を決裁するとき、法令違反に気づくことがある。
この程度のことは小事だとして、あえて見逃しているのであろうが、およそ天下の大事はすべてこのような小事に起因しているのである。
小事だからといって捨ておけば、大事が起こったときには、もはや手のつけようががない。
国家が傾くのも、すべてこれが原因である。隋の煬帝は暴虐の限りを尽くしたあげく、匹犬の手にかかって殺されたが、それを聞いても嘆き悲しんだ者はいなかったという。
どうかそちたちは、わたしに煬帝の二の舞いをさせないでほしい。わたしもまた、そちたちに忠なるが故に誅殺された関竜逢や晃錯の二の舞いはさせないつもりである。
こうして君臣ともに終りをよくするなら、なんと素晴らしいことではないか。
歴史を学ぶとは、まさに経営のトップに立つ者が、謙虚な姿勢で経営に望むことと、古典からも学ぶことが必要なのでしょう。
前副社長は経営の神髄を学ぶことを行って来なかったツケを今味わっているのではないでしょうか。これからどうするかなのだと思います。
大韓航空の、いわゆる「ナッツ・リターン事件」の初公判が開かれ、起訴された前副社長のチョ・ヒョンア被告側は検察側と全面的に争う姿勢を示しました。
チョ被告は、ニューヨークを出発する大韓航空機内で、ナッツを袋のまま出されたことに激怒して動き出していた機体を引き返させ、
機内サービス責任者を降ろしたことが航空保安法違反などの罪に問われています。
初公判で検察側は、チョ被告が航路を変更させたのは航空保安法違反にあたると指摘。
さらに、暴行や暴言で安全運航を妨害し、事件の発覚後は証拠隠滅を図ったと主張しました。
これに対して、弁護側は、飛行機は17メートル動いていただけで航路変更ではないと反論しました。
また、被告の言動は飛行機の運航を妨げるほどではなかったと主張し、裁判で争っていく姿勢を示しました。
感想;
前副社長が従来から、酷い言動/行動があり、副社長が飛行機に乗る時は、特別のベテランを配備していたそうです。
内部の人の匿名での告発では、今回の件はたまたま外部に公になっただけとのことです。
一番重い罪は、航空法で航路に入っているのを戻させたかどうかだそうです。
被告側は、飛行機が動いていたとの認識はなかった。戻ったのは機長の判断だと主張しているとのことです。
この問題は、二つの課題があるように思いました。
1)前副社長に言えなかった。上に対して問題点を言える状況でなかった。
2)前副社長が命令した場合、法律に反してまで命令に従い、法違反を行った。
皆さんが命令された従業員の立場だったらどうでしょう?苦渋の判断でしょう。
戦後の東京裁判で、上司の命令で捕虜を殺害した兵士が処刑されました。軍部では上司の命令は絶対服従でした。
服従しなかったらどうなったでしょうか?銃殺刑に処されるかもしれません。
ただ、上司の命令であっても、違反をすると違反した人も同罪になってしまいます。
上司と法、とどちらが優先かと言えば、法遵守だとはわかっているはずですが。
ただ。そのような状況でどうするかは難しいです。
前社長に従わなければ左遷あるいは退職なのかもしれません。
大韓航空では、幹部もNoと言えなかったのでしょう。
中国の古事を思い出しました。
「貞観政要のリーダー学」 守屋 洋著
”直言を聞く上司に問題起こらず”
“大事は皆小事より起こる”
太宗(唐の二代目名君)が貞観六年、側近の者に語った。
あの孔子が、『国が危難に陥って滅びそうだというのに、だれも救おうとしない。これでは、なんのための重臣なのか』と語っている。
まことに臣下たる者は、君臣の義として、君主に過ちがあれば、これを正さなければならない。
わたしはかつて書を繙(ひもと)いたとき、夏の桀王が直言の士、関竜逢を殺し、漢の景帝が忠臣の晁錯を誅殺したくだりまでくると、
いつも読みかけの書を閉じて、しばし嘆息したものだった。どうかそちたちは、おのれの信ずるところをはばからず直言し、政治の誤りを正してほしい。
わたしの意向に逆らったからといって、みだりに罰しないことを、あらためて申し渡しておく。
ところで、近ごろ、朝廷で政務を決裁するとき、法令違反に気づくことがある。
この程度のことは小事だとして、あえて見逃しているのであろうが、およそ天下の大事はすべてこのような小事に起因しているのである。
小事だからといって捨ておけば、大事が起こったときには、もはや手のつけようががない。
国家が傾くのも、すべてこれが原因である。隋の煬帝は暴虐の限りを尽くしたあげく、匹犬の手にかかって殺されたが、それを聞いても嘆き悲しんだ者はいなかったという。
どうかそちたちは、わたしに煬帝の二の舞いをさせないでほしい。わたしもまた、そちたちに忠なるが故に誅殺された関竜逢や晃錯の二の舞いはさせないつもりである。
こうして君臣ともに終りをよくするなら、なんと素晴らしいことではないか。
歴史を学ぶとは、まさに経営のトップに立つ者が、謙虚な姿勢で経営に望むことと、古典からも学ぶことが必要なのでしょう。
前副社長は経営の神髄を学ぶことを行って来なかったツケを今味わっているのではないでしょうか。これからどうするかなのだと思います。