幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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安部首相の沖縄県民への冷たい仕打ち(予算削減) 沖縄県民への冷酷な仕打ちでは? 

2015-01-08 22:54:41 | 社会
沖縄への予算は仲井元知事の時には上乗せを約束していましたが、今回、前年度の予算を削減する仕打ちでした。
理由は膏薬と同じでどこでも貼り付けられますが、明らかに翁知事に対する仕打ちではないでしょうか?
翁知事が当選後、安部首相と菅官房長官に会いたい言っても、忙しいとの理由で断わられて会えませんでした。
そして今回の仕打ちです。
また、農林水産大臣にも時間がないとの理由で今回会って貰えませんでした。

沖縄が琉球王国の時に、島津藩が征圧した関係で日本に属しましたが、それまでは独立国家でした。
第二次世界大戦ではひめゆり隊の集団自決など、沖縄が戦場となり多くの犠牲者がでました。
そして、今なお基地問題で苦しまれています。
さらに予算削減で沖縄県民を苦しめたいのでしょうか?
新規新幹線の予算に数千億を付ける中での、沖縄県の予算削減です。

今回の政府の対応は、「安部首相に反対する人には冷遇する」との姿勢のようです。
安部首相は韓国や中国に対して「対話しましょう」と言われています。
つまり意見を異にする相手とは対話が必要とのメッセージを出されていますが、翁知事とは対話を避けられています。
行動がまさにその人の考えだと言います。

翁知事は、安部首相の意向に反するのでしょうが、沖縄県民が選んだ知事です。
今回の仕打ちは沖縄県民に対する仕打ちでもあります。
また、他の自治体も安部首相の方針に反対しようものなら、予算の締めつけをしますよとのメッセージでもあります。
予算を気にして自由な意見が言えなくなってしまいます。
反対意見の人と話し合うことが大切なのだと思うのですが・・・。
予算を削減するなら、きちんとその理由を翁知事に、沖縄県民に説明が必要だと思います。

沖縄県民を孤立させてはいけないと思います。
今回の安部首相の対応は沖縄県民だけの問題ではないように思いました。




「日本人の悩みを吹き飛ばす「美輪明宏」名言集」  苦労され、努力された人の言葉には重みがある

2015-01-08 03:28:00 | 生き方/考え方
(プレジデントオンライン PRESIDENT 2014年6月16日号 掲載 より)
http://news.goo.ne.jp/article/president/entertainment/president_14152.html 

酸いも甘いも噛み分けるこの人の、無我夢中に生きた青年期。そこには生きるヒントが詰まっている。
■「負けるものか」が口癖になっていた

終戦の年、私は10歳の少年でした。その後、国立音楽大付属高校に入学するため郷里の長崎から上京しました。確か15歳か、16歳の頃です。実家は比較的裕福だったので、仕送りをしてもらっていましたが、戦後のドタバタでついに親の仕事もうまくいかなくなり、破産。家は没落しました。以来、仕送りは完全に停止しました。

当時、国鉄の駅は夜になると家を焼け出された人々が寝泊まりしていました。私も一時その集団に潜り込んで雨風をしのいでいましたが、何もしなければ死んでいたでしょう。とにかく働き口を探し、食い扶持を稼がないと……。
新宿駅なんかに立っていると、手配師から声がかかりました。それで、楽器を弾ける人や歌を歌える人はトラックに乗せられて立川や座間などの米軍キャンプに連れていかれた。運のいい人は、そこでバイト代のほかにコンビーフ缶などをもらえた。将来のことなど、誰も考えられません。ひたすら今を生きる。それで精一杯の日々でした。

少しして安いアパートを借りられるようになったときのこと。私がドアの鍵を差し込むと一緒に帰宅したボーイフレンドが「ほーら、また言った」と。「え、何を?」と聞くと、教えてくれました。私は無意識に「負けるものか」としばしばつぶやいていたのです。戦争には負けたけれど、私は負け犬にならない。絶対、負けてなるものか。そんな思いが口癖となったのでしょう。

好むと好まざるとにかかわらず、人は「現実」に晒され翻弄されます。人生は順風の時もあれば、逆風の時もある。そうした真理は古今東西共通です。
ただ、戦前・戦中・戦後の苦難を肌で知る私が言いたいのは、現代の人はすぐ弱音を吐いたり、心が折れたりしやすいのではないかということです。

