幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

『東大女子という生き方』秋山千佳著 ”それぞれの人生には山あり谷あり、そこでどうするか/レジリエンス”

2023-01-25 15:32:00 | 社会
-中野さんが東大を選んでよかったと思うことありますか。-
中野 面白い人たちに出会えたのが財産ですね。どうあがいても勝てない天才とか。自分の性格はおかしいと思っていたけど、もっとおかしな人たちがたくさんいた(笑)。
親との葛藤がある人は多かった印象です。良い子でいようという気持ちがすごく強いとか。摂食障害になる人もちらほらいました。
-中学進学を機に親元を離れ、東京の祖父母宅から私立校に通うことに。-
中野 地域の公立という選択肢はなく、かといって私立も家が貧乏だったので、特待生になれそうな学校を受験するという賭けに出て、難関校でもないけど成績上位者なら東大に行ける水準の学校に入りました。
-工学部を選んだ理由は?-
中野 自分が周りと違うという苦しさが中学生の頃には募っていて、私の性格がおかしい原因は脳だから、そこを何とかしないと生きていけないと。けどコミュニケーションの領域はまだ科学(で明らかに)されていないと知り、自分で研究しないとだめだと考えたんです。
-鉄門は男性の”聖域” 中野さん自身もそういう目に遭ったことは?-
中野 セクハラなんて腐るほどありますよ。たとえば先生から抱きつかれて、やめてくださいよと言うと、評価が下がって奨学金を受けるのに不利になるとか、だから次にまた抱きつかれた時には、先生も疲れているんですねってやんわりと腕をほどいて。

『東大卒の女性-ライフ・リポート』「東京大学女子卒業生の会 さつき会」編
さつき会とは、1961年創立で現在まで続く、東大女子卒業生・女子学生の同窓会だ。
評論家の樋口恵子(1956年文学部卒)は在学中、新聞部の顧問(中屋健一・東大教授)から
「君、東大に女子学生が半分にならないと日本は変わらないよ。いずれそういう時代が来るだろう」と言われたとも語っている。
平成が終わってもなお、女子が学部生の二割に達していないことを想像しただろうか。

『女・東大卒、異国で失業、50代半ばから生き直し』栗崎由子著

次の世代にバトンを渡す
赤松良子 女性の解放というのは、たとえば平塚らいてうとか市川房枝とか、苦労してきた女性たちの長い列があるんです。そういう列に私も加わった。後から来る人には言いたい。あなたにもその列に加わってほしいと。それが若い女性たちに私から伝えたい言葉です。

山口真由 ずっと自分は自己肯定感が低いと思っていたんです。水が入っているコップを見たら「ここまで水がある」と思うのではなく、「ここまでしかない」と捉えるような自分の性格が嫌だったんです。大学の成績も、優を取りたいというより、「良があったらどうしよう」という不安が強くて、優以外が一つでもあればずっと引きずるだろうと感じていました。でも、そういう自分の性格があってこそ、総長賞(オール優で法学部の成績優秀者)という結果につながったのかなと。そんな自分をまるごと認めようと、最近ようやく折り合いをつけてきたところです。

今は、朝起きたくない、ずっとお風呂で本を読んでいたい(笑)。でも本当にやりたいことは、「人の期待に応えたい」ですね。期待に応え続けたい。

期待コウモリ」になりたいです。
ある時は哺乳類みたいな顔で、あっちの期待からこっちの期待へと飛び回るんです。
ある方のアドバイスで、テレビに出ている時は「私はこの業界の人間じゃない」という顔をしていればいいし、別の場所にいる時も同じようにしていればいいと言われて、気が楽になったことがあって、コウモリでいいのかなと思ったんです。

米国の大学では非大学卒の親を持つ「ファースト・ジェネレーション」へのサポートを行う。
たとえばハーバード大学では、出願の段階から支援があり、奨学金など様々な相談に乗ってもらえる。その結果、同大学では低所得層の学生を増やし、今では学生の15%がファースト・ジェネレーションだという。

外資系社員のあられ(ハンドルネーム、2008年工学部卒)は、自身の婚活ブログが人気を博したブロガーだ。30歳から2年半にわたって婚活し、「人生で一番苦戦した」という。
人気ブログ「トウダイリケジョの婚活記」
東大のテニスサークル事情だ。あられの在学時、テニスサークルが100あったが、東大女子が入会できるのは三つだけだった。それ以外はすべて、東大男子と女子大の女子によって構成される、”東大女子お断り”のサークルだったのだ。
「学歴ロンダリング」という(冷めた目で見る)言葉だ。(大学入学の試験ではなく帰国子女枠や大学院から東大へ)
あられ 婚活ほどではありませんが、結婚生活も苦戦しています。だから次は別のブログ「第二章」を書こうかなと思っています(笑)。

