幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

若林正恭 テレビ局員から学歴イジリを受けて爆笑されたと明かす ”そんなに優秀な大学?”

2015-10-12 17:18:38 | 社会
http://news.livedoor.com/article/detail/10697476/2015年10月12日

10日放送のラジオ番組「オードリーのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)で、若林正恭が、テレビ局員から学歴についていじられたことを明かした。

この日の番組では、日本大学付属高校に通っていた若林と相方の春日俊彰が、高校3年生当時のやりとりについて回想。ふたりは、成績の悪さから内部進学が叶わなかったそうで、結局、春日は一般受験で日本大学の商学部に、若林は東洋大学の夜間部に入学したという。

すると、若林は、大学進学にまつわる話の流れから「笑ってもらっていいんだけど」と切り出し、テレビ局員との飲み会で、出身大学の話になったときの出来事を語り始める。

若林によると、多くのテレビ局員は名門大学を卒業しているそう。当時、一緒に飲んでいたテレビ局員も、早稲田大学が3人、同志社大学が1人、慶応大学が1人という顔ぶれだったという。

そのとき、若林にも「(出身大学)どこですか?」という質問が飛んできたことから、「東洋大学の夜間学部です」とありのままの事実を伝えたが、これを聞いた一同は大爆笑したというのだ。

若林自身、名門大学との差は感じているようで「やっぱ、みんな笑うね」と話し、飲み会では、テレビ局員たちが5回ほど出身大学のくだりを被せてきたことを明かす。

これを聞いた春日は「まぁ、(名門大学以外の人が)いないんだろうね。周りに。イレギュラーで面白いってことなんだろうね」と、学歴をいじられた若林を優しくフォロー。

若林は、春日とこの出来事について笑いつつ、一緒に仕事をしているテレビ局員が名門大学を出ていることに、「でもすごいよな」と関心していた。

感想;
早稲田大学が付属高校からの進学がかなりあります。
慶応大学は幼稚舎からの進学もあります。
全てが大学受験で受かった人ばかりではありません。
ただ、大学受験で入った人の方が優秀かどうかはわかりませんが。
優秀かどうかの基準も難しいです。

会社では知識だけでなく、人とのコミュニケーション能力も仕事を進める上での大きな力になります。
もちろん、仕事ができる人が優秀かどうかはまた別ですが。

東洋大学の夜間部に入って、勉強して来られたことが素晴らしいことだと思います。
その人が優秀かどうかは、誰かのために/何かのためにしているかどうかではないでしょうか?
エレベーターの入り口の人は、人が出入りするためにドアOpenのボタンを押している、重いドアを開けたら、後から人が来ていないか確認して来てたらちょっとだけドアを持っている。車内や駅の階段に空き缶があったら拾って棄てている。誰かが降りる時、荷物を忘れたら追いかけて荷物を渡す。誰かが何かを落としたら拾って渡す。挨拶を皆にしている。笑顔で接している。など、ちょっとしたことが出来ている人が、ステキな人ではないでしょうか。
優秀と言われている大学を出ても、そういうことが出来ていない人は魅力的な人ではないように思います。
逆に優秀と言われる大学を出ていなくても、あるいは大学を出ていなくてもそれが出来ている人はステキな人だと思います。







友達ほしさに万引き重ね 母子家庭の19歳、保護観察に ”貧困の連鎖を断つのは社会と政治の役目”

2015-10-12 08:40:01 | 社会
http://digital.asahi.com/articles/ASH9L3RVYH9LPTFC008.html?rm=489中塚久美子 2015年10月12日

子どもと貧困

 「少年院に行きたい」

 6月下旬、さいたま家裁で裁判官から処遇の希望を聞かれ、少年(19)は答えた。非行内容は住居侵入と窃盗。小学生から万引きを繰り返したが、警察沙汰にならずにここまできた。強制的な力に頼ってでも自分を変えたいと思ったが、審判は保護観察処分だった。

特集:子どもと貧困

 3歳のとき、両親が離婚。母親(46)と2人で暮らしてきた。

 母は、なるべく子どもと過ごせるよう土日や夜勤をさけ、電子部品工場や駅の売店などで働いた。月収はパートの12万~13万円と、3万円弱の児童扶養手当。条件のいい仕事や家賃の安い部屋を探して引っ越しを繰り返し、少年は小学校を4回転校。そのたびに新しい友達を作らなくてはならなかった。

 決まった小遣いはもらったことがない。周りが持っていた携帯型ゲーム機もなく、気を使った友達が時々貸してくれた。

 小学3年のころ、祖母の家でポーチから5千円を抜き取り、友達におかしやジュースをおごった。喜ぶ友達をみてうれしかった。

 「お前、カード持ってねえならやってこい」。はやっていた遊戯王のカードを取ってくるよう友達に言われたのが最初の万引きだ。

 ログイン前の続き文房具、フィギュア、タオル……。万引きして友達にあげた。家で商品を見つけた母が店に警察への通報を頼んだこともあったが、店は「お金を払ってもらえばいい」と取り合わなかった。

