幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「子ども、本、祈り」斎藤惇夫著 ”物語を読むのは、生きるよろこびを味わうための予行練習”

2023-01-08 18:44:22 | 本の紹介
1940年に新潟県新潟市に生まれる。小学校から高校卒業までを長岡市で過ごす。新潟県立長岡高等学校を卒業後、立教大学法学部法学部に進学。60年安保闘争に参加。同大卒業後、大手電機メーカーに勤務した。その後、福音館書店編集部に勤務。長年にわたり児童書籍の編集に携わる。同社編集担当取締役となった。
1970年の処女作『グリックの冒険』で、翌年に日本児童文学者協会新人賞を受賞する。
1972年の『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』で、国際児童年特別アンデルセン賞優良作品に選出される。
1983年には、『ガンバとカワウソの冒険』で野間児童文芸賞を受賞した。
『冒険者たち』はロングセラーとなり、「ガンバの冒険」の題で連続アニメ化された[6]。
また、劇団四季により『冒険者たち ガンバとその仲間』というタイトルで1976年より繰り返し上演されている。(ウイキペディアより)

・この三人の方々の言葉は、いつも気になっていたのですが、しかし、編集者生活が長かったせいか、どうやら私は、活字、主に物語を通して子どもたちを見ることに慣れ切ってしまっていたようです。
 ・ワーズワーズ
 子どもはおとなの父
 ・石井桃子
 子どもたちよ、子ども時代をしっかりとたのしんでください。おとなになってから、老人になってから、あなたを支えてくるるのは子ども時代の「あなた」です。
 ・河合隼雄
 この宇宙の中に子どもたちがいる。これは誰でも知っている。しかし、ひとりひとりの子どもの中に宇宙があることを、誰もが知っているだろうか。

・児童書の編集者、そして子どもの本の作家を経て、いまキリスト教の幼稚園の園長をしています。

・机の上の電話が鳴りました。僕の中学時代の友だちの女性からでした。
「お願いがあるの」
「斎藤さんの会社で血液型がAB型の人がいるかどうか調べていただけませんか? もしいたら、その方に、少し血をわけてくださらないか聞いてください」
「いったいどうしたの?」と聞くと、その人の友だちの、4歳の純子という名の女の子が重い病気にかかって苦しんでいて、「あと少ししか生きていられないの。新しいAB型の血液をわけてもらえれば少しらくになるの」というのです。
 なんだ、そういうことならば、「僕の血をあげます。僕はAB型です」。・・・
 その血を純子ちゃんにうつしたあと、純子ちゃんのお母さんがやってきて、純子ちゃんに会ってくださいませんかというので、純子ちゃんの病室をのぞいてみました。すると純子ちゃんが真っ白な顔で待っていました。そして小さな声で、ありがとうおじさん、といったのです。
 僕は、あわてて、「これから急いで会社に戻って、おもしろい絵本を三冊持ってくるから待っていてね」と言って、さよならをしました。・・・
どの三冊にしたらいいのか一生懸命考えました。あと少ししか生きられない純子ちゃんに、どんな絵本をプレゼントしたらいいだろうとね。
 仕事仲間もみんな寄ってきて、一緒に考えてくれました。二冊は簡単に選べました。『ぐりとぐら』『もりのなか』です。
 でも、最後の一冊をどうしようか、考えても考えてもどれにしたらいいんかわかりませんでした。でもその時、僕は、とてもいいことを思いつきました。目の前にある印刷されたばかりのピーターラビットの大きな紙を自分で切って、折って、綴じ合わせて本の型にして、それをプレゼントしようと思ったのです。・・・
 その次の次の日、純子ちゃんのお母さんから「いただいた絵本、どれも純子が喜んで開いています。特に、ピーターラビットの絵本は、純子が、日本で初めて絵本を読んでもらう子なのよ、と言ったせいか、何回も何回も、読まされています」というお手紙をいただきました。
 それから一週間後に、またお母さんからお手紙をいただきました。
 「純子はピーターラビットを胸に抱いたまま神様のもとにいきました」というものでした。
 みんなが、ピーターラビットの絵本を借りていったり、読んでいた李、あるいは僕に読ませたりしている姿を見ていると、いつも、僕は純子ちゃんのことを思い出しています。

・生きる指針となった物語
 ドラ・ド・ヨング『あらしの前』『あらしのあと』

・日常生活にも物語がある
 エーリヒ・ケストナー『点子ちゃんとアントン』

・同じ空間で楽しむ詩遊び
 『なぞなぞの本』

・非常用の錨
 『児童文学論』リリアン・H・スミス
・豊饒な絵本の森への心おどる案内書
 『アメリカの絵本』『イギリスの絵本』(上下)『日本の絵本』の四冊からなる「連続講座<絵本の愉しみ>」

・(子どもを絵本の世界に導くための)レシピのコツは単純明快です。
「お子さんが生涯の友だちを物語の中に発見できるように、たくさんの素敵な昔話を読んでやってください!」ということです。

・10歳までは-それはたいがい、子どもがもう自分で読むからいいと親にいう時期と重なるのですが-身近なおとなに読んでもらうことが読書の基本ということです。理由は二つあります。ひとつは、子どもはいつだって自分が読める本よりも、もっとおもしろい物語を経験したがっているということ。もうひとつあh、物語は子どもが一人で読むには-子どもたちは物語の主人公になりきって、あるいは主人公とともに冒険に乗り出すものですから-危険が多く子どもたちには恐怖で耐えきれない場合が多いのです。乗り込んだ船が難破するかもしれない。竜や巨人やゴブリンが襲ってくるかもしれない。信頼していた友人に裏切られるかもしれない。愛する動物と分かれることになるかもしれない。時には両親との死別すらあるかもしれない・・・。

・物にいたるまでの旅は、苦痛がよろこびを凌駕していることの方が多いのです。けれども物語を読むよろこびは、その度に耐え、時には旅そのものを楽しみながら、ついに物にいたるところにあります。そうさせてくれるのが古典の古典たる所以なのですが! 子どもたちが成長するためにはその経験が必要なのであり、読むよろこびが生きるよろこびになるためには、まずその経験を必要とするのです。10歳までの読書という旅には、水先案内人・付添人が必要なのです!

