1940年に新潟県新潟市に生まれる。小学校から高校卒業までを長岡市で過ごす。新潟県立長岡高等学校を卒業後、立教大学法学部法学部に進学。60年安保闘争に参加。同大卒業後、大手電機メーカーに勤務した。その後、福音館書店編集部に勤務。長年にわたり児童書籍の編集に携わる。同社編集担当取締役となった。
1970年の処女作『グリックの冒険』で、翌年に日本児童文学者協会新人賞を受賞する。
1972年の『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』で、国際児童年特別アンデルセン賞優良作品に選出される。
1983年には、『ガンバとカワウソの冒険』で野間児童文芸賞を受賞した。
『冒険者たち』はロングセラーとなり、「ガンバの冒険」の題で連続アニメ化された[6]。
また、劇団四季により『冒険者たち ガンバとその仲間』というタイトルで1976年より繰り返し上演されている。(ウイキペディアより)
・この三人の方々の言葉は、いつも気になっていたのですが、しかし、編集者生活が長かったせいか、どうやら私は、活字、主に物語を通して子どもたちを見ることに慣れ切ってしまっていたようです。
・ワーズワーズ
子どもはおとなの父
・石井桃子
子どもたちよ、子ども時代をしっかりとたのしんでください。おとなになってから、老人になってから、あなたを支えてくるるのは子ども時代の「あなた」です。
・河合隼雄
この宇宙の中に子どもたちがいる。これは誰でも知っている。しかし、ひとりひとりの子どもの中に宇宙があることを、誰もが知っているだろうか。
・児童書の編集者、そして子どもの本の作家を経て、いまキリスト教の幼稚園の園長をしています。
・机の上の電話が鳴りました。僕の中学時代の友だちの女性からでした。
「お願いがあるの」
「斎藤さんの会社で血液型がAB型の人がいるかどうか調べていただけませんか? もしいたら、その方に、少し血をわけてくださらないか聞いてください」
「いったいどうしたの?」と聞くと、その人の友だちの、4歳の純子という名の女の子が重い病気にかかって苦しんでいて、「あと少ししか生きていられないの。新しいAB型の血液をわけてもらえれば少しらくになるの」というのです。
なんだ、そういうことならば、「僕の血をあげます。僕はAB型です」。・・・
その血を純子ちゃんにうつしたあと、純子ちゃんのお母さんがやってきて、純子ちゃんに会ってくださいませんかというので、純子ちゃんの病室をのぞいてみました。すると純子ちゃんが真っ白な顔で待っていました。そして小さな声で、ありがとうおじさん、といったのです。
僕は、あわてて、「これから急いで会社に戻って、おもしろい絵本を三冊持ってくるから待っていてね」と言って、さよならをしました。・・・
どの三冊にしたらいいのか一生懸命考えました。あと少ししか生きられない純子ちゃんに、どんな絵本をプレゼントしたらいいだろうとね。
仕事仲間もみんな寄ってきて、一緒に考えてくれました。二冊は簡単に選べました。『ぐりとぐら』『もりのなか』です。
でも、最後の一冊をどうしようか、考えても考えてもどれにしたらいいんかわかりませんでした。でもその時、僕は、とてもいいことを思いつきました。目の前にある印刷されたばかりのピーターラビットの大きな紙を自分で切って、折って、綴じ合わせて本の型にして、それをプレゼントしようと思ったのです。・・・
その次の次の日、純子ちゃんのお母さんから「いただいた絵本、どれも純子が喜んで開いています。特に、ピーターラビットの絵本は、純子が、日本で初めて絵本を読んでもらう子なのよ、と言ったせいか、何回も何回も、読まされています」というお手紙をいただきました。
それから一週間後に、またお母さんからお手紙をいただきました。
「純子はピーターラビットを胸に抱いたまま神様のもとにいきました」というものでした。
みんなが、ピーターラビットの絵本を借りていったり、読んでいた李、あるいは僕に読ませたりしている姿を見ていると、いつも、僕は純子ちゃんのことを思い出しています。
・生きる指針となった物語
ドラ・ド・ヨング『あらしの前』『あらしのあと』
・日常生活にも物語がある
エーリヒ・ケストナー『点子ちゃんとアントン』
・同じ空間で楽しむ詩遊び
『なぞなぞの本』
・非常用の錨
『児童文学論』リリアン・H・スミス
・豊饒な絵本の森への心おどる案内書
『アメリカの絵本』『イギリスの絵本』(上下)『日本の絵本』の四冊からなる「連続講座<絵本の愉しみ>」
・(子どもを絵本の世界に導くための)レシピのコツは単純明快です。
「お子さんが生涯の友だちを物語の中に発見できるように、たくさんの素敵な昔話を読んでやってください!」ということです。
・10歳までは-それはたいがい、子どもがもう自分で読むからいいと親にいう時期と重なるのですが-身近なおとなに読んでもらうことが読書の基本ということです。理由は二つあります。ひとつは、子どもはいつだって自分が読める本よりも、もっとおもしろい物語を経験したがっているということ。もうひとつあh、物語は子どもが一人で読むには-子どもたちは物語の主人公になりきって、あるいは主人公とともに冒険に乗り出すものですから-危険が多く子どもたちには恐怖で耐えきれない場合が多いのです。乗り込んだ船が難破するかもしれない。竜や巨人やゴブリンが襲ってくるかもしれない。信頼していた友人に裏切られるかもしれない。愛する動物と分かれることになるかもしれない。時には両親との死別すらあるかもしれない・・・。
・物にいたるまでの旅は、苦痛がよろこびを凌駕していることの方が多いのです。けれども物語を読むよろこびは、その度に耐え、時には旅そのものを楽しみながら、ついに物にいたるところにあります。そうさせてくれるのが古典の古典たる所以なのですが! 子どもたちが成長するためにはその経験が必要なのであり、読むよろこびが生きるよろこびになるためには、まずその経験を必要とするのです。10歳までの読書という旅には、水先案内人・付添人が必要なのです!