 友達を作らなきゃ。1人はイヤだ。少年はその気持ちを誰にも話さなかった。

 中学生になると、友達を万引きの道連れにすることを心配した母から「人と関わるな」と告げられた。互いの家で遊ぶ友達の輪に入りにくくなり、ものに当たったり万引きしたり。

 高校に入ってから始めたバイト代はパチンコ、酒やたばこ、外食代に使った。校内で現金を盗み、3年の夏休み明けに自主退学。2カ月後の昨年11月に空き巣に入り、置き引き、ひったくりとエスカレートした。

 ここまで来てようやく、母子は支援につながっていく。退学後、母は学校に勧められ、警察の非行相談へ。非行に悩む親の会を紹介され、参加した。みなが静かにそれぞれの悩みを聞き、最後に母に順番が回ってきた。

 「初めて悩みを言っていいんだと思えたら涙が止まらなくて、どうか助けてという気持ちでした」

 母も一人で踏ん張ってきた。20年前に結婚した夫はお金にルーズで、浮気もあった。養育費はあきらめた。役所に生活保護の相談に行ったが、生命保険の解約など様々な条件を出されて断念した。生活に追われ、少年にどう向き合えばいいかわからなかった。

 少年は保護観察所と相談し、就労しながら生活を立て直す施設への入所を決めた。「風呂とご飯と部屋があって、親と離れて暮らせる場で、新しいスタートを切りたい」

 8月下旬、母子は空港にいた。「書類は持ったの? お昼ご飯は?」。母の問いに、少年は淡々と応じた。ゲートに入る間際、胸の下で小さく手を振った。(中塚久美子)

生活苦から孤立 非行のケースも

 格差がストレスとなり、非行に走ったり巻き込まれたりするケースがある。

 非行や引きこもりなどの若者の居場所づくりに取り組むNPO法人「さいたまユースサポートネット」代表の青砥(あおと)恭(やすし)さん(66)は「親は子育ての悩みと生活苦が重なり、頼れる人がおらず行き詰まる。この母子も決して特異なケースではない」と指摘する。

 子どもは、友達の中で自分だけできないことがあると心にダメージを負い、社会への不信感にもつながるという。「児童扶養手当の増額、学校での相談、孤立した親の支援などきめ細かくみていく必要がある」

 法務省の少年矯正統計(2014年)によると、少年院と少年鑑別所の新たな収容者の家庭は、それぞれ26%、22%が裁判所の調べにより貧困家庭とされる。一方、厚生労働省の調べでは、日本の子どもの貧困率は16・3%。

 家裁調査官の経験がある立命館大の野田正人教授(司法福祉)は「非行の陰に貧困が隠れているケースが多く、その向こうにDVや依存症、親の養育力の弱さなどがみえる。罰し方に関心がいきがちだが、なぜ非行に走るのかに着目し、地域や学校が積極的に子どもの困りごとを知ろうとする姿勢が大事だ」と話す。

感想;
貧困層の子どもたちが犯罪に手を染める率が高いようです。少年院、少年鑑別所まで行かない子どもたちも多いと思われます。
また、真面目に働いていても、十分な教育を受ける機会を与えられていないために、低い賃金で働かざるを得ない子どもたちも多いと思います。
貧困が連鎖しています。日本の将来を支えるはずの子どもたちが支える側ではなく支えられる側に回っています。
これこそが、日本の本当のリスクではないでしょうか?
母子家庭の先ずはいろいろな支援が必要ではないでしょうか。



「戦争における人殺しの心理学」 デーヴ・グロスマン著 ”戦争は人に残酷な結果を与えるだけ”

2015-10-12 04:14:56 | 本の紹介
神話ではアレス(戦争の神)とアプロディナ(愛の女神)の結婚からハルモニア(調和)が生まれた。

リチャード・ゲイブリエル
「今世紀に入ってからアメリカ兵が戦ってきた戦争では、精神的戦闘犠牲者になる確率、つまり軍隊生活のストレスが原因で一定期間心身の衰弱を経験する確率は、敵の銃火によって殺される確率よりつねに高かった。」
第二次世界大戦中、軍務不適格と分類された男性は80万人に昇る。このようにあらかじめ精神的・情緒的に戦闘に不適格な者を除外しようとしたにもかかわらず、アメリカの軍隊は精神的虚脱のためにさらに50万四千人の兵員を失っている。
98%もの人間が変調をきたす環境、それが戦争なのだ。そして狂気に追い込まれない2%の人間は、戦場に来る前にすでに正常でない。すなわち生まれついての攻撃的社会病質者らしいというのである。

ダイヤによれば、砲手や爆撃機の乗組員や海軍将兵には、殺人への抵抗が見られないという。これは「ひとつには、機関銃手が発砲を続けるのと同じ圧力のためであるが、なにより重要なのは、敵とのあいだに距離と機械が介在していることだ」。したがって「自分は人間を殺していないと思い込む」ことができるのである。