感想
「物語が生まれる不思議」斎藤惇夫著 ”書くことは生きることでもある”

クリスチャンとして、児童文学者として、幼稚園の子どもたちにお話をされています。
日本聖公会の浦和諸聖徒教会を母体とした幼稚園の園長
1940年6月20日生まれとのこと、2000年の60歳から作家活動そして今82歳と高齢なのに現役の園長(2017年~)されています。
何か新しいことは年齢に関係なく始められますね。
きっとそれまでの経験や回り道が役立つこともあるように思いました。

優しい方
子どもたちのことを考えているから
敬虔なクリスチャン
たくさんの素晴らしい本を読んでこられた方
これらが読み終えた感想です。

『ぐりとぐら』『もりのなか』は遊びのボランティア”(入院児と遊ぶ)のときに読みました。
たくさんの絵本があったの読みました。
そして子どもたちに読み聞かせしました。
私は主にゲームを担当していました。

読んで、自分が読書が好きなのは、母親が少年少女文学全集を買っておいてくれていたので、それを読んだからでしょう。
ギリシャ神話が面白かったです。
小公子/小公女、母を訪ねて三千里
小学三年生からは学校の図書室で伝記をたくさん読みました。
中学の時は、コサックの物語が面白くて読みました。
ソ連だと思っていましたが、コサックはウクライナだったのをこの戦争で知りました。

努力に終わりはない/インタビュー 永瀬拓矢六段(第87期棋聖戦挑戦者) ”日々の努力が未来に花開く”

2023-01-08 16:28:00 | 社会
https://book.mynavi.jp/shogi/detail/id=66128 z将棋情報局

 第87期棋聖戦挑戦者決定戦は、永瀬拓矢六段が村山慈明七段を破り、羽生善治棋聖への挑戦権を獲得した。 ただひたすら努力を続け、そしてなお努力を口にする、超「努力」の人・永瀬が、初めて掴んだタイトルへの切符。 8連覇中の王者に挑む意気込みを聞いた。
(本記事は将棋世界2016年7月号/インタビュー 永瀬拓矢六段「努力に終わりはない」に掲載したものです)

──挑戦を決めていまのお気持ちは?

永瀬 まずはひとつ結果を出せて、これで一安心できるかと思いましたが、ほかの対局はこれまで通り続いていますので、特に何かが変わったという気はしません。羽生先生に教われるのはとても楽しみ。ふがいない将棋を指しては申し訳ないので、善戦できるように将棋の内容を向上させて、序盤、中盤、終盤、すべてで競ることができるようにしたいです。

──トーナメントのどのあたりで挑戦を意識しましたか。

永瀬 最後まで意識することなく戦えました。本戦は六段以下が自分しかいなくて、誰が相手でも常に厳しい戦いになることは覚悟していました。

──これまで、新人王戦、加古川青流戦と、若手選抜の棋戦で2度の優勝がありますが、挑戦者決定戦では過去2回、敗れていました。ようやく、という気持ちはありますか?

永瀬 挑決の1回目は三浦弘行九段、2回目は渡辺明竜王(当時棋王)だったのですが、いずれも力の差を感じた内容だったので、ようやく、とは思えません。今回も村山七段という強敵を迎えて、苦しい勝負になるとは思っていましたし、実際その不安は的中しました。途中は敗勢ともいえる形勢になってしまいました。

──ではその一局を振り返ってもらえますか。

永瀬 序盤から中盤にかけてですが、昔の自分なら力ずくで受けようとした局面で、じっと玉を固める手を指せたことが印象に残っています。最近は受けるにしても、バランスのよい受けをテーマにしています。

将棋はやや苦しいながらも相手についていったのですが、第1図の△2五歩が悪手でした。▲6五歩がピッタリで、一気に形勢を損ねてしまいました。当初は▲6五歩に△2六歩▲6四歩△2七歩成で、飛車を取れるので難解と思っていたのですが、そこで▲6三歩成とされると、以下△1七とと飛車を取っても先手の玉に寄りはなく、私がはっきり不利です。このことに気づくのが遅れてしまったのが問題でした。そこで本譜は▲6五歩に△4六角としましたが、その後はずっと苦しい展開でした。

第2図がもっとも先手が勝ちに近づいた局面だと思います。実戦は以下▲3四桂で、これでも先手が悪いわけではないのですが、もっとカラく▲4一銀と打っておけば、こちらに手がありませんでした。以下△7六歩▲同銀△6八飛成▲同金△同角成で金を2枚剥がせるのですが、▲3二銀成△同金▲7八金(A図)と受けられて、以下飛車を持たれての反撃が厳しいのです。ここからだんだん差が詰まっていきました。

──どこで逆転したと思いましたか。

永瀬 最後まで勝ったとは思えませんでしたね。最終盤で相手玉に必至をかけ、私のほうも怖い局面だったのですが、そこから数手進んで自玉の不詰めがはっきりして、ようやく勝てたと思いました。

  頂いた棋士人生

──棋士になって8年半6年半で掴んだ挑戦権です。これまでの自身の成績をどう評価していますか。
(※元記事では8年半と記載いたしましたが、6年半の誤りでした。お詫びして訂正いたします)

永瀬 もうそんなにですか。結構長いですよね。もちろん、満足はしていません。ただ、自分の意識としては、私の棋士人生は鈴木先生(大介八段)に頂いたものだと思っています。客観的に見て、というわけではありませんが、頂いたものなので精一杯頑張らないと、と思ってやっています。

──「頂いた」というのは技術面で伸ばしてもらったいう意味ですか?

