https://news.line.me/detail/oa-newsweekjapan/zudobsiplhj5?mediadetail=1&utm_source=line&utm_medium=share&utm_campaign=none 2023年1月18日 14:14更新 2023年1月18日 17:26 ニューズウィーク日本版iStock.
<日本人と日本のメディアは、憎悪扇動がどんな恐ろしい効果をもたらすか、理解しているのか>
2023年1月11日ごろから、イェール大学アシスタント・プロフェッサーの成田悠輔氏が高齢化社会の解決のため「高齢者は集団自決すれば良い」という発言をしていたことが動画等で拡散され、SNS等で議論になっている。主に拡散されているのは2021年12月の『ABEMA Prime』の動画だが、その他YouTube番組や講演会でも複数回にわたって同様の発言をしていたことが分かっている。
「メタファー」では済まされない
「集団自決」という言葉を使ってはいるが、とりあえず多くの場合、成田氏は「世代交代」の文脈で、この言葉を過激な「メタファー」として用いている。一方、「自決」という言葉のイメージ通り社会福祉カットの文脈でも彼はこの言葉を用いることもあり、その境界は未分化だ。何年にもわたって高齢者の「集団自決」あるいは「切腹」について執拗に語り続けているところをみると、成田氏はこの「持論」を単なるレトリックとしてではなく、ある程度は本気で提唱しているのではないかと思えてくる。『みんなの介護』インタビュー記事では、成田氏は当該発言を「言ってはいけない」としたうえで、「言ってはいけないとされていることはだいたい正しい」と述べている。
本人やこの発言を聞いた周囲がどこまで高齢者の「集団自決」を本気で考えているかはともかくとして、この発言を「メタファー」として安易に捉えるべきではないだろう。組織や社会の新陳代謝の問題はそれはそれで考えればよいが、一方でエイジズムと呼ばれるような年齢差別は解消するべきだ、というのが世界の流れで、主に雇用に関する差別をなくすよう、各国で立法化がなされている。「集団自決」発言はそれに逆行するだけでなく、特定の年齢層への憎悪表現ということもできるだろう。
少子高齢化などを要因とする日本社会の衰退化傾向が顕著になる中で、足手まとい・お荷物となりうる存在を切り捨てたいという欲求を持つ人が増えつつある。そうした状況下でこのような憎悪表現をメディアで行うことは、それを口に出して良いのだという免罪符を人々に与えることになってしまうのだ。
このように考えたとき、成田氏の発言も問題なのだが、より深刻なのは、その発言がその場にいる番組の他の出演者に受け入れられてしまっていることだといえる。主に拡散されている『ABEMA Prime』の動画では、成田氏が高齢者の「集団自決」論を唱えたのち、スタジオは(リモートで参加していたひろゆき氏も含めて)爆笑の渦につつまれている。この発言自体が面白いというよりは、出演者はこれが成田氏の持論であることを知っていて、「いつもの発言」が出たことに起因する笑いだったようにも思えるが、冷静に考えて、これはジョークとして捉えられるだろうか?ブラックユーモアが強いバラエティであれば文脈によってはありうるかもしれない。だが、『ABEMA Prime』は仮にも報道番組をうたっているのだ。そのような番組が、果たして風刺や皮肉ですらない高齢者の「集団自決」論を冗談にしてよいのだろうか。
2016年、元フジテレビアナウンサーの長谷川豊氏が遺伝由来ではない人工透析患者は全額自己負担として払えないものは「そのまま殺せ!」とブログに書いて炎上したとき、長谷川氏はある番組に出演して、「人工透析患者を殺せと書いたら炎上したんですよ」と発言した。やはりスタジオは爆笑の渦に包まれていた。
今回、そのときと同じような薄ら寒さを覚えた。日本のメディアは、憎悪扇動の効果について、過小評価しているのではないか?もっとも、長谷川氏はその後全番組を降板することになったが、成田氏についてはその兆候はみられない。
「世代間格差」論の問題
