幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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高須院長 辺野古反対で物議のローラ「ボクならCM降ろす」 ”タレントへの圧力?”

2018-12-26 09:08:08 | 社会
https://news.goo.ne.jp/article/tokyosports/entertainment/tokyosports-entame-entertainment-1230349.html 東スポ 12月25日
 高須クリニックの高須克弥院長(73)が25日、ツイッターを更新。沖縄の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に関し、工事中止の嘆願書への署名を呼びかけたモデルのローラ(28)について言及した。

 ローラの発言を巡ってはSNSを中心に賛否両論が起こっている。23日放送のTBS系「サンデー・ジャポン」でもこの問題が取り上げられ、芸能人の間で激論が交わされた。

 ローラが移設反対に代わる代案を出していないことから混乱に拍車をかけている現状があり、説明不足を指摘する声もあった。一方、テリー伊藤(68)は「この程度の発言で、コマーシャル降ろす会社って何なの?」と“騒ぎ過ぎ”との認識を示した。

 高須院長はテリーの発言を引用し「テリーさんのおっしゃる通りスポンサーの自由です。僕なら降ろします」と即答。芸能人としてのローラの投稿、コメント内容を疑問視していることをにおわせた。

 ローラはインスタグラムを頻繁に更新しているものの、あれから辺野古については言及していない。クリスマスは米国で滞在を楽しむ様子を報告している。

感想
ボスが部下に、ボスが気に入らない相手の顔に傷をつけよといって、部下にやらせる。
相手はボスのグループの調和を乱しているから、脅しをかけて止めさせるために。
部下は忠実にそれを実行する。
それを止めようとする人、ただ見ている人。中には賛成する人。

沖縄の辺野古埋め立てがまさにそうではないでしょうか?
ボスは政権のトップ、部下はトップを支持している党と官僚、その工事を請け負った業者。
顔に傷付けられているのは沖縄の自然と沖縄県民の心。
ただ見ている人は本土の人なのかもしれません。

ローラーは声を上げて、辺野古埋め立ては問題だと発言し、阻止の署名募集の声掛けを実施。
ローラーのその行為には賛否両論。
非難する一人が、高須クリニック院長。
まだ、ローラーのCM降ろしは起きていませんが。

これを見た芸能人の中にはCMや番組出演を考えて沈黙している人も・・・。

政府にもたくさんの言い分があるでしょう。
これしか解決策がないと。
これまで、十分な話し合いがなかったこと。
沖縄県民の民意を無視し続けてきたこと。
これまでの政権が問題をより難しくして来たのかもしれません。

政府の方針に沿って、沖縄県民の民意を無視していた方が、TV局もタレントも政府や関係者からの介入がなく安泰であるには違わないです。

映画「衝動殺人 息子よ」を見たことがあります。本も読みました。
タクシー待ちの列に割り込んで来たグループに注意した男性が、割り込んで来たグループのメンバーに殺されました(実話)。
夫には幼子2人と妻がいました。
妻役が吉永小百合さんでした。
「注意せずに黙っててほしかった」とつぶやいていました。
夫が正義感が強かったのでしょう。

新幹線で刃物男に立ち向かい殺された人。
恐くて手を出せなかった人。

多くの人が声を出した人を助けることがもっとあれば、結果が変わっていたかもしれません。
まさに自分がその時、その場でどうすべきかが問われているのだと思います。




「女子をこじらせて」雨宮まみ著 ”社会的催眠(人惑)からの目覚め!”

2018-12-26 01:52:28 | 本の紹介
いろいろな仕事を経て、AVライターに。
・「アダルトビデオジェネレーション」(AV黄金列伝)東良美季著 

・学生時代から「何がしたいのか」「将来は何になりたいのか」を問われ続け、就職して編集者になってからも「何がやりたいのか」「何が作りたいのか」を問われ続け、フリーになってからも「ライターとしての専門分野」「何を書きたいのか」をずっと問われ続けた私にとって、やっとたどりついた答え、情熱を注げる対象が「AV」だったからです。

・私は、自分が女であることを「受け入れよう」と思いました。女であることも、感情的になりがちな文章も、自分の弱点だと思っていたことを認めようと思いました。「女」であっても、私は私です。「私」には「女」は必ずついてくる。そのことをポジティブに受け入れようと思ったら、怖かったけど目の前が明るくなった。おおげさですが、希望が見えました。それはムラから出る希望でもあり、私が長く続けてきた「女」との戦いを終えられる希望でした。

・潔癖すぎたし、神経質すぎたし、自意識過剰すぎたと今なら言えますが、その時はそのことがわからなかった。悪意を向けられたことで自分が外からどう見えるかということに、過敏になりすぎていた部分もあったでしょう。一度でもそういう「いやな女」に見られたことは、修復不可能なことに思えました。

・女を敵にまわしたくないとビクビクしながら、自分は女たちから敵だと思われているんじゃないかとおびえていました。

・性差なんかなければいいと以前は強く願っていましたが、女同士の連帯を知ってからは、「女」という荷物の重みがすっと軽くなりました。それは自分ひとりが背負っている荷物ではなかった。重いね、きついね、とおしゃべりしながら、それぞれが自由に合流したり別れたり、同じ道や違う道を歩いてゆける、そういうものだった。

・私がまわりからよく思われようとか、評価されたいとか、悪く思われたくないとか、そう思ってせせこましく努力してきたことなんか、ほとんど無駄だったと思います。

・女であること、女という偏見で見られることを恐れ、偏見を遮断しようとするあまり、自分は人の好意までバッサリ遮断していたのだと思いました。「わかってくれる人」は最初からいたのに、正体のわからない敵にとらわれて自縄自縛していた。

・好きなことを自由に書いてもいいんだと思うと、怖かったけど嬉しくて、書き始めたら止まらなかった。これを諦めるなんて、どんでもないバカなことを考えたものだと思いました。死にたくなって当然です。こんな楽しいことを我慢していたのですから。

感想
雨宮まみさんはせっかく、自分を苦しめていた考え方から解放され、これからの活躍が期待されていましたが、40歳で事故死(心肺停止で発見)とのことで亡くなられました。

自分を苦しめ、身体も痛めつけてしまうような生き方をせざるを得なかったのでしょう。
そこから自由になれただけにとても残念です。

臨済宗で”人惑”
アラン・ワッツ”社会的催眠”
人は小さい時に親から、先生から、周りから言われた言葉や考え方が自分を苦しめています。
あたかも自分の考え方/信念と思っていますが実は催眠術をかけられているのかもしれません。
そこから自由になる。
それは簡単なことではないでしょう。
それだけに、雨宮まみさんの40歳で早く逝かれたのが悲しいです。