永瀬 もちろん技術面に関してもそうですが、私が四段の頃、アマチュアの加來さんに負けた後に、厳しく叱咤していただいたことがありました。正直、かなり堪えるものでしたが、いま思うと、それは本当の優しさだったんだとわかります。優しさの裏返しですね。叱ることって、叱った本人にとってはまったくメリットがないことですから。ほかにも鈴木先生に受けた恩は数えきれません。

──対戦相手の事前研究や、入念な作戦は立てて臨むほうですか。

永瀬 ある程度の作戦はもちろん立てますが、自分の場合は、いまは地力を高めることを最優先で考えています。今回の村山七段との挑決もそうでしたが、途中で地力のなさで形勢を損ねてしまうことがあるので、まずは中終盤で相手についていくだけの力を身につけないと。

──相手に応じた作戦を立てるのではなく、ということですね。

永瀬 そうです。なにより全体の力の底上げが必要で、そこを上げないとトップには通用しないでしょう。今回はたまたま結果を出すことはできましたが、現状のままでは長続きしません。

──しかし、永瀬六段は羽生名人に3戦全勝という好結果を残しています。実は攻略法を見つけているとか?

永瀬 勝ってはいますが、いずれも結果が幸いした、という感じです。当たり前ですが、攻略法があるような相手ではありません。まさに絶対王者と呼ぶにふさわしく、スキはまったく見えません。自分が将棋を始めたのは羽生名人を見てのことですし、目標とするには高すぎる存在ですが、少しでもよさを吸収していきたいですね。

──永瀬六段から見て、羽生世代は二回り近く、年上です。どういった感覚で見ていますか?

永瀬 羽生世代の先生方の将棋はいちばん並べています。将棋の技術はもちろん、人柄も素晴らしく、棋士の鑑です。学ぶことばかりですが、いろいろ見習って自分の成長につなげたいと思っています。

──では純粋に技術面だけを見て、何か変わってきていると思いますか?

永瀬 羽生先生の七冠時代を見ていないので、その時代と比べることはできないのですが、少なくとも自分が棋士となった8年ほど前と比べて変わったようには思えません。いまだに上位を占めているのは羽生世代ですし、力が下降していくことはまったく想像できません。

──ずばり勝算は?

永瀬 それについては考えないようにしています。結果より、まずは内容をよくすることが第一です。そのうえで、チャンスがきたら掴みたいと思っています。

  昨日の自分より強く

──自身の棋風はどうとらえていますか。かつては大山康晴十五世名人にたとえられるほど受けの強さが特徴的でした。

永瀬 受けるのはいまだに好きです。ただ、偏った受けにはしないように心掛けています。バランス型がいちばんいいのでしょうが、自分のよさや持ち味というのもあると思うので、そこはなくさないようにしたいですね。理想は短所を補いつつ、長所を少しずつ伸ばしていくイメージです。

──数年前に振り飛車から居飛車党に変わりましたが、それはどのような理由ですか。振り飛車に閉塞感を感じていたとか?

永瀬 それも鈴木先生の影響なんです。以前『永瀬君は二十歳になったら、居飛車を指して世界観を広げたほうがいい』と言われたことがあるんです。実際に世界観を広げるために居飛車を始めたというわけではないのですが、素直に取り入れてみました。振り飛車に苦しさを感じていたわけではありません。

──居飛車を指すようにしてよかったと思いましたか?

永瀬 どちらがよかったか、こればかりはわかりません。ただ、鈴木先生のおっしゃることなので、間違いはないと思ってはいました。

──最近、若手の活躍が目立ちますが、ライバルと思っている人はいますか?

永瀬 うーん、難しいですね。思いつきません。自分が強くなることで頭がいっぱいで、ほかの人を意識することがないので。ちょっとうぬぼれて聞こえるかもしれませんが、あえて言えば、自分がライバルになるでしょうか。昨日の自分よりは、今日の自分は強くありたいと、いつも思っています。

──永瀬六段は数多くの研究会をしていると聞いたことがあります。普段はどれくらい勉強をしていますか。

永瀬 昨年出場した電王戦の頃までは、VS(1対1の実戦中心の研究会)を中心とした勉強でしたが、いまは半分くらいに減らして、ほかの勉強法も取り入れています。

──コンピュータも活用している?

永瀬 はい。使うこともあります。ほかに詰将棋とか、棋譜並べとか、以前からやっていたことではありますが、比重を増やしました。実戦だけでなく、バランスのよい勉強を心掛けています。

  将棋は努力

──ところで趣味はありますか。

永瀬 春先は対局が減るので、何か趣味を見つけようかなとちょうど思っていたところだったんですが、ありがたいことに今回の挑戦で忙しくなりました。いまは趣味に充てようと思っていた時間で、羽生先生の将棋を勉強しています。

──対局の前後はどう過ごしますか。

永瀬 昔は対局前はナイーブになることもありましたが、いまは気にせず普段通り過ごします。挑決の前も同じでした。

──ナイーブというと?