イスラエルの軍事心理学者ベン・シャリットは、戦闘を経験した直後のイスラエル軍兵士を対象に、何がいちばん恐ろしかったかを質問した。予想していたのは、「死ぬこと」「負傷して戦場を離れること」という答えだったが、ところが驚いたことに、身体的な苦痛や死への恐怖はさほどでなく、「ほかの人間を死なせること」という答えの比重が高かったのである。

ナチの強制収容所に見る憎悪の影響
「異常な状況に異常な反応を示すのは正常な行動である」 ヴィクトル・フランクル
ダイアによれば、強制収容所の人員にはできるだけ(凶悪犯とサディスト)が充てられたという。

殺人の重圧
戦闘中の兵士は悲劇的なジレンマにとらわれている。殺人への抵抗感を克服して敵の兵士を接近戦で殺せば、死ぬまで血の罪悪感を背負い込むことになり、殺さないことを選択すれば、倒された戦友の血への罪悪感、そして自分の務め、国家、大義に背いた恥辱が重くのしかかってくるまさに退くも地獄、進むも地獄である。

少し距離をおくほうが破壊は簡単になる。1フィート離れるごとに現実感は薄れてゆく。グレン・グレイ
犠牲者が心理的・物理的に近いほど殺人はむずかしくなり、トラウマも大きくなる。

権威者の要求
「撃たないと撃たれるから」という理由より、「撃てと命令されるから」と戦闘経験者が最大の理由としてあげていた。

集団免責 
「ひとりでは殺せないが、集団なら殺せる」

心理的距離
「おれにとってやつらは畜生以下だった」

距離があるほど人は殺人に抵抗が低くなる。
文化的距離;人種的・民族的な違いなど。犠牲者を否定するのに有効
倫理的距離;自らの倫理的優越感と復讐/制裁の死闘性を固く信じる
社会的距離;特定の階級を人間以下と見なす慣習
機械的距離;手の汚れない殺人の非現実感

第二次世界大戦中のドイツとロシアの戦闘は、両者がともに残虐行為と強姦に完全に踏み込んだ悪循環の好例である。アルバート・シートンによると、ドイツに攻め入ったソ連兵は、ドイツ国内で犯した民間犯罪には一切責任を問われない、個人の財産とドイツ女性はすべてわがものにしてよいと言われていたという。最後はそこまで行っていたのである。こんな奨励の結果、強姦事件の件数は何百万にも昇ったと言われる。コーネリアス・ライアンの「ヒトラー最後の戦闘」によれば、第二次世界大戦後のベルリンだけで、強姦によって生まれた子供はおよろ10万人もいたという。

合理化と受容の段階
「ありったけの合理化の技術が必要だった」
対人的殺人の次の反応は、自分の行いを合理化し受容しようとする生涯にわたるプロセスである。これはほんとうに終わることのないプロセスなのかもしれない。殺人者は自責と罪悪感を完全に捨て去ることはできない。とはいえ、自分のしたことは必要なただしいことだったのだと受容するところまではゆけるのがふつうである。

非難された帰還兵
ベトナムから右腕を失くして帰国したとき、二度話しかけられた。「どこで腕をなくした?ベトナムかい」。
そうだと答えると、相手はこうぬかした。「そうか、いい気味だ」。
ジェームズ・W・ワーガンバック他「ホームカミング」より

パレートや記念建造物よりも重要なのは、帰還兵に日々接する人々の基本的な態度である。
その結果、ベトナム戦争が生み出した精神的戦闘犠牲者の数は、アメリカの歴史に見えるどの戦争よりも多数に上ったとゲイブリエルは結論している。
ベトナム戦争帰還兵には称えるパレードもなかった。

多くの打撃による苦悶
南軍は戦いに負けたが、帰郷した兵士たちはおおむね温かく迎えられ、手厚い支援を受けている。
朝鮮戦争の帰還兵の場合は、記念碑もなく、ほとんどパレードも行われなかったが、敵は侵略軍であって暴徒ではなかった。なにより、かれらが戦ったおかげで自由で健全で繁栄する国、すなわち韓国が残り、その韓国から大いに感謝されている。帰国したとき、人殺しだの嬰児殺しだのとののしられることも、唾を吐きかけられることもなかった。同じアメリカ人から、一致して組織的な心理的な攻撃を受けねばならなかったのは、ベトナム帰還兵だけだったのである。
PTSDに苦しむベトナム帰還兵の数に関しては、下は疾病アメリカ復員軍人会の50万人から、上は1980年のハリス・アンド・アソシエーツの150万人までさまざまに推計されている。率に治せば、ベトナムで従軍した280万人の軍人の内18~54%ということになる。

感想;
人を殺すと、その精神的な負担がトラウマとして多くの兵士に残る様です。
人を殺す距離が遠くなるほど人を殺しているとの感覚が薄くなって行くとのことです。
戦争を決めた人々は、人を殺すことはなく、国民に人を殺させて、かつ精神的な負担を結果として与えます。
戦争を決めた人々は、人を殺したとの精神的な負担がないために戦争を決めるのでしょう。
国家間の紛争解決に戦争は何の解決にもならず、犠牲者を多くし、また人を殺したとのトラウマを残すだけなのですが。