上司に怒られ、同僚には足を引っ張られ、得意先に理不尽な注文を浴びせられ、営業成績もさっぱり上がらない。四面楚歌だ。俺はダメなヤツだ、と。
厳しいようですが、私に言わせれば、そんなの平和ボケの時代の贅沢な悩みです。災難を災難と受け止める意識があるうちは生ぬるいんです。
火の粉はふり払わなければ、火傷します。だから必死にふり払う。自分が置かれた立場を悲観している暇はない。

ああだこうだと、弱音を吐いている人は、一度すべてを放り出せばいいんです。禅の修行で、絶食したり水断ちしたりして極限まで追い込まれると、おしんこ一枚、水一滴がありがたいと思えるように、試しに、落ちるところまで落ちればいい。ある種のリセットをすることで、風景もまったく異なって見えるはずです。

生きるか死ぬかという段階になれば、例えばかつてはプライドが許さなかった「人に頭を下げる」ことさえ、簡単にできるようになるものです。

私が自信を喪失した人によくお伝えするのは、「自分の手や足を鏡に映して、よく見てみなさい」ということ。ずうずうしく、でんっと生き続けてきた自分の姿がそこにはある。ものはついでです。今まで生きてこられたのだから、この先もきっとやっていけるはずです。

そして、これからは、「温室育ちの花や野菜」ではなく、「波打ち際の防風林」のような存在になる、と誓うのです
海からの強烈な潮風に絶えず吹き付けられていると、根っこが張り、強くなる。耐久力がつきます。結局のところ、人生は経験や慣れがモノを言うところがあります。船が沈まないよう、その都度何かを打ち付けて補強する。そうやって経験値が高くなるごとに自分の中に手札も増える。それこそが自信となるのです。

そして経験値を上げ、転ばぬ先の杖ともなるのが「文化に触れる」習慣。例えば、日本の文豪の本を読み、歴史上の人物の生き様を知り、CGやドンパチばかりの今の映画とは正反対の胸にじわりと残る昔の映画を見る。そうした作品には、今、私たちが試練を迎えたときの生き方のお手本となり、背中をそっと押してくれる「ストーリー」が満載なのです。

火の粉がふりかかっているときは、悩んでなんていられない。悩みがあるのは、まだ余裕がある証拠。

とにかく行動あるのみ。この方法がダメならこっちとか、生きる方法を考えること。そうしていくうちに、自然と手札が増えていく。
結局、人生はすべて経験、慣れなのです。

自信がなくなったら、鏡を見なさい。ずうずうしく生き続けている自分の姿が見えるでしょう。
今まで生きてこられたのだから、この先も十分生きられる。

尊敬される人とは、感情を理性でコントロールできる人。
知識や教養のない人は、感情的になって、なんの手立てもできない。

個人の考えはたかが知れている。いろんな人たちが残した事物事象を参考にすればいい。ネタがないとガソリン切れになりますよ。

美輪明宏
1935年、長崎市生まれ。小学校から声楽を習い、国立音楽大学付属高校中退、16歳でプロ歌手となる。 「メケ・メケ」でファッション革命を起こし、「ヨイトマケの唄」以降はシンガーソングライターとしても活躍。著書に『紫の履歴書』『人生ノート』など多数。2014年4月からはNHK連続テレビ小説「花子とアン」の語りを担当。自身が作・演出・美術・衣裳・主演する「美輪明宏版 愛の讃歌エディット・ピアフ物語」の全国10都市公演を果たす。

感想
美輪明宏さんの本を数冊読んだことがあります。若い時の顔は男性でも美しいと思うほどの美しさです。それが人生に大きく影響したようにも思いました。
それと努力の人でもあります。様々な試練に立ち向かって来られました。それだけに、美輪さんの口から発せられる言葉は重みを感じます。

上杉鷹山(上杉家中興の祖)の書物は、経営者によく読まれています。上に立つ者の考え方と行動の見本になっています。
その上杉鷹山の言葉に、「言葉は誰の口から出たかによって重みが違う」があります。
時々、会社の役員がプレジデントから引用した言葉を自分の言葉のように部下に訓戒している人がいますが、「おいおい、ご自分の行動から直されては?」と思う場合がありました。
人は言葉を選んで発言しますが、発する言葉も人を選んでいるように思います。
行動が伴ってこその、その言葉なのだと思います。行動や態度がその人の考え方であり、その人そのものであるのではないでしょうか。