感想;
「物語が生まれる不思議」斎藤惇夫著 ”書くことは生きることでもある”
クリスチャンとして、児童文学者として、幼稚園の子どもたちにお話をされています。
日本聖公会の浦和諸聖徒教会を母体とした幼稚園の園長
1940年6月20日生まれとのこと、2000年の60歳から作家活動そして今82歳と高齢なのに現役の園長(2017年~)されています。
何か新しいことは年齢に関係なく始められますね。
きっとそれまでの経験や回り道が役立つこともあるように思いました。
優しい方
子どもたちのことを考えているから
敬虔なクリスチャン
たくさんの素晴らしい本を読んでこられた方
これらが読み終えた感想です。
『ぐりとぐら』『もりのなか』は”遊びのボランティア”(入院児と遊ぶ)のときに読みました。
たくさんの絵本があったの読みました。
そして子どもたちに読み聞かせしました。
私は主にゲームを担当していました。
読んで、自分が読書が好きなのは、母親が少年少女文学全集を買っておいてくれていたので、それを読んだからでしょう。
ギリシャ神話が面白かったです。
小公子/小公女、母を訪ねて三千里
小学三年生からは学校の図書室で伝記をたくさん読みました。
中学の時は、コサックの物語が面白くて読みました。
ソ連だと思っていましたが、コサックはウクライナだったのをこの戦争で知りました。
1970年の処女作『グリックの冒険』で、翌年に日本児童文学者協会新人賞を受賞する。
1972年の『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』で、国際児童年特別アンデルセン賞優良作品に選出される。
1983年には、『ガンバとカワウソの冒険』で野間児童文芸賞を受賞した。
『冒険者たち』はロングセラーとなり、「ガンバの冒険」の題で連続アニメ化された[6]。
また、劇団四季により『冒険者たち ガンバとその仲間』というタイトルで1976年より繰り返し上演されている。(ウイキペディアより)
・この三人の方々の言葉は、いつも気になっていたのですが、しかし、編集者生活が長かったせいか、どうやら私は、活字、主に物語を通して子どもたちを見ることに慣れ切ってしまっていたようです。
・ワーズワーズ
子どもはおとなの父
・石井桃子
子どもたちよ、子ども時代をしっかりとたのしんでください。おとなになってから、老人になってから、あなたを支えてくるるのは子ども時代の「あなた」です。
・河合隼雄
この宇宙の中に子どもたちがいる。これは誰でも知っている。しかし、ひとりひとりの子どもの中に宇宙があることを、誰もが知っているだろうか。
・児童書の編集者、そして子どもの本の作家を経て、いまキリスト教の幼稚園の園長をしています。
・机の上の電話が鳴りました。僕の中学時代の友だちの女性からでした。
「お願いがあるの」
「斎藤さんの会社で血液型がAB型の人がいるかどうか調べていただけませんか? もしいたら、その方に、少し血をわけてくださらないか聞いてください」
「いったいどうしたの?」と聞くと、その人の友だちの、4歳の純子という名の女の子が重い病気にかかって苦しんでいて、「あと少ししか生きていられないの。新しいAB型の血液をわけてもらえれば少しらくになるの」というのです。
なんだ、そういうことならば、「僕の血をあげます。僕はAB型です」。・・・
その血を純子ちゃんにうつしたあと、純子ちゃんのお母さんがやってきて、純子ちゃんに会ってくださいませんかというので、純子ちゃんの病室をのぞいてみました。すると純子ちゃんが真っ白な顔で待っていました。そして小さな声で、ありがとうおじさん、といったのです。
僕は、あわてて、「これから急いで会社に戻って、おもしろい絵本を三冊持ってくるから待っていてね」と言って、さよならをしました。・・・
どの三冊にしたらいいのか一生懸命考えました。あと少ししか生きられない純子ちゃんに、どんな絵本をプレゼントしたらいいだろうとね。
仕事仲間もみんな寄ってきて、一緒に考えてくれました。二冊は簡単に選べました。『ぐりとぐら』『もりのなか』です。