永瀬 対局前日はしっかり休んで、体力を温存して、ということを考えていたんですが、そもそも地力が足りないのに、体力だけ温存しても仕方がないと思うようになりました。地力のある方は、力を発揮できるように休んでおくべきでしょうが、自分はまだそういうレベルではありません。いまは体力云々を考えるのでなく、日々、自己研鑽に努める時期だと思います。

──お酒は飲みますか?

永瀬 まったく飲みません。控えているというわけではなく、飲めないんです。

──自分の性格に関してはどう感じていますか?

永瀬 よくはわかりませんが、後輩からは厳しいとよく言われます。自分ではそのつもりはまったくないのですが。鈴木先生にも『永瀬君の後輩でなくてよかった(笑)』と言われたことがあります。そんなに厳しいですかね?

──インターネット上では「軍曹」のあだ名がついているようですが、これについては?

永瀬 うーん、階級を上げられるように頑張ります(笑)。

──以前、「将棋に才能は必要はない、努力だけだ」という旨の発言をされたことがあります。その考えはいまも変わりませんか?

永瀬 もちろんです。いまでも深く思っています。

──では永瀬六段は努力の人ですか?

永瀬 いえ、まだまだです。これからもしなければならないことはたくさんあります。ただ、もしあのときの鈴木先生の言葉がなければ、これほど努力というものに真摯に向き合うことはなかったでしょうし、いま私がこの場所に至っていた可能性はゼロだったでしょう。そう考えると、努力すること、頑張ることは、いつでも何かにつながる可能性はあるのだと思っています。今回、羽生先生と指せる舞台に立てたことは非常に光栄なことですが、自分にとって納得のいく将棋を指すためにも、さらに研鑽を重ねたいと思います。
(4月30日 於・蒲田将棋クラブ 構成・国沢健一)

感想
「将棋は努力」と言い切ってます。
ご本人の感想なのでしょう。
凄い努力をされてきたと思います。

将棋だけでなく、何事も努力なのでしょう。
それにどれだけの時間とお金をつぎ込めるか。

私は”音痴”でした。まだ”音痴”かもしれませんが。
人前で歌わないといけないことが多くありました。
全て断っていました。
でも断れないことが3回あり、辛かったです。
そのため会社の懇親会(よくカラオケになる)や二次会(スナックでカラオケ)になり、嫌な気持ちになることが多かったです。せめて人並みに歌えたらと。
誰も聞いてないから歌えば良いと言われますが、音痴にはそれがとても辛くてできないのです。
その時の体験を下記にUpしています。

カラオケを何度も勧める人 PDCA
カラオケの採点機の評価を考える バリデーション&キャリブレーション
カラオケ体験して知ること 3ゲン(現場、現物、現実)、5ゲン(原理、原則追加)
カラオケが苦しみから楽しみに 5S(精神、整理、整頓、清潔、清掃)

大病をして、その後、自分の苦手なこと知らないことにチャレンジしたいと思うようになりました。
そこでカラオケ教室に行きました。
恥をかいても良いと、大病して思えるようになったからです。
カラオケ教室250時間、一人カラオケ250時間
それまで自分の歌が外れていることがわからなかったのが、分かるようになりました。
それから人前で歌うこともできるようになりました。
やはり時間をかけることが大切ですね。

夢で前の会社の懇親会で、社長から「歌え!」と言われました。
前までは絶対拒否していましたが、歌っても良いと思い、夏川りみさんの『涙そうそう』を歌おうとしたときに目が覚めました。最後まで歌いたかった。涙
でも夢の中でも「歌ってよい」と思うようになったんだなあと思うと、感慨深いものがありました。
実は、社長のいるフロアー全体のレクレーションで夜懇親会があり、次々と歌になり、歌うことを拒否していた辛い実体験があったのです。それが潜在的にも残っていたのでしょう。
でも、今は大丈夫です。(笑)

<遅咲きデビュー(6完)>囲碁棋士・外柳是聞さん 背水の舞台で栄冠つかむ ”敵に勝つには己に勝つことが必要”

ワーストは「大阪」 2022年交通事故死者数でる 大幅減の「神奈川・福岡」大幅増の“不名誉県”も ”吉村府知事 コロナ死者数(10万人あたり)トップだけでなく、交通事故死者数トップ”

2023-01-08 16:05:55 | 社会
https://carview.yahoo.co.jp/news/detail/e4c236a30a16f585e36b7a6600e57c26cfaee737/ 2023.01.08 13:44掲載 乗りものニュース 5
2022年中の交通事故死者2610人、前年比26人減少

警察庁が2023年1月4日、2022年中の全国の交通事故死者数などを公表しました。事故発生から24時間以内の交通事故死者は2610人。外出制限のあった2021年より26人減少しました。減少を歓迎したいところですが、上位を占める地域では、高止まりや増加が見られます。楽観はできないようです。

【速報】2022年中の交通事故死者数、都道府県別に多い順から(画像で見る)

「警察庁が保有する1948年からの統計で、6年連続で最少を更新した」。谷 公一国家公安委員長はこう話します。

交通死亡事故は、昼間の時間が短くなる秋口から年末にかけて増加。その勢いが新年1月まで続き、2月から夏にかけて緩やかに減少するうねりを繰り返します。2022年の月別死亡事故年数は、1月の事故が例年より少なく、12月に向けて増加傾向を描いていたものの、通年では減少になりました。

これが行動制限などによる一過性のものか、それとも事故トレンドが根本的に減少傾向にあるのかは、現時点では不明です。仮にコロナ禍の行動制限による影響であれば、再び死者数が上向くことも考えられます。

気になることは、もう1つあります。23の府県で、2021年より死亡事故が増えているのです。ほぼ半数の地域で増えているのに、全国的には減少に転じているのは不思議です。