中野信子は、37歳頃にようやく自分に自信が持てた、としてこう語った。
「多くの女性はそれくらいの時期まで漠然とした不安があると思うんですよ。女は若いうちしか売れないよと呪いのように言われ続け、自分の価値がどんどんだがるという価値観を埋め込まれているので」
こんな「呪い」を彼女たちにかけるのは誰なのか。取材から、二つの大きな存在を感じた。
母親と、東大男子だ。

弁護士の三輪記子(ふさこ;2002年法学部卒)
『おっぱいがほしい! 男の子育て日記』樋口毅宏著(夫;帝京大出身)

-なぜ三輪さんは、親と一線を引いたところに立つことができたのでしょう-
三輪 勉強によるものだと思います。たとえば憲法を学ぶと、個人の尊厳とか自己決定とかを知るわけです。そういう法律の概念を自分に置き換えると、親が何を言おうが、理屈で考えると気にしなくていいものなんだと思えて、親との距離も置ける。勉強って法律だけじゃなくて、科学とか、自分が蓄えてきた知識や概念とか。
-課外活動というのか、学外での酒も男も、人生勉強-
三輪 そう。本当にそれで学んだことは多いですね。いろんな人がいましたからね。

『東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話』池田渓著(2006年農学部卒)

『「東大に入る」ということ 「東大を出る」ということ』
東大を卒業して間もない男性三人が、自身の迷いや失敗を書き綴った一冊。
(東大を卒業して)仕事に就いてみると、青年には、敷かれたレールの先に待っている世界が魅力的だと思えなかった。結局、(大銀行に)入行して一年足らずで辞める決断をする。・・・
「ねえ、母さん、振り返ってみると、なんで僕はこんなに偏差値に集約してきたんだろう? なんで少しの寄り道もしなかったんだろう?」
母親の期待を背負った男子にも「内なるマミー」は宿る。期待を推しばかり、それに応えることが彼の行動原理になっていた。・・・
同書が出た二年後、彼は会社を設立。・・・
会社の名前は、ユーグレナ。東証一部上場企業となった同社の代表取締役社長こそ、東大を出て銀行を一年足らずで辞めた元青年、出雲充なのだ。

上野千鶴子
「ダグラス・有沢の法則」
1980年代には、夫の年収と妻の有業率がきれいに逆相関していた。
高学歴女性は結婚後の専業主婦率が高くなる、傾向が当てはまりました。
ところが、2000年代に入ると、この法則が崩れた。・・・
「働くべきか、働かざるべきか」だったのが、・・・
「いかなる働き方をするか」になった。

小説『彼女は頭が悪いから』は、院生を含む東大の男子学生五人が他大の女子学生一人に対する強制わいせつ容疑で逮捕された、2016年の事件をモチーフにしている。・・・
今に始まった話ではない。90年代には、社会学者の宮台真司(1982年文学部卒)が「硬派な私立男子校から東大に入ったウブな優等生が、いわゆる大学デビューをした途端にキレて、女漁りをはじめるというのは、東大生には昔からありがちな傾向なのである」と指摘している。

上野千鶴子は、インタビューの終わりに言った。
「女子が東大に入るとどんないいことがあるか、言っておかないと」
「・・・望んで努力したら手に入ると思えることだった。・・・私の言葉で言うと、『選択肢が増えること』です。東大女子は、東大に入ったことで自信を得る。社会に出たら努力しても手に入らないものがたくさんあることを思い知るのだけど、少なくとも在学中は、自分の選択肢を狭めなくていい。私は大人が子どもに与えられる最大の贈り物は、選択肢を増やしてあげることだと思っています-」

東大女子である彼女たちの魅力は、再起力=レジリエンスにあった。・・・
彼女たちのレジリエンスこそ、不確実なこの時代、学歴よりもはるかにまばゆい輝きを放つものだからだ。