でも、最後の一冊をどうしようか、考えても考えてもどれにしたらいいんかわかりませんでした。でもその時、僕は、とてもいいことを思いつきました。目の前にある印刷されたばかりのピーターラビットの大きな紙を自分で切って、折って、綴じ合わせて本の型にして、それをプレゼントしようと思ったのです。・・・
その次の次の日、純子ちゃんのお母さんから「いただいた絵本、どれも純子が喜んで開いています。特に、ピーターラビットの絵本は、純子が、日本で初めて絵本を読んでもらう子なのよ、と言ったせいか、何回も何回も、読まされています」というお手紙をいただきました。
それから一週間後に、またお母さんからお手紙をいただきました。
「純子はピーターラビットを胸に抱いたまま神様のもとにいきました」というものでした。
みんなが、ピーターラビットの絵本を借りていったり、読んでいた李、あるいは僕に読ませたりしている姿を見ていると、いつも、僕は純子ちゃんのことを思い出しています。
・生きる指針となった物語
ドラ・ド・ヨング『あらしの前』『あらしのあと』
・日常生活にも物語がある
エーリヒ・ケストナー『点子ちゃんとアントン』
・同じ空間で楽しむ詩遊び
『なぞなぞの本』
・非常用の錨
『児童文学論』リリアン・H・スミス
・豊饒な絵本の森への心おどる案内書
『アメリカの絵本』『イギリスの絵本』(上下)『日本の絵本』の四冊からなる「連続講座<絵本の愉しみ>」
・(子どもを絵本の世界に導くための)レシピのコツは単純明快です。
「お子さんが生涯の友だちを物語の中に発見できるように、たくさんの素敵な昔話を読んでやってください!」ということです。
・10歳までは-それはたいがい、子どもがもう自分で読むからいいと親にいう時期と重なるのですが-身近なおとなに読んでもらうことが読書の基本ということです。理由は二つあります。ひとつは、子どもはいつだって自分が読める本よりも、もっとおもしろい物語を経験したがっているということ。もうひとつあh、物語は子どもが一人で読むには-子どもたちは物語の主人公になりきって、あるいは主人公とともに冒険に乗り出すものですから-危険が多く子どもたちには恐怖で耐えきれない場合が多いのです。乗り込んだ船が難破するかもしれない。竜や巨人やゴブリンが襲ってくるかもしれない。信頼していた友人に裏切られるかもしれない。愛する動物と分かれることになるかもしれない。時には両親との死別すらあるかもしれない・・・。
・物にいたるまでの旅は、苦痛がよろこびを凌駕していることの方が多いのです。けれども物語を読むよろこびは、その度に耐え、時には旅そのものを楽しみながら、ついに物にいたるところにあります。そうさせてくれるのが古典の古典たる所以なのですが! 子どもたちが成長するためにはその経験が必要なのであり、読むよろこびが生きるよろこびになるためには、まずその経験を必要とするのです。10歳までの読書という旅には、水先案内人・付添人が必要なのです!
感想;
「物語が生まれる不思議」斎藤惇夫著 ”書くことは生きることでもある”
クリスチャンとして、児童文学者として、幼稚園の子どもたちにお話をされています。
日本聖公会の浦和諸聖徒教会を母体とした幼稚園の園長
1940年6月20日生まれとのこと、2000年の60歳から作家活動そして今82歳と高齢なのに現役の園長(2017年~)されています。
何か新しいことは年齢に関係なく始められますね。
きっとそれまでの経験や回り道が役立つこともあるように思いました。
優しい方
子どもたちのことを考えているから
敬虔なクリスチャン
たくさんの素晴らしい本を読んでこられた方
これらが読み終えた感想です。
『ぐりとぐら』『もりのなか』は”遊びのボランティア”(入院児と遊ぶ)のときに読みました。
たくさんの絵本があったの読みました。
そして子どもたちに読み聞かせしました。
私は主にゲームを担当していました。
読んで、自分が読書が好きなのは、母親が少年少女文学全集を買っておいてくれていたので、それを読んだからでしょう。
ギリシャ神話が面白かったです。
小公子/小公女、母を訪ねて三千里
小学三年生からは学校の図書室で伝記をたくさん読みました。
中学の時は、コサックの物語が面白くて読みました。
ソ連だと思っていましたが、コサックはウクライナだったのをこの戦争で知りました。