その理由は神奈川県と福岡県での取り組みにありました。神奈川県では前年比で29人、福岡県で26人と大幅に死者数を減らすことに成功しています。この減少数は、奈良県や山形県などの1年間の死者数と同じです。

特に神奈川県は2021年に142人の事故死者を出し、全国ワーストを記録しました。2022年は29人減少させて、8番目まで後退しています。全国で最多の減少数でした。

現状維持では、死亡事故の上位になってしまう現実

神奈川県に代わり全国ワーストになったのが大阪府です。2021年、大阪府の被害は神奈川県に隠れていただけで、差はほとんどありませんでした。2022年の大阪府の死者数は141人、大阪府としては前年よりたった1人増えただけですが、それでも全国ワーストです。

愛知県は逆に増加数が全国最多でした。前年比で20人死亡事故を増やし137人。大阪府に続くワースト2位の不名誉な記録です。

上位5都県をみると、東京都を除き4県で、死者数は前年より増えています。仮に神奈川県や福岡県の取り組みがなければ、総数で減少に転じることは難しかったかもしれません。

全国の事故死者数を最少から見ると、下位5県で前年より死者が増えているのは1県だけ。上位5都県とは真逆です。また、最少の鳥取県は年間14人、大阪府の10分の1です。

日本は2025年度までに事故から24時間以内の死者数を2000人以下、30日以内の死者数を2400人以下に抑えて、世界一安全な道路交通の実現を目指すことを決めています。

谷 公一国家公安委員長が2023年の対策を説明します。

「こどもや高齢者をはじめとする歩行者の安全の確保、自転車の交通ルール順守の徹底、飲酒運転等の悪質・危険な交通違反の取締り等の多角的な取り組みを効果的かつ強力に推進するよう警察を指導する」

運転者の注意や先進安全技術の向上で事故死者は減少傾向にありますが、油断はできません。

感想
吉村府知事は何をされているのでしょう?
記者会見で「イソジンがコロナに効果がある(後日否定)」と記者会見したら、マスコミにはよく顔出しされています。

コロナ死者数は全国一です。
コロナ死者数 県別 なぜ吉村大阪府知事の大阪は断トツなのか?/追従する北海道

交通事故死者数は人口の多い東京都などを抑えて日本一です。

吉村府知事を支持している人は何の業績をもって支持されているのでしょう?
イソジンの会社は、吉村府知事のお蔭で儲けたので、ありがたかったかと思いますが。

なぜ被害者たちは「日本記者クラブ」ではなく「外国特派員協会」を選ぶのか…国内マスコミが抱える根本課題 ”日本のマスコミは政権に阿いてフィルタ―をかけるから/報道のプライドを自ら投げ捨てている”

2023-01-08 15:38:38 | 社会
https://news.line.me/detail/oa-president/j8ac0o3otjjr?mediadetail=1&utm_source=line&utm_medium=share&utm_campaign=none 2023年1月5日 10:00 PRESIDENTPRESIDENT Online
2022年12月、陸上自衛隊での性暴力を告発した五ノ井里奈さんの記者会見が外国特派員協会(FCCJ)で開かれた。上智大学の水島宏明教授は「旧統一教会元2世信者や、TBS元記者から性被害を受けた女性が会見を開いたのも同じ場所だ。背景には、記者クラブ体制の機能不全がある」という――。

記者会見は各社が全国放送で報じた
12月19日(月)、テレビ各社が元陸上自衛官で所属部隊での“性暴力”“性被害”を顔出し実名で訴えている五ノ井里奈さんの記者会見の様子を報道した。

NHKとフジテレビ、テレビ東京は全国放送で報道しなかった。一方、日本テレビ、テレビ朝日、TBSは、夕方や夜の主要ニュース番組で、五ノ井さんが会見で語った「(男性隊員たちが)私に覆いかぶさり、腰を振る動作を繰り返していた」などの赤裸々な言葉を全国放送で報道した。この夜、こうした詳細を初めて報じた局もあった。テレビだけでなく、新聞各社もこの会見での五ノ井さんの言葉を翌朝の新聞に掲載した。

この記者会見が行われた場所は「外国特派員協会」(FCCJ)である。午後2時すぎに東京・丸の内のビルの一角で記者会見が行われた。

※写真はイメージです 写真=iStock.com/AleksandarGeorgiev

この外国特派員協会、実は、日本の主要メディア各社が運営する記者クラブではない。主体になっているのは欧米を中心にした世界の新聞・テレビなどの特派員たちで、いわば外国メディアのための記者クラブである。

なぜ外国報道機関向けの記者クラブだったのか
五ノ井さんのケースは、日本での出来事なのになぜ日本のメディアが中心になっている国内報道機関が運営する記者クラブではなく、外国特派員協会という外国メディア向けの記者クラブで会見が行われたのだろうか。しかも、なぜ、それが国内の報道機関でのニュースになるのだろうか。

実は同じことが「宗教2世」の問題を告発している小川さゆりさん(仮名)の記者会見でも起きている。小川さんが外国特派員協会で記者会見したことで親が宗教団体に対して多額の寄付をするために生活がままならず極貧状態にあったり、子どもたちが宗教団体の決めた「養子縁組」で幼少期から家族がバラバラになったりする実態が大きく報道されることになった。

出入国在留管理庁の出先での人権侵害について会見が行われるのも多くが外国特派員協会だ。

なぜ、日本の記者クラブではなく、外国特派員協会なのか。その記者会見がなぜ日本のニュースに貢献しているのか。この問題を考えると、実はそこには日本の記者クラブが抱える問題が見え隠れしている。