文春新書『東大女子という生き方』秋山千佳著

「女性が学歴をつけても結婚できないね」
「東大なんか行ったらお嫁に行けないからやめた方がいい」

これは、本書に登場した東大女子たちが実際に母親から言われていた言葉です。

著者は取材を始めるまでは、東大女子のインタビューを通して、職場での出世を阻む日本社会の「ガラスの天井」が見えてくるのではないかと想定していました。ところが実際には、もっと手前の段階で、母親や周囲の男性から「女性」として位置づけられることで生まれる生きづらさが彼女たちを苦しめていたことが分かってきました。

しかし、そのような生きづらさを感じたときに、泣き寝入りしないのが彼女たちの強さでもありました。

人生の「壁」にぶち当たっても、何度でも人生をやり直して立ち上がるレジリエンス(=再起力)を持っていたのです。

一つの企業・組織で一生を終える旧来の価値観で言えば、企業や組織を離れていく女性たちは「道を変えざるを得なかった」というふうに見られてきました。

しかし、彼女たちは、組織を離れて自ら違う道を選んだことで、個を磨き、何度も環境を変えながら道を切り拓く力を身に着けていきました。

一見、道を閉ざされたかに見えた彼女たちの生き方は、これからの時代に求められている働き方の先駆けでもあったのです。

孤独や挫折、ジェンダーの問題など、誰もがぶつかる「壁」に彼女たちがどのように乗り越えたか。

彼女たちの生き方を通して、誰もが自分らしく生きるヒントを見つけていただければ幸いです。

中野信子
「出世と人生の満足度は違う」37歳頃にたどり着いた境地
赤松良子
「なにさ」「頭にくる」。〝均等法の母〟が感じた不条理
山口真由
「自己肯定感を持たなきゃ、持たなきゃと思っていた」
栗崎由子
53歳でリストラ 200通の履歴書も「なしのつぶて」
北村紗衣
「学問は裏切らない」という考えでやってきた
三輪記子
東大進学は「親の支配から逃れられるアイテム」
豊田真由子
「絶望の中で、人間の本性も絆の真贋もはっきりと見えました」
藤田優
「人の価値はテストの点数だけでは測れない」
宮下里美(仮名)
親が非大卒の学生への「サポートが手薄」だった
あられ(ハンドルネーム)
「本当に私は結婚できないのか」婚活ブログで検証

上野千鶴子が語る「セクハラ」と「学生間ストーカー」の実態

第一章 東大女子は第二東大生?
第二章 均等法の前と後
第三章 過剰適応の果てに
第四章 優等生という病
第五章 少数派の地方公立出身者
第六章 結婚の「王道」
第七章 東大男子もつらいよ
第八章 新しい世代へ

感想
東大に入れ将来はすべてハッピーということではないということです。
女子にはさらに、いろいろなハードルがあるようです。

秋山千佳氏は主な文献として、24冊本を読まれていました。
インタビューするときも、その人の出している本があれば、それを読んだ上で質問されていました。
立花隆さんは、インタビューするとき、相手の全ての本を読み、何を質問するかまとめてから質問されていました。

自分の人生をどう生きるかを考えて、自分に与えらた才能を活用して生きることなのでしょう。
与えられた才能は努力しないと開花しませんが・・・。
自分に与えられ才能と他の人の与えられた才能を比較して、文句言っても自分の人生にはなにもプラスしません。
インタビュー受けられた東大女子の人も努力をされて来られているということがひしひしと伝わってきました。

東大に入れた。この思いが、自信になって、何かトラブルがあっても再起する力=レジリエンスになっているのでしょう。
中野信子さんがフランス留学、博士課程で博士号を取得されましたが、アカデミックでは女性では未来が見えなかったので、自ら発信する道を選択されました。

お薦めの本です。

「彼は早稲田で死んだ(大学構内リンチ殺人事件の永遠)」樋田毅著  "過去から学び、今に生かす”

2023-01-25 14:42:42 | 本の紹介
不条理な暴力に私たちはどう抗えるのか――内ゲバが激化した一九七二年、革マル派による虐殺事件を機に蜂起した一般学生の自由獲得への闘い。いま明かされる衝撃の事実。1972年11月8日、早稲田大学構内で一人の学生が虐殺された。その事件をきっかけに蜂起した一般の大学生たちの「自由」獲得への戦い。不条理な暴力に徒手空拳で立ち向かい、怯え慄き、傷つけられ……。だが、最後まで非暴力による闘いを貫いた。今も、暴力は様々な形で社会に蔓延し、ある日突然巻き込まれる人は増え続けている。不穏な時代に翻弄され、立ち竦むすべての人に捧げる渾身のルポ。

