2020年の東京オリンピックの新国立競技場建築家の人。
聖火台問題の思いを語る。1954年生まれ。
トラブルのプロセスを楽しむことにした。歌舞伎座、ティファニー銀座など。
今もう一度木の良さを出したい。聖火台のこと、日本の建築の未来を語ってもらう。
前回来てもらった後に、突如聖火台の問題が出たので、もう一度来てもらって聖火台の話を伺った。本日はその2回分をまとめて放映します。
この話が出た時にびっくりした。設置場所がいっさいふれていなかった。聖火台が設計要求基準に入っていなかったので、設計段階で議論はしたが含めなかった。
候補として考えていた。ロンドンオリンピックはフィールドの中に聖火台を置いた。演出の一部として考えて行けば良いかと思っていた。何故自分が非難されなければならなかったのかと思った。大騒動になった理由は?もっと前に演出家が検討していけば良かった。多くの方、素人が、聖火台の案を私のところに送って来た。トラブルはプロセスを楽しむようにしている。トラブルを前向きに考える。いろいろな人がいろいろ言ってくる。その中には矛盾していることも多い。いろいろな意見があるんだとそれを楽しむようにしている。そうでないとストレスで倒れてしまう。
今でも記憶に残っている曲は、「brajoe from kilimanjaro」
高校の時にジャズを聴き始めて、かっこいいな。大地から音が出てくるような感じ。
小学校4年生の時に、親父に国立代々木競技場を見に連れて貰って、こんなものを造るなんてすごいなと思い、自分を造りたいと思った。
バルブの絶頂時に仕事を始めた。東京のカオスを造りたいと思った。ある建物(M2(自動車のショールーム)?)がバルブの象徴として批判を浴びて、まったく東京で仕事を失い地方行脚した。地方を回ると小さな仕事を依頼された。職人さんと話をすることができた。公衆トイレだとか。職人とのふれ合いが転機になった。左官屋さんと話していたらいろいろなアイデアを出してくれた。
国のモニュメントは立派なものを造ろうとする。しかし、この場所は森が主役だろう。木を徹底的に使おう。木材を多用したデザイン。周りの森と木の相性が良い。日本の木を使うことがアピールになる。屋根は鉄とカラマツを混ぜた。木の中に鉄を入れた。それによって鉄を千トン減らすことができた。中小の建築屋ができる加工にした。風をどう取り入れるか。風を呼び込むデザイン。コストを下げるために空調しない。夏の暑い時にも気持ち良くできないか。季節風を計算して設計した。縁側的な設計。
中国で立てた「竹の家」が海外作品第一号で、ホテル。批判を浴びると思ったら、何人かの建築家が立てた中で、これが一番評判良かった。
「スターバックスコーヒー太宰府天満宮表参道」。木を組んでいる。日本の大工さんしかできない。木の職人が減っている。その職人さんを今なら維持できる。今を過ぎるとその技術が残らない。
隈研吾建築の一番大切なことは?何でできているか。それが何を伝えてくれるか。その建築場所を歩き回って、そこに住んでいる人と仲良くなり、その人々から話を聴く。
2曲目は、ジャリー・ジャパティ「Intro Afro」。
リズムは大切。建築はメロディが形だと思う。リズムは構造と素材。構造と素材がしっかりしていれば気持ち良いメロディができる。
感想;
子どもの時に夢を持ち、その実現に向かって努力を続ける。
批判を浴びて東京で仕事を失い地方行脚して地方の人々とふれ合ったことが転機になったとのこと。
不遇は捉え方を変えるとチャンスにもなることなのでしょう。
いろいろ批判される。その批判もプロセスとして楽しむとより深い思い出になるとのこと。
教えられることがたくさんありました。
聖火台問題の思いを語る。1954年生まれ。
トラブルのプロセスを楽しむことにした。歌舞伎座、ティファニー銀座など。
今もう一度木の良さを出したい。聖火台のこと、日本の建築の未来を語ってもらう。
前回来てもらった後に、突如聖火台の問題が出たので、もう一度来てもらって聖火台の話を伺った。本日はその2回分をまとめて放映します。
この話が出た時にびっくりした。設置場所がいっさいふれていなかった。聖火台が設計要求基準に入っていなかったので、設計段階で議論はしたが含めなかった。
候補として考えていた。ロンドンオリンピックはフィールドの中に聖火台を置いた。演出の一部として考えて行けば良いかと思っていた。何故自分が非難されなければならなかったのかと思った。大騒動になった理由は?もっと前に演出家が検討していけば良かった。多くの方、素人が、聖火台の案を私のところに送って来た。トラブルはプロセスを楽しむようにしている。トラブルを前向きに考える。いろいろな人がいろいろ言ってくる。その中には矛盾していることも多い。いろいろな意見があるんだとそれを楽しむようにしている。そうでないとストレスで倒れてしまう。
今でも記憶に残っている曲は、「brajoe from kilimanjaro」
高校の時にジャズを聴き始めて、かっこいいな。大地から音が出てくるような感じ。
小学校4年生の時に、親父に国立代々木競技場を見に連れて貰って、こんなものを造るなんてすごいなと思い、自分を造りたいと思った。
バルブの絶頂時に仕事を始めた。東京のカオスを造りたいと思った。ある建物(M2(自動車のショールーム)?)がバルブの象徴として批判を浴びて、まったく東京で仕事を失い地方行脚した。地方を回ると小さな仕事を依頼された。職人さんと話をすることができた。公衆トイレだとか。職人とのふれ合いが転機になった。左官屋さんと話していたらいろいろなアイデアを出してくれた。
国のモニュメントは立派なものを造ろうとする。しかし、この場所は森が主役だろう。木を徹底的に使おう。木材を多用したデザイン。周りの森と木の相性が良い。日本の木を使うことがアピールになる。屋根は鉄とカラマツを混ぜた。木の中に鉄を入れた。それによって鉄を千トン減らすことができた。中小の建築屋ができる加工にした。風をどう取り入れるか。風を呼び込むデザイン。コストを下げるために空調しない。夏の暑い時にも気持ち良くできないか。季節風を計算して設計した。縁側的な設計。
中国で立てた「竹の家」が海外作品第一号で、ホテル。批判を浴びると思ったら、何人かの建築家が立てた中で、これが一番評判良かった。
「スターバックスコーヒー太宰府天満宮表参道」。木を組んでいる。日本の大工さんしかできない。木の職人が減っている。その職人さんを今なら維持できる。今を過ぎるとその技術が残らない。
隈研吾建築の一番大切なことは?何でできているか。それが何を伝えてくれるか。その建築場所を歩き回って、そこに住んでいる人と仲良くなり、その人々から話を聴く。
2曲目は、ジャリー・ジャパティ「Intro Afro」。
リズムは大切。建築はメロディが形だと思う。リズムは構造と素材。構造と素材がしっかりしていれば気持ち良いメロディができる。
感想;
子どもの時に夢を持ち、その実現に向かって努力を続ける。
批判を浴びて東京で仕事を失い地方行脚して地方の人々とふれ合ったことが転機になったとのこと。
不遇は捉え方を変えるとチャンスにもなることなのでしょう。
いろいろ批判される。その批判もプロセスとして楽しむとより深い思い出になるとのこと。
教えられることがたくさんありました。