年金保険料の負担や福祉の手厚さの充実度、金融資産の有無に関して、現役世代に比べて高齢者が優遇されているとする世代間格差の議論は、若者向け政策を取り扱う論者によってよく主張され、ネットメディアでは既成事実となりつつある。
・・・
芸人で実業家のたかまつなな氏は、成田悠輔氏の「集団自決」発言を批判している。しかしたかまつなな氏自身も、高齢者の発言力が強すぎる「シルバー民主主義」が問題だという持論を持っており、昨年6月、年齢が上がれば上がるほど選挙での一票の価値が下がる「余命投票制度」の仕組みを導入すべきだと提言し、参政権の平等を無視しているとして批判を受けている。「世代間格差」の議論とは、結局のところこうした人権を無視するような極端な帰結にしか至りようがないということではないのか。
社会に余裕がなくなっていく状況下で、エスニシティにせよ、セクシュアリティにせよ、年齢にせよ、特定の属性をスケープゴートにするような言説は、すぐに憎悪表現に至るようなエスカレートをたどる。最悪の場合、表現に留まらず、実際の排斥へと至るかもしれない。
厄介なのは、そうした排斥が、恵まれない者たちの救済という顔で登場してくることだ。ナチスは苦しい生活を強いられているドイツ人の味方を標榜し、ユダヤ人を排斥した。世代間格差論者も、若者の味方を標榜しており、ネットテレビやYouTube などの新興メディアに頻繁に登場している。
・・・
藤崎剛人( 埼玉工業大学非常勤講師、批評家)
感想;
成田氏がご自分が高齢者になれば、自決されるのでしょうか?
竹中平蔵氏が年金不要論を提唱されていました。
“月7万円支給で年金も生活保護も不要” 竹中平蔵氏のベーシックインカム論は正しいか
https://mainichi.jp/articles/20201003/k00/00m/020/266000c
ところが、しっかり年金を受け取っておられました。
年金不要なら、ご自分は年金を辞退するか、年金額をどこかに寄付されるなら、言っていることが持論となるのです。
年金不要と言いながらしっかりもらっていると、「なんだかな」と思ってしまいます。
番組で、成田氏が発言されたとき、「成田さんは、ご自分が高齢者になったら自決されるのですか? 成田さんが言われる高齢者とは何歳ですか?」と参加者が尋ねていただきたかったです。
<日本人と日本のメディアは、憎悪扇動がどんな恐ろしい効果をもたらすか、理解しているのか>
2023年1月11日ごろから、イェール大学アシスタント・プロフェッサーの成田悠輔氏が高齢化社会の解決のため「高齢者は集団自決すれば良い」という発言をしていたことが動画等で拡散され、SNS等で議論になっている。主に拡散されているのは2021年12月の『ABEMA Prime』の動画だが、その他YouTube番組や講演会でも複数回にわたって同様の発言をしていたことが分かっている。
「メタファー」では済まされない
「集団自決」という言葉を使ってはいるが、とりあえず多くの場合、成田氏は「世代交代」の文脈で、この言葉を過激な「メタファー」として用いている。一方、「自決」という言葉のイメージ通り社会福祉カットの文脈でも彼はこの言葉を用いることもあり、その境界は未分化だ。何年にもわたって高齢者の「集団自決」あるいは「切腹」について執拗に語り続けているところをみると、成田氏はこの「持論」を単なるレトリックとしてではなく、ある程度は本気で提唱しているのではないかと思えてくる。『みんなの介護』インタビュー記事では、成田氏は当該発言を「言ってはいけない」としたうえで、「言ってはいけないとされていることはだいたい正しい」と述べている。
本人やこの発言を聞いた周囲がどこまで高齢者の「集団自決」を本気で考えているかはともかくとして、この発言を「メタファー」として安易に捉えるべきではないだろう。組織や社会の新陳代謝の問題はそれはそれで考えればよいが、一方でエイジズムと呼ばれるような年齢差別は解消するべきだ、というのが世界の流れで、主に雇用に関する差別をなくすよう、各国で立法化がなされている。「集団自決」発言はそれに逆行するだけでなく、特定の年齢層への憎悪表現ということもできるだろう。
少子高齢化などを要因とする日本社会の衰退化傾向が顕著になる中で、足手まとい・お荷物となりうる存在を切り捨てたいという欲求を持つ人が増えつつある。そうした状況下でこのような憎悪表現をメディアで行うことは、それを口に出して良いのだという免罪符を人々に与えることになってしまうのだ。