組織人間の悪魔性問いかけ [評]江上剛(作家)
 一九七二年四月、評者は早稲田大学政経学部に入学した。キャンパスには暴力が満ちていた。奇声を発しながら鉄パイプを振るう集団が走り抜けた後には血痕が落ちていた。革マル派が敵対するセクトの学生を襲撃していたのだ。
 著者も同じ年に文学部に入学した。文学部は、政経学部以上に革マル派の暴力支配下にあり、学生たちは怯(おび)えながら過ごしていた。しかし十一月八日、文学部生川口大三郎君が革マル派のリンチによって殺害される事件が起きた。これを契機に一般学生が革マル派排除に立ち上がった。大学当局は革マル派の暴力支配を許容し見て見ぬ振り。一般学生が勇気を奮わざるを得なかったのだ。運動は拡大し、やがて著者はリーダーとなるが、革マル派の襲撃で命の危機に陥ることになる。
 本書は、革マル派の幹部だった人物のインタビューも含め、記録に基づき運動の発端から挫折に至るまでを詳細に再現している。しかし所詮(しょせん)、早大という閉鎖空間の問題であり、反革マル運動を「痛み」として心の底に沈め、今や老境に達した人間のノスタルジーを刺激するだけではないか等の意見もあるだろう。
 著者は私たちに「寛容と不寛容」の問題を問いかける。「不寛容の行き着く先は『テロリズム=暴力』である」と。これは新左翼だけの問題ではない。私たちは誰もが何らかの組織に属している。その組織が不寛容になった時、暴力が発生するのだ。トランプ支持者が合衆国議事堂を襲撃した。我が国にも韓国人へのヘイトスピーチを声高に叫んでデモをする人たちがいる。企業内ではパワハラが横行する。著者のインタビューに当時の革マル派幹部は「暴力的な現場でこそ組織に貢献できると思っていた」と答えている。組織に属する人間は誰でも組織内での評価を高めたいと願う。その結果、他者に対し不寛容になり、これこそが自分の地位向上に資するという悪魔に魅入られてしまう。
 本書は、私たちの心に潜むこの悪魔性の問題を突き付ける。川口君事件を知らない読者も「寛容と不寛容」の問題を考えてもらいたい。 
(文芸春秋・1980円)

感想
大学に入学した時は、学生運動が下火になっていたときでした。
しかし、その影響で、授業は5月からで、4月からは1科目だけの受講でした。
大学の正面出口のすぐそばに、警察の特型警備車が待機していました。
受験を控えた時に、浅間山荘事件があり、受験勉強を放り出してTVを見ていました。

各大学で内ゲバがあったようです。
巻き込まれた学生も多かったでしょう。

読み終えて思ったことは、明らかな犯罪行為が行われているのに、大学が警察を呼ばないことでした。
学校という前置きがあると、虐めや暴力があっても、警察を呼ばずに対応しているのです。

川口さんが連れ去られても、警察への連絡をせず、殺害されてから警察に連絡するという当時の大学のマネジメントのお粗末さでした。

そしてどんな理由があっても、暴力に訴えることは決してしてはいけないし、どんな言い訳も成り立たないことです。

今、それがロシアによって行われています。
これを認めると、「いうことを聞かない相手には暴力で以って従わせる」ことが是となってしまいます。
そして、ロシアが次に新たな国を攻撃することを認めてしまうことになります。

鈴木宗男氏はロシアとの関係改善に尽力されて来られましたが、今の発言見ているの、単なるロシア信奉者で事の善悪も分からない人だということを自らPRされているように思えてなりません。
「虐めがあると、虐めらた方にも責任がある」との考えと同じです。
相手がどうであろうと、暴力で虐めることはあってはならないのです。

昔の学生はエネルギーがあったようです。
今はエネルギーがなく、理不尽なことがあっても我慢するだけの学生が増えているようです。
日本の未来を背負う若者対策が不十分です。
奨学金制度と看板の実は低金利ローンです。
現場に派遣が認められ、正規労働の口が減っています。
正規労働に就くだけでも大変です。
共稼ぎでないと子ども持てない状況です。
国を守るための防衛費2倍するより、守る国が崩壊して言っています。
守るに値する国づくりに、それは若者支援、貧困者支援にもっとお金を使って欲しいです。
働いたお金の多くが防衛費に、米国の古い装備購入に回っているかと思うと、税金を納めたいという気持ちが失せてきます。