http://www.asahi.com/articles/ASH4H5GBPH4HUTFK00B.html?ref=nmail
2015年4月16日05時04分
過激派組織「イスラム国」(IS)による邦人人質事件で、ISが人質としたフリージャーナリスト後藤健二さんの妻に「ボールはお前たちの側にある」などと英文の電子メールで何度も接触していたことが明らかになった。妻は後藤さんの解放に向け、ISとメールで交渉。ISと直接交渉するルートを持たなかった日本政府はこれを把握していたが、メールの文面も含めてやり取りには直接関わらなかった。
政府関係者らの証言で明らかになった。朝日新聞は妻にも取材を申し込んだが、15日夜までに回答は得られていない。
ISは日本時間の1月20日、会社経営者湯川遥菜(はるな)さんと後藤さんの映像をインターネット上に投稿。24日には写真を手にした後藤さんの映像を公開した。写真には湯川さんが殺害されたとみられる様子が写り、画像とともに流れる音声で後藤さんを名乗る人物が「ヨルダン政府に収監されているサジダ・リシャウィ死刑囚を彼らに引き渡せば、私は解放される」「私を殺させないでほしい」と告げていた。
政府関係者によると、ISからのメールが相次いだのは24、25両日だった。ISは24日の映像公開前に、後藤さんの妻に同様の内容をメールで連絡。25日早朝(現地時間24日夜)には「死刑囚を連れて来ないと人質は助からない。明日までに回答しなければ人質は死ぬ」と脅し、死刑囚を釈放するよう改めて求めた。
さらに、25日夕方(同25日昼)のメールでは「あと数時間で終わりだ。ボールはお前たちの側にある」と対応を迫った。また「死刑囚が無事にトルコ国境付近に到着したことが確認されれば、すぐに人質を国境近くに連れて行くつもりだ」などと引き渡し場所にも言及し、後藤さんを解放すると主張した。
政府はISの意向を探るため、ヨルダン政府などを通じて中東地域の部族長や宗教指導者らを経由して接触を試みたが、ISと直接つながるルートは得られず、人質解放には至らなかった。一方で、政府はISから妻に届くメールについて、妻の承諾を得て同時進行で把握していた。政府にとってIS側の動きを知る手段は、このメールが主だったという。
ISから妻へのメールは、後藤さんがシリアで行方不明になって約1カ月後の昨年11月下旬に初めて届いた。妻は2通目となる12月3日に来たメールに気付いて外務省に通報した。
ISは当初、身代金を要求して妻とメールを続けていた。だが、その後、要求を死刑囚と後藤さんの交換に変更。政府内では外務省が妻との連絡役を担ったが、政府がISのメールに返信したり、文面について助言したりすることはなかったという。
妻は、後藤さんと知り合いだった豪州在住の危機管理コンサルタントらと相談しながら、ISとメールでやり取りを続けた。ISに対して「早く夫に会わせてほしい」などと後藤さんの早期解放を求めたが、ISは訴えを聞き入れず、2月1日に後藤さんを殺害したとする映像を公開した。
感想;
何故、政府はISと接点があったのに、それを使わなかったのでしょうか?考えてみました。
最初から交渉する意思はなかったのかもしれないと思いました。つまり、身代金を払う考えはなかった。
払う気持ちがないので、交渉はできなかったので、交渉をしなかった。
一方、ISがビデオを公開したことにより、国民が知ることになったので、交渉しないとは言えなくなったのでヨルダンに丸投げで依頼することにしたのかもしれません。
助けたいと思うなら、12月の段階で、最初の身代金の金額の低い時点で交渉できていたのではないでしょうか。
それと、中東訪問し、ISと戦っている国を支援するとのアピールが、ISに口実を与えてしまったことは否定できないと思うのですが。
政府には助けたい。何とか精一杯できることをするとの”気持ち?(考え)”がないと仮定すると、政府の行動はよく理解できます。
米国への配慮(身代金を払うとISを増強させる)を優先する、人質を助けるの選択肢で米国への配慮を選択されたのでしょう。
もしそうなら、それはそれで一つの選択肢です。一人の人質を助けることで身代金を払うと、そのお金がさらなる犠牲者を増やすことにもなります。
それを明確にすると国民の支持率が落ちるとの判断で、一生懸命取り組んでいるとの姿を見せたかのだとすると政府の行動もなんとなく分かるように思います。
ただそれは言葉を言い換えると「助ける意志がなかったが、助けることに一生懸命取り組むように見せているだけ」となるのかもしれません。