報道機関の自律は記者クラブの基本だが…
外国特派員協会は、正式名称を「日本外国特派員協会」という。英語名The Foreign Correspondents' Club of Japanで略称はFCCJ。ホームページでは「世界で最も古く、最も権威のある記者クラブのひとつ」と自己紹介している。会員の資格として「日本を拠点とし、その記事の大部分が海外へ報道される記者」を対象にする組織だ。

米国のニューヨーク・タイムズ、CNN、英国のBBCなどの欧米の主要メディアの記者たちが所属している。記者クラブの自律的な判断でゲストを呼んで記者会見や講演会などを開いている。メンバーはそれぞれの会に自由に参加することができる。

日本のメディアの記者たちが所属する記者クラブも同じように「自律的な判断」に委ねられているはずだが、なぜ既存の日本のメディアの記者たちが所属する記者クラブでは、自衛隊内の性暴力問題や宗教2世の問題、それに入管での人権侵害の会見などが満足に行われないのだろうか。

「縦割り」が障壁になっている
日本の個別の記者クラブは、それぞれ中央省庁や政党、大企業ごとに「縦割り」になっていることが大きな障壁になっている。官庁などと同じように「縦割り」のため、防衛省の記者クラブ、文部科学省の記者クラブ、東京の裁判所や検察庁、弁護士会などを担当する司法クラブなど細かく分別されていて、所属する記者たちはそれぞれ担当する組織の官僚らと同じような問題意識になりがちだ。

記者たちは記者室など官公庁などの建物を「間借り」している状態で、記者会見の場に当該組織の広報担当者なども聞きに来ることができるため、記者会見で話をする当人にとっては無言の圧力を受けやすい。記者の側も日頃情報提供を受けている組織に対する遠慮や忖度などが働きやすい。

そういう意味では、役所等の中にある記者クラブが完全に「自律的に運営」されているのかどうかはかなり疑問だ。

さらに、「縦割り」の担当であるがゆえに、記者たちの視野が極端に狭くなりがちである。防衛省の記者クラブにいる記者たちは最新兵器や防衛システム、「敵基地攻撃能力」などの法概念については防衛省の幹部や自衛隊幹部と同じくらいの専門的な知識を求められるため、そうした問題に対しては関心が人一倍強い。その一方で、「女性隊員への性暴力」のような問題については門外漢で、どれほどの重要性があるニュースなのか、記者自身が判断できない場合が少なくない。

横断的なテーマに対応できない
五ノ井さんが受けた「性被害」「性暴力」の問題は当該官庁だけでなく、社会全体にかかわるジェンダー問題でもある。

2017年に米国ハリウッドの映画界で内部告発が相次いだ「#MeToo運動」以降も、解決すべき問題が様々な分野で根強く残っている。

メディア業界自体も強固な「男性優位」が続く社会だ。そこで働く記者たちも日頃からこうした問題について敏感とはいえない。ジェンダーがからむ「被害」については、今なお、当事者同士の問題だと考えがちで、「組織の問題」としては捉えない傾向も根強い。

五ノ井さんが性暴力被害への公正な調査を求めて、野党の議員らと防衛省で申し入れを行ったのは、8月31日(水)だった。そのときは防衛省の記者クラブが通常会見を開く記者会見室ではなく、建物の玄関先で、立ったままの「ぶらさがり」という形式で記者たちの質問に答えている。

10月17日(月)、五ノ井さんは自分に“性暴力”を行った加害者側の男性隊員4人から謝罪を受けたとして、記者会見を行って加害者側の手紙を読み上げた。このときの会見場所も、防衛省記者クラブでも官邸記者クラブでもなく、参議院または衆議院の院内会議室と思われる部屋で会見には野党の国会議員たち数人が同席していた。

各社の熱の入り具合が一変した
この会見については五ノ井さんを熱心に取材しているAERA dot.やTBSテレビは「覆いかぶさって腰を使った」などの「性被害」の詳細を報道した。しかし他の多くのメディアは「性被害」などと抽象的に短く表現しただけで詳細を伝えなかった。

12月15日(木)に性暴力の加害者側の自衛官5人が懲戒免職になったときも「性被害」でと各社が伝え、TBSテレビの「news23」だけが「キスを強要された」「胸を触られた」などの詳細を報じた。

ところが12月19日(月)に五ノ井さんが外国特派員協会で会見したときには状況が一変する。それまであまり詳しく報じていなかった日本テレビ「news zero」が「示談交渉で“呆れた言葉”」と見出しを打ち、(1人あたり30万円の示談を申し出た隊員側が)「個人責任を問われるか疑問だが」と発言して五ノ井さんが呆れ驚いたと伝えた。

さらに「性被害」の中身も「私に覆い被さり、腰を振る動作を繰り返していた」とそれまで以上に具体的に伝えた。テレビ朝日の「報道ステーション」も隊員側からの示談申し出の際の発言に五ノ井さんが呆れたことに付け加え、「セクハラ行為がまるでコミュニケーションの一部であるかのように感覚がまひしていた」と本人の言葉を伝えていた。

「日本記者クラブ」は会社ありき
外国特派員協会に匹敵するような組織が国内にないわけではない。

「日本記者クラブ」は国内メディアの記者向けに国内の報道機関が運営する組織だ。国政選挙の公示直前の党首討論や国際政治や軍事情勢、経済動向など大所高所からの大きなテーマについて専門家による情勢分析を中心にゲストを招いて話を聞くことが多い。

役所の縦割り主義に応じて縦割りの記者同士の担務になっている日本の記者クラブ制度は、守備範囲を決めにくい自衛官の性暴力などのテーマはどっちつかずになって手つかずになりがちな要因になっている。

