幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「ど真剣に生きる」稲盛和夫著 ”上司の一言『君の能力ではもう限界だ。手を引いてくれ』から生まれた京セラ”

2018-12-29 09:55:55 | 本の紹介
・「世のため、人のために尽くすことが人間として最高の行為である」という私の人生観に基づき、稲盛財団を設立し、京都賞という顕彰事業などを通じ、社会貢献にも努めてまいりました。

・「ど真剣に生きる」とは、このように歩みを続けてきた私が信条としているものです。

・盛和塾に入塾された方に、私は最初に、こんなことを申し上げています。
「本当にいい経営をしたいのなら、従業員の人たちを少しでも幸せにしてあげたい、社会に貢献したいといった、公明正大な大義名分を持つことが大事です。・・・。そのように心を高めることが経営を延ばすことにもつながるのです。まず心を磨き、立派な人間性を身につけてください」

・「能力か人間性か、どちらか一つ」と言われれば、迷わず、「人間性が重要だ」と答えます。

・「汚い寮にいるから、気分も落ち込むんだ。研究室で実験漬けの暮らしをしよう。厳しい環境から逃げずに、逆にそこに自分を追い込もう」
すると、不思議なことに、すばらしい実験結果が出るようになったのです。そうなると、仕事がおもしろくなってきます。不平不満をこぼしている暇もなく、努力すること自体が快感になってきます。

・日立さんが要求する仕様は極めて難しいもので、なかなか満足する開発成果が得られず、悪戦苦闘の毎日でした。そんなとき、新任の技術部長に「悪いが、君の能力ではもう限界だ。今後はほかの者にやらせるから、君は手を引いてくれ」と引導を渡されたのです。おまけに、「ウチには、君より優秀な、いい大学を出た先輩の技術者がでた先輩の技術者がたくさんいるからね」とまで言われた。「そうですか。ではその人たちにやってもらってください。私は会社を辞めますから」と言い放っていました。部長は「そういう意味で引けと言ったのではないんだ」とあわてて引き留めましたし、話を聞きつけた社長からも、祇園で夕食をふるまわれ、「何も辞めんでもいいじゃないか」と宥められました。しかし、私の気持ちは治まりません。慰留されればされるほど、「男が前言を翻せるか」と依怙地になっていきました。いまとなっては「向こう見ずな」という気がしないでもありませんが、あのときは寝食を忘れるほど仕事に打ち込んできたという、自負とプライドのほうが勝ったのでしょう。結局、辞めることになって、それから「さて、これからどうしよう」となったわけです。

・特磁課の部下たちが、寮に押しかけてきて、口々に「僕も辞めて、稲盛さんについていく」と気炎を吐きます。やがて、前任の技術部長だった上司の青山政次さんまでやってきて、「私も辞める。友人に相談して、会社を作ってもらおうと思う。君の技術をぜひ、世に出したい」と言いだされました。この一言は嬉しかった。もとより、私がそれを拒否するいわれはありません。

・会社に勤めたとき、与えられた仕事がそんなにおもしろくないのは、みんな同じだと思うのです。だけど、人生というのは何といっても長丁場なんです。何十年も実社会で生きていかなければなりません。そうであるならば、仕事にしろ、いまやっていることを好きになる努力をしなければいけないと思うのです。

・若手社員の反乱から生まれた理念
「全従業員の物心両面の幸福を追求すること」「人類社会の進歩発展に貢献すること」を大書きしました。それで悩んでいたことがすべて吹っ切れて、翌日だったでしょうか、従業員全員を集めて「今後は、これで経営していきます」と宣言しました。その瞬間、「稲盛和夫の技術を世に問う」という京セラ設立の動機が雲散霧消し、新たに京セラという会社の存在意義を明らかにした経営理念が確立したのです。

・M&Aを行う際、大切なことは、新たに仲間に加わる人たちが、自分たちの会社の経営理念や哲学を理解、共有してくれることです。だから、他の企業をグループに迎えるときに、私が行う最初の仕事は、自ら相手先企業に出向き、全社員の前で諄々と自分の考え方を語り、さらにはコンパを開き、膝詰めでとことん話し込むことです。

・円福寺の西片擔雪ご老師(薬事法違反に問われたとき)
「それはしようがありませんな。稲盛さん。苦労するのは生きている証拠です。死んだら、そんな目にも遭わないのですから、いいじゃありませんか。災難に遭うのは、過去に作った業が消えるときです。どんな業があったか知らんが、その程度のことで業が消えるなら、赤飯でも炊いてお祝いせんといかんですな」

・(托鉢して疲れきって足取りも重く)そんなお寺への帰り道、私がとぼとぼと歩いていたら、道横の公園で落ち葉を掃除していた年配のご婦人が私のほうへスタスタと歩いてこられました。そして、黙って百円玉を差し出されたのです。私は頭陀袋で受けるという作法も忘れて、無意識のうちに両手を合わせて「ありがとうございます」と拝んでいました。そのときです、幸福感が全身を貫いたのは。肉体を構成するすべての細胞が喜びに打ち震えているとでもいいましょうか。決して豊かそうには見えないご婦人が、私にお布施をくださる美しくも優しい心に、いままでの人生で感じたことがないほどの、新鮮で純粋な感動を覚えたのです。これぞ神仏の愛、いま思いだしても、その幸福感がよみがえってきます。こんな至福の境地を得たのは、後にも先にもこのときだけ。円福寺の修行で得た、私の一番の宝です。と同時に、この修行を通して私はこう信じられるようになりました。「善きことを思い善きことを実践すれば、善きことを招来する。悪しきことを思い悪しきことをすれば、悪しき結果を招く」

・「何のために生きるのか?」という根本的な問いと真正面から向き合うことが、いま必要だと私は考えています。

・「毎日を『ど真剣』に生きなくてはならない」

感想
稲盛氏は松風(しょうふう)工業に入社しました。
入社したころは経営が厳しかったようです。
松風工業は松風となり今は歯科材料の会社として、240億円ほどの売り上げのようです。
決算短信http://pdf.irpocket.com/C7979/axM2/QOJW/unDV.pdf

技術部長の一言がなければ、株式会社松風は大きく変わっていたのかもしれません。
「悪いが、君の能力ではもう限界だ。今後はほかの者にやらせるから、君は手を引いてくれ」
「ウチには、君より優秀な、いい大学を出た先輩の技術者がでた先輩の技術者がたくさんいるからね」

「ど真剣に生きる」
今できることに精一杯やり続けること
「何のために生きるか」
考え続けること

それが将来に花がさくのでしょう!
過去は今に生かし、今の努力が将来の姿なのでしょう。
過去をくよくよと引きずり、今は何もせずに将来を心配している。
わかっていてもつい行ってしまいます。
「ど真剣に生きる」の言葉を心に持ちながら今を大切にしていくことなのでしょう。