30年前に会った時に、この人の奥さんは大変だろうなと思った。俳優で今は監督も。99.9刑事番組にも出演。
29歳で主演デビュー。 TBS「金曜日の妻たちへ」で人気が。 50歳から映画監督 三作目「長い散歩」でモントリオール世界映画祭グランプリを受賞した。
長女桃子さんは映画監督。次女(安藤サクラ)は女優として、「100円の恋」日本アカデミー賞主演女優賞受賞。
娘の受賞を知ったのは、家で一人でTVを見ていて涙が出て来た。
寿司屋の主人に「娘二人があなたの仕事を継いでいるじゃない」と言われて(嬉し)涙を流した。
娘たちは自分の良いところだけを見て育ってくれた。
1曲目は、森進一「冬の旅」
“もうあなたのところへは帰らないだろう ひとりひとり旅にたつ 雪の降る町へ”
21歳くらいに俳優になりたくて東京に来た。その時真剣に付き合っていた女性がいた時に、不真剣に付き合った女性がいて、その真剣に付き合った女性と別れることになった。追いかけたがだめだった。その時、一人で飲んでいたら、この曲が流れて、どっと涙が流れて来た。歌一曲でこんなに疲れるんだ。その時の思い出が全て思い巡ってくる。ひどい生活をやっていた。荒れた生活をやっていた。その時に真剣に付き合っていた女性に渋谷のガード下で出会った。その女性はボーイフレンドがカップルでいた。そのボーイフレンドを思い切り殴った。そうしたら周りに止められた。悪いことをしたと思った。その二人は結婚した。その後、二人は離婚した。そうしたら、自分が出ていた自分の劇場で来ていた。その女性を見つけてしゃべっていた言葉がおかしくなった。その女性が楽屋に来てウィスキー1本渡して、「私、昔の名前に戻ったから」。そしてその後一度だけ会った。そしてもう会わないと言われた。その時は自分は結婚していた。この話は安藤さん(奥さん)は知らない。
28歳で安藤和津さんと結婚した。役者になって10年間、売れなかった。家賃も払えなくなって、代々木公園で野宿を3カ月の間ホームレスで暮らしていた。近くに友だちがいることを知ってそこに行った。そうしたら友達が誕生日パーティに行くと。3千円。お金を持っていなかった。そしたらお金を友だちが払ってくれた。二人で行った。そこで妻 安藤和津さんにあった。「良い男が二人来た」と安藤さんは思ったそうだ。初デートは喫茶店。お金を持っていなかったので、先に喫茶店の外に出た。彼女がこっちをにらんでいた。デート代を払ったのは初めてだったそうだ。「私が何とかしないといけない」と思ったそうだ。母性本能を掻きたてられたようだ。あなたの秋刀魚のような腐った目はなんとかならないかと思って、いろいろなところに連れて行ってくれた。お金は全て彼女が払ってくれた。結婚して仕事の運気が上がった。その後、立て続いて主役の話が来た。
結婚して3年目に長女が生まれた。
安藤桃子さんに事前にインタビューした。
父親として良かったのは?子どもの目線で本気で遊んでくれた。
キャッチボールした時、娘はソフトボール部。元野球部だったので、4球目から本気で投げた。ボールが伸びて娘はグローブで取ったが勢いがあり顔に当たった。娘はそれでも泣かなかった。泣かないように育てて来た。「自分は泣くのに」笑い。
監督として不満があったこと。監督として不満はなし。映画は監督のものなので。
「いつか俳優 奥田瑛二と一緒に仕事をしてみたい」
やんちゃはそろそろやめては。
やんちゃは減ってきたが妄想が激しくなった。女性が好きで逢った女性は全て裸を想像する。
では私も裸に?そう。
俳優が監督したらどんなものかお手をみたいと思われる。そこで気を付けていることは、“絶対に妥協しない”こと。失敗作、成功作はない。自分が妥協せずにできるか。ということは自信があるということ?自信はある。
二曲目。ものを考える時、チェロが好き。創作に没頭する時聴く曲。
バッハ「無伴奏チェロ組曲 第5番」
これを聴いていると気にならなくなる。お孫さんが生まれた。いっさい口を出さない。でも、娘が仕事の時に子どもを預けるのでその時に子どもに言っている。「良いお父さん」「本当かな?」
(二人笑顔)
感想;
人との出会いは大きいとつくづく思いました。
安藤和津さんはこの人と思われたのでしょう。