こうした、いわゆる「記者クラブ」とは異なり、「日本記者クラブ」は横断的なテーマに対応している。

ところが、ここでも問題がある。ここに所属しているのは、基本的に各新聞社やテレビ局など大手メディアの論説委員や解説委員など一定の役職以上の人間だ。つまり、貴社各々が所属している報道機関に紐付いているような形態になっているのだ。

「会社」が何かと前面に出てくる日本のメディアが加盟する日本の記者クラブと比べると、それぞれのジャーナリストである「個人」が加盟するという個人主義の意識が強いのが外国特派員協会だ。その違いは対照的だ。

伊藤詩織さん事件でもそうだった
今回の五ノ井里奈さんのように性暴力の問題で日本の既存メディアの記者クラブが十分に対応できなかった前例はこれまでもある。ジャーナリストの伊藤詩織さんのケースだ。

伊藤さんは2015年、当時TBSのワシントン支局長だった山口敬之氏との食事中に昏睡させられた末に「合意ないままに性行為を強要された」として、被害の実態と警察の捜査徹底を訴える記者会見を2017年5月29日に司法記者クラブで行った。当時は名字を伏せたが、下の名前と顔を出すかたちで会見した。

ところがこの会見が新聞やテレビなど主要な既存メディアで大きく報道されることはなかった。警察の幹部による、異例ともいえる逮捕の中止命令など、安倍政権中枢に近い「政治の力」が疑われるケースだったにもかかわらずだ。本人が顔を出して訴えたにせよ、片一方の当事者がこう言っているというだけにすぎないために記事にはできないと判断した社が多かったという事情もあったかもしれない。しかし、問題を深掘りしようとする記者がいなかったことは日本のメディアが抱える課題の深刻さを映し出しているように思う。

伊藤さんはその後、自分に起きた出来事をノンフィクション『Black Box』(文藝春秋)として上梓した。同時に2017年10月24日に外国特派員協会で記者会見を開き、以降、自分の性被害やSNSでのバッシング等に関する会見は主に外国特派員協会で行っている。

国内ニュースに還流される構図がある
記者クラブはメディア側の「自律」が大切だが、実際には言葉が形骸化しているケースは少なくない。

官邸クラブでの会見を見ると、官僚が記者会見を進行していて、首相や官房長官が発表したいことを一方的に話すばかりで質問時間や回数も制限している。記者側の質問もまるで事前に用意した答弁を読み上げるだけの国会答弁のようで、政権への忖度やおもねりが見てとれる。形式上は記者会見となっているものの、その様子は台本のある儀式のようだ。

外国特派員協会では、そもそも忖度する先が存在しない。毎回、記者たちがその場で考えた質問をぶつけている。そんな真剣勝負の記者会見のやりとりはYouTubeでも公開されている。

それまで同じ問題で何度か会見を開いている人物でも、外国特派員協会では質問を受けてより深みがある言葉を引き出されていることも少なくない。

五ノ井里奈さんのケースを見ても、12月19日の日本テレビやテレビ朝日の報道のように、外国特派員協会での「自分に覆いかぶさって腰をふった」というような音声を使うことで、それまで実態が見えにくくなっていた問題を伝えることができていた。日本国内のニュースなのにそれが外国特派員協会という記者クラブでの記者会見を経由して、新たな付加価値が日本のメディアに「還流」していく構図があった。

レバノン逃亡後のカルロス・ゴーン氏も…
テレビも新聞も「マスゴミ」などと若者たちに批判されることがもう珍しくもない時代になった。

これほど外国特派員協会での会見ばかりがニュースで使われるようでは、日本の従来の記者クラブ体制がもはや機能不全に陥っているのではないかと疑わざるを得ない。

日本の記者クラブがやらなかった人物を外国特派員協会が会見をセットした例として、日産自動車の元会長カルロス・ゴーンのケースがある。

2018年に特別背任罪などの容疑でたびたび逮捕され、2019年に保釈中にプライベートジェットで国外逃亡した。外国特派員協会は逃亡先のレバノンとオンラインで結んでゴーンの会見を実現させたのである。日本の刑事当局からみれば「容疑者」であり、「逃亡犯」であっても、なぜ日本から逃げたのか。彼の言い分は何なのか。それを聞いてみないことにはわからない。

内戦下のシリアで武装集団に拘束され、3年ぶりに解放されたものの「自己責任」だと非難にさらされたジャーナストの安田純平氏の会見もここで行われた。

同調圧力が強く、忖度し合う日本の記者クラブでは避けてしまいがちなゲストを選んでいる。

ジャーナリズムの基本精神に立ち返るべき
象徴的だったのは2019年12月19日の記者会見のゲストの選定だ。この前日、伊藤詩織さんが元TBSの山口敬之氏を相手取って損害賠償を求めた民事訴訟で、東京地裁が伊藤さんの主張を認める判決を出している。この日、外国特派員協会は“被害者”として勝訴した伊藤詩織さんだけでなく、“加害者”として敗訴した山口氏もゲストとして会見させている。

できる限り、その出来事の当事者に話を聞いて真実に接近しようとする営みがジャーナリストの活動であるのなら、外国特派員協会はその精神に忠実だといえる。

比べると、日本の記者クラブは、取材先組織ごとの縦割り体制やメディア同士の常識に縛られて、視野が狭くなってはいないか。「会社」中心の発想で深掘りする刃が鈍っていないか。「個人」として実直な疑問をぶつけるものになっているのだろうか。改めて自己点検が必要だ。