私たちがどう対処するか、それを私たちも考える必要があるのではと思いました。
2015年4月16日05時04分
過激派組織「イスラム国」(IS)による邦人人質事件で、ISが人質としたフリージャーナリスト後藤健二さんの妻に「ボールはお前たちの側にある」などと英文の電子メールで何度も接触していたことが明らかになった。妻は後藤さんの解放に向け、ISとメールで交渉。ISと直接交渉するルートを持たなかった日本政府はこれを把握していたが、メールの文面も含めてやり取りには直接関わらなかった。
政府関係者らの証言で明らかになった。朝日新聞は妻にも取材を申し込んだが、15日夜までに回答は得られていない。
ISは日本時間の1月20日、会社経営者湯川遥菜(はるな)さんと後藤さんの映像をインターネット上に投稿。24日には写真を手にした後藤さんの映像を公開した。写真には湯川さんが殺害されたとみられる様子が写り、画像とともに流れる音声で後藤さんを名乗る人物が「ヨルダン政府に収監されているサジダ・リシャウィ死刑囚を彼らに引き渡せば、私は解放される」「私を殺させないでほしい」と告げていた。
政府関係者によると、ISからのメールが相次いだのは24、25両日だった。ISは24日の映像公開前に、後藤さんの妻に同様の内容をメールで連絡。25日早朝(現地時間24日夜)には「死刑囚を連れて来ないと人質は助からない。明日までに回答しなければ人質は死ぬ」と脅し、死刑囚を釈放するよう改めて求めた。
さらに、25日夕方(同25日昼)のメールでは「あと数時間で終わりだ。ボールはお前たちの側にある」と対応を迫った。また「死刑囚が無事にトルコ国境付近に到着したことが確認されれば、すぐに人質を国境近くに連れて行くつもりだ」などと引き渡し場所にも言及し、後藤さんを解放すると主張した。
政府はISの意向を探るため、ヨルダン政府などを通じて中東地域の部族長や宗教指導者らを経由して接触を試みたが、ISと直接つながるルートは得られず、人質解放には至らなかった。一方で、政府はISから妻に届くメールについて、妻の承諾を得て同時進行で把握していた。政府にとってIS側の動きを知る手段は、このメールが主だったという。
ISから妻へのメールは、後藤さんがシリアで行方不明になって約1カ月後の昨年11月下旬に初めて届いた。妻は2通目となる12月3日に来たメールに気付いて外務省に通報した。
ISは当初、身代金を要求して妻とメールを続けていた。だが、その後、要求を死刑囚と後藤さんの交換に変更。政府内では外務省が妻との連絡役を担ったが、政府がISのメールに返信したり、文面について助言したりすることはなかったという。
妻は、後藤さんと知り合いだった豪州在住の危機管理コンサルタントらと相談しながら、ISとメールでやり取りを続けた。ISに対して「早く夫に会わせてほしい」などと後藤さんの早期解放を求めたが、ISは訴えを聞き入れず、2月1日に後藤さんを殺害したとする映像を公開した。
感想;
何故、政府はISと接点があったのに、それを使わなかったのでしょうか?考えてみました。
最初から交渉する意思はなかったのかもしれないと思いました。つまり、身代金を払う考えはなかった。
払う気持ちがないので、交渉はできなかったので、交渉をしなかった。
一方、ISがビデオを公開したことにより、国民が知ることになったので、交渉しないとは言えなくなったのでヨルダンに丸投げで依頼することにしたのかもしれません。
助けたいと思うなら、12月の段階で、最初の身代金の金額の低い時点で交渉できていたのではないでしょうか。
それと、中東訪問し、ISと戦っている国を支援するとのアピールが、ISに口実を与えてしまったことは否定できないと思うのですが。
政府には助けたい。何とか精一杯できることをするとの”気持ち?(考え)”がないと仮定すると、政府の行動はよく理解できます。
米国への配慮(身代金を払うとISを増強させる)を優先する、人質を助けるの選択肢で米国への配慮を選択されたのでしょう。
もしそうなら、それはそれで一つの選択肢です。一人の人質を助けることで身代金を払うと、そのお金がさらなる犠牲者を増やすことにもなります。
それを明確にすると国民の支持率が落ちるとの判断で、一生懸命取り組んでいるとの姿を見せたかのだとすると政府の行動もなんとなく分かるように思います。
ただそれは言葉を言い換えると「助ける意志がなかったが、助けることに一生懸命取り組むように見せているだけ」となるのかもしれません。
私たちがどう対処するか、それを私たちも考える必要があるのではと思いました。