このように考えたとき、成田氏の発言も問題なのだが、より深刻なのは、その発言がその場にいる番組の他の出演者に受け入れられてしまっていることだといえる。主に拡散されている『ABEMA Prime』の動画では、成田氏が高齢者の「集団自決」論を唱えたのち、スタジオは(リモートで参加していたひろゆき氏も含めて)爆笑の渦につつまれている。この発言自体が面白いというよりは、出演者はこれが成田氏の持論であることを知っていて、「いつもの発言」が出たことに起因する笑いだったようにも思えるが、冷静に考えて、これはジョークとして捉えられるだろうか?ブラックユーモアが強いバラエティであれば文脈によってはありうるかもしれない。だが、『ABEMA Prime』は仮にも報道番組をうたっているのだ。そのような番組が、果たして風刺や皮肉ですらない高齢者の「集団自決」論を冗談にしてよいのだろうか。
2016年、元フジテレビアナウンサーの長谷川豊氏が遺伝由来ではない人工透析患者は全額自己負担として払えないものは「そのまま殺せ!」とブログに書いて炎上したとき、長谷川氏はある番組に出演して、「人工透析患者を殺せと書いたら炎上したんですよ」と発言した。やはりスタジオは爆笑の渦に包まれていた。
今回、そのときと同じような薄ら寒さを覚えた。日本のメディアは、憎悪扇動の効果について、過小評価しているのではないか?もっとも、長谷川氏はその後全番組を降板することになったが、成田氏についてはその兆候はみられない。
「世代間格差」論の問題
年金保険料の負担や福祉の手厚さの充実度、金融資産の有無に関して、現役世代に比べて高齢者が優遇されているとする世代間格差の議論は、若者向け政策を取り扱う論者によってよく主張され、ネットメディアでは既成事実となりつつある。
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芸人で実業家のたかまつなな氏は、成田悠輔氏の「集団自決」発言を批判している。しかしたかまつなな氏自身も、高齢者の発言力が強すぎる「シルバー民主主義」が問題だという持論を持っており、昨年6月、年齢が上がれば上がるほど選挙での一票の価値が下がる「余命投票制度」の仕組みを導入すべきだと提言し、参政権の平等を無視しているとして批判を受けている。「世代間格差」の議論とは、結局のところこうした人権を無視するような極端な帰結にしか至りようがないということではないのか。
社会に余裕がなくなっていく状況下で、エスニシティにせよ、セクシュアリティにせよ、年齢にせよ、特定の属性をスケープゴートにするような言説は、すぐに憎悪表現に至るようなエスカレートをたどる。最悪の場合、表現に留まらず、実際の排斥へと至るかもしれない。
厄介なのは、そうした排斥が、恵まれない者たちの救済という顔で登場してくることだ。ナチスは苦しい生活を強いられているドイツ人の味方を標榜し、ユダヤ人を排斥した。世代間格差論者も、若者の味方を標榜しており、ネットテレビやYouTube などの新興メディアに頻繁に登場している。
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藤崎剛人( 埼玉工業大学非常勤講師、批評家)
感想;
成田氏がご自分が高齢者になれば、自決されるのでしょうか?
竹中平蔵氏が年金不要論を提唱されていました。
“月7万円支給で年金も生活保護も不要” 竹中平蔵氏のベーシックインカム論は正しいか
https://mainichi.jp/articles/20201003/k00/00m/020/266000c
ところが、しっかり年金を受け取っておられました。
年金不要なら、ご自分は年金を辞退するか、年金額をどこかに寄付されるなら、言っていることが持論となるのです。
年金不要と言いながらしっかりもらっていると、「なんだかな」と思ってしまいます。
番組で、成田氏が発言されたとき、「成田さんは、ご自分が高齢者になったら自決されるのですか? 成田さんが言われる高齢者とは何歳ですか?」と参加者が尋ねていただきたかったです。