監督もチャレンジして、決して妥協しないで、自信を持ってやって行くことがいつか花を咲かすのでしょう。
29歳で主演デビュー。 TBS「金曜日の妻たちへ」で人気が。 50歳から映画監督 三作目「長い散歩」でモントリオール世界映画祭グランプリを受賞した。
長女桃子さんは映画監督。次女(安藤サクラ)は女優として、「100円の恋」日本アカデミー賞主演女優賞受賞。
娘の受賞を知ったのは、家で一人でTVを見ていて涙が出て来た。
寿司屋の主人に「娘二人があなたの仕事を継いでいるじゃない」と言われて(嬉し)涙を流した。
娘たちは自分の良いところだけを見て育ってくれた。
1曲目は、森進一「冬の旅」
“もうあなたのところへは帰らないだろう ひとりひとり旅にたつ 雪の降る町へ”
21歳くらいに俳優になりたくて東京に来た。その時真剣に付き合っていた女性がいた時に、不真剣に付き合った女性がいて、その真剣に付き合った女性と別れることになった。追いかけたがだめだった。その時、一人で飲んでいたら、この曲が流れて、どっと涙が流れて来た。歌一曲でこんなに疲れるんだ。その時の思い出が全て思い巡ってくる。ひどい生活をやっていた。荒れた生活をやっていた。その時に真剣に付き合っていた女性に渋谷のガード下で出会った。その女性はボーイフレンドがカップルでいた。そのボーイフレンドを思い切り殴った。そうしたら周りに止められた。悪いことをしたと思った。その二人は結婚した。その後、二人は離婚した。そうしたら、自分が出ていた自分の劇場で来ていた。その女性を見つけてしゃべっていた言葉がおかしくなった。その女性が楽屋に来てウィスキー1本渡して、「私、昔の名前に戻ったから」。そしてその後一度だけ会った。そしてもう会わないと言われた。その時は自分は結婚していた。この話は安藤さん(奥さん)は知らない。
28歳で安藤和津さんと結婚した。役者になって10年間、売れなかった。家賃も払えなくなって、代々木公園で野宿を3カ月の間ホームレスで暮らしていた。近くに友だちがいることを知ってそこに行った。そうしたら友達が誕生日パーティに行くと。3千円。お金を持っていなかった。そしたらお金を友だちが払ってくれた。二人で行った。そこで妻 安藤和津さんにあった。「良い男が二人来た」と安藤さんは思ったそうだ。初デートは喫茶店。お金を持っていなかったので、先に喫茶店の外に出た。彼女がこっちをにらんでいた。デート代を払ったのは初めてだったそうだ。「私が何とかしないといけない」と思ったそうだ。母性本能を掻きたてられたようだ。あなたの秋刀魚のような腐った目はなんとかならないかと思って、いろいろなところに連れて行ってくれた。お金は全て彼女が払ってくれた。結婚して仕事の運気が上がった。その後、立て続いて主役の話が来た。
結婚して3年目に長女が生まれた。
安藤桃子さんに事前にインタビューした。
父親として良かったのは?子どもの目線で本気で遊んでくれた。
キャッチボールした時、娘はソフトボール部。元野球部だったので、4球目から本気で投げた。ボールが伸びて娘はグローブで取ったが勢いがあり顔に当たった。娘はそれでも泣かなかった。泣かないように育てて来た。「自分は泣くのに」笑い。
監督として不満があったこと。監督として不満はなし。映画は監督のものなので。
「いつか俳優 奥田瑛二と一緒に仕事をしてみたい」
やんちゃはそろそろやめては。
やんちゃは減ってきたが妄想が激しくなった。女性が好きで逢った女性は全て裸を想像する。
では私も裸に?そう。
俳優が監督したらどんなものかお手をみたいと思われる。そこで気を付けていることは、“絶対に妥協しない”こと。失敗作、成功作はない。自分が妥協せずにできるか。ということは自信があるということ?自信はある。
二曲目。ものを考える時、チェロが好き。創作に没頭する時聴く曲。
バッハ「無伴奏チェロ組曲 第5番」
これを聴いていると気にならなくなる。お孫さんが生まれた。いっさい口を出さない。でも、娘が仕事の時に子どもを預けるのでその時に子どもに言っている。「良いお父さん」「本当かな?」
(二人笑顔)
感想;
人との出会いは大きいとつくづく思いました。
安藤和津さんはこの人と思われたのでしょう。
監督もチャレンジして、決して妥協しないで、自信を持ってやって行くことがいつか花を咲かすのでしょう。