感想
今や、日本のマスコミは政権の機嫌取りが優先で、正しく報道することを二の次にしている印象を受けます。
ネットのニュースの方が信頼が高いケースが多々あります。

詩織さんのケース、安倍元首相が絡んでいたので、当初取りあげませんでした。
また山口氏がTBSのアメリカ支局長だったこともあり、各社控えたのかもしれません。

報道のプライドを自ら投げ捨てているようにさえ思えます。
だから、まだ正しく取り上げてくれる、外国特派員協会を選ぶのでしょう。
日本のマスコミへの信頼がなくなっているからです。
それは実績から感じているのでしょう。

新聞の購読が落ちています。
TVもSNSに負ける日が来ます。
記者に会社のトップが圧力をかけ続けていたら、ますます信頼を失うでしょう。

絵本 しらすどん ”絵本を見ながら食べものの大切さを学ぶ”

2023-01-08 14:50:14 | 本の紹介
しらすどん(絵本ナビ)
https://www.ehonnavi.net/ehon/167628/%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%99%E3%81%A9%E3%82%93/

「そろそろ ごはんよ」

庭で遊んでいたりょうくん、いやいや食卓につきます。まだまだ遊んでいたいのに。今日のご飯はしらすどん。あっという間に食べて、ごちそうさま。ところが席を立つりょうくんに、どこかから呼び止める声がします。

「まだ あるよ」

声の主はどんぶり。見ると、どんぶりの中には食べ残された小さなしらすが一匹。どんぶりは続けて言うのです。

「自分がしらすだったらって、かんがえたことある?」

その瞬間、りょうくんはみるみる小さくなって、どんぶりに吸い込まれ……!?

どこにでもある日常の光景が、この場面をもって急展開。しらすの代わりにどんぶりに残された小さなりょうくんは、生ごみとして捨てられて、そこから信じられない光景を次々に目の当たりにするのです。

なんという絵本でしょう。その驚きの展開に圧倒されながら、特筆すべきはその描写。見たことも体験したこともないはずのしらすの生涯なのに、読み終わってみれば、いつの間にかりょうくんと同じような感覚を味わってしまうのです。この作品が絵本デビュー作となる最勝寺朋子さんは、実際にシラス漁を体験されたり海にもぐったり、絵本のための取材を丁寧に重ねていったのだそう。

怖い? いや、美しい? それとも……。感覚的に「命を感じる」ことができる、存在感の大きな絵本の登場です。
(磯崎園子 絵本ナビ編集長)

感想
ご飯粒を残すと、よく母に言われました。
「お米一粒を作るのに、お百姓さんがどれだけ努力しているか」
母の実家は農家で、よく農作業の手伝いを小さい時から手伝わされたそうです。
米粒一つ残さない習慣が身につきました。
一粒でも残すと気分が悪くなります。

まさにこの絵本はそのことを教えてくれていました。
しらすは食べられてこれまで生きてきた意味が生かされます。
ゴミとして出されると環境にも負担をかけます。

人の口に入るまでに多くのしらすの赤ちゃんは他の魚のえさになって、そして生き残っても漁師さんが獲り、調理されて食べられるのです。

生きもののいのちをいただくということ。
感謝の気持ちを持つこと。
しらすは他の命を生かすために自分の命を犠牲にしているのです。
それなのにゴミとして捨てられ、焼却の手間、環境への負荷がよけいにかかるのです。

7年前に母は亡くなりましたが、いろいろなときに、母がしてくれたことを思い出します。

食べものを粗末にしないことですね。
前の会社でご飯をもらうときに、「半分でお願いします」と伝えていました。
そして米粒一つも残しませんでした。
中には平気でご飯を残している人も多くいました。
もちろん、無理して食べてお腹を壊すなら残すのが良いですが。
食べる前に、食べられる量を、盛り付けてもらうことですね。

コンビニで捨てるのはもったいないですね。
オリンピック・パラリンピックで大量のお弁当の廃棄がありました。
注文した事務方は足らないことで上から叱られるのを恐れて多めに注文しました。
廃棄になっても、その費用は税金ですので、幹部も職員も自分の懐が痛みませんから気にならないし、その有効利用もほとんど考えなかったようです。
一方、フードバンクには行列ができていました。
フードバンクでは配る食料品が不足していました。

食料安全保障 最新報告書
世界で8億2,800万人が飢餓に直面 新型コロナ流行以来、1億5,000万人増加
ユニセフ https://www.unicef.or.jp/news/2022/0136.html


日本の食品ロスの現状
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_policy/information/food_loss/exchange_of_opinions/pdf/131028_sanko2-5.pdf

○ 日本では、年間約1,700万トンの食品廃棄物が排出。このうち、本来食べられるのに廃棄されているもの、いわゆる「食品ロス」は、年間約500~800万トン含まれると推計。(平成22年度推計)
○ 日本の食品ロス(年間約500~800万トン)は、世界全体の食料援助量の約2倍。 ○ 日本のコメ生産量に匹敵し、日本がODA援助しているナミビア、リベリア、コンゴ民主共和国3カ国分の食料の国内仕向量に相当。

フードバンクの現状について
農林水産省 https://www.maff.go.jp/kyusyu/seiryuu/syokuhin/recycle/foodbank/attach/pdf/discussion2020-7.pdf


日本に忍び寄る貧困問題 貧困率の現状と解決に向けた支援とは
https://eleminist.com/article/2258

日本における貧困の現状
日本の貧困は思ったよりも深刻だ。2019年におこなわれた厚生労働省の「2019年国民生活基礎調査」によると、2018年の日本の貧困線は127万円(新基準では124万円)、相対的貧困率にして15.4%にもおよんでいた。