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「リアスの海辺から」畠山重篤著 ”「森は海の恋人」森に広葉樹の植林が海の牡蛎を育てる”

2022-05-06 00:22:00 | 本の紹介
・名づけて「森は海の恋人」運動である。
それは私が、昭和59(1984)年、フランスのブルターニの海辺に、牡蛎の養殖事情を視察にいったことがきっかけだった。・・・
川の源は森。私はロワール川上流に足を運んでみた。そこには、思った通り、山毛欅(ブナ)、水楢(ミズナラ)、胡桃、栗などの、広葉樹の大森林地帯が広がっていたのである。それは、杉山に変わる前の三陸の森の原風景であった。
広葉樹の森は海をも支配している。そのとき私はそう確信した。

・植林は1998年で十年目を迎え、その地は「牡蛎の森」と命名されている。漁民のよる植林が橋渡しとなり、上流の森の民と下流の海の民との交流も深まっていった。

・体験学習に訪れた子供たちからも手紙が届いた。「朝シャンで使うシャンプーの量を半分にしました。給食の後の歯磨きのとき、歯磨き粉の量まで注意しています。下流の海の人たちに迷惑はかけられません」というのである。

・村当局も、なるべく農薬を使わない、環境保全型農薬を推進している。もちろん、漁民みずから、海を汚さないよう注意するようになってきた。工場排水の規制強化や、下水道の整備とあいまって、大川流域に暮す人々の環境に対する意識は高まっていった。
その結果、嬉しいことが起こった。
二十年以上も姿を消していた鰻が川を戻りはじめ、海には目張、竜の落とし子などが姿を現してきたのである。
こうして、氣仙沼は確実によみがえりつつある。
「森は海の恋人」という呼びかけに呼応するように、運動は全国に広がっていった。現在、全国三十団体の漁民が、森づくりに励んでいる。

・我が家は小さな牡蛎の養殖場を経営していて、父は私を子供の頃から「牡蛎屋」にしようと決めていたらしい。機会があるごとに、三陸リアスの海辺を連れて歩いていた。

・万石浦は、世界に冠たる下記の種苗、宮城種の産地だからだ。北海道、岩手、新潟佐渡、石川能登、三重、岡山、大分などの国内の産地はもとより、アメリカ、フランスの同業者も「マンゴウラ」の名を知らぬ者はない。

・牡蛎の種は、野菜や花などの種と違って、保存がきかない、

・「仕事は、段取り八分だからな。帆立は特に弱いから、油断すっと殺すぞ」
工藤さん(牡蛎種業者)からくどくいわれたこの言葉を、私も息子に繰り返している。ちょっとの油断で、トラック一台分を全滅させた経験を何度もしているからである。

・「ムール貝」という名前が一般的になったのはせいぜいこの15,16年だろう(2002年出版)。もともとこの貝は、三陸では「しゅうり貝」と呼ばれていた。今から30年ほど前から、フランスに料理の修行に行く人が増え、やがて帰ってきた人々がフランスでも使っている素材である、しゅうり貝を使いだしたのだ。名前も、フランス語の呼び名ムールにめをつけて「ムール貝」になった。名づけ親は築地仲卸の山静さんらしい。

・帆立貝がサンチャゴのしるしとなったのも、それが豊富に取れていたからである。なぜ魚介類がそんなに豊富なのか、それはリアス式海岸だからだ。リアス式海岸とは、森・川・海のバランスのいい海岸、つまり「森は海の恋人」の世界だったのである。

・「森は海のおふくろ」(スペイン)

・この湾を取り囲む緑の森と青黒いビスケー湾を望みながら安どの胸をなでおろすと同時に、十年間苦労を共にしてきた三陸リアスの仲間にも、「やっぱり、間違っていなかたったぞ」と大声で叫びたい衝動に駆られたひとときであった。

・18世紀、200年前、サルバドル・チャビンという宣教師が、オーストリアからユーカリの苗を持ち込んだ。教会の庭に植えておいたら、たちまち大木になることがわかり、ユーカリの植林がはじまったという。ユーカリは十年でパルプ材になるし、切り株からまたひこばえが生えるので、三回の伐採が可能だという。ロブレ(堅くて強靭な木)は、木材になるのに最低五十年はかかるし手入れも必要だ。
そんなことで、たちまちユーカリは、ガリシアの海岸地方に広まっていったという。
「仕方がなかったのだろうね」・・・
ユーカリの葉にはある種の毒(青酸カリ)があり、ほかの植物を映えさせないという性質を持つため、単一林になってしまう。成長がいちじるしく早いということは、土の養分をどんどん吸ってしまうため将来は不毛の山になってしまう恐れがあり、心配だという。さらに、揮発性の成分が含まれていて燃えやすい木のなので、山林火事が頻繁に起きている。
「ロブレだったら湿り気があるから燃えないよ」

感想
三陸の湾で帆立の養殖を初めて行ったのも著者です。

行動力が素晴らしいです。
行って専門家の意見を聴く。
牡蛎が育たなくなり、ずーっとその原因を考えていたそうです。
そして森が海に関係していることを気づかれたようです。

リアスの言葉はスペイン語だと知るとスペインの海岸辺りについて書かれた本を集めて読む。
そしてスペインまで行く。

リアス式とは川が海に注いでいる辺りの湾のことをいうそうです。
なので、川が注いでいないとリアス式の海岸とは言わないとのこと。
海が大地を削ったのではなく、川が大地を削ったそうです。

今は京都大学社会連携教授として森と海の関係などを学生に話をされているそうです。
講演活動もされています。
先日、畠山さんのお話を聴く機会があり、本を読んでみたくなり読みました。

NPO法人 森は海の恋人
自然環境の汚染と影響
昭和40年~50代にかけて気仙沼湾の環境が悪化してきました。赤潮が発生し湾内はまるで醤油を流したような茶色の海となったのです。

1個のカキは呼吸のため1日200リットルもの海水を吸っています。水と一緒に吸い込んだプランクトンがカキの餌なのです。 プロロセントラルミカンスという赤潮プランクトンを吸ったカキの身が赤くなり血カキと名付けられたのです。全く売り物にならず廃棄処分されました。

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